教育委員会の気概
読売新聞31日付記事からです。 この記事に限らず、知事と教委の間に大きな溝があるような印象です。かつて教委で仕事をしていた者の体感から言えば、教育委員会というのは、本質的に保守的なものでしょう。改革派知事にすれば、その体質にイライラ、歯ぎしりするような、暖簾に腕押しのように映るのは当然です。 教委が学力テストの点数を公開したがらないのは、それによって現場の教師から突き上げを受けるからです。教委幹部といっても、半分くらいは教員が指導主事、管理主事として仕事をしているため、いずれ校長や教頭になって現場に戻ったとき、いじめられないようにしたいという心理が作用する。だから、どこかで妥協する必要があるのです。あるいは、自分が校長として赴任した学校が学力テスト最下位であったときなどを想像してしまうわけです。学校間の競争を必要以上に煽るから、といった一見もっともな理由は、当然、自分たちの身を守るための言い草にしかすぎないのです。 また、教委と知事・市町村長の関係は教育行政の中立性を確保するため、上下主従関係ではないとはいうものの、実際にどこまでそれが画されているのかは疑問です。元教育長だった人が市長になれば、教育行政を目玉にした施策を行うのは、当然で、教委と連携を強化しているのは明らかです。教委にしても、首長と対立関係になれば、政策遂行に支障がでる。大阪府の場合、知事が教委に批判的であるため、対話ができていないという問題もあるでしょうね。 いずれにしても、今の教委制度というのは、教委事務局職員にとってもよく分からないことが多い。教育財産については固有の管理権限があるにもかかわらず、市長部局の管財課の合議を要することなどもあります。学校現場の事故が発生すれば、教委はお手上げ状態で、市長部局の法制担当課におんぶにだっこ状態のところも多いでしょう。教委の独立性というのは、現場にいた者としては、ほとんど感じませんでした。教委事務局で何年も仕事をしていても、教委委員の顔も名前も知らなかったり、教委委員長と教育長の違いを知らなかったり、教育長が地公法上の特別職だと思っていたりする職員は多いです。 いくら知事が頑張ったところで、せっかく実施した学力テストの結果データを、もっと活用しようとする気概は、今の教委にはありません。
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静岡市の政策法務 自治体法務NAVI8月25日号で、「分権社会・法化社会時代に対応した政策法務の推進に向けて〜静岡市政策法務推進計画について〜」と題した論稿が掲載されています。執筆者は静岡市の政策法務課長さんです。
静岡市の政策法務推進計画では、人事管理、組織管理等に加えて、「政策法務管理」という新しい概念を導入し、組織と職員に浸透させることとされています。主な施策として、政策法務委員会の機能強化、局政策法務主任者の設置などとともに、政策実現のための自治立法の推進を掲げられています。前二者と比べて、自治立法の推進については、従前から独自条例を制定していることをもって、政策法務を実施してきたと主張する自治体法務関係者も目にしますが、個々の政策や事務事業を主管する部署の関係者が主張するのはともかく、旧来型法務(政削法務)を主導してきた人たちが主張することに対しては、どうしても強い嫌悪感を覚えます。時代の流れに即して手のひらをかえすというのは、役人の常套手段ではありますが、第一次地方分権改革が議論された頃から地道に、かつ、組織内の軋轢をものともせず、政策法務を議論してきた人たちを知るだけに、そういうものに対して、一種のフリーライダーのような目で見てしまうのかもしれません。 静岡市でも、当然、従来から独自条例を制定してきているものの、「なぜ条例化する必要があるのか」という認識から「なぜ条例化しないのか」という認識への転換が図られなければならないとされています。これを浸透させるのは、なかなか困難だとは思います。 人材育成について、内部法曹の育成を掲げていることには驚きました。どのような手法で育成していくのでしょうか。例えば、ロースクールへ公費派遣するといった施策を採用されるのでしょうか。弁護士大量生産時代になっていく中、自治体組織内弁護士が、どういう活躍の場があるのか、興味はあります。 本格的な政策法務推進計画の成否によって、今後、同様の取り組みをする自治体が出現するかどうか、影響を与えると思います。ガンバレ、静岡市!
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北京五輪、野球は惨敗 もう今さら評論家気取りで何を書いてもいっしょなのですが、最悪の結果に終わりました。敗因について、マスコミはいろいろ取り上げていますが、一言でまとめれば、「チームになっていなかった」に尽きると思っています。
五輪チームが召集されたのは、2週間ほど前ですね。24人の選手たちは、おそらく全員が億単位の年俸を稼ぐ一流選手ばかり。そんな人たちが集まって、チームになれるのか、疑問を持ち続けていました。他のチーム・スポーツのことは分かりませんが、野球で最も大切なのはチームワークです。あさのあつこさんの「バッテリー」という小説が映画化され、先日、テレビでも放映されていましたが、その中に、「野球は相手に気持ちを伝えるスポーツ」というセリフがあったと思います。日頃は敵同士で戦っている選手たちが、突然、北京五輪だからといって本当に信頼し、気持ちを一つにして戦うことができるのか、疑問でした。その疑問が見事に結果として現れたのは、残念です。 金メダルを取った韓国は独特の強さ、しぶとさを持っています。背景事情として、もしかしたら、金メダルを取れば、兵役免除などの特権付与が約束されているのかもしれませんが、ともかく命がけで戦っているのは観ていて感じ取れました。日本にはそれがなかった。星野監督も、一流選手で構成されたチームゆえに、阪神タイガースで監督をされていたときのように、ベンチで怒鳴り声をあげるということもなかったようです。 少なくとも次のロンドン五輪では野球はありませんが、来年3月にはWBCもあり、国際試合の機会はあります。審判の問題、チーム作りの問題、メンタル面の問題、そして、短期決戦独特の戦い方というものを、いろいろ探っていかねばならないと思います。 ともかく、プロ野球ファンとしては、北京五輪の結果は、残念この上ありませんでした。
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ネットカフェ難民に融資?
読売新聞23日付記事からです。関連予算1億円ですから、それほど大きな金額ではないと思いますが、職業訓練を受けている間だけ、「安定した生活」ができても、訓練終了後、就職できなければ、またネットカフェ難民に戻ってしまう可能性も高いわけです。本当に効果的なのかどうか、不安ですが、それでも放置しておくよりはマシということでしょうか。 ネットカフェ難民が、全国5400人いるという厚労省の調査結果から、「あぁ、5000人ほどしかいないのか」という感覚です。本当に5000人しかいないのでしょうか。実態と乖離していないのか、これまた不安です。 一方、借りた金は踏み倒していいというのが、今、社会的弱者たちに広まりつつある「常識」「良識」ではないでしょうか。訓練を終了し、年収150万円以下なら返済免除ということですが、ならば、年収200万円の人が、国に金を返すことが果たして可能なのか。厚労省が真剣に債権取立てを行うとは考えがたく、形を変えた生活保護にすぎなくなることも十分予想されます。 なかなかベストな案が見つからない状況の中、とりあえずは、実験的に行うしかないのでしょう。適用対象となるネットカフェ難民が、皆、「善人」であることを前提に制度化されていることには、抵抗感を覚えますが、やむを得ませんね。
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国選弁護人の報酬アップ
読売新聞17日付記事からです。 国選弁護人が付く刑事裁判の実態は、公判が1回から3回程度で終了する場合が多いということでしょうか。1回で結審というのは、事実認定に争いもなく、求刑も済んで、あとは判決待ちというものでしょうか。これが裁判員制度が導入されると、今まで1回で結審していたものが、長引くことになると。 免田事件、財田川事件、島田事件、松山事件というのは、確か80年代に注目された冤罪事件です。大学1年の時、基礎ゼミで松山事件再審開始抗告審決定という、当時も今も、難解なものを題材にしたのを思い出します。真に無罪の人を犯罪者になるのを防ぐため、国選弁護人の制度は、必要不可欠だとは思います。ただ、弁護士の献身的な取り組みがあるとしても、冤罪を防止できるだけの報酬かと問われると、疑問です。あまりにも安い報酬ですね。 一方で、全国の弁護士の半分ほどしか国選弁護に登録していないということは、残りの半分は国選で刑事をしていない弁護士ということですね。弁護士人口が激増すれば、国選の仕事もなかなか回ってこない時代になるかもしれません。
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大阪府警、生活保護の不当要求の中止命令
読売新聞16日付記事からです。 暴力団員に対しては生活保護を認めないというのは、「違法不当な収入を得ている可能性が高い」という、極めて曖昧な基準ですね。他の生活保護受給者は「違法不当な収入を得ている可能性が低い」ことを意味しているのでしょうか。社会通念として、暴力団員に税金をつぎ込むことは到底認められないというのは分かります。生活保護を得ることを目的としている団体も、暴力団員に生保を認めないのは当然だと思っているのでしょうか。「自分たちは、暴力団とは違う」という主張なのでしょう。しかし、そうなると、生活保護団体が葵の御紋のごとく濫用している「無差別平等原則」に抵触しないのでしょうか。暴力団員は無差別平等原則の埒外だと言われるでしょうが、どこか都合よく排除しているような気もします。 もちろん、暴力団員に生保を認めるのは言語道断ですが、それなら暴力団員以外の人にも気前良く生保を認めることは慎重であるべきものです。 なんとなく釈然としないのは、私が福祉団体というものを、胡散臭く思っているからでしょうか。暴力団も福祉団体も、「他人のカネを要求することを主目的としている」ということでは、共通しているのです。つまり、大差はない。もっとも、合法か非合法かの違いは大きいですけど。 不当要求の中止命令は、暴力団対策法に基づくものです。暴力団以外に適用がないのは、残念。
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自治体独自課税の合法性
産経新聞3月19日付ですから、かなり前の記事です。 仮にこの判決が高裁、最高裁で維持されるとなれば、神奈川県は財政破綻を生じさせることになります。それだけに、大げさに言えば「命がけ」の裁判になるでしょうね。確か東京都の外形標準課税は都の敗訴で決着がついていたはずですから、首都圏の代表的自治体としては、連敗ですね。 道府県が法定外税を創設する場合、総務大臣に協議し、同意を得る必要があります(地方税法259条以下)。裁判所にすれば、こうした手続は行政機関間の話し合いくらいの意味しかなく、税の適法性を担保するものではないという判断があったのではないでしょうか。そうなると、自治体自主課税権行使のための手続が、一体何のためにあるのかという不満が自治体側に生まれることになります。苦労してようやく同意を得て実施したのに、いともあっさりと裁判所がこれを認めないとなれば、同意した総務省の責任も問われるべきはずです。一方で、一審判決は、役人のご都合主義的法解釈に対する警告と解することもできそうです。ただし、裁判官が税法に詳しい人なのかどうか。法廷戦術として、企業側が一枚上手だったということもあり得ます。 企業相手の課税自主権行使は、それなりに勇気がいります。取れるところから取るのではなく、強いところからも税を取るという姿勢を出している神奈川県に対して、個人的には好意的ではあります。しかし、この判決が維持されると、自治体課税自主権は、司法によって一蹴されることになり、かなり萎縮効果を招くことになりそうです。また、税は国が徴収するものだという固定観念が強く、地方分権への理解のない裁判官が少なくないということでしょうか。
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後期高齢者医療制度で不服審査
神戸新聞9日付記事からです。 「社会保障推進協議会」なる団体が、どういう団体なのかはわかりませんが、こういうことを集団でさせようとするのですから、どう考えても反政府的組織であるのは明らかでしょう。集団で法的対応を行うことで、制度に揺さぶりをかけようとするのが狙いであり、不服審査の結果、請求棄却の決定がなされれば、取消訴訟を行うことも考えているのだと思います。 後期高齢者医療制度は負担緩和をしたところですが、ともかく「福祉はタダ、もらえるものは貰うが、負担すべきものは負担しない」という考え方を過剰に強調されることには強い嫌悪感を覚えるところです。
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ふるさと納税への恐怖感
神戸新聞8日付記事からです。 有名女優がふるさと納税をしたという記事にすぎないのですが、市側が家族に打診したというのは、どういうやり方なのかと。 個人的に思っているのは、私のように、A市職員であって隣のN市居住者である場合、A市出身であることを理由に、ふるさと納税を半ば強制してくる自治体が出現しかねないということです。A市当局が、人事権などを振りかざして「自主的な寄付をせよ」と迫ってこられれば、「主体的に寄付をする」ことにならざるを得ません。それが違法だとは誰も言えない。ともかく「法を都合よく解釈する」と議会からも批判されている自治体ですので。 ふるさと納税というのは、真にふるさとに貢献したいと思ってくださる人が行うには、悪いことだとは思いませんが、自治体間で税の争奪戦になるのはいかがなものかと思います。税と行政サービスの間には、明らかな対価関係まで要求されないかもしれませんが、やはり、税あっての行政サービスであると思います。
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最低賃金、ようやく正常化
朝日新聞5日付記事からの抜粋です。 生活保護が最低賃金を上回っているのが異常なのか、最低賃金が生活保護よりも低いのが異常なのか?現状、稼動世代の生活保護の手厚さは異常だと思っています。 若年層が生活保護を受ければ、おそらく、人生で貰ったことのない多額の金が支給されます。働いてもいないのに、いきなり月20万円ももらえれば、働くのは馬鹿馬鹿しくなるのも当然です。勤労意欲が減退、あるいは消滅します。そして、自立から遠のくことになります。 このように、勤労の拒否を奨励し、怠惰な人間を増やすことになるような仕組みがあっていいはずがありません。ところが、企業経営者というのは、自分たちの儲けを中心に考えるため、税金という「他人の金」で、決して最低とはいえない手厚い「生活保障」をされる制度の存在によって、勤労者が減少することには何故か「寛容」なわけです。企業にとっては、目先の利益を確保できるかもしれませんが、資源のない日本で、勤労意欲が消滅するような社会保障制度の存在は、国家破綻を招く一因になります。 そこで、最低賃金の引き上げです。ワーキングプアを救済する切り札だ、などとおかしなことを言っている論者がいますが、誤っていると思います。最低賃金が少々良くなっても、ワーキングプア問題は解決しません。生活保護からの自立が増えることも期待できません。少なくとも週40時間労働で、月収25万円、年収300万円が最低ラインではないでしょうか。時給換算で1500円余りです。これをクリアしなければ、ワーキングプア問題は永遠に続きます。 一つのモデルとして、夫婦共働きで年収600万円となれば、相応の生活を実現できるように思います。時給700円では、週40時間労働でも月収11万円程度であり、経済的自立は不可能です。結局、生活保護がトクだということになります。 同一労働同一賃金の原則。政策法務的な視点からは、これを法的に確立することで、前進できるように思います。しかし、企業経営者はこぞって反対するでしょう。政府がどれだけ真剣に取り組むかということです。
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裁定的関与 行政不服審査法改正法案が国会に提出され、現在、継続審議中ですが、個人的に関心のある論点として、裁定的関与があります。個別法(自治法など)によて、地方公共団体の機関が行った処分について、国他の自治体等が審査請求、再審査請求の手続を通じて関与する制度のことです。
平成19年7月17日の行政不服審査制度検討会最終報告では、地方分権改革推進委員会等における結論を待つとしていました。ところが、同年11月16日の地方分権改革推進委員会中間的な取りまとめでは、政府の法案取りまとめ状況を注視するとしています。 これでは、相互にもたれあっていて、全然解決になりません。 3日に開催された第8回行政法研究フォーラムでは、出席者からこの点について質疑がなされました。総務省担当官は、個人的見解として、法案成立後、裁定的関与の検討会が必要との認識を示されています。これは、他省庁との調整を要しますから、ちょっと時間がかかるでしょうね。「検討会」も「分権委」も結論を出さなかったのは、この省庁間調整が大変だからでしょうか。方向性だけでも明示してほしかったものです。
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「引用」の難しさ 先日、某大手出版社の編集の御方から自宅に電話をいただきました。一体、何の用かと思いきや、近々出版予定の政策法務に関する書籍の中で、私が執筆した箇所の一部について、引用の仕方に疑義が生じたとのことでした。
具体的な内容はここでは書けませんが、税に関する現場の生々しい記述をされている書籍を引用するに際して、出版元の承諾を得なければならないかもしれないとのこと。「面倒なことなら、この際、省いてもらっていいですよ」と言いましたが、実のところ、内容からこの引用は、問題点について関心を高めてもらうには最も適切なものだと判断して引用したため、仮に削除となるとやや迫力不足になると思ってもいたわけです。 結局、編集部の方が出版元に照会したところ、引用について、問題なしという回答をくださったため、そのまま残ることになりました。 執筆というものをするようになってから、最も意識が変わったのは、この「引用」ということです。論拠が独自のものなのか、別の論拠から再構築したものなのか、他の文献の記述を転用しているのか、はっきりさせなければなりません。 いずれにしても、安堵しました。
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