経済学研究科T君との対談 今日の夜、仕事帰りにバッタリと同期仲間のT君と会いました。しばらく会っていなかったので、ちょいと一杯ということで、近くの店に行きました。
T君は、昨年から某有名国立大学大学院経済学研究科博士課程前期課程で統計学などを研究されています。社会人大学院生というわけです。修了に必要な単位は取得したとのことで、あとは修士論文をどう書き上げるかに力を注がねばならないようです。経済学なるものとはまったく疎遠の私には、数学を用いた経済理論などとてもではありませんが理解できません。 さて、私とT君との会話は次のようなものでした。 私 :「ところで、お前、大学院に通っていることを上司たちには言ったのか?」 T君:「バカかお前は?そんなこと言うわけないだろ!」 私 :「やっぱりな・・・そんなことを上司に言えば、何をされるか分からんからなぁ」 T君:「やれ自己研さんをしろとか、研修を受けろとか、口先では体裁のいいことを言っているけど、研修で学んだことを職場で活かせとは絶対に言わないからな」 私 :「この間、某大学院で博士号を取っているN君と会ったら、同じようなことを言っていたな」 T君:「そうか・・・そいつとは面識がないけど、同じ考えみたいだな。上司たちが俺が大学院で勉強していると知ったら、またムショ送りされかねないからな・・・」 私 :「ムショ送り・・・福祉事務所への異動ということか・・・こういう人事をしていて、組織が活性化するとでも思っているのか、問いただしたい」 T君:「でもそんなことを言えば、また、それで報復人事を受けてしまう。結局、面従腹背、黙っているのが一番無難ということになる」 私 :「実際、人事に黙ったまま、大学で非常勤講師をしたりしているのもいるらしいぞ」 T君:「ふーん・・・どんどんそういうことになっているのか・・・」 組織の活性化といっても、一部の「得をする職員」だけ元気ではいけないはずなんですが・・・
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博士職員とのランチ 昨日、昼休みにランチを共にしたNさん。別の部署にいる職員で、私よりも若いのですが、某一流国立大学大学院博士課程を修了するとともに、数年前に法学博士号を取得した逸材です。そんなNさんが、私が幹事をしている研究会に興味を持たれ、話を聞きたいと面会を求めてきたので、会いました。
Nさんは、3つの学会に所属している、れっきとした研究者でもあるわけです。私の研究活動をとても好意的に、かつ、評価してもらっていて、私としても嬉しい限りです。ただ、こういう人は超少数であることはいうまでもありません。 いろいろ情報交換をしたのですが、まず第一に、Nさんが学位取得者であることについて、Nさんの職場では誰も知らないということです。Nさん曰く「その意味を理解できない人間に説明しても無駄だから」と。かえって職場でイジメや報復人事などの被害にあいかねません。そういう組織なのだから仕方ないということで意見が一致しました。 第二に、役所の中では、上司や人事当局に内緒で、大学で非常勤講師をしている者が何名かいることを教えてもらいました。特に、エリートコースばく進中の産業部門のU課長が地元有名私大で講師をしていると聞かされて、ちょっと驚きました。私が世話をして、現在、某有名専門誌で連載を執筆中の職員です。いずれにしても、そういうことを上司や人事に申告すれば、有形無形の報復が待ち受けていることを知っているからです。学問の自由を敵視する自治体A市といったところでしょうか。結局、思考が明治憲法のままなのでしょうね。 Nさんも大学教員への転身を考えてはいるようですが、なかなか空きがないとのこと。少子化時代で大学経営も受難の時代。大学教員が本当にいい職業なのか、悩んでいるようでもありました。博士号取得者が必ず研究者になれるわけではなく、その逆もまた多いのも不思議なことです。 Nさんに、秋に予定している研究会にお誘いすると、快諾されました。
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職員採用の口利き報告義務は成果をあげるのか?
神戸新聞26日付記事からです。こういうことを決めたということは、やはり過去に口利きで不正に合格させた職員が相当数存在することを白状していると理解してしまいますが、どうなのでしょうか。都市部、地方を問わず、どこにでも不正はあります。加西市がこういう仕組みを導入したことは、好意的に受け止めることも可能ですが、アダになってしまう可能性もあるのではとも思います。 口利き記録制度は、いくつかの自治体で導入されていますが、ほとんど成果らしい成果がありません。逆に、口利きというものは存在しないことの証拠として悪用されかねず、再考すべき時期になっているのかもしれません。とはいっても、何か効果的な代替案は今のところ思い浮かばないのが、悔しいところです。
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言葉の誤用・乱用いろいろ 25日付で文化庁が発表した「平成19年度国語に関する世論調査」は、興味深いです。
「さわり」というのは、話などの要点のことですが、しばしば「話の最初の部分」として使っていることが多いと思います。マスコミ関係の人でも間違っているのではないでしょうか。 私自身が誤っていたのは、「憮然」でした。失望してぼんやりしているというのが正しい意味ですが、腹を立てている様子であると思っていました。しかし、これこそマスコミでも誤用が目立つと思います。例えば、次のような記事はどうでしょう。
ニッカンスポーツ25日付記事からです。どう読んでも、落合監督が失望してぼんやりしている様子は記事から伝わってきません。やはり、腹を立てている様子が思い浮かびます。言葉のプロであるはずの新聞記者でも、こうした誤った言葉の使い方をして、それで商売をしているわけです。
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西宮市、市民参画条例制定すれど・・・
神戸新聞17日付記事からです。 山田市長の2期目の公約に、市民参画条例が入っていたそうです。しかし、議会というのは相変わらず市民参画に抵抗するのはどこも似たり寄ったりのようです。 西宮市は今年4月から中核市に移行しました。特例市にはならず、はじめから計画的に中核市になるための準備をかなり長期にわたって行っていたと理解しています。それだけに、政策法務の中でもしばしば議論になる市民参画条例は標準装備として制定すべきであるは思います。 自治基本条例もそうですが、どうしても条例制定過程の透明性などに議論が偏っているようです。しかし、条例の運用をどのようにするのかが最も重要ではないかと思ったりもします。条例制定過程に対して議会から批判がされているようですが、条例の運用というものをどう工夫を凝らしていくのか、関心を持ちます。人口47万人、北は山、南は海に囲まれた100キロ平米ほどの市域ですが、果たして市民参画と呼ぶにふさわしい取り組みがなされるのでしょうか。
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神戸市、保育料滞納者に法的措置 どこの自治体も財政難ですから、出費の節約とともに、歳入の確保というものにも法的対策をとることを余儀なくされています。むしろ、後者については、さらに拍車がかかるのではないかと。この場合、税金だけではなく、しばしば問題になる保育料などもそうです。
神戸新聞17日付記事からです。 兵庫県で最大の政令市である神戸市ですから、保育料の滞納もハンパではありません。記事によると単年度の滞納額は、2007年度末で、5億3500万円になるそうです。私が「福祉」というものに対して、どうしても好意を持てないのは、こうしたフリーライダーが大手を振っていることも大きな理由だと認識しています。神戸市でも、自宅を新築したり、車を買ったりしたのに保育料を支払わない、転居したり、時効逃れを狙うなどの悪質なケースもあるようです。どこの自治体も同じでしょうけどね。 神戸市も、これまでは、電話での納付指導や訪問徴収などをしてきたそうですが、やはりノウハウ不足で、何よりも、福祉行政の観点からも強制的な徴収に踏み込んでいなかったとのことです。これが一番の疑問です。なぜ、福祉という分野になると、法令違反に寛容なのか、理解できないのです。福祉は無法地帯と言わんばかりの傍若無人な輩をのさばらすことを市民が望んでいるはずがないのです。福祉であれなんであれ、ガンガン厳しくやっていくべきだと思います。 記事によると、神戸市は、保育料のほか災害援護資金や国民健康保険料など、2007年度末時点で総額約四百五十一億円もの未収金を抱えているそうです。財政状況が厳しい中でこれ以上滞納額を増やせないと判断し、財産の差し押さえを含めた強制徴収に踏み切ることを決めたとのことですがあ、決断が遅すぎる。神戸市が模範を示してくれれば、近隣自治体も同様の取り組みをすることが期待できると思います。福祉だからといって違法行為に遠慮は不要です。
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地方議会法制のあり方(3) 先週の土日に参加した「自治体法務合同研究会」には、地方議会議員の方も何名か参加されていました。本来、地方議会は条例の制定改廃を議決する権限を有しているのであり、政策法務にはもっと強い関心を持つべきはずですが、今のところこうした研究会に参加される議員の方は極めて少数にとどまっているようです。
ある大都市の市議会議員の方とお話する機会に恵まれたのですが、議員定数、議員報酬、政務調査費について、若干の意見交換をすることができました。議員定数について、果たして何名が適切なのかは、判断基準に困るところですが、地方自治法で定めている人数は、多すぎるわけでもなく少なすぎるわけでもなく、妥当ではないかという意見でした。合併などで巨大議会が誕生し、市民から批判されることがありましたが、私見は、議員の数が問題ではなく、中身こそ問題であり、かつて、議員定数を減らした結果、刺青をした議員が跋扈しているような議会があったことなどを話しました。 議員報酬については、矢祭町の日当制が話題になりました。ここでも私見を述べさせていただきました。日当制が当然などとされる風潮になれば、議員は会議に出ることだけが仕事になるという偏狭的なことになること、議員報酬だけで生活が維持できないようであれば、結局のところ議員活動に専念できず、果たしてそれが市民にとって好ましいことなのか強い疑問を持っているということでした。その議員さんも、同様の見解をお持ちだったようです。 政務調査費についても、余りにもの多額なものはともかく、都市問題を数多く抱える自治体は、本来、調査事項は山ほどあるはずで、政務調査費が本来の役割を果たすために使われているならば、決して無駄なものではないという認識を示したところ、これもほぼ同じお考えだったようです。 すべてにおいて縮小、縮小することばかりとなれば、地方議会活動が萎縮するばかりで、本来発揮すべき機能は、抹殺されるのではないかという懸念を最近は持っています。不真面目な議員も少なくないと聞きますが、地味な調査を積み重ね、議会での討論に生かすことを軽視するような風潮は、結果的に不幸を招くのではないかと思っているところです。
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松本清張記念館 この土日月と2泊3日で福岡県北九州市に行ってきました。全国レベルの政策法務に関する研究会として知られる「自治体法務合同研究会北九州大会」に参加してきました。研究会が主目的ですが、せっかくの機会ですから、月曜日の午前中に松本清張記念館に立ち寄りました。土日は研究会でびっしりと頭を使い、夜は懇親会で深夜まで語り明かしたため、もうクタクタだったのですが、どうしても寄りたかったので、頑張って行ってきました。
松本清張記念館の公式サイトは次のアドレスです。 http://www.kid.ne.jp/seicho/html/ 実のところ松本清張の作品というのは、高校時代に「或る小倉日記伝」を読んだくらいで、「点と線」はテレビドラマでしか見ていません。「家政婦は見た」もテレビで見たくらいです。つまり、私は、決して松本清張ファンではないのです。では、何故、松本清張記念館にわざわざ足を運んだのかという疑問が生まれます。それは、生涯で1000作品以上もの創作を行った文豪の、その創造力の源泉について、一端でも知ることができないか興味を持ったからです。芸術に富んだ才というものは、無から有を創り出す能力でもあるわけです。ワープロもパソコンもない時代に、原稿用紙と万年筆、そして大量の資料と取材によって創り出された世界の源を体感できればいいと思っていました。 文学というものに対して特別な理解を持ち合わせているわけではありませんから、理解度はたかがしれていますが、それでも記念館に設置されていた松本清張の自宅模型、書棚にある膨大な資料というのは、凄まじいばかりでした。 ここで初めて知ったことは、松本清張は、昭和24年8月17日に発生した松川事件にも大きく関わっていたということです。列車転覆事件として20人の逮捕者を出し、起訴されたものの、昭和38年9月12日最高裁で全員無罪判決を勝ち取った戦後間もない冤罪事件として知られています。記念館では、その記録をまとめた「松本清張と松川事件」という冊子を購入しました。なかなか貴重な資料ではないかと思っています。
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大分県教員不正採用事件
毎日新聞6日付記事からです。 地方公務員の不正採用というのは、どの地域でもそれなりに存在していた時代があったと理解しています。教員採用についても、しかりで、もう20年以上前になりますが、大学時代の同級生の親類が、県議に50万円支払ったところ、合格発表の前日に合格の知らせをもらったと教えてもらった記憶があります。その県では今も同じようなことがなされているのかどうかは、分かりません。私も採用試験に合格したとき、いろいろな人たちから、誰にいくら払ったのか尋ねられた記憶が残っています。 教員採用試験は、都道府県単位でなされているのは常識で知っていますが、その理由としては採用試験の効率性、そして、「市民から遠い存在」の「都道府県」が実施することによる「不正防止」も理由の一つと思っていましたが、こういうことになると「どこの自治体でもやっているのではないか」という不信感がまた広まるでしょうね。 民間企業でも、コネ採用がされているのは、一部ではないでしょうか。コネばかりだと経営が成り立たなくなるからです。自治体となれば尚更で、地主の息子などが市町村役場の職員として採用され、野良仕事の合間に役所に通っているような者が跋扈していた時代が、かなり続いていたと理解しています。そんな古色蒼然とした地域は、消滅に向かうしかないのでしょう。大分県がその古色蒼然とした地域になっているのは残念です。
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社会運動と訴訟
産経新聞5日付記事からです。 日経新聞というのは、長いこと読んだことがありません。15年位前でしょうかね、少し購読していた時期がありましたが、人生の大半と言うと大げさですが、中学の頃から何故か私は「朝日新聞」を読んでいます。別に朝日新聞の考え方に賛同しているわけではないのですが、まぁ「惰性」でしょうかね。 この日経記者はなんでこんなバレバレのメールを送ったのでしょうか。訴訟を通じて社会に問いかけるという、社会運動はいくらでも存在しているはずです。勝訴、敗訴という結果よりも、そういうイシューに1人でも多くの市民が関心を持ってもらいたいと思っての「戦略的法使用」でしょうね。それくらいのこと、新聞記者なら普通に理解しているはずでしょう。 すでに記事にしている生活保護老齢加算廃止取消訴訟の敗訴判決については、マスコミがいろいろ報道していたのですが、一番驚いたのは、各地で訴訟をしている原告たちが、東京地裁で敗訴したことを一様に残念がっていたことです。しかも、少なくとも映像からは、その姿が「演技」だとは思えませんでした。つまり、この人たちは、本気で「勝訴するつもり」で訴訟をしていたということでしょうか。 それでも、社会運動として訴訟をしている当事者たちの意識というのは、実のところかなり温度差があるのかなと思っています。よほど意思統一をしておかないと、社会運動などはなかなか継続できないということです。いろいろ懐柔策に翻弄されて、寝返りする人もいるでしょうし。社会運動などしたことありませんから、正確なことはわかりませんが、私が現在従事している仕事で関係している、マスコミにもしばしば登場する、ある有名な社会運動団体の特徴を見ていると、共通の利害があること、その共通の利害に公共性があること、団体の中にカリスマ的リーダーがいること、共産党などそれなりの政治勢力が後押ししていること、などを指摘できそうです。その中でもリーダーのカリスマ性はかなり影響しているみたいです。それが自治体担当部署の組織のあり方にも、それなりに影響を与えていると思われますから(他の自治体ではほとんどが係であるのに対して、私の所属は今もって課であることから、推測できるでしょう)。 それと、いつも思うことに、社会運動をしている人たちは、どうやって生活を維持しているのか、どうやって運動経費をまかなっているのか、何か独自のノウハウとかがあるのか、ということです。例えば、しばしばマスコミで紹介されているような、貧困問題に取り組んでいるNPOの人たち自身の生活水準というのは、果たしてどの程度のものなのか、とても興味があります。まさか貧困問題に取り組んでいる人たちの年収が1000万円以上ということはないと思う反面、極貧生活を余儀なくされているということもないように思います。 しかし、社会運動というものが、必ずしも常に成功するわけではないのも事実です。成功するかどうかの境界は、公共性をいかに巧みに演出するかどうかでしょうか。無関係だと思っている人も、いつかあなたもそうなりますよ、というメッセージを発信することで、関心を向けてもらうというテクニックも重要なのでしょう。日本人は、こういうのに弱いんでしょうねぇ。
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