松本英昭 『新版逐条地方自治法 第5次改訂版』 長野士郎『逐条地方自治法』は、採用されて1年目のときに私費で購入していました。確か、当時の値段は7000円くらいだったと思います。
その後、第1次地方分権改革がスタートした翌2001年に、松本英昭氏(元自治事務次官)によって「新版」として『逐条地方自治法』が出版され、その後、ほぼ2年ごとに改訂版が出されています。この春に第5次改訂版が出版されました。
実のところ、地方分権一括法によって大改正された地方自治法を個別論点ごとには勉強したことはあるものの、地方自治法全体を「通読」したことはなく、当然、体系的にすべて網羅して勉強したわけではありません。しかし、このことは、曲りなりに「政策法務」を学んでいる者として、「これは許されることではない」と自分の中では「後ろめたさ」を持っていました。 そこで、今回、初めて、松本・逐条を思い切って購入したわけです。14,700円は私にとっては結構大きな出費ですが、自己投資ということで。 1588頁の分厚い逐条解説書ですが、「通読」に挑戦し始めたところです。
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スウェーデンの福祉施策 スウェーデンの地方自治については、以前、記事にしています。
http://seisakuhomu.blog19.fc2.com/blog-entry-107.html 国立国会図書館調査及び立法考査局から出されている「外国の立法」236号(2008年6月)で格差問題の特集が組まれていて、その中に「スウェーデンにおける就労と福祉」という論文があったのを見つけたので読んでみました。日本の福祉としばしば対比される対象としてスウェーデンの福祉があると思いますが、この論稿からも夢物語はあり得ないことが分かります。 福祉国家としてのスウェーデンは、
ということです。就労と社会保障を結びつける考え方を「ワークライン」といい、就労がスウェーデンモデルを構築する必要条件となってきたとされています。つまり、決して、「ケンリ、ケンリ」と叫んで口をあけていればオカネが天から降ってくるようなものではないのです。外国の制度を紹介するときに、どうしても都合の良いところだけを「つまみ食い」して見せられ、自国の制度がいかにひどいかを演出するような偽装工作のワナにはめられますが、そういうことに幻惑されてはならないのです。 スウェーデンの積極的労働市場政策(失業の未然防止、失業者の労働市場に戻すことを目的とした諸施策)と就労と連携した社会保障制度はアクティベーションといい、アメリカのワークフェアと区別されてきたそうです。この両者の相違点については、アクティベーションは、それ自体が就労を義務づけたり受給者に対して制裁を課すものではないこと、ワークフェアは所得保障の受給要件として就労を半ば強制的に義務づけることにあります。しかし、
ということです。福祉施策におけるモラルハザードはスウェーデンも日本も似たり寄ったりということでしょうか。こうなると失業保険の適正化として、受給者抑制や失業保険受給の対価としてプログラム参加を義務づけるようになり、アクティベーションがワークフェアに変質することになってきたのです。 この傾向は社会扶助行政(日本の生活保護)においても同様のようです。1980年の社会サービス法でコミューンの権限と責任で高齢者・障害者・児童・貧困者への社会サービスが提供されるようになり、地方分権化されました。1998年の同法改正で社会扶助の基準額を定め、ナショナルミニマムの実効性確保を図ったものの、コミューンの反発が強く、遵守義務まで明記されなかったそうです。スウェーデンでもコミューンの裁量がますます大きくなり、受給者に対する制裁的な扱いが強くなっていったわけです。社会扶助は勤労の拒否を奨励するという点で、威力抜群であることがスウェーデンの実情からもよく理解できます。 かなり荒っぽく簡潔にまとめましたが、福祉国家の代表であるスウェーデンでさえ、その状況はかなり変質していることが分かります。この論稿ではこうした傾向に批判的ですが、だからといって効果的な代案の提示はなかなか困難でもあるわけです。福祉を聖域視することに私は反対で、むしろ日本でこそワークフェアの考え方を積極的に導入すべきだと思っています。いまの生活保護法では、就労が義務づけられるわけではないから、当然、積極的に自立しようとはしないし、いつまで経っても自立などできません。とは言っても、ワークフェアの実現は困難でしょう。スウェーデンにおいても、コミューンのアクティベーション・プログラムは十分機能していないようですが、それは自治体では労働政策の蓄積が少ないことが大きな原因のようです。日本もこの点は同じでしょう。
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自治体職員の飲酒運転と懲戒免職
神戸新聞25日付記事からです。 自治体職員の飲酒運転、あるいはそれに伴う交通事故に対しては、福岡市で悲惨な事故があったため、世論から激しく、厳しい批判がされています。これは、昨今の公務員バッシングの延長戦上にあると見ることもできます。特に市民の目が届きやすい市町村職員は都道府県職員や国家公務員以上に厳しいと理解しています。国家公務員の居酒屋タクシー問題や、かつての裏金飲酒問題はどうなっているんでしょうか。特に裏金問題はまだ残っているはずですが。 市民感情からすれば、飲酒運転は即刻懲戒免職ということになりますが、加西市の事件は単なる飲酒運転で、事故を起したわけではなく、長年にわたって真面目に勤務してきたことなどが考慮されたようです。また、神戸市の事件は飲酒から10時間近く経過してからの運転で、通常、飲酒運転と認識することは考えにくいとするのは、妥当な判断だと思います。いずれも上告されるようですから、最高裁がどう判断されるか、関心をもち続けることにします。 しかし、「飲んだら乗るな、乗るなら飲むな」というのは、自治体職員にとって自分と家族を守るためにも遵守すべきです。ついでに言えば、地位を利用して相手の都合を考えず、酒を強要するような職員こそ、即刻懲戒免職にしてもらいたいです。こういうのがいまだにいるんですよ。 ちなみに、私は自動車を運転しません。いわゆるペーパードライバーです。また、先月体調を崩しまだ治療が続いているため、医師から酒・煙草は厳禁とされています。喫煙は元々しないのですが、お酒が一切飲めないというのは、ちょっと淋しいです。
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本当にヤル気あるのか?地方分権改革推進委員会
産経新聞24日付記事からです。 「地方分権改革推進委員会?そう言えばそんな委員会あったかなぁ・・・」というくらい存在感薄いような気がしてなりません。麻生政権が地方分権に本気で取り組むとはとても思えませんし、丹羽委員長もどこまで真剣なのか、疑わしい。 直轄事業負担金問題がクローズアップされたのは、大阪府の橋下知事が問題提起したためです。こんな制度は以前からあったのに、他の知事さんたちは長年の間、黙って国の言いなりになっていた。国の官僚と何らしがらみのない橋下知事がかみついたことで、他のしがらみたっぷりの官僚OB知事たちも、それいけと言わんばかりに「乗っかった」というのが、正しいんじゃないでしょうか。 分権改革委員会も、橋下知事の勢いに乗っかって意見書を出したのであって、本当に主体的に検討されたのかどうか。勧告ではなく意見書に格下げしたことについて、「受け取る側」である国に配慮したとのことです。勧告に法的強制力はなく、あくまで政府がどうするか決めること。そんな余計なことをした時点で、分権改革は「敗北」です。 なお、参考までに紹介しておきますと、第1次地方分権改革について、そのプロセスを詳細に記述したものとして、次のものがあります。
官僚と本気で「ケンカができる」東大教授というのは、西尾先生が最後なのでしょうねえ。御用学者には地方分権改革などできっこありません。地方分権改革推進委員会でも西尾先生が委員として活躍されているようですが、委員長がこれではね。
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本村洋・宮崎哲弥・藤井誠二『罪と罰』(イースト・プレス) 前回記事にした和歌山毒カレー事件の発生が1998年7月25日でした。それから約9ヶ月後の1999年4月14日に光市母子殺人事件が発生しています。
昨日、昼休みに駅前の書店に立ち寄ったら目にしました。少し立ち読みして、即、購入したのが、次の本です。奥付けを見ると、2009年4月22日第一刷発行とあります。ちょうど1年前の2008年4月22日に広島高裁で死刑判決が出されています。発行日にこの本を購入できたのは、何かの縁でしょうか。
この事件に一市民として大きな関心を持ち続け、遺族である本村さんを陰ながら支援していた者としては、その本心や事件後の活動などについて、ご自身が発せられている本書は興味深いものになります。 興味を引く記述が多数ありますが、最初の部分で目に留まったのは、澤登俊雄『少年法入門』を本村さんも読まれたそうですが、宮崎氏、藤井氏がそろってこの本を「愚書」と一蹴されています(41頁)。私も、かなり以前にこの本を通読したことがありますが、同じ感想でした。少年法擁護の法学者がいかに無責任な主張をしてきて、多くの犯罪被害者を苦しめてきたのか、そのことにいまだに反省の言葉がない。澤登著には、そうした横柄、傲慢な態度が浸透しているように思えました。 もう一つ引用しておくと、2006年2月、本村さんが日弁連主催の「死刑執行停止に関する全国公聴会」にパネリストとして出席されたとき、「死刑を廃止するためには被害者を黙らせる必要があるので、とりあえず被害者支援についても触れておこうとする狙いを感じる」と発言されたところ、シンポジウムの司会者が「死刑の問題をどう考えるかは、その人の人生観が出ますねえ」と「笑い」、そのことについて本村さんが抗議されています(80頁から81頁)。日弁連関係者の人権感覚というのは、こういうものなのでしょうか。余りにも犯罪被害者を馬鹿にしています。 罪と罰を考える場合の、良書だと思います。 ついでに、宮崎氏と藤井氏の対談による著書としては、次のものもお薦めです。
1年半ほどまえに出版されたとき、すぐに購入して読了しています。ちなみに、個人的に存じ上げている弁護士の方のお名前がでていて、その方が少年事件を多数手がけておられることを、この本で初めて知りました。
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続・死刑制度と死刑執行 1998年の夏に発生した和歌山毒カレー事件の最高裁判決が、昨日出され、被告人の死刑が確定したことは、ご存知のとおりです。昨日から今朝にかけて、この事件との関連で、死刑制度と裁判員制度を取り上げる報道を目にしました。その中で、「死刑」の「実際」をどれだけの国民が知っているのか、知らないまま死刑「判決」を出せるのかという論調のものもありました。おそらくは裁判員制度、死刑制度にも批判的な発想からの問いかけであると思います。
死刑制度と死刑執行について、このブログ開始当初に記事にしています。 http://seisakuhomu.blog19.fc2.com/blog-entry-8.html ある調査によれば、国民の6割くらいが、誰が、どこで、どのようにして死刑が執行されているのか知らないとのことです。絞首刑であることを知らない人が多いということでしょう。これは国家政策の結果でしょう。いつ、誰が、どこで死刑を執行するのかは、知らされていませんし、執行の場所である刑場も公開されていません。 こうしたことを前提に、裁判員が死刑「判決」をするのは、果たして可能なのかという問題提起をしているのですが、そもそも裁判員は「判決」を書きません。するのはあくまで「評決」です。判決と評決は異なります。こういう「誘導」には、死刑廃止論者・裁判員廃止論者たちの、何が何でも極悪犯罪者を野ざらしにしたいという意図を感じます。裁判員が死刑の実態を知らないのに、死刑「判決」をすべきではないという世論を形成させようとしているのなら、承服しかねます。 こうした報道は、まるで司法関係者なら全員、死刑の実態、死刑の現場を知っていることを前提にしていることになります。しかし、例えば、昨日判決を出した最高裁の判事たちは、全員、死刑執行の現場に立ち会ったことがあるというのでしょうか。まさかでしょう。検察官は立ち会うようですが、学者出身の最高裁判事が死刑執行現場に立ち会うといった話は知りません。ましてや弁護士や刑法学者が死刑の現場に立ち会うことはあり得ないでしょう。国会議員や大臣であっても同様です。 そうだとすれば、死刑の実態を知らないのは最高裁判事など法律専門家とて、一般国民と大差はない。法律専門家なら何でも知っているという国民の「誤解」を悪用し、おかしな方向に導こうとするのは、強い抵抗感を覚えます。
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低下する新米弁護士の収入と満足度
朝日新聞20日付記事からです。 普通の職業であれば、新米で年収500万円以下というのは「常識」のはずですが、弁護士にはその「常識」は通用しないようです。全てを犠牲にして司法試験合格に心血を注ぎ、ようやく得た弁護士という職業には相応の収入が保障されて当然であるという考えには、それなりに共感を覚えてきました。この点は、医師などについても同様です。 しかし、以前に記事にしたような事情の変化を知ると、やはり揺らぎが生じるのも正直なところです。 http://seisakuhomu.blog19.fc2.com/blog-entry-179.html 弁護士の需要はそれほど高まっていないということなのでしょう。需要予測が見事にハズレたということです。弁護士の仕事はそれほど増えないのに弁護士はどんどん増える。就職難は当然の帰結です。新米弁護士はイソ弁から始めるのが多いと聞いていましたが、最近はノキ弁という、給料も貰えない人も増えており、挙句の果てにはそもそも就職さえできない人が増えている。そういう人たちというのは、どういう精神状態なのでしょうか、興味があります。「そんなはずじゃなかった」と思っているのは間違いないでしょう。アンケート結果からも、弁護士になってよかったと思う人が減少傾向にあるのも、一昔前は考えられなかったのではないでしょうか。ワーキングプア弁護士なんて洒落にもなりません。 今後、弁護士過剰時代が来れば、ベテランの弁護士たちも仕事にあぶれる可能性を否定できません。国をあげて弁護士の就職対策を講じるべきだと弁護士が主張していることが、その深刻さを物語っているようにも思えます。 こうなってくると、法科大学院ではなく、法学部段階での教育も重要になってきます。弁護士資格を持っていれば、企業や官公庁に優先的に採用してもらえるなどと思っている学生がいれば、そんなに甘くはなく、妄想に近いことだと、知らしめなければなりません。 弁護士過剰時代。どことなく不気味な雰囲気も・・・
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山口道昭編著『入門 地方自治』(学陽書房)
山口道昭先生(立正大学教授)と出石稔先生(関東学院大学教授)のお二人による著書です。お二人とも、自治体職員から大学教授へと転身された、政策法務界では知る人ぞ知る、トップランナーです。 「はしがき」によると大学での講義ノートの集大成とのことで、想定する読者は学生レベルに置いているとされています。そのため、政策法務に関する諸論点には真正面からは触れられていないようです。 地方自治に関して基礎的な知識を修得するためのテキストですから、学生だけではなく、初任の自治体職員などがチャレンジするにも最適だと思います。「理想的なテキスト」というのは人それぞれで異なりますが、地方自治に関する諸法制を本格的に学ぶ前に読んだり、ある程度学んだ人が知識の確認、再整理などに読むにもいいと思います。 ちなみに、地方自治に関するテキストとして、もう一冊良書を推薦するならば、これがあります。
金井先生・礒崎先生・伊藤先生とも、東大で西尾勝先生のもとで学ばれた方々です。金井先生は行政学の立場から政策法務というものへのアプローチをされ、例えば「政削法務」とか「政策法無」といった表現で巧みに関心をひきつけてくれます。礒崎先生は、先にご紹介した山口先生や出石先生と同様、自治体職員から大学教授へと転身された政策法務界のトップランナーです。こちらは政策法務について、章を設けて真正面から触れられています(第9章政策法務と条例)。 どちらも学部レベルのテキストのようですが、自治体で研修用図書として活用することも効果的だと思います。
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仙台市職員へのパワハラ実態
読売新聞18日付記事からです。 自治体内部でパワハラがあることが、明るみに出たのは、おそらく初めてでしょう。実態としては、昔から大なり小なり存在しています。決して仙台市役所だけの特別な問題ではありません。旧態依然というよりも、古色蒼然とした自治体組織体質においては、パワハラをするような管理職が有能で、被害を受けるような職員が無能であるという、おかしな考え方が「常識」として罷り通っているのです。 反則法制さんのブログで、自治体職員がブログをすることのリスクについて記事にされています。 http://gan.bne.jp:8080/BLOG/archives/2009_4_16_216.html 法令違反はもちろん許されませんが、そういうことではなく、「ブログ」なるものを行っていることそのものが気に入らないということになるのです。違法ではない限り、法的な制裁ができないため、結局、陰湿な嫌がらせ、事実上の報復人事など、合法的に「非法的な制裁」を受けることになります。以前、記事にしましたが、職員が上司には秘密裏に大学院に進学することさえ、一つ間違えば、こうしたパワハラなどのターゲットにされるのです。 上司と部下の人間関係は、本来、管理監督者として最も配慮すべきことのはずですが、パワハラが蔓延すると、当の管理職たる上司にも被害が及ぶことを自覚するべきでしょうね。10年ほど前ですが、女子職員が上司にお茶をいれる際、雑巾を絞った水滴を混ぜていたのを目撃したことがあります。青酸カリなどの毒物でなくてヨカッタ・・・(汗)
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天晴れ最高裁 婚外子住民票訴訟原告敗訴の当然判決 標記について、本日、最高裁判例が出されました。最高裁のHPからそのまま引用しますと、
1 出生した子につき住民票の記載を求める親からの申出に対し区長がした上記記載をしない旨の応答と抗告訴訟の対象 2 母がその戸籍に入る子につき適法な出生届を提出していない場合において,区長が住民である上記子につき上記母の世帯に属する者として住民票の記載をしていないことが違法とはいえないとされた事例 に関する判例です。 http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20090417165343.pdf この訴訟の大きな原因は、原告となっている事実婚の男女が、出生届の「嫡出でない子」という表記を差別であるとして、その記載を拒否しているため、住民票が作成されていないことにあるようです。いい大人が事実婚をするのは「自由だ」というのは、肯定も否定もしませんが、その結果、「嫡出でない」子どもを生んでおきながら、差別であると主張して法令違反をするのは、なんとも身勝手な人たちなことです。ナンダカンダと言って、自分たちの主義主張を押通すために子どもが犠牲になっているだけです。何と言っても子どもが不幸です。もちろん、その不幸の責任は国や社会にはありません。なんでもヒトのせい、社会のせい、国のせいにすべきではありません。権利を主張したければ義務も負うべきで、まずは法令を遵守しないと。 いずれにしても、最高裁は良識を示してくれたものと思います。天晴れ!! 最近、社会不安が広まっているのにかこつけて、偏向的な個人や団体が、あちらこちらで、この種の「身勝手権利主張」訴訟をしているようで、腹立たしい限りです。最高裁はこの事件同様、厳しい態度で臨んでもらいたいです。
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マンションの政策法務(2) 新築マンションの場合、そこに住む人たちは、ほとんどが初対面になります。お互いにどういう人物なのか疑心暗鬼のまま、「マンション管理組合」は設立されます。入居してから、かなりの日数が経過してから、渋々、管理会社の担当者が準備をして、カタチだけの「設立総会」が開催されます。その場で、マンション管理会社の担当者から、部屋番号の若い順で理事の選任が、任期1年で提案されます。何も分からない居住者たちは、それに無造作に賛成してしまう。そして、最初に管理組合の理事に選任された人たちは、右も左も分からないまま、ただひたすら任期満了が来るのを待つのです。その後もこれが繰り返されると、マンション管理組合は機能しなくなり、組合としての法務・財務は麻痺してしまいます。マンション管理会社がそうした点をフォローしてくれると考えるのは誤りです。いくら管理会社の看板が立派でも、そのマンションに派遣される担当者が役立たずだと管理組合の運営は行き詰まります。
私の場合、偶然、入居1年目の理事をされた人と親しくなったことがきっかけで、マンション管理組合の運営に積極的に関わるようになったのです。入居3年目の管理組合総会では、自分から名乗って理事長を務め、その後も何らかの形で管理組合の運営に関与し、3年前には再度理事長を務め、その後は現在まで改修工事計画の専門委員を務めています。こうした活動は、自分の財産を守るためのものであると同時に、私なりの地域貢献活動のつもりです。 会社にもよるでしょうけど、マンション管理会社の担当者というのは、1人で20件くらいの管理組合を受け持っているようです。したがって、管理組合から何も言わなければ、基本的に何もしてくれないと思ったほうが正しいでしょう。ただでさえ20件も受け持っているのだから、形式的な対応で済ませたいと思うようです。実際、私が入居した1年目の管理会社の担当者は、ひどいものでした。もちろん、契約している管理会社は業界トップクラスの有名企業です。しかし、その担当者は、管理業務委託契約のこと、区分所有法のこと、民法その他関連法令のこと、管理組合の財務状況のこと、そして管理組合の活動組織である理事会運営のことなど、何一つまともに応対できませんでした。 初めて理事長になったときに着手したのが、「管理組合規約」の全面改正でした。規約は管理組合の基本事項を定めた規範で、区分所有法30条に根拠を有するものであり、法的意味を有します。これも、普通、マンション販売会社か管理会社が用意しているものを設立総会で議決しているのですが、その内容を読むと、条文間の矛盾、文言の不整合など、およそ専門業者が作成したものとは到底思えなズサンなものでした。マンション管理会社に問い詰めると、結局、他のマンション管理組合で作成されたものをコピーしているだけだとの弁明でした。これでは自治体のモノマネ条例よりもひどいということになります。ちなみに、管理規約の全面改正でしたので、「溶け込み方式」を検討することはありませんでした。 この管理規約の改正問題を検討している間、最初の担当者は管理会社を解雇されました。業務委託契約に基づいた事務の履行がほとんどなされなかったことを私が抗議し、担当者がこれを認めたことが主な理由でした。契約解除も考えましたが、翌年の業務委託料は大幅カット、担当者については関連法令や財務について、少なくとも私以上に知識と理解を有している者を派遣することを約束させ、同じ会社と契約しました。ここは腐っても鯛で、やはり会社の看板の立派さは、他の居住者を納得させるのに必要だったのです。
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団塊世代大量退職と自治体人事の現状 先日、私もメンバーになっている政策法務研究会の集まりがありました。時期的に話題になるのは、やっぱり人事のことでした。
最初に話題になったのが、T市立図書館のこと。かなりひどいそうです。お局のような司書が完全に仕切っていて、図書の購入も、その職員が好きな作家の本ばかりだとか。図書選定委員会を設置しようとしたら、いろいろ難癖をつけてつぶしにかかったとのこと。いろいろ調べると、公立図書館の実態、特に人事実態は全国的にみても、相当問題があるとのことです。個人的には、かつて、図書館勤務を強く望んでいたのですが、こういう話を聞かされると、行かなくて良かったのかなと思ったりもします。 どの自治体も団塊世代の大量退職はあるものの、組織の統合縮小で新規採用職員は大幅に抑制されています。自治体によっては100倍以上の激戦を勝ち抜いてきた新規採用職員は、どこの自治体職場にとっても、優秀な人材として認識されるはずです。しかし、必ずしもそうではないというのが、先ほどのT市職員のMさんのお話。ある新規採用職員が配置され、しばらく経った後、その所属長である課長と部長が人事課に乗り込んできて、「あのような新人は不要だ。6ヵ月の試用期間で解雇しろ」などと猛烈に抗議したそうです。人事課にすれば、メンツ丸つぶれです。自治体の新規採用職員が、試用期間で解雇になる例が皆無なことの理由は、人事課のメンツ確保という側面も大いにあるようです。結局、その新人君は別の部署に配置転換されたとかで。 もっとも、トップクラスの成績優秀な学生は、公務員試験など簡単にパスします。いくつも受験しているため、「この人材がほしい」と思って採用を決定しても、結局は他に逃げられることも多いようです。A市では、今年4月1日の辞令交付式の朝になって、電話で「やっぱ、やめときますゥ」といとも簡単に辞退の申し出をしてきた人もいたそうです。人事課はさぞかし慌てたでしょうね。 公務員は雇用の安定は抜群です。このご時世、公務員人気が激増しているのはこのためです。当然、これだけでも世間の恨み、妬みを買います。定年退職後も、余程のことがない限り、「再任用」ということで、働かせてもらえます。しかし、組織縮小の折、どの職場に配置されるかが問題です。T市では、部課長が定年退職し、再任用されても、いわゆる「窓口職場」に配置されることが多いようです。当然、部課長で退職した直後に、窓口の「親切な職員」に変身できる人は少ない。その結果、窓口に来られた市民からの苦情が絶えないとのことです。Mさん曰く「仕事ができるから部長や課長になったわけではないから、そういうのが退職後、窓口職場に配置されると、当然、トラブルは増える」とか。長年培った知識、経験をいかすのが再任用の主旨のはずですが、現実はなかなかうまくいかないようです。そして、そういう職場に再任用職員として配置された人たちは、若い職員から邪魔者扱いされ、結局、退職する人も少なくないようです。 再任用に関して言えば、事務職の人が、事務的な職場に配置されれば、最初は多少畑違いのことでも、何とか対応できることが多いと思っています。しかし、技術職はどうでしょうか。例えば、保育士で退職した人が、保育士の仕事とはまったく無縁の、未経験職場に、事務職員として配置される例もあります。自治体の事務について、基本的な知識や経験が皆無、パソコンもほとんどさわったことがない、などの人が配置された職場は、文字どおり欠員は補充されても、ただでさえ人員削減で、再任用という「即戦力」が欲しいのに、新人以上に手間がかかってしまうお荷物を背負わされたような気分になります。 いやはや、いろいろあるようでして・・・
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告発される千葉県知事
時事通信11日付記事からです。 森田健作知事の本名が鈴木栄治というのは、かなりイメージが異なりますね。もし、森田健作ではなく、鈴木栄治で立候補していれば、当選していたのかどうか。公選法では通称名が使えるとのことですが、公文書などでは当然、本名を使います。そういう政治家だけにとって都合のいい法律は、変えないと。森田知事は国会議員を12年も務めていた人ですから、十分、プロの政治家です。青春スターのイメージに踊らされた有権者というのは、判断を誤ったかもしれません。 森田知事が石原知事のところに挨拶に行った際、石原知事から、「役人は嘘をつくから、気をつけろ」という「助言」をもらったとか。しかし、この問題はまさに「嘘をつく」のは政治家の十八番であることの証でしょう。そのことを石原知事はどう思っているのでしょうか。 千葉県など典型的ですが、日頃、市民にとって県政というのは存在感の薄いものです。私は同じ県内にずっと住み続けていますが、いまだかつて県知事のお顔を直に見たことがありません。それどころか地元の県議が誰なのかもわかりません。市長や市議が割りと身近に感じるのと比べると、どうしても、県というのは国の出先と同等のものという認識になるのです。だから、千葉県民も、こういう人が知事にならないと、県政を身近に感じないのでしょう。身近に感じたいため、こういう人ばかりが知事になるというのは、どんなもんでしょうかね。
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定額給付金の「効果」
朝日新聞10日付記事からです。 定額給付金に関するマスコミ報道は、制度実施前の賛否論から、今では自治体の実施ミスに関するものが主流のようです。引用した記事は、西日本各地のトラブルをまとめてあったことから取り上げましたが、これ以外にも新聞記事は多数あります。 先日、私のところにも地元市役所の定額給付金対策担当課から封書が届いていました。記事にあるように、「なりすまし防止」などのために、通帳や免許証などのコピーを添付するようにと説明されていました。しかし、日々の生活に汲々としているため、説明書なんかあまり読まずに、申請書に住所と氏名、振込み口座を記入してそそくさと返送する人が多いでしょうね。担当課の職員の皆様、本当にお疲れ様です。ある意味、これほど非建設的な仕事はありません。選挙目当てのバラマキの手助けをさせられているだけですから。2年後くらいに、「大増税」という手痛いしっぺ返しがなされることを十二分に認識しておくべきです。 2兆円の定額給付金のバラマキで、果たしてどれくらいの経済効果があるのか疑問視されるでしょうが、経済効果ではなく、選挙の結果で効果の有無が判定されるのです。経済学ではなく、政治学ですね。
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自治体職員のための政策法務入門1 総務課の巻
第一法規から出版されているシリーズ第3弾です。ようやく総務課の巻が出版されました。これで、シリーズ第1巻から第3巻まで揃ったことになります。 この「総務課の巻」が、このシリーズの基本型のはずです。政策法務というのか、法規事務というのかはともかく、ごく普通の自治体職員は、法律的な問題で困ったときは総務課や法規担当に相談するのが当たり前だと思っているからです。自治体によっては法務担当を「総務課」とは別の組織にしているところもありますが、基本はやっぱり総務課です。 既に紹介した市民課の巻、福祉課の巻と総務課の巻の違いは、前二者があくまで市民課や福祉課の立場から政策法務に関わっていることを描いているのに対して、総務課の巻は当然ながら、各所属で発生した問題を総務課の立場から描いていることであり、それぞれを読むことで、相互の考え方や視点の相違点、共通点などをあらためて理解できるのではと思います。
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マンションの政策法務(1) 自治実務セミナー3月号に、学習院大学教授の櫻井敬子先生が連載執筆されている行政法講座で、「マンション法制の問題点」と題した論稿が掲載されています。10年以上マンションに住み続け、「建物の区分所有等に関する法律」(区分所有法)に基づくマンション管理に相当深く関与し、かつ、現在も関与し続けている者として、マンション法制、あるいは、マンション政策法務は興味深いテーマになります。
櫻井論文では、マンションの法律関係を論ずるキー・コンセプトは「区分所有権」という概念だとされ、マンションは「寄り合い所帯」で、区分所有権というのは、建物内のごく限られた空間が少しばかり自由に使えるという程度の権利にすぎず、一戸建ての所有権とは本質において異なるとされています。確かに本質において異なるでしょうね。区分所有権はあくまで室内の一定の範囲までで、例えばベランダはあくまで共有部分で、個々の区分所有権者に「専用使用権」が付与されていることを知らない人は、居住者の方でも結構いるでしょう。 マンション管理の問題点として、櫻井論文はマンション管理の最高機関が区分所有者全員からなる「集会」であり、その民主主義的な運営によって全体の意思が行われるとされているが、教科書どおりにはいかず、機能不全に陥り、問題の解決が先送りされ、後には古びたマンションが残るだけという事態を引き起こす、などととされています。ここでいう「集会」は、実際には「管理組合総会」として開催されます。しかし、かなり形骸化しているマンション管理組合も多いようです。ただし、マンション管理の実際は、全てを「集会」で決めているのではなく、この点は知らない人が読むと誤解するかもしれません。 前後しますが、まず、マンションでは区分所有者で構成されるマンション管理組合が設立され、組合としてマンション管理の諸々の問題に対応することになります。管理組合の活動は、「集会」で選出された理事長と理事で構成される「理事会」が中心となって運営しているのが通例でしょう。しかし、理事といっても素人ばかりで、理事以外の区分所有者の多くは管理組合活動に無関心になりがちです。そのため、しばしば管理組合が機能しないこともあるようです。そうなると、櫻井論文がいうような事態を招くことになります。そこで、どうやってこうした不幸な事態を未然に防止できるかが問題となります。決定的な方法はなかなか見当たらないのですが、敢えて主張するならば、マンション管理組合の活動にいかにして「公共性」を表出させるかが一つのポイントになると思っています。そして、この公共性と個々の区分所有者の「財産権」をリンクさせるように仕向けると、かなりうまくマンション管理ができるのではないかというのが、マンション管理に継続的に関与してきた私なりの考えです。例えば壁に落書きがあれば、「見苦しい」「汚い」ということとともに、「マンションの財産価値が低下し、売却するときに不利になりかねません」と強調することで、区分所有者の意識はかなり異なってきます。「公共性」の問題は、自分の財産に影響することを徹底して知らしめることで、かなり認識の共有化を図ることができていると思っています。 ほとんどのマンション管理組合では、専門の管理会社と業務委託契約を行い、一定の管理業務を委託しています。素人の集団である区分所有者たちは、管理会社に全て依存することになりがちですが、そのようなマンション管理組合の多くは、活動が停滞し、管理会社も困ってしまい、櫻井論文が述べているような事態を招いているようです。したがって、区分所有法に基づくマンション管理は元々うまくいかないから、専門業者に委ねるということがマンション管理適正化法の主旨であると思い込みすぎるのも危なっかしいように思えます。
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阿部泰隆『行政法解釈学T』
阿部泰隆先生が『行政の法システム』以来、久しぶりに行政法のテキストを出されました。『行政の法システム』は初版が92年、新版が97年に出版されていますので、12年ぶりということでしょうか。『行政法解釈学』はTだけで600頁以上もある大著です。正直申しまして、現在の私には通読できそうにありません。しかし、関心のある箇所を熟読するだけでも、読まないよりはマシだと自分に言い訳しています。 この春は、行政法学のテキスト、体系書の出版が目白押しのようです。
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北村喜宣『現代環境法の諸相』
上智大学の北村先生による最新著作です。 「まえがき」によりますと、放送大学教養学部「社会と産業コース」の専門科目である「現代環境法の諸相」の教材として執筆されたものとされています。北村先生、放送大学でも教鞭をとられるようになったのです。 講座が15回の授業ということで、15章構成となっており、本編は200頁余りというコンパクトさです。限られた時間・空間を踏まえて、個別法の解説ではなく、個別環境法に通底する考え方や理論を把握して提示したり、環境法政策を新たな角度から分析したりする作業を行うものとして執筆されたようです。そして、「環境法総論」の構築に向けた第一球とされています。 本書は、「入門書」というには、少しレベルが高いかもしれません。参考までに付け加えておきますと、北村先生による初学者向けの環境法テキストとしては、次のものがあります。最初にこちらを読んでからでもいいと思います。
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自治実務セミナー3月号 1月21日に、「税源移譲後の地方税」というタイトルで記事を掲載しました。
http://seisakuhomu.blog19.fc2.com/blog-entry-198.html この記事について、日澤邦幸さんが自治実務セミナー3月号の「地方税徴収実務のテーゼ」で引用してくださり、そのうえで日澤さんのご意見が述べられています。こんなヘナチョコブログの記事を専門誌で取り上げてくださり、恐縮です。ありがとうございます。 私自身は、税務行政に携わった経験はありません。しかし、自治体税財政に関する政策法務という点から、公共契約、財政財務法とあわせて、自治体徴税権の行使というものに少なからず関心を有しています。たぶん、多くの自治体において、税務と生活保護が「嫌われる職場」の双璧でしょう。片方は税金を集める仕事、もう片方は税金を原資に給付する仕事で、正反対なのですが、この両方の職場を人事異動で往復する職員も少なくないと認識しています。
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