おおさか政策法務研究会前史


1 孤軍奮闘の時代

 個人的には、おおさか政策法務研究会設立の源流は、平成8年頃まで遡ることができるのではないかと思っている。
 当時の大阪府内の法務担当職員といえば、一部の市を除き、せいぜい1人か2人で、文書事務や郵便事務はもちろんのこと、統計事務、果ては防災、選挙といった事務まで兼務しながらの、まさしく片手間の法制事務といったほうが適切な時代であった。
 法務担当者の研修会もこれといったものはなく、内閣法制局参事官を招聘しての法制執務研修会ぐらいであった。職員はひたすら、いわゆる準則と参考書を頼りにそれなりに事務をこなしていた。
 「役所で法務というと、小さな部署で、注釈書や通達を眺めて、人の施策の足を引っ張る仕事と理解され、静態的・防御的な、つまらない仕事というのが通念のようであり、地方公共団体の研修でも法制研修は減らされる傾向にある。」(阿部泰隆教授の「政策法務からの提言」(日本評論社)は、中らずと言えども遠からずである。
 ところが、行政手続法が公布・施行された頃から、状況は一変した。大阪府の行政手続法の説明会では、質問は一切受け付けませんといい、申請に係る処分かどうかの判断を上級官庁に問い合わせても梨の礫であった。行政手続条例を制定しようとしても、申請に対する処分の洗い出し、審査基準の設定といった一連の作業が、まったくの手探りの状態で、各市で独自に行わなければならなかったのである。行政指導の取扱いをどうするのか、市独自の規定を設けるのか等々他市の状況を見極めながら市としての判断をしなければならない状況下に置かれ、各市の法務担当者は、一人悶々とした状態の中で悪戦苦闘していた。
 さらに各市とも行政手続条例だけでなく、資産公開条例、情報公開条例、個人情報保護条例の制定へと進む中で、国に先行した形での孤独な戦いを強いられていたのである。
 そういう状況下で頼りになるのは、先行した他市の条例の研究と同じ悩みを持つ者同士の意見交換であった。

2 他市との交流・意見交換の始まり

 先行すること昭和63年には、大阪府内の一部であるが、寝屋川市、大東市の職員が中心となって、北河内7市法規担当職員連絡会を組織し、既に情報交換等が行われていた。
 平成8年になって、藤井寺市や富田林市の職員らが中部7市法規事務担当者研究会(現在は中部7市3町1村法規事務担当者研究会)、平成9年には泉佐野市、泉南市、岸和田市の職員が中心となって阪南8市法規事務担当者研究会(現在は阪南8市4町法規事務担当者研究会)が組織され、各市の取組や課題について情報交換や研究が行われた。
 また、こうした一連の流れを受け、当時横の連絡組織がなかった池田市や八尾市の職員を含めて、何回か交流会を行ううちに、大阪全体を網羅する研究会を組織しようということになり、池田市、泉佐野市、柏原市、高石市、交野市、茨木市、岸和田市等の職員が準備会を組織し、大阪府内の法規担当職員の研究会を開催しようとした。
 大阪府内を網羅する形での研究会を組織しようとした理由は、
@ 各市の法務組織の実情と法務担当職員の名簿を整理することにより、法務担当者同士の交流と情報交換を進める契機となる場を設けること。
A 同じような悩みを抱える担当者同士の意意見交換を通じて新たな解決策が見出せるような機会を設けること。
B 先進的な他市の取組に学ぶことにより、新たな取組の契機となること。
C 上級官庁との関係で、窓口的な組織を作り、お互いの協力関係と意思疎通を図ること。
D 市町村法務担当職員の自己研鑽と資質の向上を図り、府内の法務担当職員のボトムアップを図ること。
等であった。

3 府下法規事務担当者研究会の開催

 平成11年7月29日、当時最も関心のあると思われる「地方分権推進一括法に係る例規の整備の取組について」をテーマに、第1回の大阪府下法規事務担当者研究会を開催した。
 当日は、当初の予定を遥かに上回り、大阪市をはじめ、府内(44市町村のうち)43市町村、70名を超える職員の参加を得て、無事成功裏に終わった。
 しかしながら、参加者の数が多すぎたため、各市の取組や実情まで話し会う時間は限られてしまい、さらに、継続的な研究会を立ち上げようとする呼び掛けには、総論では賛成だが、各論ではいろんな意見が出て、組織の枠組みの形成や幹事等の選任までこぎつけることは、残念ながらできなかった。
 ただ、2次会には44名が参加、更に有志の3次会へと深夜まで交流が行われた。
 そして、この研究会のときに作成した府内の法規担当の組織と名簿を活用して、その後いろんな情報交換等が行われ、ネットワークが築かれたことは、成果としてあげることができる。
年が変わり、これまで積極的に動いてくれたメンバーの人事異動等があり、2年目は交流会さえ開催されず、研究会は立ち消えの状態になってしまった。

4 打ち上げ花火はやめよう

 3年目の平成13年の春、昨年介護保険課に異動になったK市の職員から、昨年は研究会が開かれなかったと聞き、「今年は是非やりましょう、年休をとってでも手伝いに行きますよ。」と一本の電話が入った。
 これを契機に、また一から準備会の組織作りが始まった。そして、これまでの人脈を頼りに何とか一本釣りでメンバーを集め準備会を立ち上げた。
 今回は、前回の反省に立って、じっくり議論ができる実りのある研究会にしようと、全てを自前の研究会を合言葉に、今一番聞きたいこと、議論したいこと、課題となっていることを中心にテーマを設定、各市の取組、事例発表を基に、分科会方式で研究会を開催することにした。
 ただ、今回は、前回と違い、大阪全体を網羅する形での研究会を継続的に組織することは、組織の運営や会場等の問題を考慮して諦め、打ち上げ花火的な研究会は、今回限りとすることにした。
 準備会では、テーマの設定から検討が始まり、そのテーマの事例発表にふさわしい市町村の選定、依頼を行い、研究会の1箇月前には、司会、記録、事例発表者との事前打合せ会も開催した。
 第1分科会は、「例規審査会の取組」、第2分科会は、「市民参加と条例〜市民参加の法的手法」、第3分科会は、「分権時代の自治体法務〜政策法務をどう進めるか」とし、当日の研究会のレジメ・資料等は80ページにも達した。
 研究会当日は、35市町56名の参加で、2次会には34名の参加があった。分科会の時間は少なくとも2時間を確保し、議論中心の場になるよう心がけた。
 そして、これまでの研究会の反省を踏まえ、やる気のあるメンバーだけの継続的な研究会組織を立ち上げることにし、準備会の呼び掛けに応じた21市の職員で、任意の継続的な政策法務に係る研究会としておおさか政策法務研究会が誕生した。
平成19年1月27日更新

<トップページへ戻る>