政治家

 「串打ち3年裂き8年焼き一生」という言葉があります。江戸前の鰻職人として一人前になる修行年数を「桃栗3年柿8年」をもじって表したものですが、どんな職業でもこのような経験(修行)年数が必要ではないでしょうか。ところが、その経験がまったく必要とされない職業があります。それが政治家(公職選挙法の規定に基づき選挙で選ばれた人)です。今や、逆に経験の無さや年少であることをウリにする政治家さえいるぐらいです。
 ベタな言い方をすると、かつては、ある地域や集団において、「アンタなってくれへんか」という人がその地域や集団を代表して政治家になっていたように思うのです。それが、一昔前ぐらいから「オレなりたーい」という人が増えてきたのではないでしょうか。
 この「アンタなってくれへんか」という人は、目に見えた地域や集団のために政治を行っていました。それは、具体的な政治活動であり、そこには住民の生活がありました。ところが、社会が複雑化し、こうした地域や集団を維持することが難しくなってきたことが住民を政治的に無関心にしてしまったのではないでしょうか。その結果、「オレなりたーい」という人が政治家になる土壌が作られたのではないかと思われます。
 「オレなりたーい」という人を支持するコミュニティはありません。ですから、何らかのパフォーマンスやポピュリズムが必要なのでしょう。それは、抽象的な政治活動であり、実際の住民生活とはほとんど関係がありません。ある大学教授が「議員がものを言うとき、「市民の信託を受け……」や「市民のために……」といった言葉を枕詞のように使うのは、なぜなのでしょうか」とおっしゃっていたことがありました。それは、おそらく、「オレなりたーい」という人が議員になっているからではないでしょうか。
 地方分権だ住民参画だといわれていますが、一昔前に「アンタなってくれへんか」という人が政治家になっていた頃の方が、政治が住民のものであったように思うのです。

投稿者 おおさか政策法務研究会管理人 : 16:25 | 政策法務

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