中国の公務員採用試験事情 自治研究第84巻第5号(第一法規)で、「中国における公務員採用試験の法的素養強化とその意義」という論説が掲載されています(51頁以下)。2007年3月15日に九州大学で開催した国際シンポジウム「法教育に関する日中比較」において、中国人民大学法学院の莫教授がなされた報告を基に改稿した論文の翻訳です。中国の公務員採用試験について、興味深い記述があります。
中国では2006年1月1日から「公務員法」が施行され、採用は公開試験により、平等・公正・公開・択優という原則となっています。2006年って、ついこの間からということになりますから、それまではどうやっていたのかと思ったところ、公務員法を実施する前の3年間に、全国で70万人の公務員が増加したものの、試験による採用は6割余りというこです。勝手に試験科目と手続を簡略したり、多種多様なカンニング手法が現れたり、面接官に賄賂を贈ってコネや裏口採用となったり、採用した後に試験を受験させたりと、凄い状態だったようです。 中国の「公務員の最も重要な義務は、憲法と法律を模範的に遵守することであり、その基本的な職責は法に基づいて行政を行うことであ」り、「公務員は必ず良好な法的素質を備えなければならない」とされています。採用試験では、法知識に関する試験問題の割合が大きくなっており、2007年中央国家機関公務員採用試験の第四部分(常識の判断)25問のすべてが法律常識で、これは初めてのことだったそうです。また、法知識に関する試験問題は難しくなっており、法知識を掌握するレベルを考査するだけではなく、法知識を運用する能力まで考査することになっていると。かなり難しい試験であることが想像できます。 中国の公務員が法的素養を厳しく要求されている社会的背景には、改革開放と社会体制変化による思想・意識・観念の変化があること、1999年憲法改正によって社会主義法治国家を建設することが明記されたことなどがあるようです。 これからの中国は、法治主義という点においても、進展していくということでしょうか。マスコミ報道だけ見ていると、中国に「憲法」があることが意外でした。そもそも中国に基本的人権というものが存在するのかと疑問に思っていたくらいです。急速に変革している中国ですから、知らぬ間に、日本の公務員、特に自治体職員の法律レベルなど、抜き去ってしまうかもしれません。
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続・後期高齢者医療制度 気になったので、続編の記事を書いておきます。
後期高齢者医療制度の運営主体は、都道府県の区域ごとに設置される、すべての市町村が加入する広域連合です(48条)。自治体職員ですら広域連合に詳しい人は、それほどいないでしょうし、ましてや市民が詳しく知っているはずもない。広域連合とは、そもそもは特別地方公共団体の一種であり、その中の地方公共団体の組合とされるものの一つの形態です(地方自治法1条の3、284条3項)。 広域連合について規定している地方自治法を読むと、広域にわたり処理することが適当であると認めるものに関し、広域計画を作成し、協議により規約を定めて、総務大臣又は都道府県知事の許可を得て、設置できるものとなっています(284条3項)。設置するかどうかのインセンティブは、あくまで普通地方公共団体(都道府県、市町村)と特別区にあるとされているのです。にもかかわらず、後期高齢者医療制度では、法律で広域連合の設置を義務づけていることで、地方自治法の原則を踏み出しているものになります。これに対しては、法律で例外を認めるのであるから、違法性は問題にならないから良いという意見が出されるかもしれませんが、本来は、地方公共団体の組合という団体は、あくまで地方側に設置の有無について主導権があるべきもので(地方自治法が、都道府県知事に広域連合設置の勧告権を認めているにすぎない)、法律で強制することに自治体関係者から誰も異論を出さなかったのは不思議です。 厚労省が広域連合に目を付けたのは、都道府県にその事務を負わせると都道府県が嫌がる、市町村なら尚更ということで、これなら嫌々でもするだろうと判断したのでしょうか。広域連合の議会の議員と長の選挙は、規約で区域内の有権者による投票か、広域連合を組織する地方公共団体の議会、長が投票することによって行うことと規定されています(291条の5)。有権者による投票ではなく、議会と首長の投票で選挙される仕組みを規約で導入すれば、市民の意向が反映されない仕組みを用意できるということも、厚労省が狙った理由かもしれません。 すでにメディアで評論家などが指摘しているように、運営主体が広域連合であるため、市民は市町村長にも知事にも議員にも苦情を言えないようにしているのです。制度の運営の良し悪しを「投票」で決めることができないように封じ込めていると解釈できるのではないでしょうか。 後期高齢者医療制度は、保険料など負担の問題ばかりではなく、その全体的な法的仕組みという点においても、かなり問題のある制度になっていると思います。
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後期高齢者医療制度 4月から開始された後期高齢者医療制度への批判がおさまりそうにありません。朝からテレビで、みのもんたさんがほとんど毎日のように批判されていますし、先日の山口補選で民主党が圧勝した大きな理由とされています。
根拠法は「高齢者の医療の確保に関する法律」で、小泉内閣時代に数に物を言わせて強行採決をして成立させた悪法です。強行採決してでも実施したかった制度ということは、政府にとっては「とても良い制度」ということになります。フクダ総理が「いい制度だ」と言っているようですが、強行採決しているくらいですから、そういう認識でいるのは当然でしょうね。 後期高齢者医療制度ばかりが目立ちますが、この法律は、第1章総則のあと、第2章は「医療適正化の推進」を定めています。つまり、これまでの高齢者の医療は不適正だったという認識が根底にあると解されます。国が医療費適正化基本方針、全国医療適正化計画、都道府県医療費適正化計画と、「医療費適正化」のオンパレードです。この法律の主旨がどういうものかがよく分かります。 悪評高い後期高齢者医療制度は、この法律の第4章に定められています。つぶさに法律を読んでいるわけではないのですが、最初に気づいたのは「後期高齢者」という概念について定義規定がないことです(第7条)。私の理解では、何らかの制度に関する法律では、最初の方に、重要な概念などは定義規定があるものだと思っているのですが、定義規定である7条を見ても後期高齢者の定義は見当たりません。第50条で、後期高齢者医療の被保険者について規定しており、そこで75歳以上の者が被保険者になるとしているのです。ついでに言うと、50条では、65歳以上75歳未満の障害者も後期高齢者医療の被保険者になることが規定されています。高齢の障害者をも別枠にするという制度のようです。障害者団体の方たちの声が余り報道されていませんが、どうなのでしょうか。 これも批判が多いと認識していますが、第51条で、後期高齢者医療の被保険者は、75歳に達したとき「資格を取得する」と規定されています。国民感情からすれば、欲しいわけでもない資格を、法律で無理やり与えられているということになるわけです。 法律が公布されてからおよそ2年間の準備期間を経て、開始されたのですが、自治体関係者でさえ、この制度を知っている人は極めて少なかったはずです。ましてや一般市民が知りうるわけがない。厚労省はこの間、ダンマリを決め込んで、短命促進政策を何が何でも敢行しようと考えていたのでしょうか。厚労省の幹部は、かつての老人医療制度は負担と給付の関係が不透明であったことなどを理由に、この制度の意義を強調されているようです。しかし、私が疑問を持ったのは、様々な関係者と議論を積み重ねて合意に至った制度だという言い方です。様々な関係者の中に、制度の主人公であるべき高齢者の意見がまったく反映されていない、そもそも高齢者たちに周知することさえせずに、ドサクサ紛れに制度を作り上げたことに対して厚労省幹部は何も言及していないことは理解に苦しむところです。 数年前、厚労省に派遣されていた者から教えてもらったことは、厚労省ではいまだに裏金で飲み食いする慣習が残っているということです。負担を押し付ける前に、こうした卑しく、浅ましい態度を改め、国全体の無駄を消滅させるということは、どうしても行おうとしないわけです。これでは負担させられる高齢者も、そして、将来高齢者になる我々も、とても納得できるものではないのです。
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大阪高裁、偽装請負に警笛
政策法務とは直接関係のないテーマですが、やはり関心を持ちます。毎日新聞26日付記事です。 松下電器がこういうことをしているとは情けない。創業者は企業の発展とともに、労働者を大切にする人だったはずではないでしょうか。それがどんどんおかしくなっているのでしょうか。最高裁まで争われるようですが、この際、最高裁は現在の労働搾取問題に決着をつけてもらいたいものです。 ちなみに、偽装請負、あるいはワーキングプアの問題は、自治体でも多数存在しています。臨時的任用職員や嘱託職員、あるいは、人材サービス会社からの派遣社員などの人たちは、公務員法制の適用が限定されていたり、適用対象外となっているわけです。臨時職員などは、身分保障はなく、雇用期間は最長1年。退職金もありません。一昔前なら、役所のアルバイトというのは、若い女性が役所で自分の「伴侶」になる人を探すことを主目的にしている人が多かったはずです。もちろん、今も、そういう人はいると思いますが、むしろ、家計を支えるために公務職場で働くことを選んでいる人が多くなっているのではないかと思います。 長年、労働運動が下火になっていましたが、今後は、低収入の人たちが労働運動に参加することで、全体の底上げに結びつくことになるかもしれません。
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光市事件をめぐる青山学院大准教授のブログ発言
この御方のブログは以前から存じ上げていました。現役大学准教授としては、かなり苛烈な表現をされています。 ブログでは、テーマによっては賛同できる記事も多かったのですが、光市事件についての記事は、私も反感を持ちます。もっとも、少年に死刑を適用すべきではないという考え方は、評論家の宮崎哲哉さんも同じだったと思います。投票権などの権利行使が制約される未成年者に処罰だけを科すことは適当ではないという意見は、論理としては理解できるところです。しかし、赤ん坊の命を0.5人というのは、どう考えても受け入れられるものではないです。 この方は、働く女性としてとてもプライドの高い人のようです。一方で、専業主婦を敵視するなど、かなり差別意識を持っているように思います。ただ、たかが個人ブログでの発言くらいで、騒ぎ立てすぎるのは、言論の自由が未成熟な国であることを改めて認識させられます。青山学院大学学長が謝罪文を掲載したというのも、結局は、大学に抗議があったからで、めぐりめぐって、結局は言論規制になっているということでしょう。大学が言論規制を促すようなことをするのは、慎重になってもらいたいものです。
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光市母子殺害事件、広島高裁が死刑判決 政策法務とは直接関係のない記事ですが、これは無関心というわけにはいきません。
毎日新聞22日付記事からです。広島高裁の裁判長がどのような御方なのかは、現時点では存じ上げませんが、弁護団と心理学者が創造した架空の物語を一切認めず、裁判官としても慎重になる極刑を選択されたことに敬意を表したいと思います。被告・弁護側は最高裁に上告するようですが、ここまで反省していない被告人というのも稀有な存在ではないでしょうか。 この判決後、町村官房長官が、刑事事件の被害者(注:当初、被告人と記述していましたが、誤記でした)の権利について、これまで配慮が足りなかったと発言されたようですが、これもまた遅まきながら、好意的に受け止めてしまいます。一方で、判決後、被告弁護団が開いた記者会見に、日本テレビ系列の記者の出席を拒否したというのは、左翼系弁護士ならではということでしょうか。事前に取材内容を教えるように要求する弁護士というのは、どういう考えなのか、理解できません。
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全面改正される行政不服審査法 4月11日、行政不服審査法改正法案が衆議院に提出されました。平成16年に行政事件訴訟法が大改正されてから、かなり早い時期から行政不服審査法が改正される情報を聞いていましたが、早いもので、国会提出にまでこぎつけたようです。
行政不服審査法改正については、まず、総務省の要請を受けて財団法人行政管理研究センターが取りまとめた「行政不服審査制度研究報告書」が出されたのが平成18年3月でした。そして、同年8月に出された「行政不服審査制度の特定事項に関する調査研究報告書」では、行政指導、行政指導以外の事実行為及び行政上の契約に関しての報告です。段階を踏んで、平成19年4月には行政不服審査制度検討会が「中間とりまとめ」を出し、同年7月に「最終報告」が出されました。 その後、総務省を中心に改正作業が進められていたようです。改正法案は、現行法よりも条文数がかなり増えて、5章構成、77ヵ条となっています。現行法が施行されたのは1962年(昭和37年)10月1日ですから、改正するとなれば多くの論点を慎重に検討しなければならないと思います。関係法律の整備に関する法律もあわせると大規模な法整備になります。 ただ、改正法が施行されたとして、果たして国民の権利利益の実効的な救済が、現行法と比べてどれくらい向上するのかは、まだ懐疑的です。第1条の見出しが、現行法では「この法律の趣旨」とあるところ、改正案では「目的等」になり、現行法の主語が行政側になっているのに対して、改正案は国民になっていることで、改正の意図を明らかにしようとしていると読めるのですが、そもそもの改正目的が、国民の権利利益を救済しようという純真な(?)気持ちで官僚が法案を作るわけがないですから。一説によると、総務省の担当部署が人員削減の対象となり、それを防止するために編み出したのが行政不服審査法改正だったという指摘もあるようです。まさかそんなことはないだろうと思いつつも、行政事件訴訟法と違って、行政不服審査法は裁判官が関与しない紛争解決のための法システムですから、どんなに立派な制度を作ったとしても、運用次第でどうにでもなると曲解することも、あながち不可能ではないわけです。 それでも、改正について検討が開始された頃から、大きな関心を持ち続けてきた者としては、今後の国会での法案審議の行方、そして改正法成立後の動きにも、注視していこうと思っています。さて、行政不服審査法が改正されたあと、総務省はどの行政法規の改正に取り組むのでしょうか。行政代執行法でしょうかね。この問題は、いずれ。
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北海道滝川市生活保護不正受給事件
少し古いですが、2月9日付朝日新聞記事からの引用です。 かなり前に、滝川市職員と名乗る方から、私信メールをいただき、生活保護受給者で不審者がいるということで、相談を受けていました。私のメルアドをどなたかから教えられたのか、そのあたりの経緯は記憶があやふやになっています。私は、内容から、まず、滝川市から札幌まで何故通院の必要があるのか、十分に検討すべきじゃないかといった趣旨の返答をさせていただいていたと記憶しています(残念なことに、その後、私有のパソコンが故障し、メールがすべて消滅するという悲劇が起こったため、記録が残っておりません)。 市職員も生活保護予算の執行に疑問を持っていたのです。滝川市の対応は、余りにもずさんで、ひどすぎます。 生活保護法の運用であまり問題視されていないのが、この不正受給の対応です。福祉は聖域という誤った意識が、福祉関係者に蔓延していることが、このような信じがたい血税の垂れ流しを発生させてしまうのです。 また、滝川市の事件でわかるのは、生活保護では、医師の診断がいかにいい加減になされているかということです。北大病院は調査を拒否したということですが、要するにカルテを見られれば、病気などしていないことが判明するためでしょう。 どの自治体も財政難で、倹約とともに徴収すべきものは徴収するという姿勢を強く打ち出しています。納税者に説明できるような予算執行をしなければなりません。貧困者、社会的弱者が、免罪符を持っているという誤った理解を、自治体職員はすべきではない。責任はしっかり追及すべきであると思います。
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死刑制度と死刑執行 小学館から月2回発行されている、SAPIO(サピオ)という雑誌の2007年12月12日号で、「世界標準で考える21世紀の死刑大研究」という興味深い記事が掲載されています。
その中の一つである、元刑務官でノンフィクション作家の坂本敏夫氏による完全ドキュメント「死刑執行の一日」は、実際に死刑執行をこの目で見る機会もなく、具体的にどうやって執行されるのか知らない多くの国民にとって、分かりやすい記事だと思います。特に印象に残った箇所を引用しつつ、私見も述べていくことにします。 死刑囚は、刑務所ではなく、高等裁判所所在地の拘置所に収容され、被告人に準じた扱いを受けていて、独房と運動場、入浴場を行き来する生活を繰り返しているそうです。刑務作業を課されていませんし、自由な時間を持て余しているようです。中には請願作業をして被害者家族への償いの金を貯める者もいるそうですが、お菓子を食べて週刊誌を読み、刑務官に悪態をついてわがままに暮らす死刑囚も多いとのことです。ここらあたりは、私は、なんとなくイメージしていたのと大差ありません。拘置所で生活をしているというのは、知りませんでした。 死刑囚処遇のモットーは、「逃がさず、殺さず、狂わさず」で、かなり大目に見ることが多いようです。以前は、2日前あるいは前日に死刑執行が言い渡され、家族にも通知して最後の面会の機会が設けられていたそうです。しかし、通知された死刑囚が自殺した事件があり、その後、現在のように「極秘事項」となったとのこと。死刑囚は死んではじめて刑の執行が完了するため、あくまで絞首で殺さなければ死刑の意味がない、とは刑務官OBならではの発言でしょうね。 1984年11月、免田事件で再審無罪判決を勝ち取った免田栄氏とお会いする機会がありました。大学祭のシンポジウムに、特別ゲストとしてお越しになったのです。シンポジウムの中で、免田さんは、「死刑囚が一日の生活で最も恐れるのは、朝。刑務官が自分のいる独房の前で立ち止まり、施錠を解除されたら、死刑執行だからだ。刑務官が通り過ぎるまで、毎日、ものすごい緊張した」という話をしてくれたのを、今もよく覚えています。私が、刑事裁判や死刑制度に、ずっと関心を持ち続けているのは、学生時代に、免田事件、甲山事件という2つの代表的な冤罪事件の当事者のお話をじかにお聞きする機会があったことが、大きく影響していることは、間違いありません。 さて、坂本氏の記事では、朝9時30分に執行する死刑囚が出房させられるようです。死刑囚たちは、死刑執行が午前中になされることを知っているようで、午後になるとほっとするとあるから、免田さんの話と大きな矛盾はないと思います。死刑執行されると分かると、自ら歩行できない死刑囚もいるようで、物凄い恐怖感を覚えるのは理解できます。もっとも、その死刑囚に殺された被害者や遺族は、もっと苦しめられていることを考えれば、これくらいは当然ではないかとも思います。 死刑執行後、5分間はぶら下がったままの状態にしておくそうです。蘇生させないために規定された死刑執行方法の通達に基づいた処置で、その後、検察官と検察事務官は死体検案書を作成し、立会い業務を終了すると。死刑囚の遺体の引き受けは稀で、火葬後の遺骨の引き受けが多いようです。それも容易に理解できますね。 この雑誌では、橋下徹弁護士(現大阪府知事)による記事も掲載されています。死刑廃止論者として知られる菊田幸一氏(明治大学名誉教授、弁護士)は、テレビ番組で、「犯罪者にとって、凶悪事件であっても、それは人生の一コマに過ぎない」と、犯罪者には今後の人生を送らせることを優先すべきだと語ったそうです。橋下氏は、これに対して、「それなら被害者は何なのだ、子どもが殺されたことは人生の一コマと遺族の前で言ってみろ」と声を上げたそうです。スタジオからも非難のどよめきが起こり、菊田氏は驚いていたとのこと。 死刑執行の現実を知ることで、死刑廃止論者たちが勢力を増すのか、情報公開することで犯罪抑止策として死刑の有効性を知らしめることはいいことだとして、死刑存続論が反転攻勢をかけるのか、侃々諤々になればいいと思います。私は、冤罪の防止と死刑存廃とは別問題であり、どちらかと言えば死刑存続に傾いています。また、少年に対する死刑の是非については、一律的なものではなく、本人が更生可能かどうか、その場合の更生とは、単に犯罪をしないという消極的なものではなく、遺族に謝罪し、民事的な賠償ができるのかどうか、社会人として貢献できるのかどうかなど、かなり厳格な審査を行ったうえで決定されればいいと思っています。その点では、光市母子殺害事件の被告人については、死刑はやむを得ないと思っているところです。
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行政不服審査法等における不当性の概念 違法・不当な処分その他公権力の行使(行服法1条)、違法若しくは不当な公金の支出(自治法242条1項)という場合の、不当です。
違法ではないけど、制度の趣旨・目的に照らし裁量権の行使が適正を欠く場合(宇賀、行政法概説U、1頁)。パラパラと見ただけですが、宇賀先生の教科書には、これしか説明がないと思います。塩野、行政法Uには、不当概念の説明がない・・・ 実際の「異議申立書」では、当然、法律の素人である市民が書いたものですから、「情緒的」な文面が多いです。それでも、異議申立は受理します。ここらあたりが裁判と異なるところでしょうか。 鈴木秀洋「不当要件と行政の自己統制」(自治研究83巻10号、2007年)は、不当概念についての論文です。鈴木論文は、「試しに、自らが審査担当なり、裁判官となってみて、適法だが不当という裁決(決定)・結果を出す場合を想定してみよう。不当という用語の不明確性に気づくはずである」と述べられています。そして、現場では、「違法・不当の一体判断」がなされているのが現状であると指摘されています。違法・不当の一体判断の類型として、違法・不当一体型、著しい不当限定型、一応の分離型という3つの類型を提示されています。そして、最後の類型の自治体が少なくないと述べられています。 鈴木論文では、提言として、行政事件訴訟法9条2項のように、不当の解釈基準を法定し、住民監査請求制度・行政不服審査制度共通の解釈基準として、代替案の検討を導入することが主張されています。この場合、不許可処分の代替案を許可処分と捉えるべきではなく、結論として不許可処分であったとしても、行政手続過程における説明責任等の検討が行われたのかも、代替案の検討であるとされています。 実務のあり方として、異議申立への応答をするために、処分が違法かどうかではなく、例えば、参照すべき資料を見落としていなかったかどうか、データの読み間違いはなかったかどうか、複数のデータの整合性に判断ミスはなかったか、などを再度精査することが、不当性を排除するために必要ではないかと思います。そこで、データを見落としていた、読み間違えていたとなれば、「不当だった」ということになります。そして、そのため違う結論を出すべきとなれば、申立を認容することにもなるのです。しかし、結論は一緒だということも多いですから、一応の分離型で、代替案の検討に近いことになるでしょうか。
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自治体コンプライアンス(1) コンプライアンス条例 自治体法務NAVI Vol18(2007年8月25日号)の政策条例NAVIで、田中孝男・名塚昭「信頼される行政運営のために〜コンプライアンス条例のベンチマーキング〜」のほか、大阪市と神戸市の職員が執筆したコンプライアンス条例の論稿が掲載されています。
コンプライアンスについては、私も、この数年間、職場において、反復・継続して主張してきていますが、ついに何ら根本的な改善改革はされることなく、対症療法的対応に終始してきたため、正直、あきらめたというのがホンネです。ちょうど1年ほど前になりますが、阿部泰隆教授(中央大・弁護士)から、「君のところの役所は、違法行為はなくなったのか?」と尋ねられ、即座に、「いいえ」と応答してしまったのが、私の偽らざる心境です。 大阪市や神戸市のように、重大な違法行為が表面化し、その事後対策ということで、コンプライアンス条例を制定し、体制を立て直し、市民の信頼を回復させるということに対しては、必ずしも否定的ではありません。政策法務を主張している以上、重要政策の条例化を推進すべきだという基本的考え方は持っているつもりです。しかし、そもそも多くの自治体職員が、法令や条例を読んでいないという事実をどうするのかという根本的なところにメスが入らない。読みもしない条例をいくら作っても、それを「遵守する」とどうやって実証できるのか。 自治体職員に共通していて、誰もが絶対に関係している条例の代表格は、「給与条例」だと思います。では、給与課の職員は、皆、給与条例を正確に説明できるかと問えば、否でしょう。最近の実例を紹介しておくと、こうです。 超過勤務手当の支給について、予算不足のため、サービス残業が当然で、せいぜい振替休日で対応することが、事実上強制されている自治体が多いと思います。多くの場合、振替休日は、「3ヶ月以内」なら取得できるとしていました。ところが、最近になって、労働基準監督署から、振替休日も当該月に取得させ、かつ、振替休日を取得できなかったら手当を支払えという、言われてみれば当たり前の指導がなされ、人事当局はあわてたようです。 私は、てっきり振替休日は給与条例か勤務条件条例に規定されていると思っていましたが、条例にも規則にもなく、内部要綱で「制度化している」と豪語していたのです。労基法や地公法、給与条例など、「上位法規」に規定されていない振替休日を要綱で定めているというわけです。 法令や条例を熟読玩味しなくても、遵守は可能だという反論もあるかもしれません。しかし、意味も分からず、単に「やり方」だけを真似ていることが、自治体職員としての法令遵守とは、言えないのではないでしょうか。道路交通法を読まなくても赤信号では止まり、青信号で進むということは子供でも理解しているということとは、違うのではないかと思います。 コンプライアンス条例は、真に必要と思うなら、制定することが無意味とまでは思いません。しかし、条例となれば、運用の持続性こそ重要です。大阪市や神戸市の条例に基づく取り組みは、関心はありますが、持続できるのか、早晩、形骸化するのではないかと疑っています。
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議会基本条例 北海道栗山町議会が制定した議会基本条例。2006年5月18日から施行されていますが、全国各地の自治体議会関係者が視察に訪れているようです。ニセコ町が「まちづくり基本条例」を制定したときも、同じように視察が殺到したと聞いています。
栗山町に視察にやって来た自治体関係者が、何団体あり、何名いるのか、確認の術を有しておりませんが、視察にやってきた自治体のうち、果たしてどれだけが議会基本条例の制定に向けて、真剣に討議しているのかと思います。議員たちの生態をある程度知っている者としては、要するに公費で北海道旅行をするためのアリバイ作りのために、栗山町に「寄っている」という不埒な例も多いのではないかという疑いを捨てきれないのです。栗山町議会を視察した自治体は、その後、議会基本条例を制定したのか、仮に制定しないのであれば、何故なのか、本来、市民に説明すべきものです。でなければ、やはり物見遊山で北海道に行っただけだと言われても、それは仕方がない。 多くの自治体議会で改革に取り組まれていますが、本質的なところは、それほど変化はないと踏んでいます。特に問題が表面化していない多くの自治体議会では、議員による視察そのものが「権威あるもの」という意識であり、それをどう議会活動に反映させるかは、議員の裁量であり、外部からとやかく言われる筋合いではないとい意識が今も強いはずだと理解しているのです。 本来、機能性のある議会基本条例を制定すれば、質問作成を当局に丸投げしたり、あらかじめ決まった答弁を読み上げるという、「八百長試合」のような議会運営は激変するかもしれません。議会基本条例の機能が発揮すると、一番困るのは、議員ということになるため、栗山町議会と同じことをするのにしり込みしてしまうのかもしれません。議会基本条例を制定しても、栗山町議会基本条例よりもハイレベルなものを制定できる自治体議会が果たしてどれほど出現するのか、自治体議会の本気度を探る格好の指標ではないでしょうか。
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講学 政策法務 講学とは、学問などを研究するというくらいの意味です。政策法務は分権時代の自治体において、注目されている実践的概念ですが、いまだに統一的な定義もなければ、その領域も確立したものはありません。行政法、行政学、政治学その他隣接諸科学から政策法務にアプローチされることで、様々な知見が得られることは、とても刺激的で、楽しいものでもあります。
このブログでは、政策法務を念頭に置きつつ、地方自治、司法、社会問題などの記事を書いていくものです。たまには四方山話を書くこともありますし、内輪ネタの場合はパスワード付きで限定公開にすることもあります。 自治体法務、政策法務に関するHPやブログはかなり増えているようですが、自治体職員によって運営されているものの多くは、現役の法制担当ないし最近まで法制担当だった方たちによるものが大半だと理解しています。その中で、自治体の法制担当なる仕事とはほとんど無縁である者である私が政策法務に関するブログをすることで、それなりに存在意義を出すことができればと思っています。
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