講学 政策法務

政策法務、地方自治、司法、事件、そして四方山話。硬い話、時たま、柔らかい話。
Author:Z-Berg

2007年度 包括外部監査の通信簿

 先日、某研究会で、参加者のお一人である弁護士の方がご披露くださったのが、標記のコピー(抄)。全国市民オンブズマン連絡会議包括外部監査評価班が作成されたとのことで、その弁護士の方もメンバーとなっているわけです。

 全国市民オンブズマン連絡会議の資料を拝見したのは初めてです。まず驚いたのは、とにかく幅広く、かつ、相当踏み込んだ分析をされていることです。これだけの分析・評価をされ、資料としてまとめられていれば、これだけで「行政法各論」のテキストとして十分使えるのではないかと思います。

 まず監査対象については、税・収入金・手数料から福祉関係その他まで16の分類をされています。外郭団体・財政援助団体については、債務保証・損失補償の問題も取り上げられています。損失補償は法人財政援助制限法で禁じられている損失補償の脱法的行為であるという指摘がなされています。こうしたズバッと×をつけるのは、市民オンブズマンだからこそできるのだと思います。

 印象的だったのは、議会・政務調査費について、平成15年度は長野県が政務調査費を取り上げたところ、最大会派が書類のコピーを拒否し、監査人が手写しで対抗することがあったそうです。

 包括外部監査人は公認会計士が圧倒的に多いようです。もっとも、会計士が一人で監査を行うことは少なく、補助者として数人の会計士・弁護士が加わることが多いようです。このこととの関係で、包括外部監査人へのアンケートで、目についたのが報酬に対する不満でした。報酬が十分かという問に、「いいえ」と答えている監査人が多いのは、委託報酬が1500万円としても、5人の補助者を使っての監査となれば、1人当たりの報酬は相当低いものになるわけです。監査人にとっては自治体外部監査は、「新しいマーケット」ではあっても、決して「利潤になる」わけではなさそうです。
2008年09月30日

  月別アーカイブ

    2010年09月 (1)
    2010年07月 (1)
    2010年03月 (9)
    2010年02月 (10)
    2010年01月 (12)
    2009年12月 (13)
    2009年11月 (11)
    2009年10月 (9)
    2009年07月 (2)
    2009年06月 (19)
    2009年05月 (18)
    2009年04月 (19)
    2009年03月 (6)
    2009年02月 (21)
    2009年01月 (24)
    2008年12月 (10)
    2008年11月 (20)
    2008年10月 (16)
    2008年09月 (21)
    2008年08月 (12)
    2008年07月 (10)
    2008年06月 (10)
    2008年05月 (20)
    2008年04月 (13)

   

制度化と空洞化 自治基本条例・議会基本条例

 「自治体法務研究」2008年秋号の特集は「自治体議会の活性化と議会基本条例」です。江藤俊昭・山梨学院大学教授の「議会活性化のための法整備と政治−議会基本条例の意義と課題−」と題した論稿が掲載されています。

 自治基本条例にとどまらず、2006年5月に栗山町議会基本条例が施行されてから、議会基本条例は一挙に広まりを見せています。2008年4月までに17議会が制定していて、100以上の議会が制定を検討中とのことです。ちなみに、栗山町議会基本条例が全国初の「議会基本条例」とされていますが、名称だけなら須賀川市議会基本条例が2005年に施行されているとのことです。議員定数、定例会回数、会期などが定められたものですが、議会運営の規定については会議規則の条例化ということで、江藤教授も栗山町議会を最初の条例と位置づけています。

 こうした条例は、当然、「生ける条例」でなければなりません。ところが、「作文条例」になる可能性もあります。江藤教授が経験された自治基本条例策定において、現時点で作文条例になっているものがあるそうです。折角、市民参加によって長期間議論し、条例素案を作り上げ、制定したにもかかわらず、職員研修は実施しない、市民への広報もなし、自治基本条例の理念に即して既存条例の検討もしていないとのことです。私は、実のところ、作文条例となっている自治基本条例は少なからず存在しているのではないかと思っているとろこです。

 江藤教授は、制度化と空洞化ということについて、次のように考えを述べられています。
 

議会基本条例が制定されれば、充実した議会運営が達成されるというものでもない。むしろ、制度化は空洞化へ向かうのが歴史の現実である。その制度の空洞化を超える視点を確立することが重要である。


 そして、議会運営にも空洞化は進行するとされ、
 

議会の空洞化とは、新しい議会を目指し運営していた議会が、その軌道から逸脱することを意味している。


と述べられています。

 そして、制度の空洞化の再充実化への起点を住民に託していることこそ重要だとされ、栗山町議会が条例に基づいて実施議会報告会は定例化・義務化されているため、停滞した議会運営を住民は許しはしないとされています。江藤教授は、栗山町議会基本条例で導入されている議会報告会を、

議会運営の後退を住民の力で早めに是正する仕組みをしっかりと挿入している


と評価されています。

 制度化をした後の、空洞化を防止するためには、制度化以上のエネルギーを要するように思えます。
2008年09月29日

住民投票条例論(2) 義務型・非義務型

 上田・藤島・稲野「住民投票の制度化はどこまで進んでいるか」(季刊自治と分権第30号)では、非個別型条例を義務型と非義務型に分類されています。

 義務型とは、請求要件が満たされれば議会の議決を要することなく、ほぼ自動的に住民投票を実施する、つまり、住民投票実施が義務になるという仕組みを用意しているものをさしています。これに対して、非義務型とは、議会の議決を要するタイプとなります。義務型の条例には高浜市条例が、非義務型としては箕面市条例、会津下町条例、杉並区条例を掲げられています。

 義務型条例は2007年1月1日時点で18条例存在しています。非個別型・義務型の住民投票条例というのは少数であり、実際には非義務型が圧倒的に多いという現状に、今のところ大きな変化は生じてはいません。もっとも、個人的感想としては、「18条例もあるのか」という驚きの方が大きいです。

 義務型条例では、請求権者・署名数の要件が重要とされています。有権者総数の3分の1以上という請求要件を規定しているのが7条例と最も多く、6分の1以上が3条例、4分の1以上、5分の1以上、8分の1以上、10分の1以上がそれぞれ2条例という構成です。この論文においても、「濫用を防ぐ見地からも、一定程度のハードルが必要であることは多くの認めるところではないであろうか」とされ、議会の解散請求や議員・首長の解職請求に必要な署名数と同様、有権者の3分の1以上というのが、「現時点では妥当」とされています。いくら住民投票でも、実施には多額の経費を要します。特定の集団の扇動的行為で住民投票の実施が左右されるということも防止する必要があります。何でもかんでもというわけにはいきませんので、この程度の請求要件は当然だと思います。

 投票成立の要件についても、18条例中14条例が投票率要件を規定しています。投票率50%未満ならば投票が成立しないという規定も、市民の意向が十分反映されないということで、むしろ導入するべきだと思います。投票率が要件未満なら開票しないと定めているのも妥当だと思います。この点については、投票結果に法的拘束力は生じない諮問型である以上、投票率要件は不要ではないかという意見もあると思います。しかし、少数派にすれば、少数意見を「正当意見」と転用し、ことさら投票結果を強調し、新たな要求をしかけてくることも予想されます。そうした事態を防止するためにも、投票率要件は必須ではないかと思っています。

 この論文でも記述されていますが、市民運動をされていた方でも、義務型と非義務型の違いを理解しておらず、「非義務型」条例が制定されれば、住民投票ができると思っていたということは、住民投票条例に対する一般市民の理解はなかなか進んでいないことを窺知できます。もっと言えば、こうした住民投票条例の違いを、自治体職員、議員、首長の中にも理解できていない人が多いかもしれないということです。 
2008年09月27日

行政代執行法に基づく強制撤去

無断係留ボート 県、強制撤去始める
 西宮浜北護岸(西宮市西宮浜1丁目)に無断で係留されているプレジャーボートについて、県は24日、行政代執行法に基づく強制撤去を始めた。「新しい係留施設建設もあり、いつまでも不法状態にはしておけない」などと説明している。一方、ボート所有者らは「以前から県に話し合いを申し入れていたのに拒否され続けた。強制撤去は納得いかない」などと反発。プラカードを掲げて県職員に詰め寄るなどし、現場は一時騒然となった。
 同護岸周辺は95年1月の阪神大震災で大きな被害を受け、県は同年3月に桟橋の供用を廃止した。しかしボートの所有者らが資金を出し合って自主的に補修し、その後も無許可で使用していた。
 03年、同護岸周辺はボートの放置禁止区域に指定され、県は無断係留しているボート所有者に新西宮ヨットハーバーへ移転するよう求めていた。しかし「移転の条件についての話し合いもない」などとして一部の所有者が拒否。県は昨年から、西宮浜北護岸に新たに建設している西宮ボートパークへの移転を要請、大多数は応じたが6艇が24日になっても移動せず、この日午前9時過ぎ、県のボートなどで新西宮ヨットハーバーに曳航(えい・こう)された。
 強制撤去に反対する西宮今津ヨットクラブの辻井元宏会長(47)は「元々は今津港を拠点にしていたのに、『阪神高速道路の建設に協力してほしい』と県に要請されて西宮浜に移ってきた経緯がある。私たちは何度も話し合いを求めてきたのに応じてくれず、今回の措置は一方的過ぎる」と憤った。
 一方、県尼崎港管理事務所の田辺義博副所長(53)は「法に基づいた措置で違法性はない」と説明している。


 朝日新聞25日付記事からです。
 行政代執行法に基づく強制履行(撤去)というのは、とても少ないと認識していますが、都道府県・政令市くらいの組織規模になれば、いざとなれば実施するようです。

 行政事件訴訟法、行政不服審査法と改正が続く中、改正の検討対象として残っているのは行政代執行法だと思いますが、今のところ法改正の動きはまったくなさそうです。その理由として、所管省庁がないことがあるようです。また、行政代執行法を改正し、使い勝手の良い法律にするということは、行政側を利することになるため、政治的判断としては動きが鈍いということなどが考えられます。

 しかし、特定の人間のゴネ得を認めると、結局はその他の人に負担を押し付けることになるわけです。現在の行政代執行法は現場ではかなり使いづらいと聞きます。改正の動きが生まれることを期待しています。 
2008年09月25日

住民投票条例論(1) 個別型・非個別型

 「季刊自治と分権」第30号で、上田道明・藤島光雄・稲野文雄「住民投票の制度化はどこまで進んでいるか」と題した論文が掲載されています。住民投票条例について、詳細に論じられたものです。ここでは、この論文に即して住民投票制度について整理、確認しておきます。

 一般的な住民投票制度は、現在の地方自治法制において存在しません。例外は憲法95条の地方自治特別立法、首長・議員の解職請求に関するもの(自治法76条以下)、市町村合併特例法によるものなどがあるにすぎません。法定されたもの以外の場合について、住民投票を実施するならば、現行法上、自治体が住民投票条例を制定し、それに基づいて実施するのが唯一の方法です。しかしながら、2006年度末現在、住民運動団体からの住民投票条例制定についての直接請求が584件もあったのに対して、成立したのは95件、16.3%にすぎないというのが現実です。

 住民投票条例が初めて制定されたものとして有名なのは、1982年7月19日に制定された高知県窪川町(現四万十町)の「窪川町原子力発電所設置についての町民投票に関する条例」です。これは町長の提案によるもので、しかも、原子力発電所の設置がなされなくなったため、実施には至らなかったものです。

 実際に、住民投票条例に基づいて実施されたことで注目されたのは、新潟県巻町(現新潟市)が1995年7月19日制定した、「巻町における原子力発電所建設についての住民投票に関する条例」で、1996年8月4日に実施されています。投票率88.3%、原子力発電所設置反対への投票が60.9%という結果でした。当時、マスコミなどで大々的に報じられたため、多くの人が記憶にあると思います。

 この論文では、住民投票条例を次のように分類しているのが、大きな特徴です。
 まず、大きく、「個別型」と「非個別型」に分けています。
 個別型とは、先ほど紹介した巻町の条例のような原子力発電所建設の是非、あるいは岐阜県御嵩町のような産業廃棄物処理施設設置の是非など、個別の政策・争点に関する住民投票条例のことです。

 「非個別型」とは、個別型とは違い、実施対象を特定の個別争点に限定しないタイプの住民投票条例のことです。その第1号は、1997年に制定された「箕面市市民参加条例」です。ただし、箕面市条例は、投票の実施について「別に条例で定める」とし、結局は個別型条例の制定を要したため、住民にとっては議会という障壁が何ら改善されていなかったことになるわけです。この限界を克服したのが、2000年に制定された「高浜市住民投票条例」です。高浜市条例は、住民投票の投票資格者の3分の1以上の署名により市長に対して住民投票の実施を請求でき、市長は投票実施を拒否できないと規定しています。つまり、議会の意思にかかわらず、住民投票の実施が義務付けられる条例であることも、注目された大きな理由です。

 次に、論文では、この非個別型をさらに分類しています。記事が長くなりましたので、また、後日書くことにします。
2008年09月23日

債務保証と損失補償

 今さらこんな論点を書くのもどうかとは思いますが、先日、ある研究会で話題になったため、碓井光明『公的資金助成法精義』を参考文献としつつ、確認・整理しておきます。
公的資金助成法精義 公的資金助成法精義
(2007/06)
碓井 光明

商品詳細を見る


 公的債務保証については、「法人に対する政府の財政援助の制限に関する法律」第3条で禁止されています。国・自治体が保証債務を履行しなければならなくなるかどうかは不確実です。将来一定の事実が発生したときに履行すべき債務が具体化され、現在の時点においては、その具体的内容が確定されていない債務を「偶発債務」と定義されています。偶発債務を抑制する必要性は、財政運営の不安定要因となるからです。法人財政援助制限法3条はそういう趣旨です。

 債務保証の禁止について、例外もあります。個別法(特別法)によって禁止が解除されているものとして、独立行政法人国立病院機構法17条は、国会の議決を経た金額の範囲内で許容されています。他にもいくつかありますが、いずれも、国会の議決を経た金額の範囲内という規制があります。これに対して、地方独立行政法人については、債務保証を許容する規定はないようです。

 自治体の場合、法人財政援助制限法3条の規制があるため、債務保証はできないものの、法的にはこれと内容・効果において異なる別個の契約類型である損失補償契約をかなり広範に行っているようです。行政実務では、法人財政援助制限法3条に違反しないとされてきています。従来の下級審判例も適法としています(福岡地裁平成14.3.25、熊本地裁平成16.10.8)。

 碓井説は、債務保証と損失補償契約は異なったものであるとする解釈に賛成できないとされています。自治法221条3項は法人財政援助制限法3条の禁止を解除するものではなく、損失補償契約についても同条の類推適用をすべきとされています。そして、損失補償契約は同条の脱法行為であり、違法であるとされています。横浜地裁平成18.11.15が違法と判断していることも影響されているのでしょう。

 もっとも、明文規定で禁止されている債務保証とは異なり、損失補償契約については、長年、有効とする行政実例にもとづいて行ってきたため、突然、これを違法無効とすると、これを前提に融資を行った金融機関等の信頼利益を奪うことになるため、契約の無効と断定することには躊躇されています。

 碓井説が揺らいでいるのは、信用保証制度とリンクさせた損失補償契約は、すっかり定着しているため、一種の慣習法が成立しているとも述べられていることからも、理解できます。必ずしも行政批判一辺倒ではないのが、碓井説の特徴でもあるわけです。

 それでも、財政法の第一人者が明確に損失補償契約違法説を主張されたことで、今後の実務にも影響を及ぼす可能性はあると思います。 
2008年09月22日

市民あま水条例 千葉県市川市

 先日、報道ステーションで紹介されていたので、興味を持ちました。
 正式名称は、「市川市宅地における雨水の地下への浸透及び有効利用の推進に関する条例」で、2005年7月1日から施行されています。

 条例制定の理由について、市川市の公式HP(http://www.city.ichikawa.lg.jp/gre02/1111000033.html)では、次のように説明されています。

 そう遠くない昔、まだ田畑や雑木林が多かった頃、雨水は地下に浸透することで自然の水循環のバランスが保たれていました。しかし、都市化の進展に伴い地表が建物の屋根やアスファルト舗装に覆われてしまい、地下水や湧水が枯渇して河川の水質の悪化や地盤沈下、ヒートアイランド現象などが起こるようになりました。また、台風の時などは多くの雨水が浸透せずに短時間のうちに宅地の外に流れ出し低い土地にたまる都市型水害の原因にもなっています。
 こうした状況の中で、良好な水循環の保全や浸水被害の軽減を図るには、河川改修などの行政の施策だけでなく、市民一人ひとりが自己の所有する宅地に降った雨水は宅地内で浸透や貯留して下流に流さないことが何より効果的です。
 また、渇水や非常時の断水に備えた、水資源としての雨水の有効利用の推進も併せて求められています。
 そこで、市民と行政の協働により、雨水浸透施設及び雨水小型貯留施設の設置を一層進めるために、全国に先駆けてこの条例は制定されました。


 市民は建築物を建築しようとするときは、雨水浸透施設を設置することを責務としています。設置には市の助成制度もあり、報道ステーションでは、一基38,000円で、全額助成とのことでした。

 最近の異常気象は、地球温暖化が最大の原因なのでしょうか。地域によっては、大雨が降って、床下・床上浸水等の発生で、市民の財産が壊されるというのは、行政としても放置できません。市川市の取組みは、環境政策法務という点からも興味深く、施策を発案し、実践されている関係者の皆様に敬意を表したいと思います。
2008年09月21日

公園は住所にはならない、の当然判決

ホームレス男性の「公園は住居」認めず、確定へ 最高裁
 大阪市北区の公園でテント生活をしているホームレスの男性が、公園を住所とする転居届を不受理とした処分の取り消しを、区長に求めた訴訟の上告審で、最高裁第2小法廷(津野修裁判長)は19日、判決期日を10月3日に指定した。
 2審の結論を変更するのに必要な弁論が開かれないことから、原告側のホームレス男性を逆転敗訴とした2審判決が確定するものとみられる。
 1審大阪地裁は住民登録を認めたが、大阪高裁は「テント生活は社会通念に反しており、住所とは認められない」として訴えを退けていた。


 産経新聞19日付記事からです。
 一審の大阪地裁は、公園も住居と認める、狂った判決を出していたようですが、控訴審の大阪高裁、そして最高裁は良識ある判断を示されたことで、一安心です。こんなことを認めてしまえば、ますますホームレスが大手を振って公共の場を支配していくでしょう。

 どうも、最近は、社会的弱者という「肩書き」があれば、何をしてもいいという風潮がありますが、困ったものです。社会的弱者だから借りた金は返さなくていい、社会的弱者だから犯罪をしても寛容にすべき、社会的弱者だから義務は免除されるべき等々です。枚挙に暇がありません。そして、社会的弱者は公共の場所を占拠すればそこは住居になり、住所として認められるべきだということを争っていたのが、この裁判だったわけです。

 こんなことを司法の場で争わなければならないというのは、権利の濫用を超越したものではないかと思っています。
2008年09月20日

サッカーの試合中の落雷事故訴訟、賠償命じる

試合中に落雷で障害、高校などに3億円賠償命令
 大阪府高槻市で96年8月、サッカー部の試合中の落雷で視力を失い、手足が不自由になった当時高校1年の男性と家族が、在学していた私立土佐高校(高知市)と、サッカー大会を開いた高槻市体育協会に約6億5千万円の損害賠償を求めた訴訟の差し戻し控訴審の判決が17日、高松高裁であった。矢延正平裁判長は高校と協会に約3億円の支払いを命じた。
 矢延裁判長は「クラブ活動では、生徒は担当教諭の指導監督に従って行動する」と指摘したうえで、「生徒の安全を守るべき引率教諭は一般に知られている避雷の知識を当然持つべきだ」と述べ、部活動での学校側の安全配慮義務を厳しくとらえた。協会にも同様の責任があるとしており、部活動をめぐる安全確保の現場に影響しそうだ。
 原告は高知市に住む北村光寿さん(28)ら。
 判決は、事故前の3年間に年間5〜11件の落雷死傷事故があり、同3〜6人が死亡していた▽雷鳴は遠くても危ないことを記した、入手可能な資料が当時すでに多数あった――と指摘。試合開始直前に黒く固まった暗雲が立ちこめ、雷鳴が聞こえ、雲間に放電が目撃されたことを踏まえ、最高裁判決と同様に「教諭は危険が迫っていることを予見できた」と認定した。
 さらに、落雷に対する安全対策として、高い物体の近くで、かつ物体そのものから少し離れた「保護範囲」に避難することも入手可能な資料で広く知られていたと指摘。教諭は試合中止や延期を申し入れたり、周囲のコンクリート柱の近くに避難させたりして事故を回避できたのに、漫然と北村さんを出場させた過失があったと述べ、学校は使用者責任を負うとした。
 協会については「大会が教育活動の一環としての部活動チームの参加で成り立っていることからすれば、協会も危険性をできる限り具体的に予測し、事故を防止して生徒を保護する義務を負っている」と指摘。会場担当者の過失と協会の使用者責任を認めた。
 損害額は逸失利益約1億1700万円、将来の介護費用約1億2千万円など計約3億14万円と算定。今後約50年間常時の介護が必要だとしたことなどから過去の学校災害に比べ、高額となった。家族の損害額は慰謝料など計約700万円とした。
 北村さんは96年8月に事故に遭い、99年3月に高知地裁に提訴。一審判決(03年6月)、二審の高松高裁判決(04年10月)はいずれも訴えを退けたが、06年3月の最高裁は二審判決を破棄し、審理を差し戻した。


 朝日新聞18日付記事からです。
 学校事故は、被害者が児童・生徒であるだけに、周囲の大人=教師、保護者が安全配慮を怠ると、重大な損害が発生することが多いです。判例もかなり多くある分野です。

 かつて、市教委で安全担当の仕事をしていたとき、学校事故をテーマにした研修をしたのですが、教師たちは、どこか他人事のように聞いていたのが印象的でした。
 
 学テ問題や大分県教委不正採用事件でもわかるように、教育委員会というのは、中立性という言葉を用いて、治外法権を実践しているように思っている人は多いでしょう。重大な被害をもたらした学校事故があっても、自ら教育者としての責任を負おうとする者は決して存在しません。日頃は、他人に優しい人になれとか、立派なゴタクを並べているのに、いざ自分たちのことになると、ダンマリですから、卑怯なものです。

 この事故でも、裁判で争うのではなく、話し合いで解決すべきだったものではないでしょうか。損害賠償は当然として、当時の引率教師たちに対しては、厳しく処断すべきです。
2008年09月18日

兵庫県が行財政構造改革推進条例

財政難の兵庫県、行財政構造改革の条例制定へ 
 兵庫県は十七日、二〇一八年度までに危機的な財政状況の改善を目指す新行革プランの最終案を公表した。二十四日に開会する県会で、プラン全体と、専門家による審議会設置や三年ごとの再検討などプラン推進の手続きを定めた条例の議決を得る方針。行革の取り組みを条例化するのは都道府県で初めてという。
 「行財政構造改革推進条例」と名付け、推進方策(新行革プラン)を県会の議決を経て決めるよう知事に義務付ける。推進方策に基づき、知事は毎年度の実施計画を定め、実施状況を県会に報告するとともに意見を聴く。また、県内諸団体の代表らによる「県民会議」や、地方財政の専門家による「審議会」の設置も盛り込み、三年ごとに全体計画を見直すとしている。
 阪神・淡路大震災による負担の増大から、県は過去二回にわたって行革計画を策定したが、財政状況は悪化。“失敗”を繰り返さないため条例化に踏み切った。
 最終案は、今年二月に策定した第一次プランと、八月提示の第二次案に修正を加え作成。起債を抑制しながら、一八年度までの十一年間に生じる見込みの財源不足一兆千九百八十億円と新規事業に必要な三百億円の計一兆二千二百八十億円を生み出すため、県は人件費や行政経費、投資的経費の削減をはじめとする改革で八千七百六十億円の効果を上げる。


 神戸新聞17日付記事からです。
 行財政改革に関する条例としては、2002年4月1日に施行されている「千代田区行財政改革に関する基本条例」があります。手元にある条例集をめくってみますと、6か条構成で、第4条で数値目標として、経常収支比率85%程度、人件費率25%程度と規定しています。

 平成20年4月1日施行の「多治見市健全な財政に関する条例」は、財政運営の指針、基本原則・制度を定める、35か条構成の条例です。財務諸表の作成義務(6条)を規定し、第3章では、財政状況の健全性の確保として、財政健全化法に即して規定されています。財政健全化法制定を受けて、条例化したものと思います。

 もう10年以上前になりますが、研修で「行政改革推進条例を制定すべき」と主張したら、研修所の人たちから阿呆馬鹿呼ばわりされました。行革を条例にするという発想自体、役所には存在しなかったようです。

 兵庫県の狙いは、緊縮財政となれば、多方面からいろいろ不満が出てくるのを、自治立法を盾にあらかじめ防ごうと思っているのかもしれません。議会も条例に反対しないでしょうし、条例に基づいて行財政改革を行うことで、抵抗勢力にもなりにくいでしょう。さて、どうなることやらです。
2008年09月17日

司法試験合格率33%は低い?

新司法試験 合格率33%
法科大学院 合格者ゼロは3校
 法務省の司法試験委員会は11日、法科大学院の修了生が受験できる新司法試験の2008年の合格者を発表した。受験者6261人のうち合格者は2065人で、新試験導入から3回目となる今年は初めて同委員会の想定合格者(最低2100人)を下回った。
 合格率も昨年比7・2ポイント減の32・98%で、一昨年の48・25%と比べても大幅に低下し、合格者を2010年ごろに3000人程度まで増やすとした政府目標の達成に黄信号がともる結果になった。
 今年は初めて74の法科大学院全校が受験者を送り出し、受験者は昨年より36%増加した。合格者数は東京大が200人で2年連続のトップで、中央大(196人)、慶応大(165人)が続いた。愛知学院、信州、姫路独協の3校はゼロ。ほかに一けた台の学校が31校あった。
 同委員会は合格者を段階的に3000人まで増やすため毎年の合格者数の目安を定め、今年の新司法試験は「2100〜2500人程度」と設定していた。
 合格者の性別は、男性1501人に対して女性564人。平均年齢は28・98歳で、最高齢は59歳だった。


 読売新聞12日付け記事からです。
 旧司法試験の合格率は3%程度だったと記憶しています。合格率が33%というのは、3人に1人が合格しているということですから、かなり門戸は広いというのが、法科大学院とは全く無縁の部外者の勝手な感覚です。

法科大学院別合格者数一覧表はココ

 最近、にわかに主張されるようになった、司法試験合格者数抑制論。質の低い弁護士が増えると、依頼者に不利益になるとか、過当競争になるとか、いろいろ言われています。しかし、質の悪い法曹(何をもって質が悪いと言うのかは、いろいろあると思いますが)は、今でも結構いると思います。ただ、新司法試験制度による法曹増加で生じる質の低下とは、法律的素養の低い法曹という意味でしょうね。司法修習を2年で修了できない人が年々増えているというのも、一昔前なら、考え難い現象だったと思います。

 合格率33%が低いとされる根拠として、当初、70%から80%程度の合格率と言われていたからでしょう。ところが、法科大学院が74校もできてしまい、学生の総数が6000人近くになると、合格率が低くなるのは必然です。文系の医学部になるというふれこみも手伝って、旧司法試験の合格実績がまったくない大学なども法科大学院に名乗りを上げたため、乱立することになったわけです。被害を受けるのは学生。高級車1台分ほどの学費を投資しても、合格できず、合格しても司法修習を修了できず、司法修習を修了しても弁護士事務所に採用してもらえないとなれば、法科大学院に進む人というのは、かなり限られてくるのでしょう。多様な人材を法曹として送り出すという理念は、頓挫してしまってます。

 さらに気になることは、今年不合格となって受験資格を失った人が241人もいることです。5年で3回しか受験できないという制約があるのですから、キツイ。ダメだった人は、どうされるのでしょうか。

 毎年、このニュースが流れるたびに、同じようなことを思ってしまうのかもしれません。 
2008年09月16日

金本知憲 『覚悟のすすめ』

 先週の金曜日、昼休みによく行く駅前の本屋で目にしたので、買いました。アニキのホンネ、熱い気持ちが、語りかけるように書いてあり、読んでいて気合が入りました。
覚悟のすすめ (角川oneテーマ21 A 87) 覚悟のすすめ (角川oneテーマ21 A 87)
(2008/09/10)
金本 知憲

商品詳細を見る

 いろいろなことが書いてあり、すべてが興味津々でしたが、一番興味を覚えたのは、タイガースに移籍したときのことと、打撃論について記述されている箇所です。

 2002年のオフに金本選手はFA権を取得し、カープからタイガースに移籍しています。当初は「宣言残留」を考え、カープ球団に再契約金1000万円を要求したそうですが、球団側は認めてくれなかったとともに、提示された年俸はとても低いものだったようです。金本選手に対する球団の評価は思いのほか低かったようです。
 

それより私が悲しかったのは、球団がねぎらいの言葉さえかけてくれなかったことである。(70頁)


 お金のためだけに野球をやっているわけではないのは、よく分かります。損得勘定だけで動く役人が多いことを実感している者としては、触発されます。

 金本選手がタイガースに移籍したのは、金銭だけではなく、やはり、

あまり大事にしてくれないところよりも、ほんとうに必要としてくれるところのほうがやりがいがあると考えた。(71頁)

ということでしょう。

 今季、タイガースに、カープから新井選手がFA移籍してきましたが、新井選手が移籍の記者会見で涙を流し、「カープが好きで、好きで」と言っていたのが印象的でしたが、翌日のスポーツ紙では、金本選手は、「ええ猿芝居見せてもらった」と言ったことが報じられていたのを記憶しています。金本選手の発言は、新井選手も球団からねぎらいの言葉をかけてもらえなかったことを推認しての発言だったのかもしれません。

 打撃論については、次の記述が印象的でした。
 

ボールを遠くに飛ばすにはパワーが必要と思われるかもしれないが、それは違う。・・・(中略)・・・いかにして身体全体の力をバットに伝えるかということが重要だと私は思っている。(88頁〜89頁)


 

しっかりと重心を残して腰を中心に身体の軸で回転し、強く振る。つまり、体重と遠心力と正しいバットの角度が揃えば、ボールは勝手に遠くに飛んでいくのだ。(89頁〜90頁)


 打撃論としては、おそらく当たり前のことのはずですが、これだけの実績のある選手でも、試行錯誤の末にたどり着くことに驚かされます。

 プロ野球関係者の著書では、野村克也監督の『敵は我に在り』が有名で、私の好きな言葉でもあるのですが、金本選手の『覚悟のすすめ』もこれに匹敵する名著ではないでしょうか。
2008年09月14日

斜め向きに見る、多重債務問題

自己破産させ多額報酬得る 神戸の司法書士 
 多重債務者に適切な説明をせず、必要のない自己破産をさせたとして、神戸地方法務局は十二日までに、神戸市の男性司法書士(38)を業務停止二年の懲戒処分にした。司法書士は今月一日付で、兵庫県司法書士会を退会した。
 同会によると、男性司法書士は二〇〇五年八月、同市長田区の男性から債務整理の依頼を受けた。男性は消費者金融など三社に計二百一万円の債務があったが、別の四社に計百九十七万円の過払い金があり、本来なら不当利得の返還を受け、四万円を支払って済むはずだった。
 ところが、司法書士は〇六年三月、神戸地裁に破産手続きの開始を申し立てた。過払い金の事実を伏せていたたため、破産開始決定が出された。その後、過払い分が男性側に返還されたが、司法書士が約半分を報酬として受け取ったという。
 同会は「相場より多額の報酬を得ているうえ、破産法の趣旨をないがしろにしている。司法書士として言語道断の行為」としている。


 神戸新聞12日付記事からです。
 多重債務問題は、かなり落ち着いてきたかなという印象を持ちます。それでも、まだ1年から2年くらいは、この仕事はあるとのことですから、弁護士や司法書士の方たちの活動は続くのでしょう。

 司法書士については、本来の職務である登記、供託の仕事が飽和状態になりつつあり、新たな職域を開拓する必要があるようです。現在は、多重債務者に関する仕事がその中心です。新米の司法書士の人たちは、登記や供託の仕事よりも、多重債務の仕事の方がはるかに多く、そこから得る報酬も相当な額になるようです。

 問題なのは、多重債務問題が終わった後に、どういう問題に取り組むかということです。悪い言い方をすれば、何か大きな社会問題が発生するほうが、仕事が増えることになるのです。やはり、笑う者あり、泣く者あり、です。

 法律家の方たちが、多重債務者の救済という、社会的にも注目される仕事をすることには私も好意的です。もっとも、それによって驚くような多額の報酬を得ている法律家もいるようです。聞いたところ、多重債務問題で活躍し、莫大な報酬を得た後、自己嫌悪に陥って、四国八十八箇所お遍路参りをしている法律家もいるそうです。人生イロイロです。
2008年09月13日

学力テスト問題から考える教育私論

 学力テストの結果公表に教委が消極的なことついて、橋下知事は批判的ですが、橋下知事は、府教委が府内市町村の学テ結果データを保有していないと思っているのでしょうか?

 府教委はすべての資料を保有しているはずです。持っていないわけがありません。

 知事の「教委は甘えている」という批判に、多くの市町村教委関係者は反発しているようです。図星だからでしょう。学力テストの結果を市町村単位で公表したとしても、「競争を煽る」とは思えません。A市とB市では、テストの結果に何点の差があるか判明すれば、その原因は何かを究明するでしょう。そして、実情に適応した対策を講じ、改善を図る。つまり、新たな政策が生まれるはずです。市町村間で、子どもの学力差があるとなれば、市民がどの地域に居住するか、一つの指標にもなります。その結果、地域間格差がさらに拡大するかもしれませんが、政策努力が地域の活性化に結びつくことになると考えるべきです。

 テスト結果公表によって、格差が拡大するという論調について、努力の結果、差が拡大することの何が問題なのか、理解できません。勉強をした者が上位の成績となり、サボっていた者は成績が悪い。当たり前のことです。その末路として、三流校にしか進学できず、いい就職もできず、ニート・フリーターという道を選んでいる者が、現実に多数いるわけです。

 教育関係者の中には、家庭環境の事情で学習できない生徒がいることを主張している人もいますが、では、成績の悪い子どもは、全員、家庭環境だけが原因なのかと問いたいわけです。まさかでしょう。結局は自己責任です。自覚があれば、どんな環境でも勉強できるし、実際にやっている子どもはたくさんいます。何よりも、子どものうちから、自己責任、独立心というものを徹底しておかないと、大人になってから自分が下流になったときに、やれ家庭環境に恵まれなかった、やれ国が悪い、やれ企業が悪いと、他人のセイにするだけの無責任な人間を増長させ、跋扈させるのです。

 私も、幼小中高と地元の公立ですごしてきましたが、今でも腹立たしく思っているのは、教師たちは、非行生徒などの対応にばかり力を注ぎ、真面目に勉強している者は放ったらかしだったことです。公教育の中で格差を広げてはならないという、訳の分からない原理に基づいた行動だったと解釈しています。しかし、それは誤りです。できない生徒、やろうとしない生徒に力を入れるのではなく、やろうと努力している子どもにもっと援助すべきなのです。公教育のなかで格差を生じさせてはいけないという考え方は、即刻廃棄すべきなのです。 
2008年09月12日

昨夜の飲み会

 昨夜は、政策法務研究会のメンバー有志10名とともに、関東学院大学の出石稔先生を囲んで、懇親会を開催しました。

 自治体職員から大学教授に華麗に転身された出石先生ですが、ご多忙の様子で、大学教授になったからといって、じっくりと研究に打ち込めるわけではないのが実情のようです。この点については、自治体から大学に転身された方たちから、ほぼ共通して言われていることです。一昔前、著名な刑法学者として知られる団藤重光氏が最高裁判事になられ、退官後に出版されたご著書の中で「最高裁の仕事は想像以上に忙しかった」という趣旨のことを書かれていたと記憶していますが、今、同じことを言われる方が果たしていらっしゃるのかどうかというところです。

 それにしても、研究会メンバーのみんなは口が達者です。席上、出石先生に自己紹介をすることになったのですが、一人が話し出すと、必ず誰かが口を挟む。話題があっち、こっちと飛びまくる。自己紹介がいつの間にか終わっていたという有様でした。

 出石先生も研究に教育に、ご活躍のようです。かなり遅くまで飲み会は続いていたのですが、へっちゃらでした。いや、お元気なことです。
2008年09月12日

計画も行政処分 最高裁、42年ぶりに判例を変更

区画整理「計画」段階でも提訴可能に 最高裁が42年ぶり判例変更
 土地区画整理事業がどの段階まで進んだら裁判で取り消しを求めることができるかが争点になった訴訟の上告審判決が10日、最高裁大法廷(裁判長・島田仁郎長官)であった。大法廷は、事業計画決定の段階でも取り消しを請求できるとの初判断を示し、この段階は取り消し訴訟の対象にならないとした昭和41年の最高裁判例を42年ぶりに変更した。判決により、住民が土地区画整理法に基づく事業の誤りを、裁判で問える機会が拡大する。
 争われたのは、浜松市が平成15年に事業計画決定した遠州鉄道上島駅周辺の区画整理事業。住民が事業計画の取り消しを求めていたが、1審静岡地裁、2審東京高裁はともに昭和41年の判例に従い、訴えを却下していた。
 大法廷は1、2審判決を破棄し、審理を静岡地裁に差し戻した。同地裁で事業計画が違法かどうかについて審理されることになる。
 行政事件訴訟法では、取り消し訴訟を起こせる要件として、行政の行為が「行政処分」に当たることを規定している。
土地区画整理事業は、都市計画決定後、事業計画を決め、事業区域内の所有者の土地を代替地と交換するなどして進められる。
 昭和41年の判例は、事業計画決定を「特定の個人に向けられたものではなく青写真に過ぎない」と述べ、行政処分ではないと判断。これ以後、訴訟の対象は代替地との交換以降とするのが一般的になっていた。
 しかし、事業計画決定以降でも指定区域内に自由に建物が建てられないなど、地権者の権利が制限される。また、代替地との交換まで提訴できないと、仮に裁判所が計画を違法だと判断した場合は、それまでの投資が無駄になるなど、41年の判例には批判が多かった。
 土地区画整理事業をめぐる訴訟 国土交通省によると、土地区画整理事業は現在、全国の約1400地区で実施されている。また、最高裁によると、平成10〜19年の10年間で、土地区画整理事業の取り消しを求める訴えは計154件あった。


 産経新聞10日付記事からです。
 すでに最高裁HPで判例は搭載されています。
 最高裁H20.9.10
 行政事件訴訟法改正によって、最高裁が行政訴訟の門戸を徐々に拡大しています。立法府が司法に対して、もっと積極的になれという動きをしていることに、抵抗するわけにはいかないでしょう。個人的関心は、自治体ではなく、国が当事者となっている行政訴訟で、最高裁がどの程度、遠慮なく敗訴を言い渡すようになるかです。自治体が敗訴することには無神経であっても、国の敗訴には最高裁も慎重になると思われるからです。
 改正行政事件訴訟法では、5年後の見直し規定があります。最高裁が消極姿勢のままなら、さらなる法改正がなされるかもしれません。国会の政治状況との関係でも、興味深いところです。
2008年09月10日

神奈川県、受動喫煙防止条例案を公表

神奈川県が全国初の受動喫煙防止条例へ、一部施設に猶予も
 神奈川県は9日、不特定多数の人が利用する施設を対象に、全国で初めて室内での禁煙や分煙を義務づける受動喫煙防止条例の骨子案を公表した。
 当初は、すべての施設を全面禁煙とする方針だったが、レストランや居酒屋などは、仕切りを設けて分煙することも認め、喫煙率が高いナイトクラブやバー、パチンコ店などは義務付けを3年間猶予する。今年度中に制定し、半年間の周知期間を経て施行する。
 骨子案では、学校や病院など公共性の高い施設のほか、劇場や結婚式場、百貨店など大勢が集まる施設は原則禁煙とし、喫煙ルームでの分煙も認める。レストランや居酒屋、ホテル、ゲームセンターなどの商業施設は、禁煙か、仕切りによる分煙かを選択できる。施行から半年後の罰則適用を目指す。
 条例案を巡っては、松沢成文知事が今年4月、全面禁煙の方針を示し、業界団体代表者らから意見聴取した際、飲食店経営者などから「客足が落ちる」などと反発が相次いでいた。
 松沢知事は9日の記者会見で「受動喫煙防止の第一歩。将来的に全面禁煙にしたい」と述べた。


 読売新聞9日付け記事からです。
 私はタバコをまったく吸いません。一昔前までは、同じ職場で、スパスパと気分良く喫煙しているのは、当たり前の光景で、喫煙者が一種の特権を享受しているかのような時代が長く続いていたわけです。しかし、受動喫煙という言葉が生まれてからは、マナーの悪い喫煙者が多くなれば、規制が厳しくなる時代になっています。受動喫煙というのは、非喫煙者からの反撃を意味する言葉だったのでしょうか。

 私見は、公共施設も含めて、分煙が徹底されていれば、構わないという立場です。喫煙を禁止する空間が増えることに対しては、何か違う形で反動が生じるのではと思ったりします。
 政策法務の立場からは、独自の規制条例が制定されることには関心を向けることになりますが、規制によって、喫煙者を排除するような効果を狙っているのであれば、賛成しかねます。
2008年09月09日

昨日のNHK「激論!どうする?税金」を見て

 昨夜9時からNHKで放映された、税に関する討論番組。ほぼすべて見ました。会社員、モデル、地方公務員、経営者、税理士など、かなり広範囲の様々な市民が参加されていました。

 増大する社会保障費のために、今、消費税を増税すべきだという人は、3割くらいで、5割から6割が反対という調査結果を示されていたと思います。その前に、まずは行革で無駄を削るのが先だということで、増税はその後だというのが、大方の意見というのは、真っ当な気がします。

 現在、社会保障費は約21兆円。消費税5%、12兆5000億円のうち、1%分は地方消費税ですから、国庫には約10兆円の消費税収入があるわけです。計算上、社会保障費の半分弱しかまかなっていないわけですから、現在の社会保障費を全額消費税で充当しようとすれば、10%程度にする必要があるのは、分かりやすい議論です。ただし、踏み込みが不十分だと思ったのは、では、現状、残りの11兆円ほどの社会保障費の財源内訳はどうなっているのか示されていなかったことです。例えば、他の税からいくら、赤字国債でいくら、という構成を明らかにし、消費税10%によって社会保障費を全額充当するとともに、これまで充当していた赤字国債をいくら削減するとともに、充当していた他の税はこういう目的に充当するというものが不明確なままでした。

 消費税は逆進性がある、高額所得者の負担率と低所得者の負担率を比べると、低所得者の負担率が高いということもデータで示されていました。番組の中で、しばしば、「公平性」という言葉がでてきました。パネリストとして出演されていた、伊吹文明・財務大臣は、公平性というのは、人によって意味内容が異なるという趣旨の発言をされていました。確かに、低所得者たちは低所得者としての言い分が、高額所得者は努力して、儲けているのに、なぜ半分も税金として納めなければならないのかという言い分が、それぞれあり、普遍的な概念ではないことを改めて認識したところです。

 竹中平蔵氏と森永卓郎氏の対立は鮮明でした。構造改革をしていなかったら、日本はもっとひどい状態になっていたと主張する竹中氏、構造改革で格差が拡大したと批判する森永氏。私見は、竹中説に寄りつつも、過剰な格差発生は、社会情勢が不安定になるため、軌道修正は必要だと思っています。森永氏は「社会民主主義者」だそうです。ナルホド

 面白かったのは、増税に反対しているにもかかわらず、将来の社会保障制度について、高負担・高福祉のスウェーデン型か、低負担・低福祉のアメリカ型かと問われたとき、参加されていた市民の中で、スウェーデン型を選んだ人が多かったという点です。しかし、参加されていた市民の中に、すでに1000兆円近い借金をしている今の日本国家において、スウェーデンのように国民負担率70%にしたとして、同様の福祉を受けられるか疑問だと指摘されていた点にはうなずけました。

 それにしても国会と同じく、他の人が発言しているにもかかわらず、それをさえぎるようにして声を大にして自分の意見を言おうとする態度の参加市民には、嫌悪感を覚えました。明らかに特定政党の回し者ではないかと思われるような、大企業批判を繰り返す偏向的な主張をしている女性参加者がいましたが、見ていて非常に気分が悪かったです。司会役のアナウンサーが四苦八苦していたのが印象的でした。 
2008年09月07日

「請求できる」と「要請」

 普通の市民が、役所からの書類や、電話での応答の中で、「請求できる」という文言を見たり、聞いたりすれば、当然、「もらえるもの」と思うはずです。その普通の感覚がわかっていないのが今の職場にいます。

 先日、担当する事務について、市民への説明のための書面を作成する必要がありました。そこには、「○○の場合、A市に対して、△△給付金を請求できます」という文案を作成されたわけです。

私:「この説明を見たり、聞いたりしたら、普通の人は、請求すれば、すべて給付金がもらえると思いますよ。トラブルのタネを蒔くようなことはやめてください」
上司:「そんなことは分かっている。だから、後ろに、支給できない場合もあるって、書いているだろ」
私:「あのね、何年A市で仕事をしているんですか。A市の市民が自分に都合の悪い条件を受け入れないことくらい知っているでしょ」
上司:「なら、どんな説明がいいのか、お前が考えてくれ」

 おいおい、職務放棄か?とは言いませんでしたけど。

 結局、
 「○○の場合、△△の給付金が支給される場合があります。詳しくは、A市○○課にお問い合わせください」
 ということでまとめました。文書で細かくと書くと、かえって混乱するという判断です。これがベストかどうかは、ともかく。

 話は変わりますが、最近、「要請」という言葉も目にする機会が多いように思います。大阪府の橋下知事が、学力テストの結果開示を市町村教委に「要請」するように言ったとか。条例や最高裁判例の中にもそれが見られます。小田急線連続立体交差事業認可処分等取消請求事件の最高裁判例(H18.11.2)が、それ。

 この判決では、まず、東京都環境影響評価条例(平成10年改正前のもの)は、事業者が環境保全について適正な配慮をするため、環境影響評価書を作成し、提出を受けた都知事は、都市計画決定権者にその内容について十分配慮するように要請しなければならないとしている(25条)ことを述べたうえ、次のように判示しています。

 本件鉄道事業認可の前提となる都市計画に係る平成5年決定を行うに当たっては、・・・・(中略)・・・東京都において定められていた公害防止計画である東京地域公害防止計画に適合させるとともに、本件評価書の内容について十分配慮し、環境の保全について適正な配慮をすることが要請されると解される。



 この「要請」という表現を用いていることに、その法的意味は一体どういうものなのか、自治実務セミナー9月号で、北村先生(上智大)が疑問(悩み)を呈されています。普通には、「強く願いでる」くらいの意味だと思いますが、要請を拒否したとして、それが違法性を生み出すものなのとなれば、新しい意味が加わることになってしまうわけです。 
2008年09月06日

元社会保険庁長官の最高裁判事、辞任

最高裁判事 横尾氏、依願退官へ 元社保庁長官 異例の定年前
 最高裁は4日、横尾和子最高裁判事(67)が依願退官すると発表した。本人から「事件処理上の区切りがつき、重責から離れたい」との意思が示されたという。最高裁は内閣に対し退官の手続きをとっており、閣議決定などを経て正式に退官が決まる。
 最高裁によると、70歳の定年前に依願退官した最高裁判事は過去9人いるという。しかし、健康上の理由以外で定年前に辞めるのは異例。横尾判事の定年は平成23年4月で、約2年7カ月の任期が残っていた。
 横尾判事は旧厚生省で大臣官房審議官や老人保健福祉局長などを歴任、平成6〜8年に社会保険庁長官を務めた。13年12月、女性として2人目の最高裁判事に就任。在職期間は6年9カ月と、現職最高裁判事では最長となっていた。年金記録の不備問題などで社保庁長官だった横尾判事の責任を問う声もあったが、最高裁は「辞任とは関係ないと聞いている」としている。


 産経新聞8日付記事からです。後任には、旧労働省女性局長の桜井竜子氏が任命されるようです。最高裁は、横尾判事の辞任と年金問題の責任とは無関係としたいようです。しかし、そもそも、年金制度を無法化させた歴代の社会保険庁長官の責任は重大ですし、そのような人物の一人が司法の一翼を担っていたとなれば、司法制度に対する信頼は、さらに低下するでしょう。ここは潔く、元社会保険庁長官として、責任を感じているとはっきりと言って辞任するべきです。

 裁判官に限らず、例えば社会保障の研究者の中には、厚労省OBも少なくないと思います。社会保険庁長官経験者もいるでしょう。そういう学識者たちは、自分の責任をどう考えているのか、披露してほしいものです。自治体福祉現場OBのエセニセ福祉学者の跳梁跋扈を放置したままでも困りますが、国家の基幹的制度を破壊した責任について黙秘を続けていることは、卑怯ではないかと思うわけです。社会保険庁の職員たちの責任を問うのは当然ですが、現役職員だけの責任ではないはずです。しかも、現場ばかりが責任を負わされ、トップの責任は曖昧なまま済まそうとしていることに、苛立ちを覚えるわけです。
2008年09月05日

ブログに逆切れ、茨城県議会

ブログに逆切れ? 茨城県議会が傍聴の規制強化
 茨城県議会での議員の言動がブログ(インターネット上の日記)で批判されたことが契機になり、議会の傍聴規則が3日改正され、規制が強化された。必要と認められると傍聴希望者は身分証の提示を求められ、写真撮影や録音の許可が下りにくくなった。
 都内在住の男性が作成するブログが問題視された。男性は茨城空港をテーマに多数の記事を掲載、傍聴した6月定例県議会も取り上げた。常任委員会などでの県議や県幹部の言動について論評し、居眠りする県議の写真を載せた。
 ブログを見た一部の県議が「傍聴目的として適切なのか」と声を上げ、傍聴規則改正の動きが出始めた。改正規則では、傍聴者による写真撮影や録音は、県政記者クラブ所属の報道関係者と「公益的見地から必要と認められる者」に限定。後者は市町村の広報担当者や会派関係者を念頭に置いている。
 新規則に従うと、「資料のため」という目的で男性がカメラの持ち込みや撮影を希望しても、「今後は『許可できない』として処理する」(議会事務局)という。
 「公益的」の定義については、規則改正について議長報告があった議会運営委員会内でも異論が出た。自身もブログを積極的に活用している公明党の井手義弘県議は「世界に向けて主張するブロガーもおり、時代は変わってきた。特定の議員を非難することが公益的な議論に反しているかどうかはわからない」と語り、議長が「公益」を判断することに疑念を呈した


 朝日新聞4日付記事から引用です。
 居眠りしている様子をテレビで中継されていることには寛容であっても、インターネットで広まることに「恐ろしさ」を感じているということでしょうか。ネットというのは、ある程度継続性があり、テレビのように、一時的に流されるわけではありませんので、影響が大きくなることがあると思います。そのせいか、議会での自分の発言が、議事録に掲載されることには平気でも、ネットで流れ出すことに対しては、「公益性を害する」として規制したくなるのでしょうか。

 今は、高性能な小型ボイスレコーダーもあり、いくら規制したところで、発言内容の録取を完全に防止することはできないと思います。実際、録音許可がなされていない常任委員会を傍聴する運動団体関係者たちは、無許可で議員の発言を録音し、それにもとづいてビラを作成し、配布しているという話を聞かされたことがあります。罰則もなく、逆に時代遅れの痴呆議会と批判のネタを提供することになりかねません。

 居眠り議員というのは、傍目にも見苦しいです。地方議会の場合、本会議は原稿棒読みの質問と答弁が基本。常任委員会は、議案の審議として、当局に質問し、これに対して当局が答弁するというのが基本。丁々発止ということは、まだまだ少ないと思います。常任委員会で居眠りする議員はいないでしょうが、本会議というのは、質問している議員以外は、かなり退屈なようです。福田首相と同じく、「他人事」になってしまうのでしょう。居眠り議員さんからは、「あなたとは違うんです」、と言われそうですが。
2008年09月04日

| HOME |