やっぱり学力低下問題は深刻
神戸新聞31日付記事からです。 甲陽学院は、灘やラサールと並んで、西日本では有数の進学校のはずです。私が中学3年の時に、2学期の数学の期末試験で、灘と甲陽の前年の入試問題をそのまま出題するという究極の手抜きをした大馬鹿教師がいました。回答できたのは、進学塾に通っていた者だけだったと記憶しています。 それはともかく、公立中学から有名私立高校への進学の道が閉ざされるというのは、いかに現在の公教育の水準が落ち込んでいるのかが理解できます。中学から有名校進学に合格しても、中学から進学している生徒との間に大きな学力格差があるというのは、公教育に従事する関係者はもっと深刻に受け止めるべきではないでしょうか。 全国学力テストの公開・非公開で教育委員会はグズグズしていますが、市町村別に結果を公表して、誰が一番困るのかは、(たぶん、大阪府知事も言っていたと思いますが)結果の悪かった市町村の教師と教委だということです。議会で突き上げられ、保護者から突き上げられ、教育者としての威厳をこれ以上消失してしまうことへの恐怖感でしょう。そんな「個人的事情」のために法を捻じ曲げて非公開のまま居座ろうとすることを容認することはできません。 学力テストの市町村別結果を公表することで地域間で適度な競争を促し、教育政策を学力向上に重点を置いたものに改善すべきです。教育は、まず第一に学力向上であり、それを重視しない教育というのは、逃避しているだけだと思っています。
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給付金方式の減税策
朝日新聞29日付記事からです。 こういう典型的なバラマキ策は、選挙目当てミエミエであり、国民を愚弄するものです。本当に腹立たしさを覚えます。もっとも、選挙は先送りされるようですが。 給付金方式を採用するにしても、2兆円の実質減税であることに違いないのですから、もうちょっと景気浮揚に効果のある方法を考えるべきではないでしょうか。とりあえず思いつくままに述べますと、次のとおりです。 まず第一に、年収800万円以上の世帯は給付対象外にする。高額所得者に数万円の給付金を交付しても喜びません。経済効果も期待できないのですから、減税の恩恵で比較的財布の紐が緩む可能性の高い年収400万円から700万円くらいの中堅層に手厚くすべきです。 第二に、課税最低限以下の人、つまり、納税していない人は対象外にする。給付金という形式をとるにせよ、納税義務を果たしていない人に減税の恩恵を受けさせることを認めるべきではありません。 第三に、国家公務員・地方公務員は、収入の多寡にかかわらず、給付の対象外にする。国・地方を問わず、現在の財政難を考えると、公務員としての責任の一環として、こうした恩恵を受けることは返上すべきです。 万が一にもないと思いますが、第三の施策を採用されれば、国民受けはするでしょう。労働組合は猛反発するでしょうけど。
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最高裁長官、今度も陸上勤務組から
読売新聞28日付記事からです(一部省略)。 新たに最高裁長官に就任される竹崎さんという方の経歴は、この記事からしか分かりませんが、実際に裁判の仕事をされていたのは、ごく短期間のようです。ほとんどが裁判をしない裁判官であったようです。裁判官には陸上勤務と海上勤務の二組に分けられ、前者が優遇される仕組みのようです。後者はさらに、近海航海と遠洋航海の二組に分けられ、前者は東京など大都市の裁判所で仕事ができるので、マシなほうですが、後者はいわば田舎のドサ回りという憂き目にあう立場の人たちです。つまり、田舎に住む国民は、最高裁から烙印を押された裁判官による裁判しか受けられないという差別を受けていることになります。もちろん、裁判官出身の最高裁判事、とくに最高裁長官となると陸上勤務組からの人選しかなされないわけです。そういう人ばかりが、司法のトップになるという状況を変革することについては、あの小泉改革でも実現できなかったようです。 もちろん、裁判をしない裁判官が最高裁長官になったから必ず悪いとは限らないでしょうけど、裁判官というのは裁判をするのが本職のはず。裁判をしない裁判官であり続けた人が、国民参加の裁判員制度創設に主導的役割を果たすなど、裁判制度をいじくるという立場であり、そして司法のトップになるというのは、国民の立場からは、どこか奇異な感じもします。
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福祉事務所職員たちの憂鬱(2) シリーズ(?)第2弾。以前の記事は次のとおりです。
http://seisakuhomu.blog19.fc2.com/blog-entry-49.html この土日、またもや福祉事務所職員3名とともに、山篭りをしてきました。今回は、S市にある公営キャンプ場。市街地からそれほど離れていない場所でありながら、周囲は山、キャンプ場に沿って川があるという、のどかなところでした。 この時期にキャンプをする人がいるのかなと思っていたのですが、家族連れが10組近くいたと思います。昼間は快晴だったのですが、夜はとても寒かったです。新品のシュラフが全然役に立ちませんでした。 今回の参加者は、私のほか、H君、I君、Y君の同期仲間であり、3人とも現在「福役」中の「ムショ仲間」でもあるわけです。その中でも生活保護の仕事を最も嫌っているのが、H君でして、ともかく凄まじい発言を繰り返していました。自業自得の生活をしてきた人間が、権利だ、福祉だと主張することへの怒りが収まらないとのこと。一方で、大阪府内の某市福祉事務所では、職員の在籍年数が平均1年余りであることが問題になっていると聞かされました。働き甲斐がなく、何ら生産性のない仕事であり、それでいて多額の血税が垂れ流しされているという意識が職員の中に浸透しているようですが、それはどの自治体でも大同小異ではないかということで3人の意見が一致していました。 H君が担当した事例で、生活保護費の増額だけを狙って子どもをつくり、妊娠してもギリギリまで福祉事務所に申し出をせず、堕胎不可能な時期になってから、「妊娠に気づかなかった」とシャアシャアと言い出し、出産費用を公費でふんだくるというのがあったそうです。もちろん、相手の男性がどこの誰かは分からずじまい。生まれてきた子どもが気の毒だとも言っていましたが、そういう子どもは親が汗を流して必死に仕事をしている姿をみていないので、結局、ロクでもない人間になってしまう可能性が強いというのは、生活保護のベテランでもあるY君のお言葉。 そう言うY君も、役所生活の6割以上が「ムショ暮らし」ということで、何とかして出所したいと画策しているようですが、なかなか思うに任せないようです。福祉事務所で仕事をしていて何か良いことはないのかと尋ねると、3人が揃って答えたのが、「毎年、新任採用職員が配置され、若い職員がかなり多いこと」だそうです。もっとも、Y君曰く、せっかく指導して、一人前になったかなと思った途端、主要職場へと配転されてしまうので、無力感ばかりが強まってしまうと。専門性を高めるための人材育成方針も何もないとのことでした。 今回も、一晩中、今の「福祉」の実態を散々聞かされたキャンプでした。
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過熱する中学受験
朝日新聞25日付記事からです。 東京23区は「お受験熱」が凄いことが、よく分かります。中学受験というのは、マンガばかり読んで、落ちこぼれ同然だった小学生時代の私には全く無縁でした。学年トップクラスの同級生が若干名ですが、有名私学を受験したと記憶していますが、結局、みんな、地元の公立中学に進学しました。もっとも、その秀才同級生は、さすがに高校は有名校に進学し、大学も有名国立大を卒業し、大手商社に就職したと聞いています。 もう随分前ですが、知人が中学受験の開始を小学5年生から開始したため、遅かったと嘆いていたのを思い出します。じゃぁ、いつ開始すべきだったのかと尋ねると、「小学4年生から」と。人生10年で勝負が決まるんだと強調していたのが、なんとも奇妙な感じでした。同じような話を、かつて、職場の上司から聞かされたことがあります。小学3年生の時点で、IQ120というのが、東大合格の第一条件だと。そこから受験のための勉強を継続して、合格を得られるのだと、有名進学塾の経営者が言っていたそうです。やっぱり、こういう人たちの頭では、人生最初の10年で勝負が決まるようです。 人生の初期段階で人生の分岐点が到来するというのは、なんとも余裕の無い話ではありますが、当事者にすれば必死のパッチなんでしょうねえ。有名私立中学・高校に進学しても、全員が東大に合格できるわけではないのでしょうけど、少なくともその可能性はグンと高まるという解釈なのでしょうか。しかし、その結果が散々だったとき、投資効果が得られなかったことになり、余計に衝撃は大きいようにも思いますが、どうなのでしょう。話を聞かされた人たちは、皆、東大や京大に合格した「勝ち組」の人ばかりだったのですが。努力が無駄になるということはありませんから、ニートやフリーターになっていることはないでしょう。
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国庫補助金不正処理問題 久しぶりに国庫補助金をめぐる大がかりな不正が、会計検査院の検査によって発覚しました。発覚した12道府県でこうですから、他の自治体も似たりよったりの可能性が高いと思うしかありません。それでも素直に謝罪するならともかく、一切、謝罪しようとしない傲慢な自治体もあるようです。
毎日新聞20日付け記事からです(一部省略)。 岐阜県という自治体は、国庫補助事業にもとづく仕事を、今までやったことがないのでしょうか?そんな馬鹿なはずがありません。「県費と国費を厳格に分けて考えていなかった」という釈明は、「岐阜県の会計はデタラメで、メチャクチャです」と言っているのと同じじゃないのですか。私も、彼是10年ほど前に、かなり大規模な国庫補助事業に従事したことがありますし、今の部署も、多額の国庫補助金を受ける業務があります。今も昔も、国と自治体の費用を厳正に分けて考えていますし、ましてや、物品購入費の年度を誤るようなことはありません。岐阜県という自治体は、早い話、知事を筆頭に、バカ職員が多いということなのでしょうか。 こういうことをしているから、国の官僚たちは、「それみたことか、だから自治体は信用できない」と主張し、「地方分権などとんでもない」ということになるのです。今回の国庫補助不正処理事件によって、国の官僚たちの高笑いが聞こえてきそうです。中央省庁と会計検査院のコラボによる、地方分権推進抑止策の一環なのかもしれませんが。
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用地買収の行政代執行 大阪府 行政代執行については、最近、記事にしたところです。
http://seisakuhomu.blog19.fc2.com/blog-entry-94.html
朝日新聞16日付記事からです(一部省略)。 相変わらずの偏向報道ぶりですが、法律に基づいて代執行を実施することに、市民感情という点からは、なかなか納得できない面もあることは、伝わってきます。しかし、サツマイモ畑に子どもの思いが詰まっているとは思えません。大人から言われて嬉々としてやっていたのは間違いないでしょうけど。 この点について、橋下知事は、次のように保育園側を批判されています。
同じく朝日新聞17日付記事(一部省略)からです。 教育関係者などが、しばしば用いるセリフに、「子どもが云々」という常套句・常套手段があります。子どもをダシに(悪く言えば人質にして)、自分たちの要求を実現するというやり口で、橋下知事の言うように、最も卑劣なものです。 橋下知事は、この事件のニュース映像で、子どもが泣き叫んでいる場面が映し出されていたことを踏まえて、批判されたのでしょうか。保育園側は、子どもを利用していないと反論しているようですが、それでは、ニュース映像は、この行政代執行とは無関係ということになりそうです。そうだとすると、やはり、偏向報道ということになります。 行政代執行の実例は、とても少ないという認識ではありますが、こうした報道をみると、以前よりは顕著になってきているような印象も持ちます。市民参加の美名のもと、偏向的な市民団体等の台頭で行政がこれを敵視するようになり、法的強制力を実施することに以前のような抵抗感が薄れ、躊躇しなくなりつつあるのかもしれません。行政代執行の実例を増やすことで、問題点があぶりだされれば、法改正の動きも出てくるように思っています。もちろん、この行政代執行に要した経費は、保育園側に負担させなければなりません。
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兵庫県尼崎市、公契約条例を制定?
神戸新聞12日付記事からです(一部省略)。 公契約条例というのは、以前から労働組合などが主張していたと理解していますが、まさか条例化に向けて具体的な動きがあるとはまったく知りませんでした。現在まで、私も、公契約条例について勉強したことはありません。 賃金を「市職員の高卒初任給を下回らない」ようにしたとしても、時給は1000円にもならないというのは、麻生首相流に言うと、「そのー、なんとなく、満足できない」ように思います。さんざん苦労して条例化したとして、果たしてどれほどの効果、すなわちワーキングプアの解消などに結びつくのでしょうか。時給1000円として、1日8時間、月22日労働で、月収176,000円。生活保護から自立させるくらいのことは期待できるかもしれませんが、働かなくても生活保護で15万円もらっている人間が、果たしてどれくらい積極的になるのでしょうか。 また、新聞記事にもあるように、法律は遵守しているが、条例には違反しているという事態を招いた場合、尼崎市はどういう法的構成をもって事業者に条例遵守を求めるのでしょうか。「尼崎市と取引をしたければ、条例を遵守しろ」ということになるのでしょうか。このあたりは、たぶん、市関係者にとっても条例化に二の足を踏む理由になっているのかもしれません。法律と条例の関係について、新たな理論開発の芽にはなるかもしれませんが、現場の職員たちにすれば、目先の対応をどうすればいいのかが重要でしょうし。 公契約条例が制定されれば、全国初。今後の成り行きを見守ることにします。
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最高裁平成20年9月10日判決の下級審判決から学ぶこと 土地区画整理事業の事業計画の決定が行政処分になるとした最高裁判例については、すでに記事にしています。
http://seisakuhomu.blog19.fc2.com/blog-entry-82.html もっとも、この最高裁の判決文は22頁中主文と理由は5頁だけで、残りは4人の裁判官の補足意見、1人の裁判官の意見となっています。最高裁は法律審ですから、事実関係は下級審で確定しているので、詳細を記述しないのは理解しているつもりですが、これを読んだだけでは、事実関係の詳細や原告・被告がいかなる主張をしていたのかは、理解できないと思います。 この最高裁判例の下級審判決は、一般には出回っていないようですが、一審の静岡地裁平成17年4月14日判決には事実関係と原告・被告の主張が詳細に記述されており、興味深いところです。 原告の主張は、最高裁昭和41年2月23日の「青写真判決」を踏まえつつ、これは改められるべきであるというものです。青写真判決など過去の最高裁判例を分析し、その問題点の指摘や学説等によって、判例変更を促そうとしています。また、当該土地区画整理事業そのものについても、設計の概要の不備や違法性、事業の目的の充足不備、その原因などを個々に指摘し、主張しています。これに対して被告の浜松市・静岡県は、青写真判決を踏まえて、計画の処分性を否定する主張をしているのは言うまでもありません。 一審判決が出されたのは改正行政事件訴訟法施行間もない時期だったこともあり、担当裁判官は「青写真判決」を変更するような「勇気」がなかったのでしょう。判決文を読む限り、「最高裁ベッタリ」という印象です。下手に最高裁に逆らって、静岡から「遠洋航海」させられてはたまらないと考えたかどうかは知りませんが。 それでも一審判決は、それなりに審理していたのだろうと推測できます。ひどいのは控訴審の東京高裁平成17年9月28日判決です。たった3枚の判決書で、3枚目は裁判官の氏名が記載されているだけですから、正味2枚。一審判決からほぼ6ヵ月後に判決が出されていますから、たぶん、ろくな審理をしていないのかもしれません。しかし、この二審判決の約2ヶ月前の平成17年7月15日に、最高裁は、医療法に基づく病院開設中止勧告の処分性を認める判決を出しています。行政処分を従来よりも広く考えようとする姿勢を示しているのですから、もう少し丁寧な判決を書くべきではなかったでしょうか。あるいは、東京高裁の裁判官は、さっさと棄却判決を出して、「あとは最高裁にお任せします」という考えだったのでしょうか。 さて、最高裁の姿勢が徐々にではあっても行政救済に積極的になっている中、下級審でも行政に厳しい判決を出す裁判官も現れているようです。自治体訴訟法務、そして、行政側の主張という点からは、原告である国民に厳しかった過去の最高裁判例の合理性をいっそう強調するような訴訟対応も必要となってくるのかもしれません。
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石川啄木の取調べ事件簿 親しい司法書士の方が、以前、書かれた情報公開法に関する論文の中で、興味深い情報公開請求事例を記述されていましたので、ここでも紹介しておきます。
「石川啄木の検察庁の取調べ事件簿(明治39年検務事件簿中の特定個人に係る記載部分)」平成13年度答申第9号 この「事件」の内容は、わが国を代表する歌人である石川啄木が、1906年借金返済に絡み検事の取調べを受けた際の記録(検務事件簿)の開示請求を行ったところ、盛岡地検が情報公開法5条1号の個人情報に該当するとして、その存否を明らかにせず不開示決定をしたので、その決定の取消しを求めた事案とのことで。 情報公開不服審査会の答申は、「開示」。答申概要は次のとおりです。 本件対象文書は、個々の刑事事件について、その被疑者名、罪名、処分日、処分結果等を記載した文書であり、その記載内容は、特定個人に係る犯罪歴であって、法5条1号に規定する「個人識別情報」であることについては、処分庁・審査請求人双方に異論はない。 また、特定個人に係る犯罪歴を記載した文書の開示請求に対しその存否を答えることは、当該特定個人の犯罪歴の有無を明らかにするのと同様の結果が生じることとなると認められるので、特定個人の犯罪歴の有無が同号ただし書に規定する不開示情報から除外すべき情報に当たらない限り、このような開示請求に対しては、法8条の規定により、存否の応答を拒否して不開示決定を行うべきものであると考えられるので、争点は、本件対象文書が、同号イに規定する「法令の規定により又は慣行として公にされ、又は公にすることが予定されている情報」に該当するか否かということになる。 審査会は、『「慣行として公にされている」とは、現に公衆の知り得る状態に置かれており、かつ、それが社会通念上慣行と言えるものであることをいう』とし、『「慣行として」という要件を付加している趣旨は、一定類型の個人識別情報を公にすることがある程度ルール化されている場合に限って不開示情報から除外することとし、何らかの偶発的な事情で公になっているにすぎない場合については、個人情報の保護を優先させて不開示とするものであると解され、『「慣行として」とは、具体的には、行政機関によって当該情報を含む一定類型の情報が繰り返し公表されることである』とする諮問庁の主張を退けた。 そのうえで、本件については、 @ 当該故人の犯罪歴の有無については、当該故人自身がその著作物の中で捜査機関の取調べを受けた事実を明らかにしている。 A 昭和57年に地元で開催された企画展において、処分庁自ら、出品協力者として本件対象文書を提供したことが認められる。 B 処分庁が出品提供したことにより、本件対象文書は、その記載内容のまで読みとることができる状態で写真撮影され、これが当時の新聞記事に掲載されたほか、図録中にも同様の写真が掲載され、図録は、現在でも、地元の図書館や国立国会図書館等に所蔵されており、何人もこれを閲覧することが可能な状態にあることが認められる。 C 処分庁及びその上級行政庁にあっては、図録が現在まで講習の知り得る状態にあることを当然に認識しているものと考えられる。この間、地元の図書館等に対し図録の当該部分の閲覧の禁止を求めるなど、不特定多数の者が当該個人の犯罪歴の有無を知り得る現状を是正するための何らかの措置を講じた形跡も認められない。 と指摘し、「以上の事実を総合すれば、当該故人の犯罪歴の有無については、現に事実として公衆の知り得る状態におかれていたというだけではなく、処分庁の行った公表は、事後に当該情報が継続して公にされ続けることを前提としていたか、個別の特殊事情に基づく一時的なものにすぎないとはいえない。」という結論を導いています。 こういう事例からも、国の情報非公開主義、秘密主義の姿勢がよく理解できます。天国にいる石川啄木さんも特に抗議なされないでしょうし。
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スウエーデンの地方自治 木村陽子「マルメ市の市議会と区議会について」という論文が、自治研究84巻6号から8号で掲載されていたので、何気なく読みました。福祉先進国として知られるスウエーデンの地方自治について、議会を中心にかなり詳細に記述されています。
スウエーデンの地方自治法は「枠法」で、地方議会や地方自治体行政組織等のあり方は多様のようです。地方議会等の組織構造の大枠は一般化できるとしても、特定の地方自治体の現状をそのまま一般化することは難しいとされています。 マルメ市はスウエーデンでは首都のストックホルム、イェーテボリに次ぐ第三の都市で、人口約27万5千人、面積156キロ平米の、スウエーデンでは最も活気のある市のようです。スウエーデンの地方制度はコミューンと県(二つのリージョンを含む)の二層制で、コミューンとは日本風に言えば基礎自治体で、市とか町などの区別はなく、日本語訳として、人口規模などを考えて「マルメ市」と訳しているようです。 コミューンと県は対等で、19の県と300のコミューンがあるとされています。スウエーデンの人口が約901万人ですから、一つのコミューンの平均人口は約3万人という計算になりますが、実際にはかなりの差があることになります。マルメ市は「都市内分権」として区議会、区委員会の設置をしていますが、一方で、人口5万以上のコミューンが約50、10万以上が12と都市規模が小さいため、区制度を導入するコミューンは多くはないようです。 県知事と県管理委員会は国の機関であり、県知事は政府により任命され、任期は6年間。この点について、日本の都道府県知事は、もちろん、選挙で選ばれた人ではありますが、実態は官僚出身者が多いこと、市民の利益のために国に対して本当にモノが言える知事が果たしてどれくらいいるのか疑問であることから、この際、都道府県は国の機関にした方が実態に合うのではないかと考えたことがあります。 コミューンの事務のうち、社会保障給付(金銭的支援)は、日本の生活保護と異なり、一時的、臨時的な所得保障で、平均給付期間は3ヶ月強とのこと。日本の生活保護受給者のうち受給期間が5年以上が35%、10年以上は15%もいることと比べると、明らかに性格が異なるものであるとされています。この論文は、福祉制度を分析したものではありませんから、これ以上詳しいことは分かりませんが、日本の福祉制度を拡充しようと企んでいる論者が、やたらとヨーロッパの福祉制度を引き合いに出して比べようとする傾向が強いと理解していますので、単純な比較をすることは国民に誤った理解を植えつけることになることをあらためて認識できるところです。 マルメ市民の平均年齢は38歳、高齢化率17%、人口に占める外国生まれの者は26%で、平均所得は203,600スウエーデンクローナ(1skr=20円)ですから、日本円換算で年収約407万円になります。そして、女性のほうが男性よりも高学歴とのことです。 2006年度のマルメ市の歳入は140億1100万スウエーデンクローナで、その内、コミューン税79億6700万スウエーデンクローナ(構成比57%)となっています。歳入予算は日本円換算で約2800億円余り、コミューン税が約1600億円ですから、人口27万5千人という規模から考えれば、日本の自治体と比べて、明らかに「大きな政府」であると言えます。一般に、北欧諸国は消費税が高額であると言われていますが、人口と税収入の規模から考えると、かなり高率な税負担であることは理解できます。 日本の福祉拡充論者の中には、税金は大企業から集めて、自分たちは負担しないようにさせろという無責任極まりない狂った主張をしている輩もいるようです。そんなウマイ話は世界中探してもないことが、はっきりと理解できるでしょう。スウエーデンの税財政構造の詳細については知りませんが(例えば、軍事物資の輸出による国庫歳入の有無など)、高福祉低負担というのは資源のない日本では、まず、実現できないということです。
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個室ビデオ「宿泊」は「ファッション」?
毎日新聞6日付記事からです。 石原知事らしい発言でしょうけど、300円の宿泊所があれば、そういうところを選ぶでしょう。ファッションというのも、ちょっとどうかと思います。石原知事は何か別のものと勘違いされているんじゃないでしょうかね。 一方で、石原知事に質問状なるものを送りつけたNPO法人というのも、どこか英雄気取りに思えて、強烈な嫌悪感を持ちます。ともかく、何かにかこつけて問題を大きくし、政府に税金をつぎ込ませようとしているように思います。こういう団体に私が好意を持たないのは、やはり、福祉とか福祉団体というものを胡散臭く思っているからにすぎません。 この事件の容疑者は、生活保護を受けていたようです。ですから、もちろん、住居もあり、「最低生活」は国家が保障していたわけです。にもかかわらず15人もの死者を出す犯罪をおかし、「生活保護を受けているのは恥だと思った」という発言は、怒り心頭です。「ロクに仕事もしないで生活をさせていただいていたのに、こういうことになって申し訳ありません」というセリフがなんで出てこないんでしょうかね。 この事件の容疑者に関しては、個室ビデオに宿泊する必要性はまったくなかったわけですから、この事件にかこつけて、貧困者に公費で住宅を提供すべきだなどといった主張があるとすれば、悪乗り以外の何者でもないわけです。 それにしても亡くなられた方々は本当にお気の毒としか言いようがありません。将来、何の社会的貢献もできず、具体的に何の償いもできず、単に刑罰を受けることしかできない人間に殺された方やその遺族の方に、福祉の拡充を要求するしか能のない関係者はもっと真摯な姿勢を示すべきです。福祉や生活保護を受けていても犯罪に走るような者は、厳しく処罰すべきだということを、福祉関係者がもっと主張しなければなりません。ともかく、なんでもかんでも他人のせい、社会のせい、国のせいにする人間が増殖するばかり、本当に、卑しく、醜く、浅ましい。虫唾が走るとはこういう感覚のことでしょうかね。
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基本法の独自性と普遍性(2) 塩野論文では、「基本法の特色として、責務という言葉が極めて頻繁に用いられている点が特徴的である」と明確に述べられています。37法律中、責務規定が文言上も解釈上も全く認められていないものはないようです。このことは、基本条例においても、この傾向はかなり顕著ではないかと思います。
もっとも、責務規定は訓示的なものであり、ただちに具体的な行動義務が発生するものではありません。それでも、「基本法が数を増すごとに範囲が無限定に拡大していることに基本法制の特色が見られる」とされています。教育基本法においても、教育目的・教育方針規定は厳密な法規範として構想されていなかったため、訓示規定的理解として、強制力はないが一定の作為不作為を義務付けることを容認する結果となっていることに注意しなければならず、ここに責務規定の問題性があると指摘されています。その問題性とは、責務規定の適用範囲に厳密性が要求されないため、十分自覚されずに拡大していく可能性があり、基本法の対象の拡大によって、立法権者が国民の生活に幅広く立ち入って義務を課すことを認めることになり、それが当たり前のように受け入れられているとされているのです。 塩野論文では、立法過程で安易に国民に対する責務規定を導入することは避けなければならないし、国民に訓示することが国会の権限の範囲内であるかどうかの吟味が必要であるとされています。責務規定の存在によって、国家権力が国民生活を制御することができるようになることを、懸念されているのでしょうか。そうだとすると、基本条例によって責務規定が多数導入されていることについても、同様の懸念が生じるということになるのでしょうか。私は、条例の責務規定に、果たしてどれほどの「威力」があるのか、極めて疑問に思っているだけに、塩野論文が基本法の責務規定に警戒心を示されるのは、どこか過剰反応のようにも思うわけです。もっとも、国家の国民統治戦略というのは、こうしたやり方でジワリと浸透させることも考えられますので、塩野論文が根拠もなくこうした懸念を示されていると考えるのは、あまりにも安易すぎるのだろうという気持ちもあります。 基本法に外国法の影響は少ないという指摘は、確かに欧米諸国の法制を参考にしている日本の法律の中で、異例ともいえます。もっとも、欧米諸国でも制定法のレベルで、理念・基本原則・政府の責務を定める例はあるとのことで、その原因として、新たな政策課題に総合的に対応しなければならないこと、個別法規解釈に当たっての基本原理を示しておくことが重要と認識されていると述べられています。現代国家の課題への対応として、基本法の存在が普遍的になっているということでしょうか。 法律の形式の多目的利用は、現代法における概念の相対化現象の一環と見ることができるとされ、基本法制の活用は現代法のさきがけと近代法の不完全定着の現れの混合状態であると述べられています。そして、責務規定は安易にこれを定めることは極力避けるべきであり、対象によっては、立法権限外にわたることも留意しなければならないとされています。 以上、かなり荒っぽいですが、まとめてみました。
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ねんきん特別便にみる厚労省・社保庁の傲慢体質 週末、「ねんきん特別便」が我が家にも届きました。私ではなく妻のものです。窓あき封筒に住所と氏名が印刷されており、開封すると、「Tねんきん特別便 年金記録のお知らせ」「U年金加入記録回答票」、それに「1 必ずご確認・ご回答をお願いします 厚生労働大臣 舛添要一」などと記載された説明書、そして返信用封筒が入っていました。
幸い、妻の年金記録には誤りはなく、「年金記録回答票」に所定事項を記入して返送するだけなのですが、同封されていた返送用封筒が、どういうわけか小さい。年金加入記録回答票はA4版で、やや厚みのある用紙で、三つ折にされていました。しかし、返信用封筒はどういうわけかこれよりも小さい。三つ折のままでは封入できない。タテはもちろん、ヨコも足りない。さらに二つ折にして封入しなければならないのです。 なんでこういうことをするんでしょうかね?回答を求めているのは厚労省・社保庁ですよ。回答がなければ「回答しないお前が悪い」とまた居直るつもりなのかもしれませんが、封筒代予算をケチるとは、どういう了見なのかと思ってしまうわけです。 こういうちょっとしたことに、年金問題という重大な事件を起した当事者である官僚の無反省さ、傲慢さ、市民感覚のなさを感じ取ってしまう人は多いのではないでしょうか。
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基本法の独自性と普遍性(1) 日本学士院紀要第63巻第1号で、塩野宏「基本法について」と題した論文が掲載されています。多くの自治体で「自治基本条例」の制定やその検討をはじめ、そのほかの「基本条例」も数多く制定されていると思います。そのための知見を得るために、「基本法」に関して行政法学の権威が論じていることを知っておくことは重要だと思います。
日本の法律で、初の基本法は昭和22年3月公布の改正前教育基本法です。以来、30以上の法律が制定されています(論文に付されている別表では改正前教育基本法、廃止された農業基本法を含めて37法律)法令上の用語例としての基本法は、日本の教育基本法が世界初で、日本人の発明になるようです。 基本法の制定は、平成になってから急増し、この10年間で20以上になっており、初期ともいえる教育基本法や原子力基本法は戦後改革を象徴する理念(平和・民主・自主)を掲げることを主眼としていましたが、最近は国の具体的政策へと傾斜しており、これを世俗化とし、基本法が増えたことによって、その内容の標準化が行われるようになったとされています。 それでは基本法の独自性は、どのような点にあるのでしょうか。 まず、議員立法と内閣提出法案の比率が均衡していることをあげています。37法律中、19本が議員立法というのは、他の法律案と比べると突出していると思います。 規定内容の特徴として、責務規定があります。これは自治基本条例など、各種基本条例などにおいても、頻繁に規定されています。責務規定は、はじめから基本法に盛り込まれていたわけではありません。昭和43年の消費者保護基本法(現在の消費者基本法)からで、これ以降にある程度標準的カタログが出来上がったとされています。また、規定内容の特色として、啓蒙的性格、方針的性格(非完結性)、計画法的性格、省庁横断的性格、法規範的性格の希薄性(権利義務内容の抽象性・罰則の欠如)の5点をあげておられます。 塩野論文は、基本法と通常法(通常法というのは、基本法との対比での言い方でしょう)の異同として、通常法では要件・効果を定める規律を中核とし、まれに、責務規定その他の規定がおかれるのに対し、基本法では責務規定など非法規的な定めが一堂に会しているところに特色があるとされています。また、基本法の共通的特色は実施法の存在であるとされています。 基本法の共通的特色である実施法の存在について、基本法は自己完結的な法典ではなく、その理念・価値・方針を実現するために別の法令等の制定・施行を前提とし、実際に、37法律中33法律が基本法とは別に実施法が明記され、あるいは解釈上認められているわけです。 この点、自治基本条例とは別に、行政領域別の基本条例等を制定することは、自治基本条例だけではその理念等を十分達成できないことと似ているように思いますが、ただ、自治基本条例を自己完結的な条例ではないと言い切ってしまうことには、多くの方が抵抗を示されるでしょう。もっとも、それ以外の基本条例、例えば、環境基本条例や男女共同参画基本条例などは、自己完結性がやや希薄と解することができるかもしれません。このあたりは、あくまで相対的なものと理解できそうです。 さらに、自治基本条例との対比で興味深い論点として、法解釈上の論点があります。基本法の法体系上の位置づけとしては、基本法といえども他の法律と同等であり、上下関係にはなく、後法は前法を破るという原則は基本法と実施法の間でも肯定されます。ところが、これに対して、基本法改正手続き限定論(中央省庁等改革基本法に関して、改革基本法の中には政府が今後も体制を維持すべきものとしているものがあり、これと異なる体制をとるには改革基本法の改正を必要とするとともに、政府はその改正案を提案することはそれ自体、基本法違反の行為であり、法的に許されないため、法改正の提案権を持たないという藤田宙靖説)というべき主張が存在おり、塩野論文では基本法制に共通する面も持っているとされています。もっとも、塩野論文では、内閣の法案提出権を制限する法律の制定については、法律で憲法上の権限を制限できるかどうかということになり、これは認められないのが自然であるとされています。 自治基本条例が制定された後、その自治体の「政権交代」によって自治基本条例が停止状態になることが、最近の自治基本条例論の大きな論点になっています。藤田説のような考え方が、自治立法の中で肯定されれば、こうした事態はかなり回避できるのかもしれませんが、それは自治基本条例だけではなく、他の基本条例にもあてはまってしまうことになり、仮に肯定的に考えるとしても、どこまでの範囲となるのかが分かりにくく、なかなか難しいのではないかと思います。
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国民健康保険の都道府県単位化
毎日新聞9月30日付記事からです。 今月15日に後期高齢者医療制度の保険料年金天引きが実施されます。11月には総選挙の可能性が高いため、与党議員たちにとっては頭痛の種でしょう。舛添大臣の私案ということですが、選挙で与党が大勝すれば、「はて、そんなこと、言ってましたっけ?」ということになるのでしょう。 攻める野党はまたもや攻撃材料をゲットできたわけで、鼻息が荒いと思います。しかし、野党も後期高齢者医療制度を廃止し、以前の老人保健制度に戻すと言うだけでは政策立案能力がないと判断されかねません。効果的な対案を出せるかどうかですが、難しいでしょうね。
毎日新聞10月1日付記事からです。 市町村は国保の赤字に苦しんでいます。国保の都道府県単位化に反対の声が挙がるのは子どもでも理解できたはずですから、「広域連合」というのは、厚労省にすれば目論見どおりだったのではないでしょうか。 年金は国、医療保険は都道府県、介護保険は市町村という棲み分けになるのでしょう。年金は、いざとなれば、「払えないものは払えない」と居直ることができます。年金算定に誤りがあっても、本来の額の支給には1年要すると、社保庁の人は平気な顔で言えます。また、国保を都道府県単位化したところで、市町村の負担が軽減されるわけではないでしょ。市町村の窓口職員は制度がどうなっても、苦情対応に追われ、悪役にされるわけです。
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