福祉事務所職員たちの憂鬱(4) シリーズ第4弾です。この土日、久しぶりにアウトドアを楽しんできました。車で2時間足らずの野外活動センターで、一泊二日のキャンプをしてきました。ひぐらしや小鳥のさえずり声が絶え間なく聞こえ、とてもいいリフレッシュになりました。
今回参加したメンバーは、私を含めて4人。私以外のM君、Y君、N君3人は全員が福祉現場にいる職員たちです。いつものことながら生活保護行政現場の実態を、精一杯の憎しみを込めて山中で爆発させてくれました。特に2日間、爆発し続けていたのが、生活保護の仕事が嫌でイヤで厭で仕方がないN君でした。会話の一端をご紹介しましょう。 私:年末に派遣切りとかで世間を騒がしていて、悪乗りして生活保護の申請に来るのが増えているらしいな。 N:ああ、ミソもクソも生活保護だ、権利だ、生存権だと言ってきやがる。こないだなんか「財布を落としたから生活保護をしてくれ」とぬけぬけ言ってきた大馬鹿野郎がいた。 Y:たぶん、誰かが入れ知恵してるんだろうなあ・・・福祉団体と名乗っていれば、人権擁護派とみられて、英雄気取りで行政にモノを言ってくるからな 私:件数が増えれば、当然、不正も増える。Nは、不正に厳しい対応したそうだな N:就労収入があるのに、申告していなかった奴に、返還命令を出した。その面談の席上、「アンタには、不正受給したカネを絶対に返してもらう。何も腎臓や目玉を売って払えなんて言わない。毎月の生活保護費から差し引かせてもらう」と言ったら、あの奴、市会議員に「担当のケースワーカーから腎臓や目玉を売って金を返せと言われた」と嘘の相談をしやがった 私:ほおーー、それで? N:事実関係もロクに確認せず、相手の話だけを鵜呑みした市会議員のババアが窓口に乗り込んできた。腎臓売れってどういうことだ、ってな。課長に事情聴取されそうになったが、「あのなあ、社会的信用ゼロの生活保護受給者と公務員であるオレの言うことと、どっちを信用するんだ」と怒鳴りつけて一切応じなかった。 Y:あ、やっぱり、あの騒動はお前のことだったのか? 私:市会議員というのは? Y:「狂」った奴等に「賛」辞を贈る「党」の、M議員だ。 私:それ面白いな。それで、その結論はどうなったんだ? N:結局、本人が嘘をついていたことを認めて、議員が電話で「何か行き違いがあったようねえ」と言ってきた。「お前らみたいな売国奴が議員をしているから、日本の福祉が腐ってくるんだ」と怒鳴りつけてやった。 M:まあ、それはそのとおりだ。あの議員は特にひどいからなあ。 N:不正なことをもみ消そうとした議員に対しては、警察が動かないと。「狂った奴等に賛辞を贈る党」を壊滅に追い込む絶好のチャンスなのに。ああいう政党が壊滅すれば、日本は発展する。 私:ところで、M、お前、最近、不正の摘発が結構あったと言っていたな M:いろいろあるぞ。最近多いのは、母子世帯のはずが、母子世帯ではなかった、高齢者単身世帯のはずが単身世帯ではなかった、居住実態がない、いろいろある。 Y:母子世帯はよくあるよな。男が住みついていて、ちょっと油断していると「妊娠しましたあ」としゃあしゃあと言ってくるからな。子どもを生んで生活保護費を増やそうとする魂胆が丸見えだな。しかし、居住実態がないというのはどういうものだ? M:女の単身世帯で生保を受けているが、実際には子どもの家で同居しているような場合だな。子どもが仕事をしていて最低生活費以上に稼いでいたら、保護は打ち切りされるだろ?だからこういうやり口もある。 私:よくそんな不正を摘発できたな? M:居住実態のない奴等というのは、共通して言うことがある。 私:え?そうなのか? M:ちゃんと住んでいますよ、住民票もあるでしょ、と言うときだ。住民票を強調する奴というのは、まず居住実態がないと考えていい。 私:心理的に防御しようとするから、自然と住民票という葵のご紋を使おうとするわけだな M:どうもそういう傾向がある。まあ、しょせん、怠け者の浅知恵だ。 Y:ところで、最近、自宅で死亡していた例はあったか? N:最近はないなあ・・・家で死なれると後片付けが鬱陶しいからな M:年末に、富士の樹海で自殺したのがいたな・・・地元の福祉事務所が身元を確認し、全骨を郵送してきた。ホント、面倒だった。 N:へえ、それは知らなかった。 M:北九州みたいに、無理やり生活保護を打ち切って、恨み節を書かれて自殺されてはたまらんからな Y:おにぎり食べたい事件だったな。職員が告訴されていたらしいけど N:あれは、不起訴だったはずだぞ 私:それは俺も聞いている。保護責任者遺棄致死罪だったかな・・・刑法の拡大解釈をしていたと思っている。弁護士が刑法の拡大解釈をして犯罪者を創ろうとした。 Y:なるほどなあ・・・ 私:窓口で罵声を浴びることは相変わらず多いか? N:そんなものは毎日ある。最近、結婚して、妊娠した職員がいる。その子が担当していた受給者が、窓口で、仕事は遅いくせに子どもを創るのは早いなとぬかしやがったことがあった。生活保護を受けている奴等から、ああいったことを言われることはないだろう。 私:職員がほんとうにミスをしたときは、当然謝罪すべきだが、私的な生活のことで罵声をあびるいわれはないな。俺は、職員が面前で罵詈雑言を浴びせられれば、名誉毀損などで訴訟をすればいいと思っている。現実性に乏しいと言われるだろうが、公務員だからといって違法行為を我慢させられることはない。 いや、とにかく凄まじい勢いで深夜まで話が途切れることがありませんでした。とてもここで全て書ききれません。
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地方議会議員志望者のマニフェスト 最近、朝の通勤途中に、政治家、特に地方議会議員を志していると思われる方が街頭演説をされているのを、しばしば見かけます。政治家が配るチラシというのは、往々にして実現不可能な美辞麗句を並べています。よくもまぁ、これだけ嘘八百並べて、人間として恥ずかしいと思わないのかと不信感ばかり募ります。もっとも、そんな羞恥心を持っていれば初めから政治家など志さないでしょうけど。
チラシを見ると、顔写真入りの自己紹介が書かれていて、経歴としては余り成績の良くないことで知られている某私立高校卒、聞いたこともない企業での勤務などとなっています。そして、メインとしては、「マニフェスト」と題していろいろな「公約」を掲げられています。その一部を抜粋すると、次のようなものです。 ・議員報酬(期末手当含む)を30%以上カット ・市議会議員の定数を10%削減 ・指名競争入札を廃止し、公募型入札を原則化 ・行政委員会で支払われている月額報酬を日額支給に ・医療・介護報酬などへの不正請求に対し、厳正にチェックする体制 ・災害弱者の名簿づくりと災害時の支援体制を確立 ・待機者を減らすために、特別養護老人ホーム等の数を増やす ・教員の質を上げるため、採用権限を県から市に移譲する いやはや、どれも素晴らしい・・・と言いたいところですが、どうやって実現するのかは何も書かれていません。議員報酬30%カットや議員定数10%削減など、まず実現できないでしょう。議会を外部から眺めているだけで、評論家気取りでいい格好していても、いざ議会の中に入ればそんな主張をすれば吊るし上げにされかねません。本当に分かっているんでしょうかねえ。 教育や福祉の充実策は有権者にはウケがいいでしょう。しかし、例えば、特別養護老人ホーム等の数を増やせば、介護保険料の負担も大きく増えることを理解されているのでしょうか。教員の質向上のために、採用権限を県から市に移譲するというのは、なぜ市に採用権限を移譲すれば教員の質が向上するのか理解できません。むしろ、かえって質の低下を招くのではないかと思います。と言うか、そんな権限移譲が本当にできると思っているのでしょうか。思っているとしたら、余りにも行政や法制に無知であり、そして無責任な「公約」ということになります。 これ以外にもいろいろ書いてあるのですが、「マニフェスト」には、国で担う仕事、県で担う仕事も書かれていて、この政治家志望者は国・県・市町村の役割分担についてほとんど理解されていないような気がしてなりません。何を主張されようと自由ですが、少なくとも自分がマニフェストで掲げたことについては、ハイレベルな専門的知識・理解を有していなければなりません。後になって「勉強不足でした」という「常套手段」は認められません。取り巻き連中から言われるがままに、「票」になるような公約を字面だけ並べていても、いずれ化けの皮がはがれます。 私は、新顔の候補者については、必ず経歴を見ます。無論、一流大学卒、一流企業勤務経験ありだけで、政治家としての資質が備わっているわけではありません。しかし、三流高校卒、三流企業勤務経歴となれば、そもそも学生時代に読み書きなど基礎学力が備わっていないまま大人になっていると考えられます。基礎的な理解能力のない者が果たして議員が務まるのかという意識です。何よりも、そういう人間が大企業に就職できる確率よりも、年収1000万円の地方議会議員に若くしてなれる確率のほうが高いといった、「バクチ」同然の考え方で立候補しているのではないかと疑ってかかります。そんなことをされては、有権者としてはたまったものではないからです。
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プロ野球観戦中にファウルボールで負傷した場合の損害賠償責任
産経新聞26日付記事からです(一部抜粋)。 野球観戦でファウルボールなどがスタンドに飛び込んでくるのは、観客にとっては「常識中の常識」です。ケガをされた方はお気の毒だと思いますが、どこの球場でも場内アナウンスで「ファウルボールには注意してください」などと繰り返し注意喚起をしています。万が一、この訴訟で請求に見合った損害賠償が認められれば、野球場は高いフェンスで遮られて、「網目」を通してしか観戦できなくなり、何とも味気ないものになります。入場料の高騰にもつながりかねません。したがって、野球観戦中のファウルボールによる負傷は、基本的には自己責任です。 内野席は、猛烈なスピードでファウルボールが飛んでくることがしばしばあります。プロ野球選手の打球というのは、学生野球のそれとは比べものになりません。高い入場料を支払って、わざわざ危険性の高い内野席で観戦するということは、そういった臨場感を味わいたいからであり、それが観戦の魅力でもあるのです。「危険への接近」を自らの判断でしている以上、通常の治療費などはともかく、一般的な不法行為責任は、過失相殺あるいは「被害者側の過失」などの考え方に基づいて否定されるべきではないかと思います。裁判所は適切な判決を出してほしいです。
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ダメ大学教師
読売新聞25日付記事からです。 政策法務研究会などを通じて、かなりの数の大学教員の方々と面識がありますが、どの先生も真面目な方ばかりです。 しかし、学生時代を思い起こすと、 ・20年以上前に出版した自著をテキストとしていた講義。その教授は20年以上研究上の成果をあげていなかったということでしょう。 ・本論と余談が入り混じって、訳が分からない講義。要するに講義への情熱がない教授。 ・板書をまったくせず、延々としゃべり続ける講義。ノートをとるにしても、話の要点がつかめませんでした。 比較的真面目に勉強している同級生仲間がこぼしていたのが、年度末試験で「通説・判例」で答案を書いたところ「不可」にされたというもの。最初、話を聞かされたときは、「お前の答案自体がどこか間違っていたんじゃないか?」などと言ったと思います。しかし、その同級生は、後に国家公務員T種試験などに合格したくらいですから、かなりの実力者で、その話は本当だったかもしれません。 今、大学の講義も様変わりしているようです。担当教員がレジュメを作成、配布、パワーポイントを使っての講義などは当たり前になりつつあるとか。要するに、学生は完全に「お客様」。少子化時代とはいえ、大学はあくまで教育と研究の場であり、厳しさも必要だと思うのですが、そんなことを言うとダメ教師扱いされるのでしょうねえ。
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吉川徹 『学歴分断社会』(筑摩書房) またしても昼休みに駅前の書店で衝動買いをしました。相変わらず「格差」とか「貧困」をテーマにした書籍は氾濫しています。偏向的福祉学者などによる出版物は、それそのものが「貧困ビジネス」だと思っているため、格差・貧困関係の書籍購入に際しては厳しく吟味する必要があります。久しぶりに、偏向性がなく、客観的データに基づいた記述からなる書籍を見つけました。
大学全入時代と言われています。しかし、大学・短大への進学率は、07年度は53.7%、08年度は55.3%で、高校3年生の2人に1人は進学「しようとしない」ということになります。著者は、進学希望比率は今後も50%強だと予測されています。18歳の時点で大学・短大に進学した大卒層と残り半分の非大卒層との境界線を「学歴分断線」と呼び、この大卒・非大卒の分断比率が50:50という状況が世代を超えて続いていくことを「学歴分断社会」としているのです。 大卒の親を持つ子どもは大卒になり、高卒の親の子どもは高卒。これは何となく感覚的なものとし理解できるところです。著者は、これを「学歴下降回避のメカニズム」で次のように説明しています。(153頁)
著者は、本書の中で、一貫して、学歴分断線こそが格差現象の正体だと主張されています。このブログでも記事にしたことがありますが、社会人大学院生として学んだからといって、投資が回収できるだけの社会的地位をもたらさず、労働力の質の向上にもならないようです。そうなると、18歳時点での進学の有無、つまり、学歴分断社会から逃れることができないことになるとされています。 大卒と非大卒の比率が50:50であること、そして学歴下降回避メカニズムを示すものとして、興味深いデータが示されています。いまの20代の世代間関係について、 親大卒→子大卒 26.4% 親大卒→子非大卒 13.0% 親非大卒→子非大卒 37.5% 親非大卒→子大卒23.2% というデータです(204頁)。大卒と非大卒の比率が状況が明瞭に理解できます。 著者は中長期的な貧困対策として、高校義務化を主張しています。生活保護受給者等の多くが中卒層であることを踏まえた提言であり、しかも実現が十分可能なものです。福祉関係者が主張する拝金主義に染まった要求とは大違いです。高卒資格を得ることで、ある程度安定した職業に就くための準備ができるようにする。教育向上こそが貧困防止に有効な施策だということは、多くの人が理解できるのではないでしょうか。 これとの関係で、数年前からニートが社会問題となっています。著者は、自分探しをする時間が必要ならば、奨学金を利用して、どこでもいいから大学に入れと薦めています。高卒後何年間も実績が残らない時間を費やすのは避けるべきということです。フリーターがもてはやされた時期がありましたが、「若さの切り売り」をした結果、その人たちが現在苦境に陥っていることを、今の10代、20代の人たちは正しく知っておくべきです。そして、彼らと決して同じ過ちをしてはいけないのです。 それにしても、こういう正鵠を射た主張、提言が社会学や経済学ばかりからされていて、福祉専門家から全くなされていないのが、日本の福祉が卑しいものに貶められている大きな原因の一つだと思っています。当然ですが、こうした関連諸科学の実績に便乗して、要求行為に転用することは、断じて認められません。
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バレなければ構わない、地方公務員法38条
朝日新聞22日付記事からです。 営利企業等の従事制限を定めているのは地方公務員法38条。地方公務員法を読んだことがなくても、自治体職員なら常識です。この事件は、労働者派遣事業法違法によって逮捕されたのが現役の姫路市職員であったため、地公法38条違反が発覚したわけです。決して地公法38条違反がダイレクトに発覚したわけではないのです。本人にすれば運が悪かったと思っているだけでしょう。悪いことをしたという意識が果たしてどれほどあるのか。 この姫路市職員は、過去4年間で約3億円の売り上げを得ていたというのですから、素晴らしい商才を持っているわけです。そんな才能があるなら、決して明るい将来展望など持てない地方公務員という職業は潔く辞するのがベストだったはずです。強欲は身を滅ぼすということです。 それにしても、違法行為をしてもバレなければ構わないという意識が、どの自治体にも支配的なように思われてなりません。例えば、次のような事例はどうでしょうか。
こういうのが、実在しているのです。仮に発覚しても、イロイロなチカラを利用して、揉み消すでしょうねえ。
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新型インフルエンザを考える 新型インフルエンザは収まる気配がありません。現在はフェーズ5。つまり、「大きな集団で発生」という状況で、兵庫県、大阪府に集中的に患者が発生しています。患者の特徴は、海外渡航歴がない、若年層、特に高校生ということです。逆に、60歳以上の高齢者の罹患率が低いという状況もかなり知れ渡っている情報です。高齢者の罹患率が低いのは、昔々、類似の病気が流行し、免疫ができているといったことが想像されますが、もちろん、正確なことはわかりません。
兵庫県神戸市では、指定医療機関だけでは対応ができなくなりつつあり、開業医も診療を行うようになると報道されていました。神戸市が医師会に要請し、医師会もこれに応じたとのことですが、病気が流行しているときに、開業医が対応しないというのは、腑に落ちませんでした。感染症患者が来院し、他の患者や病院関係者に感染すれば、病院経営に大打撃になるためというのが最大の理由。やはり医は算術だと思いますし、厚労省と医師会の馴れ合い関係というものも透けて見えるように思います。 兵庫・大阪の自治体保健所は電話応対などでてんてこ舞い。通常業務と並行しての対応ですから、大変です。現場での対応は指令塔からの迅速・的確な指示があればこそ、効果的なのですが、厚労省の動きは鈍い。大阪府の橋下知事など、自治体からの要請があって、ようやく検討をするといったお粗末な状況です。霞ヶ関の役人たちは、自分の身の安全を優先し、決して現地調査を行おうとはしません。立派な調度品で装飾された会議室で、書類を広げて口先と手先だけを動かしている様子がニュース番組でしばしば映されています。やや不謹慎な言い方をすれば、もし東京都など首都圏で爆発的に感染が広まれば、霞ヶ関の役人や政治屋も、もっと真剣に取り組むのかもしれませんが、遠く離れた関西での発症ということで、どこか手抜きしているのではないかという不信感があります。 新型インフルエンザによってマスク製造会社など特定業種は大もうけですが、関西経済全体は大打撃です。しかし、霞ヶ関の役人たちにすれば、これも計算の内かもしれません。今後、「経済対策」と銘打って、自分たちが得する事業を打ち出す絶好のチャンスだと考えているのではないでしょうか。国民を大きな不安にさせるインフルエンザも、霞ヶ関の役人たちにすれば、これも損得勘定の対象なのでしょう。 さて、フェーズ6、感染の大規模化に移行する可能性はどれくらいなのでしょうか。専門家からは、すでにパンデミックになっているとする発言が目立ちます。しかし、兵庫・大阪両府県の総人口は1300万人くらいで、感染が確認されているのは昨日までで200名足らず。しかも、重篤患者は報道されていないようですし、死者もいません。パンデミックという言葉からイメージされるものとしては、何十万、何百万の患者が発生しているというものではないでしょうか。必要以上に不安を煽ろうとする「専門家」たちは、何か別に本当の狙いがあるのではないかと思っています。 もちろん、楽観視はできませんが、一方で、過剰な反応もどうかと思います。国民が過剰反応すればするほど、霞ヶ関はほくそ笑んでいるような気がしてなりません。
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民法の成人年齢18歳か
読売新聞19日付記事からです。 かなり昔から20歳が成人であることに、若干の違和感を覚えていました。その大きな理由が飲酒です。高校を卒業し、社会人になったり、大学等に進学すれば、接待やコンパで飲酒する機会が激増します。未成年だから飲酒しませんなどという者は皆無です。 高校進学率が100%近くになっている以上、義務教育ではないものの高卒年齢、つまり18歳というのは、社会生活に入る年齢といっていいように思っていました。もっとも、この記事にもあるように、消費者被害が拡大する恐れは否定できませんし、またもや外国と比べるという方法には抵抗感を覚えます。外国の制度を表面的になぞって優れているとか劣っていると国民に示すやり口というのは注意を要します。 もっとも、当事者である今の10代の人たちの多数派は18歳成人に反対でしょうね。私が学生時代のときは、とにかく独立心が強く、早く親元を離れたい一心で勉強したり、アルバイトをしていましたが、今の若者はとかく不運であると言われていること、独立したくてもその阻害要因が余りにも大きいからです。 早ければ来年の通常国会に民法改正案が提出されるとあります。時期が来れば民法関連の出版物ラッシュが生まれるでしょうねえ。
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安本典夫 『都市法概説』(法律文化社) 昨年の7月に購入し、既に一度通読していたのですが、ここで紹介するのを忘れていました。この良書はお薦めです。
安本先生は今年3月まで立命館大学法科大学院教授で、4月から名城大学教授としてご活躍されています。本書は、安本先生の講義ノートを基本にまとめたものです。都市法という用語は時々見かけます。本書では、「都市空間の形成・整備・保全・管理を公共的・計画的に進め、コントロールする法システムの総体」と定義されています(3頁〜4頁)。 本論300頁余りの適度なボリュームで、都市計画法制をはじめ、都市法全体について基本的特徴、基本的な法システムが体系的に解説されています。他に類書がほとんどないため、有難い1冊です。
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公契約条例案は否決 兵庫県尼崎市
神戸新聞16日付記事からです。 兵庫県尼崎市で論議されていた公契約条例案については、これまでに3度記事にしています。ようやく結論が出されたようです。市民感情からは支持したい条例案ですが、やはり法的に疑問が多く、議会が否決したことは、良識を示したとして好意的に理解しています。もしかしたら制定されるのではないかと危惧していましたので、一安心です。 とは言っても、自治体現場にいる臨時的任用職員、嘱託職員の給与水準は余りにも低すぎるという認識は条例推進派の人たちと同じです。これとの関連で、今年4月24日付で「臨時・非常勤及び任期付短時間勤務職員の任用等について」と題した通知が総務省が出されています。一瞥したところ、臨時・非常勤職員等の報酬については、常勤職員の給料と同様に職務給の原則に即して、職務の内容と責任に応じて決めるべきなどと記述されています。総務省の通知は地方公務員法59条、地方自治法245条の4に基づく技術的助言ですが、こうした通知による改善の方が効果があるかもしれません。まだまだ自治体は「通達行政」を愛しているでしょうから。
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自治立法権と地方分権改革 政策法務研究会のメンバーに薦められて読んだのが、『都市問題』2009年1月号(東京市政調査会)に掲載されている、小早川光郎・東大教授と北村喜宣・上智大教授の対談「自治立法権の確立に向けた地方分権改革」です。小早川教授と北村教授の対談というのは、おそらく初めての企画でしょう。
地方分権改革がどこまで成果を挙げられるのかについては、麻生政権のヤル気のなさも影響し、私はほとんど期待していません。ただ、何もしていないとみなすのも失礼な話で、この対談では地方自治体への法令による義務付け・枠付け見直しと条例制定権の拡大について、意見が交わされています。小早川教授は行政法の第一人者で、地方分権改革推進委員会の委員であることは、ご存知のとおりです。東大の行政法担当教授が地方分権にどう取り組まれているのかという点からも興味深いところです。 地方分権改革推進委員会では、義務付け・枠付けの存置を許容する場合の7つのメルクマールを提示し、各省庁とヒアリングをしてきていますが、当然、省庁側は「許容される」と主張するのがほとんどのようです。委員会もこの点は想定の範囲内なのは当然です。この省庁との交渉について、第1次と今回の2次改革では、法環境が違っていることがどう影響しているのか、興味を持っていました。第1次地方分権改革のときは、勧告に法的拘束力を持たせていたため、当時の地方分権推進委員会はかえってそれがアダになって実現可能な勧告を出さねばならないという縛りを受けていました。現在の地方分権改革推進委員会にはそういう縛りはありません。委員会と省庁との交渉方法については、小早川教授の次の発言が興味をひきました。
弱者(?)である委員会が、強者である中央省庁との交渉に臨むには、戦略・戦術でいろいろな工夫が要求されると想像できます。しかし、肝心の自治体がこの問題をどこまで真剣に考えているのか、疑問です。
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労務管理もイロイロ
いずれも読売新聞13日付記事からです。 ズサンな労務管理は官民ともに多数存在するようです。とは言っても民間企業は「過剰労働」、国家公務員はその逆ですね。民間企業の労働組合の体質というものについては無知同然ですので、何とも言えませんが、公務員の職員労組を私は信用していません。所詮、当局との談合組織にすぎないという認識です。もうかなり前に私は職員労組を脱退しています。組合事務局に脱退を申し出ても簡単に受付してもらえなかったので、内容証明郵便を送りつけました。 自治体の労務管理というのは、果たしてどこまで適正に実施されているのか、経験的なことも踏まえて、強い不信感を持っています。典型例が私の現職場です。管理監督の地位にある職員が定刻になるとそそくさと帰宅し、部下職員や臨時職員、それに再任用職員が残業をし、あるいは休日出勤を余儀なくされている状況が続いています。有給休暇の取得日数も管理監督者の方が多く、信じ難いことですが、所属長が休暇をほぼ使い切っているというお粗末な状況です。 それでも仕事内容や部下の状況を完全に掌握し、課題の解決に積極的に取り組んでいるならばマシです。しかし、在籍8年目になる同僚の事務分担は8年間まったく同じで、未知の分野に挑戦する姿勢は全くありません。一時、他の仕事を分担させたところ、ミスを連発し、とても任せられないとのことでした。したがって、在籍職員たちの事務分担は何年も変更がなく、担当者が不在になると誰もその穴を埋められないという、これまた信じ難い状況です。私は現職場で3種類目の仕事を分担していて、ある程度対応できますが、在籍年数が最も短い私ではなく、他のベテランがもう少し真剣に仕事をしてもらわないといけないのですが、とにかく士気が低い。私の直属上司に至っては、在籍7年目であるのに、「分からない」「覚えていない」「前任者に聞いて」という決まり文句の繰り返し。このセリフ、昨年1年間で控えめにカウントしても100回以上あったと認識しています。「名ばかり管理職」というのは、この人のためにあるのではないかと思っています。これで士気を高めろというのは困難なわけです。 しかし、一方で、年間数十億円の予算を執行管理し、不正をやろうと思えば簡単にできる超ズサンなチェックシステムなのですが、不正行為がなく、過去、不祥事が全く発生していないのです。士気の低い職場で倫理が維持できているのは、ある意味、不思議なことです。これが偶然の産物なのか、何か潜在的な理由があるのかは、いまのところ判断しかねています。
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「伊賀市附属機関の設置等に関する条例」の摩訶不思議 昨日、私もメンバーになっている政策法務研究会の席上で話題になったのが、附属機関条例主義でした。多くの自治体で、規則や要綱で設置している「附属機関」が相当数あり、地方自治法138条の4第3項、202条の3に抵触している実態があるということです。第1次地方分権改革が始まって早10年になりますが、自治体職員の条例嫌いは根強いものがあります。
要綱等で設置されている附属機関を条例化する場合、ごく普通に考えれば、附属機関ごとに条例を立案し、議会の議決を得るのが王道のはずです。しかし、三重県伊賀市の条例は、この王道から見ると、かなり外れている気がします。
第2条と第3条を見ますと、執行機関に附属機関設置を実質的に白紙委任しているのではないかと思われます。しかも、第5条では附属機関の見直しについても可能とし、さらには附則ではみなし規定を置いて、違法なものを合法化しようとしています。これは附属機関条例主義の趣旨に即したものと考えられるのか、大いに疑問です。 この附則のみなし規定は、「規則又は告示によりその行政執行に対し」、「調停、審査、審議又は調査等を行うために設置した機関」とありますが、「設置した機関」は「規則又は告示」によって設置したものに限られるのでしょうか。条文規定として、やや分かりにくいです。仮にそうだとすれば、自治体職員が愛してやまない要綱設置の附属機関はこの条例においても「合法化」されないことになります。また、規則や告示で設置されていた機関について、その規則や告示が存続しているとすれば、この条例の下位規範として位置づけられるということなのでしょうか。その点もよく分かりません。 なぜ、伊賀市がこのような条例を制定したのかは未確認です。わざわざこういうことをするなら、規則等で設置されている機関について、少々面倒でも一つひとつ条例化して、議会に提案すべきだったのではないでしょうか。 法令に抵触するかもしれない事項がある場合に、条例ではなく要綱で対応したいという自治体職員の「気持ち」は理解できます。しかし、附属機関設置条例という、法的にも政治的にも、そして技術的にもさほど困難を生じないものを、なぜわざわざ回避したがるのか理解に苦しみます。附属機関としての役割を終えたときや活動が停滞気味になったとき、要綱なら簡単に廃止できるという利便性を重視する傾向があるとのことですが、それなら条例の廃止をすればいいだけです。政治的にそれすらも困難な事情があるとすれば、どういう事情なのでしょうか。 伊賀市は平成16年に自治基本条例を制定しており、政策法務の立場から好意的に見ていただけに、こういう条例が自治基本条例の後に制定されたことは、非常に残念です。これでは政策法務云々以前のお寒い状況がずっと続いているということになります。
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銚子市長リコール問題 下心ミエミエの「市民運動」
毎日新聞8日付記事からです(一部割愛)。 銚子市長のリコールについては、以前、少し記事にしています。 http://seisakuhomu.blog19.fc2.com/blog-entry-210.html リコール賛成派の人たちが、いかにも下心ミエミエで「呉越同舟」していたことが透けて見える気がします。それにしても、4分裂というのは呆れ果てます。「市長の椅子」に座りたい一心で現職市長のリコール運動をしていたということでしょう。市民運動といっても所詮は政治屋にすぎなかったということです。本当に卑しく、醜い。 迷惑を被るのは市民や市財政当局です。リコールに伴う再選挙、再選挙して現職が返り咲けば、何のためのリコールだったのかと不信感を持つ市民も多くなるでしょう。市民参加が叫ばれていますが、決して美しいものでもなければ、安上がりでもないことが、重々理解できたのではないでしょうか。
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天晴れ最高裁、尼崎市談合訴訟で違法性を肯定 最近、自治体の債権管理という問題がクローズアップされています。これとの関係で、重要と思われる最高裁判例が出ていました。
産経新聞4月28日付記事からです。 同日付の別の産経新聞の記事では、やや詳しく訴訟内容について触れられています。
この判例は既に最高裁HPに搭載されています。 http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030 訴えられていた企業は、いずれ劣らぬ大企業です。尼崎市は大企業とケンカしたくなかったのでしょうねえ。相手が個人や中小企業だったら、こんなことしていなかったんじゃないかと思います。強者には弱く、弱者には強く、ってところでしょうか。仮にそうだとすればヤクザ同然ですね。相手が大企業だろうが、社会的弱者だろうが、「取るべきものは取る」という一貫性を持つべきです。こういうことをしているから、「行政は大企業に甘い」とか「税金は大企業から集めればいい」といった主張が跋扈するのです。
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天晴れ最高裁、「体罰」を限定解釈 新聞各紙でも大きく取り上げられていた判決です。この最高裁判例は既に公式HPにアップロードされています。
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20090501112210.pdf 結論部分をそのまま引用すると次のとおりです。
適切な判決だと思います。天晴れ この判例と直接関連はしないと思いますが、以前、宮崎県の東国原知事が「愛のムチ条例」について発言したことに関連した記事を書いています。残念ながら条例の具体的な議論までには至っていないようですね。 http://seisakuhomu.blog19.fc2.com/blog-entry-44.html 教育現場での指導は、「弱い指導」 「強い指導」「体罰」「暴力」というくらいの段階分けがあっていいのではないかと思っています。今回は、「強い指導」という段階のものでしょう。 判決文では、「事件」発生から、児童の母親は極めて激しい抗議活動をしていたとのことです。こういう親が相変わらず多いので、学校の先生たちは本当に大変だとお察しします。
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福島重雄・大出良知・水島朝穂「長沼事件 平賀書簡』(日本評論社) 今日は憲法記念日。今年のGWは自宅静養と決めていて、かなりの時間を読書に割いています。昨日購入して、一気に読み終えたのが、この本でした。すでに朝日新聞など各紙で福島重雄氏のインタビュー記事が掲載されていますから、かなり大きな反響があると思います。
「政策法務」という点からこの事件を見た場合、長沼ナイキ訴訟は、森林法26条2項の保安林指定解除処分の取消訴訟であり、行政訴訟になります。「公益上の理由により必要が生じたときは、その部分につき保安林の指定を解除することができる」という規定です。そして、自衛隊のミサイル基地設置がこの「公益上の理由」に該当するのかどうかが争点となり、違憲判決となったものです。保安林解除によって水害の発生が危惧されるが、代替施設の整備でこれを防止できるとなると「公益上の理由」が成立することになり、訴えの利益なしということになっていたわけです。 このような判決を出した裁判官というのは、どういう人物なのか学生時代から興味を持っていました。まずは勝手にイメージしてしまう「赤系」の思想の持ち主ではないということです。むしろ、支援学生たちが法廷で騒いだことに対して、機動隊を入れて排除しています。福島氏は、これを「裁判官として当然のことをしただけです」と答えられています(32頁)。一方で、違憲審査には積極的な考えを持っておられたことが、例えば「やはり法の支配なのだから、あくまでも憲法に基づく法秩序で判断すべきだ。」(56頁)といった発言など随所に出ています。 驚いたことは、平賀書簡事件で問題となった、当時の札幌地裁所長・平賀健太氏(故人)が、日本国憲法無効論を唱え、「裁判所は、憲法によって違憲審査権を与えられているからといって、立法者の履くべき沓に足を踏み入れてはいけない」と違憲審査制否定論と思われる持論を主張していたということです(114頁〜115頁)。ちなみに、その「平賀書簡」ですが、福島氏はコピーを所有しているだけで、「原本は現在、別の方が所有」(162頁)ということです。これは何故なのでしょうか。 本書では1頁から10頁まで関係年表があり、「司法史」という視点からも重要な文献になると思います。日本の司法を考える場合、こうした歴史的な事件を素材にすることは重要だと思います。これ以上は読んでからのお楽しみということにしますが、いろいろ謎めいた背景があることが当事者から発言されていて、興味深いです。
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マンションの政策法務(3)
ダイヤモンドオンライン(週刊ダイヤモンド)5月1日付記事からです。 マンションの政策法務という設定は、なかなかまとまりがつかないのですが、アトランダムに記事を断続的に書いていくことにします。 この記事から分かるように、既存マンションについて最大の課題は建替えということになります。まず、阪神淡路大震災以後、建築物の耐震性能についてはマスコミもしばしば話題にしています。1981年(昭和56年)以後に建築された建物は、新耐震基準によるものであり、阪神大震災クラスの地震があっても全壊することは防止できるというタテマエになっています。しかし、1981年に建築されたマンションも、すでに築28年になります。果たして耐震性能が維持できているのかどうかは、概ね10年ごとに実施される大規模改修工事をきっちりと実施しているかどうかによっても異なるのではないでしょうか。 ただし、1981年以前の建物、旧耐震基準によるものは耐震性能が低く、地震に弱いことは多くの方がご存知だと思います。実際、阪神大震災のときも、真新しいビルはびくともしなかった反面、古いビルは全壊していたようです。老朽化したマンションとは、築30年を過ぎたものとされているようです。もっとも、築30年以上のマンションでも計画的に改修工事を実施していれば、老朽化の進行はかなり食い止めることができるはずで、必要以上に不安を煽るのは、不動産業者の儲け主義に加担するのと同じです。それぞれのマンション管理組合がどう対応しているのかが問題なわけで、建物ではなく「人」の問題と言うこともできます。 記事によると、マンションの建替えには早くても10年ほどの検討期間を要するとのことですが、この点は特に驚くようなことではありません。自治体による都市再開発事業や土地区画整理事業などは検討開始から工事完成まで10年以上はごく当たり前です。財産権が関係してくるため、いろいろ複雑な権利調整をしなければならないことが大きな原因の一つです。私が住むマンションでは、大規模改修工事の実施について、検討から工事開始まで2年以上かけました。 ただ、確かに、建替え費用の調達は難しいと思います。10年ごとに実施する大規模改修工事については、工事期間である10年を目安に修繕積立金として資金を準備しますが、40年後、50年後の建替えまで念頭に置いた資金調達は普通考えません。建替え事例が増えてくれば、その中でノウハウの蓄積も期待できますが、そもそも、現状、建替えそのものが進んでいないため、実施までの活動は極めて厳しいものと想像できます。
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