最終更新 09.11.29
15 [監修]出石稔 [著者]肥沼位昌 『自治体職員のための政策法務入門5 環境課の巻』(第一法規、1,800円)
シリーズ第5巻で、これで完結ということです。サブタイトルが「あのごみ屋敷をどうにかしてと言われたら」と、どの地域でも問題になっている事柄をズバリ出しています。第1巻から第4巻までと比べて、エピソードが13とやや少ないものの、中味が濃厚になっています。そのため、入門書のレベルを超えているようにも思いますが、とても面白く読むことができました。
ものがたりの舞台は「夢の国県」の「みどりの市」という人口10万人ほどの自治体です。エピソード7「捨ててはおけない―ごみ屋敷騒動」は、まさにこのサブタイトルに即したものですが、民法の事務管理規定(697条、702条)を活用するなどして見事に解決しています。しかし、ごみ屋敷の持ち主がごみ回収費用15万円をポンと出してくれたことなどは、やや現実離れしていると思いました。このあたりは「夢の国県」という夢の話ということなのでしょう。このほか、エピソード10「アパッチ攻防―古紙持ち去り対策」では、刑法の窃盗罪(235条)等の解釈も検討する場面があり、政策法務が行政法だけではなく、民法や刑法なども関連してくることを教えてくれています。
個人的希望としては、このシリーズの続刊として、教育委員会や税務、会計などの部署も取り扱ってもらいたいです。
(09.11.29記)
14 [監修]出石稔 [著者]横須賀市まちづくり条例研究会 『自治体職員のための政策法務入門4 まちづくり課の巻』(第一法規、1,800円)
好評を博しているシリーズ第4巻です。サブタイトルは、「中高層マンション問題を円満解決するには」となっています。架空の自治体「みさき市」の「まちづくり課」を舞台に、土地利用と都市計画、建物の高さ制限、都市計画手続条例、地下室マンション条例などが、「ものがたり」として19のエピソードで綴られています。政策法務で最も議論が活発なのが、このまちづくり関連法制ないし都市法制と言われている領域だと理解しています。初学者が難解なまちづくり法・都市法の全容を一挙に理解するのは大変ですが、本書では現場で発生する政策法務的課題を設定し、エッセンスを提示している点で、入門書として最適だろうと思います。
(09.11.03記)
13 神谷説子・澤康臣 『世界の裁判員 14か国イラスト法廷ガイド』(日本評論社、2,000円)
日本の裁判員制度のほか、アメリカなど13か国の裁判員制度(陪審、参審)について、お二人の著者が各国の裁判所や実際の裁判などの取材に基づいて、様々な事例を紹介され、法廷の様子を描写されるなど、分かりやすく解説されています。外国の司法制度は歴史や宗教などとの関係で、多様であることがわかり、とても面白く読むことができました。陪審員と参審員については、どちらも一般市民の中から裁判所に選ばれますが、陪審員は市民だけのチーム、参審員は市民と裁判官が一緒になって判断するというもので、日本の裁判員は参審員の一種になります。陪審員といえば、アメリカの制度が一般的に知られています。本書はあくまで刑事裁判に関するものですが、拙HPの初期のころに、丸田隆『アメリカ民事陪審制度』(弘文堂)の感想録を掲載しています。
国によって裁判もいろいろだと思わされたのは、例えばイギリスの裁判所では裁判官も弁護士もカツラを着用していること、長年検察官という職業がなかったこと、今年10月まで最高裁判所がなかったといった点は、興味深いところです。また、デンマークの法廷では、裁判官は黒い法服ではなく普通の洋服を着ていて、検察官はジーンズをはいている、「Gパン検事」という状態だとのことです。
本書では、諸外国の裁判員について、総じて言えることは、市民は真面目に取り組んでいるということが随所で記述されています。裁判員制度によって司法が機能不全に陥っているということは少ないようです。
(09.11.03記)
12 木佐茂男・宮澤節生・佐藤鉄男・川嶋四郎・水谷規男・上石圭一 『テキストブック現代司法(第5版)』(日本評論社、2,800円)
本書は司法制度全体に関して、制度的問題点や司法史なども含めて相当詳細にまとめられた文献です。1992年に初版、その後、改訂が繰り返され、第5版が刊行されました。法律書としてはかなりのロングセラーであり、仄聞によると、大学法学部やロースクールでの講義用テキストとして広く活用されているようです。
三権分立制度の中で、一般市民からもっとも知られていないのが司法部門であり、その置かれている環境、独立していない裁判官、事務総局が仕切っている最高裁判所、激増する弁護士といったような、司法が抱えている重大な問題点について、分かりやすく解説されています。
訴訟に関わったことがない人でも、これからは裁判員として重大事件の刑事裁判に関わることになります。裁判員制度に関するマスコミ報道の中には「あなたは死刑判決を言い渡せますか?」などと無用の不安を煽るものがあり、その影響もあって、裁判員に消極的な人たちが多数存在します。しかし、裁判員が行う職務は、事実認定と法令の適用、刑の量定であって、訴訟指揮や法令解釈は裁判官の職務です。また、判決は評議の結果を踏まえ、裁判官が宣告するもので、裁判員が判決を言い渡すわけではありませんし、判決書も裁判官が作成し、裁判官名だけが記載されます。新しい制度ですから不安はありますが、せっかくの新しい取組みを破壊しようとする報道を鵜呑みしてはいけないということです。
本書は、司法に関する諸問題について知ることができる、最適の文献としてお薦めできると思います。
(09.06.21記)
11 橋本博之 『行政判例と仕組み解釈』(弘文堂、3,800円)
著者は慶應義塾大学教授。本書は行政法における解釈方法・解釈技術という観点から行政判例を分析し、裁判実務と行政法学の架橋を目指したものとされています。全体としてはかなり難解な文献で、果たしてどこまで理解できたのか自信はありません。本書で採用されている「仕組み解釈」というのは、聞き慣れないものですが、行政法の条文解釈を要する場面において、条文の文言に沿うだけではなく、その法律全体の仕組みを理解し、しかも関連するほかの法律まで検討をしたうえで、全体の仕組みの一部として当該条文を解釈しなければならないという考え方だと理解できそうです。この「仕組み解釈」を要請している典型的な法律上の根拠として、改正行政事件訴訟法9条2項があります。係争処分の根拠法令の法的仕組みを精密に検討して「法律上の利益の有無」を判定するという、「仕組み解釈」の精緻化・実質化を求めていて、しかも、改正法の立法趣旨が「国民の権利利益の実効的救済」であり、これと整合的な「仕組み解釈」が要求されているわけです。
本書では、行政処分、原告適格、行政裁量などの行政法学上の諸論点に関する重要判例について、仕組み解釈がなされているかどうかという点から分析をされ、判決内容について評価をされています。最近の行政判例には従来ならば否定されていたようなものでも、処分性を肯定するものが相当数出されており、実効的救済に積極的になってきていると思う一方、救済を重視しすぎる余り、「法的効力」をどこか無理やり肯定することでやや過大に処分性を認めている印象も残っています。また、それは、裁判所による法的仕組みの作り直しという評価、見方も可能なのではないかと思われます。行政事件訴訟法改正によって、従来の取消訴訟だけではなく、確認訴訟の活用なども用意していることからすると、立法の意図を全体として受け止めていないのではないかという疑問も生まれてきます。実効的救済を重視した判例が積み重ねられると、その後追いとして学説上も新たな理論開発がなされるということでしょうか。
こうした疑問を持ちつつも、橋本説の唱える「仕組み解釈」という考え方には強い共感を覚えます。自治体の法令自主解釈権から「仕組み解釈」を考える場合、例えば、従来なら処分性を否定されていた行政活動について、判例の動向から、今後は裁判所が処分性を肯定する可能性があると認識すれば、当該法律の表面的な条文解釈だけではなく、関連する法令も詳細に検討することが要求されます。その積み重ねで自治体現場の法令解釈にも変化が生じるのではないでしょうか。政策法務の理論開発という点からも有益な一冊だと思います。
(09.05.24記)
10 福島重雄 大出良知 水島朝穂編著『長沼事件 平賀書簡 35年目の証言 自衛隊違憲判決と司法の危機』(日本評論社、2,700円)
本書については、いくつかの全国紙で大きく取り上げられており、かなりの反響があると思います。1973年(昭和48年)9月7日(金)札幌地裁は長沼ナイキ訴訟で自衛隊違憲判決を言い渡しました。そのときの裁判長が福島重雄氏です。訴訟そのものは森林法26条2項に基づく保安林の指定解除処分の取消訴訟であり、行政事件訴訟になります。最高裁は1982年(昭和57年)9月9日、行政処分について原告住民に訴えの利益なしとして住民側の上告を棄却し、自衛隊違憲審査は回避しています。したがって、自衛隊の違憲合憲の司法判断は、未決着のまま現在に至っているということになります。
さて、自衛隊違憲判決を言い渡した裁判官からイメージするのは、「共産主義者」といったものになりますが、決してそういう人物ではないことが本書からも分かります。基地反対派が法廷に乗り込んできたとき、機動隊を導入し排除しているということからもそれは窺知できます。ただし、違憲審査についてはかなり積極的な姿勢の持ち主であったことは間違いないようです。当時も今も、裁判官というのは違憲判断を回避する人が多数派のようです。そいういう意味で、福島氏は裁判所の中では異端だったのかもしれません。逆に、平賀書簡問題で司法の危機と言われた張本人、当時の札幌地裁所長・平賀健太氏(故人)は、日本国憲法や違憲立法審査権に否定的見解を持つ人物であったことや、部下ではないはずの福島裁判官に訴訟指揮についてしばしば口出しをしていたことが紹介されており、こういう人が司法部門の要職についていたことが驚きです。国会の訴追委員会で、問題を起した平賀氏が不訴追、被害者であるはずの福島氏が訴追猶予というのも、おかしな結論です。司法内部の体質というのは、当時も今も変わらないと思います。つまり、平賀書簡事件のようなことは、現在でも裁判所内で横行しているのではないかという疑念が生じるのです。
本書では、問題となった書簡の内容やそのコピーの写真も掲載されていますが、福島氏は書簡原本を所持しておらず、他の人が保管しているとのことです。身の安全などの自衛策の一環なのでしょうか。この点も興味深いです。
(09.05.06記)
9 山口道昭編著 『入門 地方自治』(学陽書房、2,500円)
大学法学部での講義用テキストとして執筆されたものです。山口先生は元川崎市職員で、現在は立正大学法学部教授。政策法務界では知る人ぞ知る政策法務の旗手としてご活躍されています。本書は地方自治に関する諸法制や地方自治をめぐる最近の動向などについて、250頁余りの分量でまとめられています。関東学院大学法学部教授の出石稔先生による14本のコラムや本書最後尾に掲載されている地方自治年表などにより、地方自治を初めて学ぶ人が興味を持って読み進めるような工夫がされています。本書からも理解できますが、分権時代になっても、国と自治体の対等協力関係は構築されているとは思えません。
講義用テキストとはいうものの、初任公務員などの人が地方自治について包括的に勉強するためにも好適と思います。ヤル気のある次世代の若手職員は、こうした文献などによって理論武装をし、「要綱依存による行政」、「先例による行政」、「勘による行政」といった古色蒼然とした行政からの決別に挑んでほしいものです。
(09.05.06記)
8 本村洋 宮崎哲弥 藤井誠二 『罪と罰』(イースト・プレス、1,500円)
1999年4月に発生した山口県光市母子殺害事件の被害者遺族である本村洋氏と2人の評論家による鼎談と最後に平成20年4月22日に広島高裁で出された死刑判決の全文が収録されています。この事件について、本村氏自身の肉声がまとめられている文献であり、興味深く読ませていただきました。世紀末近くに発生した史上稀に見る凶悪犯罪に関する文献として貴重な一冊になると思います。
宮崎氏は死刑廃止論者、藤井氏は存続論者だと思われます。本件の死刑判決については、「目的のためには手段を選ばない弁護団」(18頁)によって被告人が死刑にされたという見方(196頁〜197頁)は、私も同感です。弁護士と付き合いのない多くの人は、弁護士というのはああいった人たちだという偏見を持たれたのではないでしょうか。ひいては弁護士という職業に対して、悪いイメージが形成されたかもしれません。
死刑制度について本村氏は「どうして死刑に抑止力がないと簡単に言い切ってしまわれるのかがわからない。本当に死刑に抑止力がなかったとしたら他の刑罰にも抑止力はないはずですよ」(132頁)と主張され、冤罪の危険性は死刑の本質問題ではないとも述べられています(134頁)。また、被告人の生い立ちが不幸であったことについては、本村氏は「そこに責任転嫁して犯罪を正当化することは許されない」(150頁)、そして「加害者は更生する権利ではなく、更生する義務がある」(169頁)と主張されています。昨今の格差社会論の延長線で、社会的弱者の犯罪行為を擁護・容認するような虫のいい主張もあるようですが、到底受け入れられるものではありません。本書の中で繰り広げられる本村氏の一つひとつの発言がすべて説得力に富んでいて、また、強い共感を覚えます。これは犯罪被害者遺族として、加害者優先の歪んだ刑事司法に真正面から向き合ってこられてきたからこそなのでしょう。
(09.05.06記)
7 北村喜宣 『現代環境法の諸相』(放送大学教育振興会、2,200円)
放送大学教養学部「社会と産業コース」の専門科目である「現代環境法の諸相」の教材として執筆されたものです。全体で15章構成、本論200頁ほどのテキストです。北村先生からいただいたご著書はこれで15冊目になります。本書では、個別環境法の解説ではなく、それに通底する考え方、理論を提示し、環境法政策を分析し、その理論的分析の中で個別環境法を適宜素材として利用するという執筆をされています。つまり、少なくともこれまでの環境法学では提示されてこなかった「環境法総論」の試みがなされたものだということになります。
第1章の冒頭にも記述されていますが、環境法は体系らしきものがなく、一方で法律の数はとても多いです。多数の環境実定法に共通する環境法政策の目標とは、社会の持続可能な発展を環境面から支えるものだとされています。その中で、社会共同利益としてどのように構成するかという点に関して、「環境公益」の実現が環境法の目的であり、それは参画なしには決定できないものだと主張されています。もっとも、環境法の議論に必ず出てくる環境権については、少なくとも人格権や生存権という伝統的人権を受け皿にするのは無理であるとされています。参画を要する環境公益との関連では、自治体環境部門の職員にとっては、環境法の執行というものに大きな関心が寄せられると思います。そして、法執行における市民参画については、効果的な監視やモニタリングには市民の協力を得るような制度設計が必要になり、行政活動の補助者としての参画として、アドプト制度や周辺住民による個別事業場の規制遵守状態チェックを用意している廃棄物処理法の例などを示されています。
環境法総論のテキストは、まだ希少な存在です。本書がその先鞭をつけるように思われます。「入門書」というにはややレベルが高いかもしれませんが、環境法に関心のある方は是非ご一読ください。
6 [監修]出石稔 [著者]提中富和 藤島光雄 『自治体職員のための政策法務入門1 総務課の巻』(第一法規、1,890円)
第一法規から出版されているシリーズの第1巻がようやく出ました。サブタイトルは「自治基本条例をつくることになったけれど」です。本書は、監修者はもちろん、著者の提中氏、藤島氏とも各種の政策法務研究会で日頃から親交のある方々です。このお二人のほか、「おおさか政策法務研究会」のメンバー3名が分担執筆されています。
構成と内容は、既刊の「市民課の巻」「福祉課の巻」と同様、「第1章総務課の仕事」で出石氏が総論的なことを執筆され、「第2章総務課のものがたり」では架空の自治体「あしのべ市」の総務課を主舞台にした、20のepisodeで構成されています。
「総務課の巻」の特徴を一言で説明するならば、それは「政策法務総論」に匹敵する領域を扱っているということです。「市民課の巻」や「福祉課の巻」が、「各論」であるのと対比すればいいと思います。内容も「総務課と文書管理」、「法務と監査」、「情報公開制度」など、全庁共通の課題で占められており、政策法務総論としての色合いが濃いと思います。総論から各論へ、あるいは各論から総論へと相互に読むことで、政策法務の面白さが理解できるのではと期待しています。
(09.04.19記)
5 磯部力・小早川光郎・芝池義一編 『行政法の新構想V』(有斐閣、3,200円)
有斐閣から出版されたシリーズ第2弾です。Vでは「法律上の争訟と司法権の範囲」(亘理格)、「抗告訴訟と法律関係訴訟」(芝池義一)をはじめとする、行政救済法に関する論稿が14本収録されています。いずれも今までほとんど考えたことのない論点を多数取り上げられており、私にとってはかなり難解なものが多く、理解度は心もとないと言わざるを得ません。
「行政訴訟における行政の説明責任」(北村和生)では、積極的に行政の意思決定過程の正当性や適法性を行政自らが論証する責務が行政訴訟における説明責任であるとされています。そして、行訴法23条の2は、行政の説明責任に根拠を持つことから、釈明処分の対象となる文書が民訴法151条のような限定がないと述べられるとともに、裁量審査の審理を実効的なものにするために行訴法23条の2を活用すること、行政処分がなされた場合の訴訟である取消訴訟等に適用を限定される積極的な理由はないと主張されています。
「行政訴訟の審判の対象と判決の効力」(大貫裕之)は、「措置としての行政行為」と「規律としての行政行為」という二つの概念を取り上げています。前者は、主体・名宛人・内容・日時で特定されたものを処分とし、後者は、一定の事実状態と法を前提として、ある者に対してなされるべき規律の意味で処分の語を使用するとしています。両者の違いが発生する例として、規律の内容(Xは租税債務A円以上負う)は措置としての処分が繰り返されても、当初の処分の取消訴訟に新たな訴訟を併合したり、当初の訴訟を変更する必要はなく、違法と判断されれば、反復される行政行為に既判力が及ぶとしています。
行政事件訴訟法が改正され、行政訴訟に対する裁判所の姿勢は、以前と比べると行政に厳しい傾向が鮮明になりつつあるという印象を持っています。行政救済法に関する相当細部にわたる議論が凝縮された論文集であり、学説の進展を実感できると思います。
(09.04.11記)
4 小西砂千夫 『自治体財政健全化法』(学陽書房、2,500円)
著者は財政学専攻の関西学院大学教授です。したがって、本書は法律学ではなく財政学からの説明が中心となっています。自治体財政健全化法は4つの財政指標指標(実質赤字比率、連結実質赤字比率、実質公債比率、将来負担比率)で、すべての自治体を「健全段階」「財政の早期健全化」の段階、「財政の再生」の段階の3つに区分し、早期健全化段階や財政再生段階になったときは、それぞれの枠組みの中で財政健全化を促すものとなっています。法律とともに政令、省令がすでに公布されておりますが、私にとって、その条文は素読しただけではほとんど理解できない難解なものです。それは財政学の知見を導入した法令となっているためだと思っています。読後の率直な感想としては、自治体財政健全化法とその政省令を相当噛み砕いて解説されており、何とかある程度まで理解ができた気がします。そして、自治体財政健全化法は、財政破たんを防止するためのものであり、法の適用を受けるような財政状態というのは、資金ショートが発生している、つまり通常では考え難いほど悪化しているということで、法適用を受けないからといって安心してよいわけではないということがあらためて確認できたところです。法的には「健全」であっても、財政的には「厳しい」状態の自治体の多いことは、例えば、経常収支比率が100%を超える硬直的な財政状態の自治体であっても、平成19年度の財政健全化比率では「健全」ということになっていることから理解できます。もっとも、財政悪化になると「第二の夕張」という言い方が頻繁になされますが、これは過剰反応でもあるということです。確かに夕張市は極端な事例ですが、それでも負債を償還することで計画を策定しており、金融市場は冷静に受け止めていることを指摘されています。
財政状態の厳しい自治体のほとんどは、「借りすぎ」であると主張されています。自治体が真に自ら財政分析ができていれば、借りすぎの自治体はほとんどでなかったはずだとされています。借りすぎの自治体は、結局、人件費の削減ということでダイレクトに職員が影響を受けるわけです。財政悪化は自分の問題でもあるわけです。一方、昨今の経済情勢の急速な悪化で、計画的な人員削減、給与カットなどを辛抱強く持続的に行ってきても、税収の大幅減と扶助費の激増のダブルパンチで、財政状況が好転しない状況が続くようです。多くの自治体関係者は悔しい思いをしているはずです。
(09.02.16記)
3 岩村正彦編 『高齢化社会と法』(有斐閣、2,600円)
本書は2006年度に東京大学法学部で一般市民を対象に行われた連続講演会の内容をまとめたものです。読む前はその内容に余り期待していなかったのですが、総論、政策一般、民法・消費者法、社会保障政策、医療保障政策、労働・雇用政策、住宅政策、少子化政策の8つの分野について、重要なポイントを整理され、分かりやすくまとめられています。「高齢化社会」という切り口から、どうしても社会保障政策が中心と思ってしまいますが、民法、労働・雇用、住宅といった分野においても高齢化社会における法政策の重要性を理解することができます。高齢化社会を身近に感じる問題として、成年後見制度があります。加齢に伴って判断能力が低下し、契約などの法律行為が十分できないとなれば、成年後見制度を活用することで、事故防止にもつなげることができます。しかし、制度が十分周知されているわけではないという印象です。また、年金と医療を中心とする社会保障政策については、新自由主義・市場原理主義による改革で、負担増と給付減が急速に進められてきましたが、厚労省の言い分としては、国民からの要求ではなく、経済界や財政当局からの要求であり、自分たちの本意ではないという考えが窺われます。住宅政策については、日本の住宅市場は新築住宅に過剰に偏重しているとのことです。中古住宅取引は全体の12.8%ほどで、欧米の50%から90%という数値と比べると、極端に低いようです。住宅寿命が短い要因として、和式から洋式への生活スタイルの激変を指摘されているのは、やや驚くとともに納得できました。今後は、良質な住宅を計画的に修繕し、長く住み続けるようなストック重視社会への転換が重要とされています。
全体を通して細かい法令の解釈等についての記述はなく、とても読みやすい内容です。高齢化社会における法政策の入門レベルの文献としてお薦めできると思います。
(09.02.05記)
2 磯部力・小早川光郎・芝池義一編 『行政法の新構想U』(有斐閣、3,200円)
『行政法講座』(1956年から1966年)、『現代行政法大系』(1983年から1985年)に続いて、20余年ぶりに出版されたのがこのシリーズです。ただし、厳しい出版事情が影響しているのか、前2シリーズと比べて3巻構成という少なさです。本書はその中で行政作用・行政手続・行政情報法に関して、15人の行政法研究者たちによる論稿が収録されています。行政法研究といえば行政訴訟に関するものに傾斜しがちですが、行政処分はもとより、行政立法、行政計画、あるいは行政契約や行政指導といったテーマは、自治体職員も本来、強い関心を持つべきものです。また、行政強制・行政罰・裁量・手続過程といったものがあり、いずれの論稿も興味深く読ませていただきました。
個人的に交流ないし面識のある方の論稿について、簡潔に紹介しておきます。北村喜宣先生(上智大学)の「行政罰・強制金」は、義務履行確保手法について直接的強制力のない法制度であり、行政刑罰への過大な期待と安易な依存を生んだとされています。活用されない行政罰の理由として行政指導による対応、実害のない形式的違反の多さ(可罰的な違反が少ない)といったものを挙げておられます。過料制度の活用や課徴金制度の創設活用など、行政の実効性確保という点からの議論は興味深いところです。中原茂樹先生(大阪市立大学)の「行政上の誘導」は、それほど多くの議論はなされていないと個人的には認識している、行政作用法における誘導概念についての論稿です。誘導の特徴としては、間接的な方法によって当該行為の促進や抑制が図られることを挙げ、「命令・強制モデル」との比較を通じて、誘導の作用が特徴的とされる2つの側面(名宛人に選択させようとする行為を直接示さない、最終的に作用を及ぼそうとする者に直接働きかけない)について論じられています。給付行政や規制行政の分野で、私人に対して行政が是とすることに導く手法として、誘導を活用することも、政策法務の立場からは興味を持つところです。角松生史先生(神戸大学)の「手続過程の公開と参加」は、参加を行政過程における公私協働の一部分としてとらえ、公的決定に向けた何らかの意思形成過程において、私人に個別的・一般的情報の入力あるいは処理・加工に関する何らかの権限が与えられている制度に注目されています。市民/住民参加で最も重要なのは、私人による情報入力と公的決定をつないでいる情報の処理・加工過程であり、それをどのようなコニュニケーションの場として構想し、どのように制度設計するかが問題であるとしています。具体例として、兵庫県西宮市の市民政策提案手続は、「政策の荒っぽい案」にとどまることを予定し、政策の精緻化・具体化は市民参画手続を活用した上で、市の機関に委ねるものとされ、市が政策立案に向かう「きっかけ」の提供と、「議論する過程」を通じた市民と行政・市民相互のコミュニケーションの活発化に期待した構想であるとされています。
市民参加は一見、活発ですが、参加できる人は限られており、参加していない人が現実に多い中で、市民参加過程によって何らかの影響を受けた政策が真に正当性を持ち得るのか疑問を呈される論者もいるため、全面的に与することには慎重になるべきだと思っているところです。
(09.02.01記)
1 大橋洋一 『都市空間制御の法理論』(有斐閣、6,800円)
著者は学習院大学教授・九州大学名誉教授。残念ながら大橋先生と面識がありませんが、その行政法理論は「対話型行政法学の創造」であり、本書「はしがき」で述べられているように、「市民の視点に立ち、市民対話を重視した地方分権型法理論を形成する構想」を持ち続けられ、かつ、自治体法務や政策法務も視野に入れられていることから、以前から強い関心を持っていました。そこで、今年最初に挑戦する文献に本書を選びました。本書は過去10年間に執筆した論文、学会報告、講演記録を収録したものです。
書名にある「都市空間」とは、市民の身近な生活環境にかかわる空間(生活環境空間)のことで、都会や都心に限定した用語法ではないとされています。生活空間について、建築や開発行為を主眼としたものではなく、市民生活が展開される場を領域横断的に指すものとされています。都市空間制御とは市民の生活環境空間をいかに市民本位のものに構築していくか、そのための行政法理論をどう形成するのかという考えを表現したものだと解釈しています。
本書で特徴的な概念の一つは「能動的市民」で、参加・監視と制度改善提言に関心を持つ市民であり、新たな行政法理論における行政過程の登場人物とされています。能動的市民を置くことで、市民参加の法理、行政監視、政策評価の法理論を拡張していくことを考察することが課題となります。もう一つの登場人物は分権型国家で、現代行政法学における行政像は分権型国家体制を前提とすべきで、自治体を重視した理論体系を構想すべきだとされています。また、これは政策法務ともかなり関係してくると思いますが、行政法総論と行政各領域との関係を相互学習過程として捉える考え方(参照領域理論)を重視し、都市法、福祉法、環境法、地方自治法の4領域の重要性を主張されています。
「対話型行政法学の創造」という主張の背景に、行政法学を統治の学から参加の学に転換すべきこと、その構造変化のためには、情報法制や手続法制などは市民の地位を高める仕組みであるとされ、かつ、こうした仕組みは行政運営手続きの全貌を提示するという意義も有しているとされています。
どの論稿も明快な文章ではあるのですが、内容は精緻な理論で覆われていて、とても高度なものだと思います。分権時代の行政法学はどうあるべきか、それを踏まえた政策法務論を考える場合にも重要な文献になると思います。
(09.01.12記)
法 律 書 感 想 録 2008年版
最終更新08.12.22
27. 北村喜宣 『行政法の実効性確保』(有斐閣、5,300円)
上智大学法学叢書として出版された北村先生の論文集です。20年以上前から「実効性」という概念を意識し、行政法学的に取り組まれてきた研究の現時点での成果をまとめたものです。2部14章構成で、第1部行政実施の法的手法は、市場と環境法政策、混雑料金の賦課をめぐる法的論点、条例の義務履行確保手法としての過料、同意制条例、行政指導不服従事実の公表など、実効性確保に関する法律・条例の具体的仕組みに関する論稿で占められています。
「千代田区生活環境条例」は条例の実効性確保という点からも注目されているもので、路上喫煙と吸殻のポイ捨てに対する過料制度は、現場での執行実績により一定の成果を挙げているとされています。もっとも、違反者の多くは条例の存在を知らない旅行者など区外民であり、厳格な執行をしても全体としては学習効果はそれほど生じないともされています。また、同意制条例については、迷惑施設を対象に制定されることがありますが、私有財産の使用収益に対して私人に拒否権を与えるような制度です。適法性が疑わしく、政策法務的にみても問題が多いとされ、法制度として合理的に同意制を設計することはきわめて困難だとされています。行政指導不服従事実の公表については、公表に処分性がないと解されてきたため、行政指導を実現するための手法として、必ずしも十分な検討なく制度化されてきたようです。しかし、公表によって発生する社会からの制裁的効果を考えると、北村説同様、何らかの法的義務違反の存在は必要ではないかと思われます。
第2部行政執行の現場実態では、環境行政現場における行政職員と警察との連携、協力についての論稿で占められています。条例制定に従事できる機会は極めて限られているため、むしろ、法執行の現場対応に関する第2部の論稿のほうにいきおい関心が強くなります。
第11章警察官の派遣・出向と行政執行過程では、産業廃棄物に関する廃棄物処理法の行政による執行が到底不十分であり、それは行政指導に過剰に依存するインフォーマル志向の行政スタイルが大きな問題点であるとされています。自治体行政現場では公式的措置のひとつである行政命令の発出には極めて否定的であり、これは行政一般に通ずる傾向であるとされているのは、説得的だと思います。実際、例えば、給付行政における不正に対して、法的措置をとることは極めて稀であり、せいぜい納付書を送付することで時効を中断させることしか考えておらず、訴訟対応などを提案しても一笑に付されるのが通常です。この点、廃棄物処理行政担当の部署に警察官が派遣・出向し、実務に従事することで、悪質な違反事業者などへの対応も実効性が確保できるようです。行政的執行ではなく、公判維持を念頭に置いた司法的執行に長けている司法警察職員が規制行政現場で活動することには、好意的に理解できます。もっとも、それならば、行政職員が司法的執行といったものを会得するようなやり方も考えなければなりません。違反行為を発見しても、できる限り法的対応を回避しようとする傾向は、環境行政分野に限ったことではありません。第14章規制改革時代における行政執行過程の課題では、違反是正や違反者への制裁というものは重要な機能であるが、規制の趣旨を十分理解して、近視眼的なコンプライアンスから、よりより活動を引き出すコンプライアンスへと提案されており、行政執行現場に共通した課題であると思われます。
すでに紹介した『分権政策法務と環境・景観行政』とあわせて、北村理論の現時点での到達点を眺望できる重要な文献だと思います。
(08.12.22記)
26. 河井克行 『司法の崩壊』(PHP研究所、1,100円)
著者は衆議院議員で前法務副大臣。政権与党の中枢部の方が法科大学院制度と新司法試験制度、そして今後の司法について、実地調査等を踏まえて多くの問題提起をされています。司法に関する文献はその都度、拙HPでも紹介してきましたが、今までのものと異なるのは、40代半ばの現役政治家による著作という点でしょう。
本書では法曹人口年間3000人増員計画に対して司法制度改革審議会においても積極的に主張した委員はごく少数で、「大方の意見の一致をみられた」というのは嘘だと明確に記述されています。日本の法曹人口を諸外国と比べると少ないことを理由にしていると一般に理解されてきましたが、日本で法曹と言えば裁判官・検察官・弁護士を意味しますが、フランスなど先進国は日本の隣接法律専門職が担当している業務も弁護士が担っているのが普通であるため、議論の前提が間違っていると指摘されています。ただ、そんなことは専門家であれば誰でも知っていたはずで、なぜ、そうしたことを踏まえて議論されなかったのかが不思議です。
私が最も驚いた記述は、今年7月に公表された「二回試験」の不可答案の内容についてのものです。代表例として、刑法の重要概念である建造物や焼損の理解が足りずに、放火の媒介物であるカーテンに点火して燃焼させた事実だけで「建造物の焼損」の事実を認定したものがあったことは、できの悪い法学部の学生が年度末試験で苦し紛れに書いたのならともかく、信じ難いものです。本書では弁護士増加によって競争が激化し、質の向上になるという主張を真っ向から否定しています。そもそもサービスの価値を判断する基準や情報がないため、弁護士行を市場による価格調整機能を望めるわけがないということです。これ以外にも多くのことに言及されており、興味深く読めた一冊でした。
(08.12.09記)
25. 碓井光明 『公共契約法精義』(信山社、3,800円)
碓井先生の「精義シリーズ」の記念すべき第1作です。実は、2005年4月に出版された時に、購入、読了し、自分では感想録を書いていたつもりだったのですが、すっかり失念していました。従いましていつものように読了後間もなく執筆している感想録ではないことをあらかじめお断りしておきます。本書は公共部門の契約について財政法(会計法令)の観点から関心を持ち、20年以上もの間、研究をされてきた第一人者の集大成でもあります。本論480頁余りに及ぶ大著であり、この分野で他に対抗できる文献は見当たらないと思います。当然、かなりハイレベルな内容であり、私も全ての内容を理解できたわけではありませんが、それでも公共契約法について、最低レベルの理解は有しているつもりです。
国・自治体など公共部門の契約原則は、一般競争入札によるものです。公告・入札説明書の交付・個別契約の競争参加資格の設定・競争参加資格の確認など複雑な事務を要求され、本来、不正防止にはかなり効果的なはずです。しかし、現実に一般競争入札は少なく、指名競争入札や随意契約が支配的であるため、不正の温床になっているのです。さらに、こうした法令に基づく精密な入札手続による契約締結が「原則」であることを知らないまま、単なる見積り合せによって契約相手を決定する随意契約が「入札」と同視できるものと考えている職員、あるいは、直ちには信じ難いのですが、長年、市役所に勤務していても、「契約」や「入札」の法的意味を理解せず、自分の属する職場(所管課)で入札を行うことなど到底不可能であることさえ認識していない職員が、尼崎市には多数いるようです。競争入札手続というものをほんの少しでも理解できれば、所管課での入札などそもそも不可能だと理解できるはずです。さらに、腹立たしいことに、偽装請負があれだけ批判されたにもかかわらず、つい最近、未だに委託契約の法的意味を理解していない管理職が私の職場にいることが判明しました。こういう者が1人でも存在しているということは、いかに組織として反省していないか理解できます。その場しのぎの小手先の改善策ではなく、基礎的法務を学習することによって、知識を高め、意識を改革することが重要だと思います。法令遵守や政策法務を敵視し、法律や条例よりも内部通達や計画を上位規範だとみなしたり、公務中の人身事故を隠蔽し続けたり、違法なことを違法だと言わせず、「損得勘定」を優先させ特定の者たちにのみ都合のいい法解釈を継続するならば、今後も不正は何度でも繰り返されます。
24. 北村喜宣 『分権政策法務と環境・景観行政』(日本評論社、4,800円)
政策法務については、従来の総論的な議論から各行政領域ごとの課題に関する「各論」にシフトしつつあるように思います。その中で環境・景観行政における政策法務について、北村先生の研究が注目されていました。本書は、政策法務総論、そして環境政策法務、景観政策法務という各論について3部15章から構成されたものです。
北村理論にはいくつもの特徴があります。まず、法環境という概念を挙げることができます。これは第一次地方分権改革が実現した法制度状況と行政職員の意識という2つの要素から構成されるとしています。私が政策法務について論じる場合も、この法環境というものを意識することがとても多いのは、北村説の影響であることは言うまでもありません。また、憲法92条の「地方自治の本旨」というものをベースに、地方自治法2条11項から13項などとリンクさせつつ、自治体の法令自主解釈権と拡大された条例制定権の具体化を図っていることは、すでにこれまで紹介させていただいた北村先生のご著書からも理解されていると思います。法令の自主解釈というスタンスを確立させない限り、拡大された条例制定権を活用することは考え難く、法令の自主解釈を確立させないまま、拡大された条例制定権を活用して、果たしてその条例が生きたものになるのかという疑問を私は持っています。また、個人の法令遵守意識を向上させるためには職員組織の法令遵守意識も向上させなければならないという主張には、強い説得力を覚えます。そして、不祥事防止策の一つにマニュアル整備とその遵守が言われますが、法令を遠ざけるようなマニュアルは法令遵守の阻害要因であるという主張にも、思わず膝を打ったところです。
環境政策法務の実践という点から、北村説は機関委任事務が廃止された法環境の中で、「法律に規定される自治体の事務に関する条例」、すなわち法律とリンクする法律施行条例の重要性を主張されてきています。環境法の多くが、基本的構造部分の整備は国会や中央政府が担当しつつ、その実施は自治体が担うものであり、例えば許可の実施も自治体の事務となる以上、法律が地域特性への対応が十分ではなければ、条例によって法律目的達成のための基準の追加や修正が可能と考えるわけです。こうした取組みを行うとすれば、その自治体で法令の自主解釈というスタンスが確立されていなければ、とても実現は不可能ではないでしょうか。
景観政策法務については、2004年12月から施行された景観法が大きなインパクトを与えています。景観法を活かすかどうかは自治体の任意とされており、多くの事項が任意的法定自治事務であること、法令の規律密度が低いことなどが指摘されています。そして、何よりも景観行政について多くの項目が条例に委ねられています。北村説は法定条例事項に限らず、地域特性に必要ならば法定自治事務であるため、条例による独自規定の制定は可能であるとされています。つまり、景観行政は政策法務を本気で行いたい自治体にとっては好条件が揃っているということです。しかし、いまだに国県照会型法規事務から脱却できていない自治体にとっては、これを好条件とは理解できず、躊躇するのかもしれません。景観行政団体になることで、政策法務能力が試されていると解することができます。
本書は、北村理論の全貌が通読できるという点でも魅力的な一冊です。政策法務を学ぶ者にとって、当然、必読文献になります。
(08.11.29記)
23. 間嶋崇 『組織不祥事−組織文化論による分析−』(文眞堂、2,500円)
コンプライアンスに関する文献をと思って購入したのですが、経営学の研究書であり、コンプライアンスの議論とは異なります。著者は広島国際大学講師で新進気鋭の経営学研究者のようです。本書において、組織とは2人以上の人々の、意識的に調整された活動や諸力のシステムであり、組織不祥事とは公共の利害に反し、社会や自然環境などに重大な不利益をもたらす企業・病院・警察・官庁などにおける組織的事象・現象のことをいいます。また、組織文化とは組織で共有された価値と意味のセットないし体系と定義されています。
本書は、組織不祥事を分析する組織文化論モデルとして構造化理論アプローチというものを提唱されています。組織不祥事について、組織における認識や選択、活動に大きな影響を与えている組織文化に焦点をあてて解明することを目指しているのです。ここでいう構造化理論については、かなり難解ですが、ギデンズという社会学者が唱えたもので、社会構造は人間の行為作用によって構成されているだけではなく、同時にそうした構成をまさに媒介するものである、とする考えのようです。社会構造とは組織化された規則と資源として把握され、これは個人の行為によて創られるものである一方、同時にそのような社会構造を創る個人行為そのものを再帰的に創り出す二重の性格を持つということです。
こうしたことを踏まえて、組織不祥事分析の具体例として、JCO東海村事業所の臨界事故、横浜市立大学病院患者取り違い事故、東京女子医大病院医療事故隠蔽事件、そして三菱自動車リコール隠し事件を取り上げ、組織不祥事の構造化理論アプローチの有効性を検証されています。組織不祥事発生のメカニズムについては、違法行為を得なことと誤認させること、組織の仕組み、構造を変えて組織文化をマネジメントしようとしても、組織文化の慣性力が働いて不祥事体質(文化)が揺るがず変わらないことが往々にしてあること、社会からの同調化圧力、その中での競争圧力という状況が不祥事を起こす大きなきっかけになっていたということが指摘されています。本書で主張されている組織不祥事発生のメカニズムについては、自治体コンプライアンスを考える場合にも有益なものと思われます。最近、内部通達や計画が法律や条例よりも上位規範であり、優越していることを当然としているかのような意思決定過程に関わったということもあり、あらためて自治体コンプライアンスに関心を高めているところです。できるだけ早期に、私なりに考えたものを別の媒体で発表したいと思っています。
(08.11.24記)
22. おおさか市町村職員研修研究センター・訴訟対応研究会編 『決して他人事ではない事例から学ぶ住民訴訟』(財団法人大阪府市町村振興協会)
おおさか市町村職員研修研究センター(通称マッセOSAKA)における、平成19年度共同研究報告書であり、本書は研究会のメンバーだった方からいただいたもので、非売品です。同じ内容のものが、時事通信社から販売されています。住民訴訟に関する文献は多数ありますが、自治体職員による研究報告となっているものは稀有ではないでしょうか。本書末尾に掲載されている研究員名簿を見ますと、大阪府内12市の職員たちなどで構成されています。
第1章でも記述されているように、平成17年度末の時点で全国の市区が当事者となっている行政訴訟は852件、うち住民訴訟は449件であり、平成7年度末と比して住民訴訟は3倍、300件の増加となっています。今後、この増加傾向に歯止めがかかるとは考えにくいため、住民訴訟が決して他人事ではなくなる時代になりつつあると思われます。本書第2章で、部署別事例として議会、教育・文化など10分類し、45件の住民訴訟事例を見開き2頁で解説しています。事実の概要、ポイント、裁判所の判断、そして予防と題して同様の訴訟が提起されないようにするための対策について説明がなされています。つまり、判例の専門知識もさることながら、現場の実務で即時に役立つ情報提供を重視していると思います。第3章で住民訴訟制度について解説するとともに、第4章では住民訴訟の対応として、実際に訴訟が提起された場合に、時系列的にいかなる対応をすべきかについて解説されています。やはり実務重視であることが理解できます。
政策法務研修といっても、せいぜい2日間程度の条例論を中心とする内容のものが多いと聞きます。およそ1年間に亘って、弁護士の指導助言を得つつも、複数の自治体職員が協力しあって、訴訟法務に関する専門的な研究成果をまとめられたのは、画期的だと思います。
(08.11.16記)
21. 金子正史 『まちづくり行政訴訟』(第一法規、3,800円)
著者は同志社大学教授。都市計画法、建築基準法、指定確認検査機関の3編構成で、10本の論文が収録されています。まちづくり行政訴訟という書名が付されてはいますが、都市計画法と建築基準法の二つの法分野の、しかも最近問題になった訴訟事例を中心に論じられているもので、網羅的、体系的なものではありません。それでも都市計画法制の中心であるこれら二つの法分野における行政訴訟について、開発許可、公共施設の管理者の不同意、二項道路、既存不適格建築物、指定確認検査機関など重要な論点が詳細に論じられており、しかも、いずれも政策法務の立場からも強い関心を持つものばかりであると思われます。
その中でも、私が強い関心を有し続けている行政の民営化(経営主義化)との関係では、指定確認検査機関がした建築確認取消訴訟の訴えの変更を認めた平成17年最高裁決定とその後の下級審判例についての論述は、最も興味を持ちました。平成17年最高裁決定の論理において、国家賠償請求訴訟の被告となった自治体は、建築確認の違法を認識していたとしても、指定確認検査機関と歩調を合わせて建築確認は適法であったと主張するような事態が発生することはあり得ないわけではないと思います。自治体が国家賠償請求訴訟で敗訴しても、指定確認検査機関に故意又は重過失がなければ求償に応じる義務はなく、指定確認検査機関がこれを踏まえて無責任な建築確認が多くなると考えられなくはないとする本書の指摘もまたうなずけるところです。行政の経営主義化が法治行政の空洞化を誘導しているのではないかという問題意識は、捨てがたいものだと思っています。
(08.11.03記)
20. 財団法人日本都市センター 『都市自治体の新しい外部化−Public
Portfolioの提唱−』(同センター、2,100円)
2007年度に自主調査研究として実施した「行政の外部化に関する調査研究」の成果を取りまとめたものです。新自由主義改革の中心である自治体行政の外部化・民営化については、これまでにもいくつかの文献を意識して読んできていますが、本書を手にしたのは、Public
Portfolio という新しいコンセプトを提唱していることに惹かれたからです。この研究会の委員には法律学を専攻としている方はいらっしゃらないようで、行政学や経済学からのアプローチになっているようです。行政の外部化について、本書では公共サービスの民間開放として捉えているとのことで、この定義自体は、格別、特徴のあるものとは思えません。そこで、新しいコンセプトとしてPublic
Portfolio、「公の組合せ」というものを提唱されているのですが、概念定義が余りにも簡潔に記述されていること(23頁にある、18行だけの記述)、その後に掲載されている論文で、執筆者それぞれが自説を主張しているのはいいのですが、提唱されている新しいコンセプトとどう結びついているのか、今ひとつ分かりにくいというのが正直な感想です。新しいコンセプトの提唱をしているにもかかわらず、前段階の記述がどこか当たり前すぎるようなものも多いような気がしました。事例研究において、八王子市の指定管理者制度の取組みなど3件について記述されていますが、これらの事例が本書で提唱されている新しいコンセプトに適合した事例であるとしても、どこがどう適合しているのか、他の自治体の取組みとの相違点などについて、もう少し踏み込んだ説明をしてもらいたいところです。
(08.10.26記)
19. 出石稔[監修] 松村亨[著] 『自治体職員のための政策法務入門2 市民課の巻』(第一法規、1,800円)
第一法規から新しいタイプの政策法務入門シリーズが順次出版されます。企画のコンセプトとしては、法制担当部門の職員ではなく、様々な部署で仕事をしている自治体職員(本シリーズでは、主として市町村職員を念頭においているようです)が、仕事を進めていく上で必要な法的知識を具体的な事例に即して、原課ごとに提供し、現場の政策法務の芽を育てていこうというものです。このシリーズの最大の特徴は、「ものがたり」によって政策法務を学ぶという内容になっていることです。事例解説書にあるような「A市」とか「X係長」といった記述ではなく、よりリアルに舞台を設定したものになっているということです。
「第1章市民課の仕事」では、監修の出石先生が市民課の仕事、市民課を取り巻く環境・課題・展望、市民課と政策法務について執筆されています。そして、「第2章市民課のものがたり」では、エピソードとして、架空自治体「なぎさ市役所」の「市民課」を舞台に、仕事を進めていく中で発生する法的諸問題について、政策法務の視点を交えたストーリーが展開され、その中で基礎的法務知識、政策法務の視点などを学ぶように構成されているわけです。エピソードは18もあり、戸籍・住民基本台帳制度・印鑑登録など、どこの市町村の市民課でもなされている業務で発生する問題、社会問題にもなった宗教団体の転入問題、子どもの命名、離婚300日問題、同姓婚なども取り上げられています。ただし、登場人物が法的な説明をするセリフの箇所は、かなり冗長になっていることが多く、まったくの初心者が読むにはやや苦労するかもしれません。しかし、それでも、市民課での職務経験がない人が読んでも、十分、面白いと思います。
(08.10.13記)
18. 兼子仁・北村喜宣・出石稔[共編] 『政策法務事典』(ぎょうせい、4,800円)
ぎょうせいからは木佐茂男・田中孝男編著『自治体法務入門』が出版されており、法律書としては異例の出版部数を誇っています。そして、同じくぎょうせいから、このたび、「事典」という名称で政策法務に関する書籍が出版されました。事典形式の政策法務に関する書籍は業界初です。
3名の編者をはじめ、研究者・法曹・シンクタンク研究員・自治体職員総勢18名が分担執筆しています。本論420頁余りで、政策法務の単行本としては最も詳細なものになると思います。私も執筆者の1人として、原稿を提供させていただきました。特徴としては、14のコラムがあり、そのうち6箇所を私が執筆したことでしょうか。もっとも、当初は、執筆者のメンバーには入っていなかったと理解しています。編集会議の中で、どなたかが、政策法務の研究はともかく、実践とはおよそ無縁の私を執筆者に推薦してくださったようです。
事典という書名から思い浮かぶのは、いろいろな項目について、簡潔に説明を行い、より詳しく学ぶ場合には別途文献にあたるということになります。実際、企画の段階では1項目1200字程度でまとめるということだったはずですが、実際には1項目1200字ルールを遵守できない人も少なくないようで、1項目2500字程度も費やしている箇所もあります。もっとも、字数よりも中味を重視した結果のことだと思いますので、読者の方はご容赦くだされば有難いです。
政策法務に関する書籍は、多様化しつつあるように思います。現在も主流となっているのは100頁程度のブックレット形式のものですが、最近は徐々に分量の多い書籍も出版されつつあります。研究と実践事例が積み重なってくるにつれて、より体系的、精密なものに構築されているため、コンパクトな書籍だけでは十分な情報を提供できなくなっているのでしょうか。政策法務に計画的・戦略的に取り組んでいこうとする自治体が増えれば、理論面での新たな開発も進んでいくものと期待できます。
(08.10.13記)
17. 安本典夫 『都市法概説』(法律文化社、3,200円)
著者は立命館大学法学部・法科大学院教授で、私が今年3月から参加させていただいている行政法研究会のメンバーのお一人になります。本書は安本先生が立命館大学法科大学院でなさってきた都市住宅法務Tの講義ノートを基本にまとめたテキストです。「はしがき」では、「都市法に関わる各法制について、その全般について網羅的にふれることはせず、最も枢要な、その法制の基本的特徴を示している柱の部分にしぼって・・・述べることとした」とされています。しかし、都市法を体系的に勉強していない者にとっては、かなり「網羅的」に記述されているようにも思いますし、それによって各法制の基本的な概念や仕組み、問題点などを理解するためには最適のテキストだと思います。
本書の構成は4部14章で、分量も300頁余りとちょうどいいボリュームだと思います。国土法制・土地法制、都市計画法制、建築規制、都市景観、都市計画事業、そして都市のルールとしての条例・協定、紛争解決、損失補償など、「試論」として体系化されているようですが、とても分かりやすく、まとめられています。職務上の経験から、土地区画整理事業、都市再開発事業については、多少、理解しているつもりでしたが、その基本となる都市計画法・建築基準法については、最低限、どの程度の知識や理解を持っておけば、議論についていけるものなのか、かなり迷っていたため、本書によってその「ストライクゾーン」を知ることができたことも読者としては大きな成果だと思っています。今後は、研究会などで都市法制に関して議題になったとしても、どの領域のどの問題がどういう位置づけで議論になっているのか、今までよりは理解できるように思っています。
本書は、政策法務「各論」のテキストとしての意味も併せ持っているという点で、必読文献の一冊になるべきものと思います。
(08.09.21記)
16. 碓井光明 『公的資金助成法精義』(信山社、4,200円)
公的資金助成とは、公的部門が相手方の一定の活動を支援するために相手方の資金獲得を援助することであり、公的資金の給付、債務保証等を広く含むものとされています。その中でも最も関心の高い領域は、国の地方公共団体に対する補助金・負担金であることは言うまでもないでしょう。しかし、法的論点としては、むしろ自治法232条の2の「公益上の必要がある」の解釈をめぐる判例学説の状況や損失補償契約の実態などにも踏み込んだ記述がなされており、あらためて興味深く感じたところです。例えば、赤字補てんのために交付した補助金の適法性について、最高裁平成17年10月28日は、町が設立し、町から委託を受けて公の施設の管理運営を行い、それによって生じた赤字を補てんするために補助金を交付することには公益上の必要があるとした町の判断は、一般的に不合理なものではないとしています。この事件について、碓井教授は、公の施設の設置目的という「公益」が、どこまで赤字補填目的の補助金交付を公定する「公益上の必要」の判断に結び付けられるかという基本的論点を提供していると述べられています。最高裁は公の施設の設置という公益目的と補助金交付の公益上の必要性について、広い裁量権を認めているようですが、それなら、公の施設の管理運営が自治体が特に設立に関与していない指定管理者によってなされるようになった場合、同様に赤字補てん目的の補助金を交付するのかどうかという、別の関心も持つことになりました。
各種分野の公的資金助成については、社会福祉・育児支援に関しても論じられています。この分野の公的資金助成は、基本的には低所得者への支援ということになりますが、むしろ、地域を支える納税者でもある中堅所得層への支援を充実させることで、地域活力の向上に結びつけるべきではないかと思っているところです。その延長上で、産業助成に関心が向きます。例えば、兵庫県産業の集積による経済及び雇用の活性化に関する条例は、明らかに公的資金助成も産業集積を図る重要な政策手法として位置づけていると評されています。もっとも、同条例が資金助成を想定しているにもかかわらず、県税について条例主義の考え方から不均一課税等の要件を条例で定めているのに対して、補助・融資等の要件は条例で定めていないことが指摘されています。県レベルの産業助成は、県と企業との間でなされる交渉過程が市民にはまず分かりませんから、本当に条例で規定している目的が達成できるのかどうか、結局は曖昧なままになるのではないかという不安もあります。とは言うものの、産業活性化政策は、市単独では極めて困難であり、県市協調による誘致によって地域活性化に結びつけるようにするしかないと考えられます。
(08.08.24記)
15. 大森 彌 『変化に挑戦する自治体 −希望の自治体行政学−』(第一法規、2,400円)
著者は東京大学名誉教授で、自治体行政学という領域を開拓された地方自治研究の第一人者として知られています。政策法務論は行政法学、法社会学、行政学の3つの領域からのアプローチが多く、その中でも行政学は行政現場に最も近接な学問でもあると理解しています。
平成の市町村合併は一段落したようですが、問題は合併後の基礎自治体運営をどうするのかという問題があります。そして、分権分散型の基礎自治体という方向性を示されています。地域自治組織を創設し、その機関として地域協議会と地域自治組織の長を置き、地域自治組織の事務所には支所的機能と地域協議会の庶務を処理する機能を担うことを提案されています。いわゆる近隣政府の構築を主張されているのだと思います。これは合併自治体に限らず、合併していない自治体であっても当然、方向性として考えられるはずです。そのための課題として、地域機関を「陽の当たらぬ職場」ではないようにすることが重要だとされています。私は、出先職場で活気のあるところは相当存在すると思っていますが、どうでしょうか。
最後の部分で、第2次地方分権改革の方向性についても言及されています。分権改革は、かつての熱気はどこへやらの状況ですが、本書では、地方分権改革推進委員会の事務局は庶務担当に徹しさせ、勧告原案は委員が起草すること、あるいは、事務局に起草させるならば忠誠を官邸に誓わせることを主張されています。分権改革を成功させるためには、構造改革を進められた竹中平蔵氏が主張された、「戦略は細部に宿る」の実践が求められることを示唆されていると理解しています。また、第2次分権改革の中で、政策法務から注目されているのは、法令の規律密度を下げることの具体化として、法律の枠組法化を主張されていることです。この点は、すでに、北村喜宣先生が『分権改革と条例』(弘文堂)で、標準法説を主張されていますから、北村説の先駆性をあらためて認識させられたところです。仮に法律の枠組法化が実現したときは、これまで以上に政策法務への関心が高まるものと思います。もっとも、霞ヶ関の抵抗は強烈なものになるでしょうし、当の自治体も本当に分権を希望しているのか怪しいため、実現はかなり困難だろうと思っています。
本書は、変化の激しい自治体行政に関する諸問題について、かなり網羅的に、かつ、分かりやすく論じられています。この種の書籍には珍しく事項索引もありますので、知識の獲得、集約、整理にはうってつけだと思います。
(08.08.11記)
14. 九州大学法学部2007年度行政法演習(木佐茂男ゼミ)研究報告書 『これからの自治基本条例を考える〜北九州市から変える、まちづくりの羅針盤〜』
自治基本条例に関する九大法学部木佐ゼミの研究報告書です。一般に販売されているものではなく、去る7月12日に自治体法務合同研究会北九州大会の会場で、ゼミ生の方から2500円で購入しました。ゼミの研究報告書とあなどってはいけません。自治基本条例について様々な角度から分析、研究されるとともに、北九州市自治基本条例の内容を提案されていて、とても優れた完成度の高い報告書だと思います。
この報告書において、自治基本条例の要件として、@自治体の運営の基本理念を示していること、A市民の権利や責務を規定していること、B自治体の制度や仕組みが規定されていること、C行政および議会について、その役割や責務、組織、運営、活動に関する基本的事項を定めていること、D自治体の最高法規として、他の条例や規則等の立法指針、解釈指針となっていること、の5つを挙げています。そして、自治体規模、地域、制定年のそれぞれについて自治基本条例の内容や制定過程などを分析するとともに、現在課題となっていることについて提言がなされています。その中で、自治基本条例の制定過程で、いかに市民参加を促すかについて、広報・広告、シンポジウム開催、意見募集などについて、具体的な提案がなされています。市民から自治基本条例を制定すべきだという声が出ない以上、制定をしても意味がないという考えもあるかもしれませんが、そもそも市民が自治基本条例とは何かについて知らなければ市民から条例制定の機運が生じるはずがありません。実際、杉並区自治基本条例が制定された後、住民アンケートを実施したところ9割近くの人が知らないという結果だったことが紹介されています。機運を高めるための方策を講じなければ、いつまでたっても条例制定への動きは生まれないように思います。市民に周知する方法として、例えばコンビニを活用するということも提案されており、学生の柔軟な思考が印象的でした。
一方で、神奈川県大和市のように市長が替わったことで自治基本条例が施行後わずか2年で停止状態になるという事態も発生しています。市民参画と言いながら、特定の市民だけの意見に行政が左右されるのはおかしいという首長が出現することで、自治基本条例が空文化されてしまうわけです。報告書ではこの点について批判的ですが、これは市民の選択であり、想定すべき事態ではないかとも理解できます。現状、自治基本条例が制定される可能性がない自治体にいる者として、最近は冷めた気持ちになっていたところです。その中で、木佐ゼミの学生さんたちの熱心な研究報告書を読む機会に恵まれ、自治基本条例に対する関心を改めて喚起させられました。
(08.07.21記)
13. 森田朗・田口一博・金井利之 編 『分権改革の動態』(東京大学出版会、4,500円)
「政治空間の変容と政策革新」全6巻の第3巻になります。このシリーズは2003年度から2007年度の21世紀COEプログラム、「先進国における≪政策システム≫の創出」(東京大学大学院法学政治学研究科)の研究成果をまとめたもので、本書はもちろん、地方分権改革を主題に、13人の論者が分担執筆をされています。地方分権改革については、様々な角度からの検証がなされていますが、本書は主に行政学からのアプローチになります。国地方係争処理委員会、国と地方の協議の場、そして自治基本条例の3点について、簡潔に感想を書いておきます。
第一次地方分権改革によって導入された国地方係争処理委員会は、長らく開店休業状態となっていますが、自治体だけからしか審査の申出を行うことができない片面的制度となっているのは、国の指示等には公定力があり、自治体から訴訟提起し、裁判所によって違法と判断されない限り合法性の推定を受けるという前提があったことが理由の一つとされています。省庁と自治体の関係を権力関係とみることを裏付けたことになっているのは、確かに皮肉なことかもしれません。国地方係争処理委員会の活用主導権が自治体にのみある限り、当分はこの状態が続くものと思わざるを得ません。
国と地方の対等協力関係の一つの形である「国と地方の協議の場」は2004年9月14日に第1回目が開催されたのですが、濃密な調整の場が形成されるとしたら中央省庁側に有利であり、そうでなければ中央省庁は回路を遮断する裁量を持っていたという指摘は、結局は、自治制度官庁たる総務省を窓口にして折衝を委ねる霞ヶ関ルールに即した旧来型の手法の方が自治体にとっても利する可能性が高いのかもしれません。しかも、国と協議しているのは、官僚出身知事ばかりが目立ち、生え抜き市町村長が中央省庁と激論を交わすシーンを見たことがないのは、たまたまなのでしょうか。
100以上の自治体で自治基本条例が制定されているようですが、制定自治体の法務への対応に何か共通した変動は生じているのでしょうか。自治基本条例も法形式上は、あくまで同等の効果しか有さない条例にすぎません。価値理念的最高規範であることを無意味だとは思いませんが、そもそも法令の遵守を嫌い、都合よく法を解釈し、目先の利益を確保できれば功績とする自治体が価値理念的最高規範を有することには強い抵抗感を覚えます。自治基本条例を制定した自治体は、すべからくそのような自治体ではないということでしょうか。自治基本条例を制定するなら、その前提が重要になるように思われます。
(08.07.09記)
12. 木村大樹 『わかりやすい労働者派遣法』(労働新聞社、1,800円)
労働者派遣法の解説書です。労働法に関する体系書は読んだことがありませんでしたが、偽装請負やワーキングプアという形で社会問題になっている労働者派遣法について基本的内容を知るため、挑戦してみました。十分理解できたわけではありませんが、法律そのものはイメージされているほど悪いものではないというのが第一印象でした。問題は、それほど悪いものではない労働者派遣法が、悪法と言われているのは、企業が遵守していない、あるいは、都合よく法解釈をしていることに原因があると思われます。特に、努力義務規定は遵守しなくても構わないという考えに染まっているのではないでしょうか。派遣労働者の雇用の安定、福祉の増進に関する措置について努力義務を定める法30条などは、派遣元企業が果たしてどれくらい「努力義務」を果たしているのか、定期的に労働局は検査すべきものです。また、派遣元・派遣先の企業が法令違反していれば、派遣労働者は厚生労働大臣に申告できるとしていますが(49条の3)、そもそも何が違法なのか分からない人の方が多いはずです。さらに、しばしば問題となる派遣受入期間の制限について、法40条の2では政令4条で定める26業種等以外の業務について原則1年間、最長3年間を超えてはならないとしていますが、政令4条に定める26業種の中には、本当に専門的知識や能力なるものを要するのかどうか、再度検証すべきではないかと思うものもあります。
今年3月に尼崎市では派遣社員たちのストライキがありましたが、自治体が派遣労働者を活用することで、自治体職員とは一線を画したしがらみのない派遣社員たちが、今後も様々な形で自治体の違法行為を問いただす行動に結びつくことが予測されます。そうなれば、法令違反を功績としている自治体でも、外圧があれば改善に努めざるを得なくなるでしょう。
元々、日本では労働法違反へのペナルティはないに等しいものと理解していますが、労働者派遣法の最大の問題は、不遵守であり、遵守を徹底させることで、派遣労働者の状況はかなり改善されるのではないでしょうか。国は小手先の法改正でごまかそうとせず、法遵守の徹底について監視を張り巡らせるようにすべきだと思います。
(08.07.09記)
11. 布施哲也 『官製ワーキングプア 自治体の非正規雇用と民間委託』(七つ森書館、1,700円)
書店で偶然目についたので、衝動買いしたものです。相変わらず貧困や格差に関する書籍はとても多いことにも関心を持ちます。著者は清瀬市議会議員であり、学術書ではなく、引用文献も記載されていないことに加え、基本的用語の誤りも目につきますが、自治体における非正規雇用と民間委託に関する諸問題について、かなり網羅的に記述されています。地方公務員の数は約295万人で、これに非正規雇用職員がその4割程度存在すると指摘されています。単純計算で100万人以上の非正規雇用職員が自治体で働いているということになります。巷、公務員バッシングをすれば喝采をあびますが、それによって正規職員が減り、非正規職員が増加するという現象は本当に好ましいことなのかと問いかけています。
一部事務組合、広域連合、あるいは国保連合会など諸団体は犯罪を生み出す共通の原因があり、それは責任の所在がはっきりしないことだと述べられています。監視が行き届かないことも不正の温床であることは付け加えるまでもありません。一部事務組合・広域連合の議会は多数意見に与しているため監視機能を果たしていないこと、議会は個人が自立できない場所であり、自立させない場所でもあると述べられています。本書でも後期高齢者医療制度は悪法だという立場のようです。
本書では、ワーキングプアの元凶はムダな公共投資であると主張されています。日米構造協議、年次改革要望書、日米投資イニシアティブに従うことは、ワーキングプアを進ませるものになるとのこと。本書が新自由主義改革路線に批判的であることは言うまでもありません。著者は、官製ワーキングプアの改善策として、自治体最低賃金制の確立を提唱されています。その際の基準金額は、1日8時間労働で255日間、2040時間労働しても、生活保護基準を下回らない賃金であり、都市部であれば時給1176円を示されています。月額20万円程度の収入ということのようです。仮に実現すれば、一定の改善は期待できると思います。さらに、ダンピング防止がワーキングプア防止になるとし、いわゆる政策入札の導入、そして労働運動の活性化も重視されているようです。労働組合が本来の機能を発揮することで、解雇権の濫用などを防止できることは、各地の事例などで実証済みだと思います。新自由主義によって搾取された労働者の権利を回復させるための取組みによって、どう変動するのか、関心を持ち続けることにします。
(08.07.09記)
10. 碓井光明 『政府経費法精義』(信山社、4200円)
著者は今年3月に東京大学教授を定年退官され、4月からは明治大学教授としてご活躍されています。本書は、『公共契約法精義』、『公的資金助成法精義』に続く第3弾であり、制定法のみならず、膨大な判例を渉猟され、政府経費に関する法の体系化という金字塔を完成されました。政府経費法とは、政府部門の経費に関する法の領域であり、政府部門とは本書では国及び地方公共団体を指すとされています。そして政府経費法を研究しようとする動機は、世間常識から見るときに不当と思われる支出が頻繁に報じられること、それが納税に関する納税者のコンプライアンスに深刻な影響を与えると危惧していることにあると述べられています。
本書が対象としているのは、政府経費法のすべてではなく、「政府部門の活動のために通常の活動をしていくのに必要な経費」(通常の政府経費)であり、給与、接待・交際等の性質別に考察がなされています。通常の政府経費については、カラ残業、ヤミ手当のほか、交際費、食糧費、報償費などにおいても、しばしば法的問題が発生し、主として住民訴訟を通じて判例法理が形成されてきました。また、議会との関係では、政務調査費もしばしば問題にされており、詳細な検討がなされています。政務調査費については、透明化の実現を図っている自治体議会も増えつつあり、大きな変化が起こっていると認識しています。
本書では、政府経費法の基本原則として、経費性原則(国民・住民のために活動するのに要する支出でなければならない)、最小経費最大効果原則、裁量権の逸脱濫用の禁止、説明責任の原則を掲げられています。実際に訴訟で争われている事例から、しばしば、これらの諸原則に抵触した政府経費支出がなされていることが分かります。国も自治体も財政難であることでは共通しており、国の財政状況は夕張市よりもひどい状況であることを考えれば、本来、率先垂範して財政規律の改革をすべきところ、どこか焦点がずれた財政抑制論が先走っているように思われます。一方で、碓井先生の主張は、国家公務員・地方公務員が萎縮することなく、仕事ができるようになってほしいという思いが随所に出されているような印象で、決して行政批判一辺倒というものではありません。違法と適法の境界をどう線引きするのが最も好ましいのかについて、語りかけているような文献でもあると思います。476頁におよぶ大著ではありますが、抵抗感なく読み進めることができた大きな理由ではないかと感じているところです。大阪府に代表されるように、自治体は財政難を乗り切るための方法の一つとして、人件費削減に取り組んでいますが、本書では記述されているようなヤミ手当などとは正反対の問題も発生しているようです。人件費削減の政策法務という問題に関心を持たせてもらったのは、本書のおかげです。
9. 結城康博 『入門長寿[後期高齢者]医療制度』(ぎょうせい、1500円)
2008年4月から開始された後期高齢者医療制度について、その概要を解説しているものです。現在のところ、他に類書はないと認識しています。「高齢者の医療の確保に関する法律」は医療費適正化の推進、保険者の再編、そして後期高齢者医療制度が3本柱となっています。高齢者医療確保法は、小泉内閣時代の平成18年6月に国会での強行採決によって制定されたものですが、約2年間の準備期間中、国も自治体もほとんど広報らしいことを行ってきませんでした。マスコミも国会で法案審議された頃に大きく取り上げていればもう少しマシだったのでしょうが、制度施行間近になって騒ぎ出したため、後の祭りという印象が拭えません。政府は負担緩和策を打ち出したようですが、多くはあくまで今現在75歳以上の方が対象で、対症療法であることは明白です。
後期高齢者医療制度は、かつての老人保健制度が限界であることから新たに制度化されたものです。老人保健制度の問題点として、本書では、保険者と給付主体が異なっていた(医療保険に加入しつつ、医療給付の運営主体は市町村)ため、財政運営の責任主体が不透明であったこと、現役世代と高齢者の負担が不明確であること、この2点を示されています。したがって制度改正の必要性は理解できます。理解できないのは、なぜ、そのことを広く知らしめ、理解してもらうように努めなかったのかということです。
本書では、後期高齢者の問題点として、保険制度であることに疑問を示されています。被保険者の保険料分が1割足らずであり、公費や現役世代からの支援金で賄われているという構造は、保険制度ではないということです。また、介護保険と同様、後期高齢者医療制度も個人単位で保険料算定をするため、家族扶助を軽視し、その機能を低下させる恐れがあると主張されています。また、実質的に保険とはいえないにもかかわらず、保険料を滞納すると窓口全額自己負担になることにも批判的です。
地方分権・政策法務という点から後期高齢者医療制度を見たときに、最初に思ったことが、保険者が都道府県単位の広域連合になっていることでした。広域連合は、本来、地方分権の受け皿を狙って制度化されたものであり、地方自治法では広域連合の設置は、あくまで自治体主導になっています。ところが、高齢者医療確保法は広域連合の設置を定め、市町村に加入を義務付けるという構成になっています。広域連合という、ほとんどの市民に知られておらず、自治体職員でさえよく理解していない団体を、後期高齢者医療制度の保険者という、本来の趣旨とは異なることに活用したことには、疑問が残ります。
(08.06.16記)
8. 結城康博 『介護 現場からの検証』(岩波書店、740円)
著者は淑徳大学准教授で、地域包括支援センターで社会福祉士、ケアマネジャー、介護福祉士としての勤務もされてきた経歴を有されているようです。介護保険制度発足から8年が経過し、2006年大改正がなされた後の問題点などが現場の実態を踏まえて具体的に記述されています。
介護保険制度が始まってからしばしば問題になったことの一つが、在宅介護と施設入所との負担の不均衡だったと理解しています。在宅介護ではホームヘルパーなどを利用しても、家族介護の負担から完全に解放されるわけではなく、経済的な負担も相応に発生する一方、施設介護になれば家族は介護からほぼ解放され、経済的負担も驚くようなものではないということです。そのため、多くの介護家族は特別養護老人ホームを中心に、施設入所を希望することになり、恒常的な施設不足が発生するということになっているわけです。第1章では、このような点をさらに敷衍して、現在の実情が記述されています。
第2章では、介護保険は「支え合い」と「競争」の混在ともされています。65歳以上の高齢者のうち、実際に介護保険サービスを利用しているのは2割未満で、8割以上の高齢者は単に保険料を負担しているだけです。「相互扶助」という言葉は、どうしても扶助を受ける側にとって都合よく解釈され、利用(悪用)されていると思われてなりません。競争の原理は、新自由主義路線による社会福祉基礎構造改革によって、社会福祉の市場化・民営化・営利化が推進され、介護保険がその代表です。2006年改正によってサービス利用が大きく制限されることになったことを批判的な視点で記述されています。ホームヘルパーを家政婦代わりに使っているという声はよく話題になりました。本書では、真に必要な人の利用まで制限することになったことに批判的ですが、「支え合い」という点から考えれば、「ルール違反」に対する「連帯責任」として法改正がなされたと解されます。
2006年改正によって導入された介護予防サービスの問題点も指摘されています。要支援1、要支援2となるとサービス利用が減らされることに加え、「特定高齢者」と認定されると介護予防利用サービスが利用できるのですが、どこの自治体も「特定高齢者」を「発見できない」状況が記述されています。国の法制度設計が机上の空論であることを示唆しています。また、コムスン事件で注目された介護保険不正受給を契機に「連座制」が導入されたことには批判的です。福祉専門家に共通する傾向として、本書でも、表面上、不正は許されないと言いつつ、どこかそれを正当化しようとする論調のように感じられました。一方で、介護労働者の処遇改善については、財源問題があるものの、同感です。その場合、介護報酬の引き上げが、介護労働者の給料にダイレクトに反映されるような仕組みも必要だと思います。
(08.06.16記)
7. 横山雅文 『プロ法律家のクレーマー対応術』(PHP研究所、720円)
民間企業だけではなく、自治体現場でもクレーマー対応は悩みの種で、機会があるごとに交渉や説得に関する書籍を読んできました。本書の特徴は、著者が弁護士であり、クレーマーへの法的対応について具体的対策が分かりやすく記述されており、理論ではなく、実践的な内容であることを挙げることができます。
著者は、建前的な顧客主義から脱却して、悪質クレーマーは顧客として扱うべきではなく法的対応をすべきであると主張し、その理由は悪質クレーマーはその性質から誠意をもって合理的説明・説得をしても納得することがないからであるとされています。そして、悪質クレーマーの潜在意識には、企業の顧客主義の欺瞞に対する怒りや侮蔑、つまり、格好のいい嘘を言い続ける企業や行政につけ込もうとする心理があると指摘されています。
また、悪質クレーマーと判断してよい基準として、クレームの原因に法的根拠はあるか、損害は発生しているか、クレームの原因と損害に因果関係はあるか、損害と要求の関連性はあるか、クレーマーの行動は適法かというものを掲げておられます。外観上、「福祉事業者」を名乗っていても、実は悪徳業者であることも珍しくはない時世です。現場の個々の職員に、一つひとつを正確に判断することを要求することは不可能であり、組織的対応が必要です。本書でも主張されているように、弁護士の助力を得なければ判断し難いことも多いと思います。また、積極的に警察への告訴や通報を行うことも提案されています。大いに賛同するところですが、警察は刑事告訴の受理に消極的であり、なかなか難しい面もあります。悪質クレーマーたちは、もしかしたら、こうしたことも踏まえてつけ込んでくるのかもしれません。
本書で紹介されている、民間企業に対する悪質クレーマーの事例を読んでいて感じたことは、ひとことで言えば、「社会正義」を振りかざしていることが共通していることです。リコール対象商品に関する法外な額の賠償請求事例や、担当者を軟禁状態にして無理やり念書を書かせた事例など、いずれも悪質クレーマーたちは、「被害者の話を信用しないのか」「「化粧品会社は女性に支えられているのに、その従業員が女性の人生を台無しにするとはどういうことだ」など、「社会正義」を全面に出して責任を追及しようとしています。これは、自治体現場でも同じで、「福祉」や「人権」、あるいは「社会的弱者の保護」などを全面に出されると、行政職員というのは例え相手が明らかに反社会的勢力の一味であったとしても、真正面から反論、反撃しにくいものなのです。そのことを利用し、利益を貪る卑劣極まりないクレーマーが現実に少なからず存在するのです。
自治体現場の職員が基礎的法務知識を有すること(それには刑法や刑事訴訟法も含みます)、弁護士や警察との連携を強化することで、悪質クレーマーはかなり効果的に排除できると思っていたところ、本書でも、ほぼ同様の主張がなされており、自分の認識が的外れではないことを確認でき、嬉しい限りです。
(08.06.01記)
6. 宇賀克也 『行政法概説V 行政組織法・公務員法・公物法』(有斐閣、3,300円)
行政法概説T、Uに続く3冊目であり、学部レベルで学ぶ行政法としては、おそらく最もマイナーと思われる行政組織法・公務員法・公物法について、詳細に記述されたテキストです。Tは行政作用法、Uが行政救済法で、いずれも一般に出版されている行政法テキストとしては最も詳細なものになると思いますが、この分野でこれだけの質と量を備えているものは他になかなかないと思います。情報の新しさにもかなり配慮されており、2008年2月までの法改正状況が盛り込まれています。
行政組織法総論では必ず出てくる、行政機関概念として、作用法的行政機関概念と事務配分的行政機関概念、行政庁と行政官庁など、理論的な問題点についての記述がでてきますが、それでも自治体職員が、行政法を学ぶ場合、行政作用法や行政救済法よりは、行政組織法は「入りやすさ」という特徴があると思います。組織や公務員についての法制は、身近なものであり、細かい法令の解釈や判例分析が多い作用法や救済法より、スムーズに読み進めることができるのではないでしょうか。
宇賀・概説シリーズに挑戦されるなら、『地方自治法概説』とならんで、本書から始めるのも一つの方法だと思い、極めて簡潔ですがここで紹介しておきます。
(08.06.01記)
5. 尾林芳匡 『新自治体民営化と公共サービスの質』(自治体研究社、1,800円)
自治体研究社から出版されている、行政民営化への批判的文献の1冊です。自治体研究社は、いわゆるNPMに批判的な書籍を継続的に出版されています。著者は弁護士で、労働問題などに詳しい方のようです。指定管理者制度、PFI、地方独立行政法人制度、構造改革特区、市場化テストなど自治体民営化に関する法制度について、人権保障や公共性の後退という視点から批判論が展開されています。自治体レベルでの取り組みとして注目されている、行政サービス制限条例についても、社会権の侵害になるおそれがあり、慎重に対応するべきと主張されています。行政サービスと納税を対価関係として設定することは、確かに問題があると思います。
市場化テストについて、実施主体が民間事業者となった場合に、損害賠償責任を問われる事態も想定されるところ、これを強調すれば参入できる民間事業者は必然的に大企業になり、元々強い経済力を持つ大企業に公共サービスを委ねることは、社会経済政策として大いに疑問であると述べられています。何よりも、民間事業者は利潤追求であり、「良質かつ低廉」なサービスといくら法律の文言で書かれていても、通常は良質なサービスは経費を要するものであり、実際にはコスト削減に傾斜するだろうと指摘されています。また、市場化テストとして行われた職業紹介事業では、いったいどのような点が民間事業者でなければできない創意工夫なのか、少しも明らかになっておらず、就職率が改善されたとの結果も得られていないと述べられています。
また、人権保障と法令遵守という点においても、例えば、図書館の窓口業務の民間委託で、派遣された労働者が自分の借りたい資料のために貸し出し情報を私的に利用するという事件もあったそうです。低賃金でロクな研修も受けていない労働者に、法令遵守を求めても、その労働者本人の権利がまともに保障されていない以上、確かに無理なことだと思います。
どんな制度を導入する場合でも、失敗することはあり、すべてが成功するわけではないことは理解していても、一方で、一度、公共性というものを喪失した後にそれを回復させることは、現実にはなかなか困難ではないでしょうか。本書でも指摘されていますが、民営化された場合に、情報公開が現在よりも進展するとは到底思えません。どれだけの利潤を得て、それをどういうふうに地域に還元しているのかなど、誰も分からないのではないでしょうか。すべての民間事業者が利潤追求だけのために事業活動を行っているわけではないとは思いますが、公共分野の民間開放は、ビジネスチャンスを拡大するためのものであることは疑いの余地はないのであり、こうした批判的な考え方も知っておく必要があると思います。
(08.05.08記)
4. 関根眞一 『となりのクレーマー』(中央公論新社、720円)
駅前の本屋で衝動買いをしたのですが、面白かったので紹介することにします。サブタイトルに「苦情を言う人との交渉術」とあります。著者は大手百貨店お客様相談室長で1300件もの苦情対応をなされてきた方で、本書はその経験談とそこから学ばれた苦情対応の技法を示されています。昨年5月10日に初版初刷出版されたのですが、大きな反響があったようで、3ヵ月後の8月5日には7刷となっています。
クレーマーというのはどこにでもいるものです。本書では冒頭、企業・医院・学校・行政その他において、必要でない顧客を指すと定義し、クレーマーには徹底した対抗が必要だと主張されています。9つの事例が紹介されていますが、一番興味があったのは、「第三話 ヤクザとの対決」です。関根氏がまだ「未熟」だった頃、ダイヤのついたネックチェーンが壊れたことに因縁をつけ、その商品を関根氏に預けたまま車を動かすと言って外出しようとしたヤクザの狙いに気づかなかったそうです。ヤクザが戻ってきたとき「ダイヤの石が替わっている」と言われればお手上げだったということです。この事例に類似したことを昨年、経験したため、読んでいて冷や汗をかきました。
苦情対応、クレーマーへの基本的対応として、「真摯な態度で謝罪」「感情を抑え素直に聞く」「正確にメモを取る」など8つの提言をされています。どれもこれも自治体現場でも応用できるものです。「誠意を見せろ」には要注意という意見にも同感です。関根氏は、これは本来、ヤクザが使う言い方であるにもかかわらず、今は素人でも使っており、いやな時代になったと嘆いておられます。それにしても、関根氏の度胸の良さ、頭脳の回転の素晴らしさにはとてもかないません。
本書は、自治体交渉法務を考えるうえでも、大いに参考になります。苦情対応に追われている自治体職員も多くのことを学ぶことができると思います。
(08.04.12記)
3. 園部逸夫 『皇室制度を考える』(中央公論新社、2,200円)
自治体政策法務とはほとんど関係がないものの、皇室制度に関するまとまった文献を読んだことがないため、通読してみました。ご存知のとおり、著者は元最高裁判事で行政法学の権威です。本書は全体で4章構成、本論は310頁ほどですが、皇室制度について専門的な知識のない私としては難解に感じました。その原因は、多少なりとも法律をかじっている者でも余り見かけない皇室制度特有の専門用語の影響もあるかもしれません。
現行憲法は象徴天皇制ですが、その今後について、園部説は今後も維持し、国事行為の拡充、皇室のご存在やご活動に関する公私の考え方の再構築を検討することなど4点を「期待する」とされています。もっとも、国事行為の拡充は当然ながら憲法改正を要します。皇室制度だけの改憲については、たぶん、それほど活発に議論されているとは思えません。となると、改憲するならば皇室制度も改正の対象にすべきだという考えなのでしょうか。
皇室制度について、最も関心が高い問題は、皇位継承制度だと思います。一時、制度改正が真剣に議論されたことがありました。本書においては、皇位継承制度の安定のためには、理念として正統性が維持されること、事実として皇位継承者の維持・確保ができること、制度として実際に運用でき、皇室に受け入れられることの3点を満たすことが必要であると主張しています。そして、制度安定のために何を議論すべきかということを重視しつつ、男系男子のみが皇位継承できるという現行制度について、女系継承の可能性も含めて国民の議論の対象となるという前提で考えられています。
皇室制度について論じることについて、慎重にも慎重にという意図が、本書全体を通じて感得されます。本書の内容をすべて理解できたとは思っていませんが、皇室制度の専門書を読んだことがない者としては、近年なされている議論を集約した本書は参考になります。
(08.04.12記)
2. 北村喜宣 『自治力の達人』(慈学社、1,500円)
北村先生の「自治力シリーズ」第5弾です。とうとう「達人」になりました。第1章分権条例の基礎理論、第2章分権条例の具体例、第3章分権条例の法政策、第4章分権時代の法解釈の4章構成で、36の項目が網羅されています。1項目3頁と読みやすさという点でも配慮がなされていると思います。環境法を専門的に学んでいなくても、政策法務の基礎を勉強するには、ちょうどいい分量であり、随所に挿入されているイラストは笑えます。
さて、第1次地方分権改革によって地方自治法2条11項、12項、13項では立法原則、解釈・運用原則が規定され、機関委任事務が自治事務と法定受託事務に再構成されました。にもかかわらず、機関委任事務時代に機関委任事務制度を前提として制定された法律の構造や規定は温存されています。そのため、現在も自治体職員には「書いてあることはできるが書いていないことをするのは違法だ」という意識がまだまだ強いと指摘されています。立法原則を反映したように法律改正がなされないかぎりは、分権適合的ではない現行法規定をその通りに受け止めざるを得ないことになります。北村説は、現行法令を立法原則に適合的に解釈するべきで、これが、分権時代の条例論なり事務実施論の基本とされるべきスタンスであると主張されています。もっとも、これを自治体職員に理解させることは今もって至難の業のようです。
分権条例の具体例として、横須賀市の「宅地造成に関する工事の許可の基準及び手続に関する条例」を取り上げられています。中核市である横須賀市は宅地造成等規制法にもとづく宅地造成工事許可権限を持っていますが、許可を受けた事業者が資金繰りがつかず工事現場を放置し、災害の危険を発生させたりするなどの事例があったようです。そこでこの条例では、横だし基準を設定し、造成主の資力信用基準、工事施工者の能力基準等、5つの資力・能力基準を追加して、宅造法だけでは不十分だったこうした事態への対応を可能にしたわけです。自治事務である宅造法許可事務について、法律に地域特性に応じた対応ができる規定がないため、これは条例を否定するのではなく、法律の趣旨目的を達成する限りにおいて、技術的基準以外の項目について憲法94条にもとづく条例で規定することを認めていると解すべきだとされています。条例の基準を満たさない工事許可申請は、宅造法の技術的基準をクリアしていても同法8条に基づいて不許可とされます。処分の根拠法に規定がない横だし条例を法律とリンクさせる措置はこの条例が初のようです。
分権条例の法政策として、適法だが迷惑施設となっている投資用ワンルームマンションの建設計画に対して、その建設は容認しつつ、将来の良好な住環境形成のためにこれ以上のワンルームマンションを認めない用途規制をする地区計画の制定に取り組むことの効果を指摘されています。どういう効果かといえば、そのマンションは数十年後には既存不適格となり建替え不能となること、将来既存不適格になる可能性があることは、宅建業法35条の「その他重要な事項」として説明義務の対象になり得る。そんな説明をされてなおかつ投資する人は少ないということです。
分権時代の法解釈では、小田急訴訟最高裁大法廷判決で、都市計画法59条2項の都市計画事業認可を争う原告適格についての判断に際して、行政事件訴訟法9条2項の目的共通法令に公害対策基本法と東京都環境影響評価条例の規定の趣旨、目的を参酌していることを取り上げています。「関係法令」には「条例」も含まれると最高裁は判断しているのです。その理由については、明記されていないようです。関係法令に条例も含むとなれば、原告適格を認める余地がさらに広がる可能性があります。自治体職員は法令とともに、関連する条例もよく読みこんでおかなければ、自分たちが作った条例で足元をすくわれることになるかもしれません。
(08.03.24記)
1 松下啓一 『自治基本条例のつくり方』(ぎょうせい、2,300円)
しばらく自治基本条例について勉強していませんでしたので、読んでみました。自治基本条例の意義、必要性、理論、論点と参考となる条例、そして、つくり方について、網羅されており、自治基本条例に関する最新情報がまとめられています。それぞれについて、平成16年3月から平成18年3月までに制定された44条例を比較検討されています。自治基本条例について、個人的関心のある論点としては、自治基本条例不要論とそれに対する反論、自治基本条例の最高法規性です。前者については、本書でも必要性をめぐる諸論点として取り上げられています。不要論の意見として、@地方自治法があるから不要、Aあまりにも当たり前のことを規定している条例は不要、B基本構想(総合計画)があるから不要、C市民憲章があるから不要、D市民の盛り上がりを待ってからでよいのではないか、E簡単な条文でいいのではないか、F条例でなくてもいいのではないか、などとされています。おそらく、自治基本条例に消極的な自治体は、これらのいずれかを理由にしているのではないでしょうか。そして、自治基本条例がトレンドになっていると言いながらも、ニセコ町条例が制定されてから7年近く経過しているにもかかわらず、5%程度の自治体でしか条例が制定されておらず、あるいは、制定が検討されているにすぎないことを見ると、現状、まだまだ自治基本条例不要論がトレンドと解することができます。また、制定自治体は、比較的小規模から中規模の自治体が目立つのは、まちづくりのルールを共有化するのは、大都市では困難という指摘はそのとおりで、大規模都市は徹底した行政基本条例と市民参加条例から始めるべきだという意見は妥当だと思います。
自治基本条例の最高法規性については、他の条例に優越すると法的に位置づけることはできない以上、解釈・運用によって最高法規性を確保すべきだとしていますが、見直し規定とも含めると、抵抗感があります。自治基本条例に消極的な自治体の中には、この最高法規性に疑問を持っているところもあるのではないでしょうか。最高法規ではなく、まさに基本条例、自治の基盤を下支えする条例として位置づけることに発想の転換をしなければならないのではないかと思っています。見直し規定も、自治の基盤を支える条例であるからこそ、常にしっかり機能しているのか、定期的に確認することを義務づけることにするという考えなら、受け入れられるのではないでしょうか。。
(08.01.20記)
25. 地方自治職員研修臨時増刊号86『財政健全化法と自治体』(公職研、1,680円)
公職研の地方自治職員研修臨時増刊号です。2007年6月に制定され、2009年4月から全面施行される「地方公共団体の財政の健全化に関する法律」は、地方財政・財務のあり方に大きな影響を及ぼそうとしています。そのような中、本書は、財政健全化法について、各種基準の細部が省令に委任され、まだ省令が制定されていない段階での出版であるということから、財政健全化法の枠組みについての論述が中心となっているものの、法システムの基礎的知識を獲得するためには、ちょうど良い文献ではないかと思います。財政学の専門的な知識が要求されることもあり、財政健全化法について、十分理解できたわけではありませんが、印象に残った点を中心に簡潔に紹介しておくことにします。
財政健全化法の制定は、もちろん、夕張市の財政破たんが大きな理由です。夕張問題の教訓として、決算の正確性が担保されていない、普通会計以外の負債・赤字の累計に対する把握が不十分、議会の監視体制の強化が必要、が指摘されています。財政健全化法では、3条1項で健全化判断比率(実質赤字比率・連結実質赤字比率・実質公債費比率・将来負担比率)等を記載した書面を監査委員の審査に付し、その意見を付けて当該健全化判断比率を議会に報告し、公表することを義務付けています。財政健全化の4指標について、適切かどうかの判断を監査委員の責務となったことは、従来になく、監査委員の責任がもの凄く重くなることが理解できます。
財政健全化法は、財政健全化計画と財政再生計画の2段階の手法を採用しています。法4条1項では、健全化判断比率のいずれかが早期健全化基準以上となった場合には、年度内に当該年度を初年度とする財政健全化計画を策定しなければならないとしています。同条2項では、財政健全化計画の具体的内容について規定しています。1号で要因分析を求めている点は、法的義務として財政悪化の要因を分析する義務を課したことになり、自治体によっては極めて厳しく、過去の失策をあからさまにしなければならないのではないでしょうか。しかも、個別外部監査を義務づけられているため(26条)、言葉は悪いですが、ごまかしが通用しないとも言えます。財政再生計画は、実質赤字比率・連結実質赤字比率・実質公債費比率の3つの指標が、財政再生基準を上回った場合に、策定が義務づけられます(8条1項)。ここまで財政が悪化した場合は、確実に再生を図る必要性があることから、総務大臣に協議し、同意を求めることができるとしています(10条1項)。自主的な財政再生とは言うものの、国の強い関与が予定されているということになります。財政問題については、どうしても国家の関与が欠かせないという認識が、国・地方とも強いのでしょうか。自治体の財政自主権は、財政健全化法では、大きく制約されざるを得ないということになりそうです。
さて、自治体財政再建制度を議論し始めたとき、問題となったのは、破たん法制、あるいは、債務調整の導入をするのかどうかという点から始まったと認識しています。しかし、財政健全化法では、債務調整の規定は導入されておらず、引き続き検討を行うこととされています。仮に、債務調整を導入すれば、金利の差が劇的に上昇し、小規模自治体・弱い財政力の自治体は、大きな影響を被るという弊害が指摘されています。この点も、今後の成り行きが気になるところです。
(07.12.02記)
24. 芝池義一・見上崇洋・曽和俊文 編著 『まちづくり・環境行政の法的課題』(日本評論社、3,150円)
本書は、第1編総論 まちづくりと環境の法理論が4章構成、第2編各論 地域的課題と住民の利益保護が18章構成であり、まちづくりと環境行政の諸問題について、幅広く拾い上げており、講義用テキストや自学用テキストとしての使用も想定されているようです。まちづくり、環境のいずれも、計画行政、公私協働、住民参画、条例による規制、行政訴訟など、行政法の基本的な論点に関わります。それらについて、網羅的に取り上げられており、行政法各論、そして政策法務各論の文献として役立てることができると思います。
従来、まちづくり行政と環境行政は、別々のものとして領域が形成されています。「はしがき」によると、本書は、「まちづくり・環境行政」を一つの現代的な行政領域としてとらえ、法的課題を行政法の視点から分析したものとされています。まちは、人にとって環境でもあり、まちづくり行政は中身によっては環境行政でもあるため、もっと大切なことは、まちづくり行政に環境の保全・形成の要素を持ち込み、それを強化していくことで、都市環境行政という観念が生まれるとされています。そして、まちづくり行政は単なる「つくる」行政ではなく、保全の要素をも取り込み、質の高いまちづくりにつながっていくと考えられるとされています。
まちづくり行政における公私協働や住民参画についての構成に関する次のような議論は、当然のことでありながら、改めて法的視点のあり方を確認させてくれるものです。すなわち、建築物の多くが私人の所有物ではあるものの、その利用価値は公共施設の整備に依存し、その整備とともに利用価値が向上するという関係にあるため、私人の土地や建築物は住環境という公的利益の構成要素であるというものです。土地や建物の所有管理する者は、都市環境のあり方に無関心ではいられないということになるのです。しかし、現実には、建築物に関する紛争の多くは、開発事業者と地元住民との対立から発生しています。都市計画・建築の原則自由という考え方を転換し、原則不自由という法的仕組みにならない限り、公私協働や住民参画をいくら実践しても、法的紛争は絶えないでしょうし、私益を追求する者が勝つという構造も大きな変化はないようにも思われます。
(07.11.22記)
23. 宮崎哲弥・藤井誠二 『少年をいかに罰するか』(講談社、880円)、佐藤幹夫・山本譲二編著 『少年犯罪厳罰化 私はこう考える』(洋泉社、861円)
少年法に関する文庫本をまとめて2冊紹介しておきます。時々、刑法や犯罪学に関する文献を読むことにしています。この2冊は、かなり対照的な内容だと思います。
宮崎・藤井著は、2001年5月に春秋社より刊行された『少年の「罪と罰」論』を文庫化するに際して、改題し、加筆・改筆したものです。序章で、「少年法改正」と光市母子殺害事件をめぐって、と題した対談が新たに加えられています。宮崎氏は基本的に死刑廃止論者であり、「国家が一個人を抹殺する権限は正当防衛の場合と戦争時以外にはない」、したがって「死刑一般には反対」というのが根本姿勢と明確に述べられています。また、裁判員制度によって、完全な情報がもたらされれば、裁判員は死刑の判決に慎重になると予測されています。2年後に裁判員制度が始まり、ある程度年数が経過すれば、その点は鮮明になるでしょう。
藤井氏は徹底して被害者・遺族の側に立脚した議論を展開されています。一方、宮崎氏は、冷静かつ客観的に議論されているという印象でした。宮崎氏は、権利がないところに責任もない、理路当然に少年が保護の対象であることを認めざるを得ないと主張されています。これに対して藤井氏は、奪われた側にすれば、相手が未成年だろうが成人してようが関係ない、と応じ、死刑存置を支持しています。また、当然のロジックでしょうが、藤井氏は、現時点での厳罰化の流れは「適正化」であり、改正少年法においても、真の更生とは何かについて、まったく議論されなかった、矯正現場では、被害者と加害者が切り離されているため、贖罪意識が育たず、再犯にもつながるのではないかと主張されています。宮崎氏は、少年法学者は、可塑性を前提にしているにもかかわらず、贖罪教育は問題が多いと主張している点を矛盾だと主張されています。
佐藤・山本著は、少年犯罪厳罰化に批判的立場からの論者11人の共同執筆の文献です。「少年犯罪の厳罰化」とは、2000年11月に少年法が改正され、刑事処分可能年齢の16歳から14歳への引き下げ、16歳以上の少年が故意の犯罪行為により被害者を死亡させた事件については、原則として家裁から検察官に送致(逆送)する制度が導入されたこと、2007年5月に、刑事責任を問えない14歳未満の少年が起こした事件について、警察に家宅捜索・押収などの強制調査権を与え、少年院送致の下限年齢を14歳以上から「おおむね12歳以上」に引き下げたことをさしています。本書は、少年犯罪への厳罰化は、少年犯罪を抑止し、更生をはかる施策として適切ではないとしています。被害者感情などを無視してよいとは、さすがに主張していないようですが、それは別の土俵で議論すべきだとし、無関心という態度のように思われました。「少年犯罪の原因は大人や社会にある」という基本的な姿勢は、いわゆる格差問題との関係で最近増殖している「自己責任転嫁論」に相通じるものがあり、犯罪被害者に敵意を持った議論のような印象を持ちます。
私も、少年法の改正は、厳罰化ではなく、「適正化」に向けたものという感覚です。「更生」という概念は、抽象的であり、論者によって、その意味内容にかなり大きな差異が生じる可能性があるので、犯罪に関する法律である少年法に導入するに際して、もっと議論すべきだったのではないかと思います。少年法が「更生」という抽象的な概念を目的としているにもかかわらず、社会復帰した加害少年たちが、その後、「具体的に」どのように「更生」したのかを、国家として検証する仕組みを用意していないことが、厳罰化論(適正化論)に拍車をかけているのではないかと感じています。
(07.11.02記)
22. 野田 遊 『都道府県改革論 −政府規模の実証研究−』(晃洋書房、3,150円)
著者はシンクタンクの研究員であり、本書は、同志社大学に提出された学位論文をもとに作成されたものです。法律書ではなく、政策科学の研究書になると思います。高度な統計的手法などを用いてのデータ分析の箇所は、とても難解であり、私には理解できませんでしたが、それでも地方分権時代に重要な「今後の道州制論議における国民的関心の向上と論議の深度化」に貢献したいという著者の強い思いが伝わってきます。
地方政府体系への大きな2つの切り口として、府県−市町村間の垂直的統合・分化と府県間の水平的統合・分化から捉え、実証研究により広域政府の規模のあり方について検討されています。地方自治法における府県機能は、広域事務・連絡調整事務・補完事務(地方自治法2条5項)の3機能とされていますが、この府県機能の実証分析の結果は、補完的機能については果たしているが、広域的機能・連絡調整機能については実際には果たされていないことを明らかにされています。また、意外なことに、市町村数の多い府県では、一部事務組合等をはじめとした市町村間の水平的連携の程度が高いため、府県の役割は必要とされず、府県の垂直的統合に伴う支出効果の非効率を抑制するとされています。逆に、府県は、市町村合併による市町村減少にともない、自然にその活動量を縮小させない非効率な団体という側面を抽出されています。
さらに、広域政府の民主性からの広域政府の規模は、基礎自治体では対応が難しい諸問題への対応に純化する中で実現される必要があり、あわせて住民の行政サービスに対する認識を深める方策を推進する中で検討されなければならないとされています。ただ、この点については、現在の府県よりも巨大な組織になる道州に対して、住民が近接性を意識できるような方策は、なかなか困難ではないかという疑問を強く持っています。人口規模などによって差異があるかもしれませんが、現在の府県が住民に身近な政府であるという説明には、抵抗感をぬぐえません。また、地方分権を拡充するためには道州制は地方自治体でなければならないという考えに対しては、果たして初めから選択肢を狭めることが良いことなのか、国の機構になったとすれば、どういう弊害があるのか明確に説明できるのかという問題意識も生じてきます。基礎自治体重視として市町村に多くの権限等を委譲し、広域政府は補完的機能を果たすと言われても、そうなると国の行政機能との関係や、道州の役割が住民にとって余計に分かりにくくなるということも想定できるのではと思います。
(07.10.18記)
21. 菅原郁夫・下山晴彦 編 『実践 法律相談 面接技法のエッセンス』(東京大学出版会、2,730円)
法律相談の実践について、そのエッセンスを示すものであり、読者としては、弁護士を想定しているものと思われます。しかし、狭い意味での法律相談に限らず、行政職員が市民からの様々な相談を受けたとき、どのような対応をするのがいいのかを知るためにも、有益ではないかと思います。
法律相談では、問題の共有−情報の収集−法的判断形成−合意の形成と共有という4段階があり、特有の過程を持つとされ、法律相談を構成する要素と技法としては、聴く技法、訊く技法、判断形成技法、伝達技法の4つがあるとされています。特に参考になるのは、「聴く」と「訊く」の仕分けです。相談者の語りを「聴く」作業をていねいに最初にすることは、信頼関係の成立や微妙な問題を含めて相談者の話が展開し、豊富な情報を得ることを可能とすることから、とても重要とされています。そして、語られた内容を的確に理解し、それを伝える、語り手の気持ちの動きを共感的に理解することが重要とされています(共感的コミュニケーションの重要性)。「訊く」作業は、専門家が相談者に質問をすることで必要な情報を得るために必要なことです。聴く作業の後、訊く作業に移行するという時系列的なものではなく、その組み合わせを巧く行うことが求められます。
個人的経験ですが、傾向としてじっくりと相談者の語りを「聴く」ことで、「結果」が相談者の希望どおりにならなかったとしても、満足感ないしは納得をしてもらえることが多いと理解しています。逆に、「聴く」ことを省略し、「訊く」ことに力を注ぐと、こちらが熱心にしていたとしても、かえって反感を持たれてしまうことも少なくないと認識しています。そうした経験を裏付ける文献でもあるわけです。面接相談は、行政職員にとっても難しい分野だと思います。参考文献としてお勧めできます。
(07.10.08記)
20. 礒崎初仁・金井利之・伊藤正次 『ホーンブック地方自治』(北樹出版、2,835円)
北樹出版のホーンブックシリーズから地方自治が出版されました。「ホーンブック」とはアメリカで「ケース・ブック」に対比して使われている入門書・手引書にならったもので、とりあげられることの少なかった論点や新しいテーマ・話題にも積極的に論及しているユニークなテキスト・シリーズです。本書は、伊藤先生のほか、以前から交流のある礒崎先生(中央大学教授)と金井先生(東京大学教授)のお二人が共著者として執筆され、東大系の研究者による地方自治論である点でも、とても興味深いものであり、そのことも意識しつつ、拝読させていただきました。3人の著者の共通点は、東京大学法学部または同大学院で行政学を学び、西尾勝先生が恩師であることです。当然ながら、本書は地方自治を行政学からアプローチした文献ということになります。地方自治論は、「都道府県や市町村、特別区の法的な位置づけや権能に加えて、それらをとりまく制度構造やその管理の仕組み、政策活動等、団体自治と住民自治が作動する現実の政治行政過程を観察し、分析することを目的として」います。
本書は、5部21章から構成されています。表面的な制度や管理の仕組みを解説するだけでなく、まさに現実まで踏み込んだ記述が随所に見られます。例えば、平成の大合併に関して、財界や政界から推進すべきという議論が沸き起こった背景要因の一つに、1994年から実施された衆議院議員選挙制度である小選挙区比例代表並立制の影響を指摘されています。選挙区内の市町村数が多いと議員は系列化が難しいため、それを減らすために市町村合併推進論が盛り上がったと考えられるとしています。平成の大合併という自治の問題は如実に国政と結びついていることが理解できます。また、個人的な関心も以前から強い執行機関法定主義について、地域総合行政を阻害しているという批判の存在を明示されるとともに、委員会・委員の構成は1952年以来基本的に固定化されているため、中立的な第三者機関として役割を求められる建築審査会や情報公開審査会などが執行機関の位置づけを与えられておらず、附属機関にとどまっていると指摘されています。執行機関法定主義の柔軟化が期待されるところです。
政策法務に関する記述もなされており(第9章)、礒崎先生が執筆されています。政策法務のプロセスは、立法−法執行−争訟・評価の3つの段階に分けて説明をされておられ、もっともオーソドックスな説明だと思われます。政策法務が、行政法学や行政学など学際的な領域となっていることも踏まえるならば、行政学の立場から執筆された本書で政策法務に触れられているのは、当然ということになります。むしろ、行政学の立場からの政策法務論は、独自の体系や理論構築をどう進めていくのかが、重要なテーマであると思います。美しい条例論だけでは不十分であり、現場の実態を踏まえて、どのように政策法務論を体系的に作っていくのかという点に強い関心を持つところです。
本書は、学部・大学院での講義やゼミのテキストとして活用されることを念頭に置きつつも、自治体関係者が研修や自学のテキストとして使う場合にもとても有用であると感じます。自治体法務合同研究会のメンバーの中にも、「法学的アプローチ」に苦手意識を持つ人が少なくないようです。初学の段階で細かい法令の解釈に振り回されると確かに嫌になってしまいます。むしろ、地方自治制度全体、各領域ごとの政策の枠組みなど、基礎知識を獲得するためには本書は魅力的です。
(07.09.24記)
19. 鈴木庸夫編 『自治体法務改革の理論』(勁草書房、2,940円)
自治体法務・政策法務の本流に関する理論書と言っていいと思います。全体で8章構成であり、それぞれ1名が分担執筆しています。8名中4名の方と研究会等で親しく交流させていただいているため、興味津々で読ませていただきました。かいつまんで紹介することにします。
「第1章 自治体法務改革とは何か」は、編者である鈴木庸夫先生(千葉大学教授)の執筆によるものであり、自治体法務・政策法務に関する問題意識が鮮明に論じられています。鈴木先生は、政策法務や政策法学が学問的に十分な位置づけを獲得してこなかった点に不満だとのことです。そして、行政法学と政策法務(学)がどのように連携しているのか十分な見取り図がないまま進行していると批判され、また、行政学との接点については、研究成果を生かす改革に際して、その法的手法や法的枠組み等が十分になされていたのか問題提起されています。こうした問題提起を踏まえて、行政法学や行政学のそれぞれの学問分野の固有性を生かしつつ、政策法務(学)が、それらをアウフベーヘンすることに関心があると述べられています。また、基本法・基本条例の意味を「行為規範」と理解することの重要性を説いています。政策法務論・政策法学は、今後、行政法学、行政学を架け橋し、その実効的な理論の枠組みを提示していかなければならないという主張には、政策法務の学問的な追究をする楽しみがまだまだあることを知らしめてくれると思いました。
「第4章 自治体の解釈運用法務」は、田口一博さんの執筆です。横須賀市職員でありながら、東京大学大学院法学政治学研究科特任講師も務められています。自治体の法解釈は事後の運用段階になって起きた問題事例を収集し、そこから帰納的に導かれることが中心であったが、議会へ条例議案を提出するとなれば、さまざまなケースを想定し、解釈が検討されるばかりではなく、法律の施行についての事務であっても、起こった問題をいかに枠の中に収めるかという解釈論よりははるかに創造的な解釈が成り立つと指摘されています。自治体の法解釈権とは、単に事務の方法を自治の名により選択できるだけではなく、自治体が法律に使われるのか、法律を自治体のために使うのかの大きな法務改革へとつながるものだと主張されています。いまだに中央省庁に法解釈の照会をごく当たり前のように行っている職場が多い中、こういう議論は覚醒させ、刺激を得るのに効果的です。
「第6章 自治体の訴訟法務」は、文京区職員の鈴木秀洋さんの執筆です。多くの訴訟実務に従事されてきた鈴木さんは、法務改革としての訴訟活動の改善として、説明責任の訴訟政策を主張されています。自治体にとって訴訟はけんかではなく、自治体が認める実体的価値のみを主張し、その説明を尽くしても説明責任を履行してことにはならないし、紛争を解決しないと主張されています。そして、住民と真摯に向き合い、一度対立し、失われた信頼関係を、裁判所という場を利用し、対話による相互尊重・相互交流による手続を通して修復していかねばならないという主張は、対立関係としか考えない訴訟のあり方を再考するための視点を提供してくれています。
自治体法務・政策法務に関する理論書としての高い存在感を発揮するのではないでしょうか。2001年に出版された「分権型社会における自治体法務」(日本都市センター)以後の、理論的知見を集約したものという認識でいます。
(07.09.09記)
18. 西尾勝 『地方分権改革』(東京大学出版会、2,730円)
行政学叢書の第5巻になります。「はじめに」で記述されているとおり、1978年以後、地方制度調査会の委員・臨時委員として参画し続けられ、また、1995年から2001年までの通算6年間、地方分権推進委員会の委員および行政関係検討グループの座長として第一次地方分権改革の実現に深く参与されてきました。国政レベルの改革に参与した当事者の、「体験観察」に基づいて、地方分権改革に関する認識と評価を総括的に提示した研究書です。そして何よりも、行政学の第一人者が、体験観察に基づく研究書には独自の学問上の価値があると主張されている点について、強い共感を覚え、大いに触発されるところです。
本書においても、第一次地方分権改革による大きな成果は、機関委任事務の全面廃止であり、それによって生じる自治体の裁量の余地は、条例制定の余地の拡大と法令解釈の余地の解釈であると、あらためて記述されています。政策法務論の中核的論点であることは言うまでもありません。そして、より重要なのは法令解釈の余地の拡大であるとされています。条例制定の余地については、国の法令等が詳細をきわめ、細部にわたっているため、それほど残されていない反面、通知通達が廃止され「技術的助言」に改められ、それは法的拘束力がないため、自治体の独自解釈の余地が大きいということです。自治体の日常実務は、むしろ法令等の解釈・運用に基づくものであるため、その裁量拡大に対してもっと積極果敢に取り組むべきことは、政策法務論の立場からも強調されてきました。しかし、本書においても、いまだに自治体職員にも国の官僚にも十分認識されていないと嘆いておられ、これもまた共感を覚えるところです。法令の解釈に積極的ではない状態が継続しているならば、独自条例を制定しても、その条例の解釈運用も硬直したものになるのではないかとも思われます。
本書では、自治立法権の拡充についてさらなる提言がなされています。地方自治法によって自治体に概括的に委任されている条例制定権を自治立法権、個別法によって委任されている条例制定権を委任立法権とされ、前者の拡大は立法権の分権、後者は立法権の分散とされています。そして、前者について、法令等の大綱化・大枠化し、「全国的に統一して定める」事項の範囲をできるだけ最小限度に縮減することが求められると主張されています。第二次地方分権改革の焦点の一つに、自治体の法令等上書き権を条例に付与することが挙げられていますが、国から自治体への立法権の移譲を、どう推し進めるのかは、かなり困難だろうという印象はぬぐい切れません。
(07.08.15記)
17. 金井利之 『自治制度』(東京大学出版会、2,730円)
行政学叢書の第3巻として出版されたものです。金井先生の単著を読ませていただくのは初めてです。まず、2000年分権改革は、自治体に「総合性」を要求することが顕著であるとされています。ここでいう「総合」とは、自治制度における「融合」と「統合」を包括した概念とされています。分権改革は、自治制度官庁を主導官庁とせざるを得なかったため、分立ではなく統合路線が選択され、それを総合性として一括して表現しているとされています。例えば、法定受託事務は、集権・統合路線の手段として、自治体の意向の自主性を無視してでも担わせる「総合性」の確保のため、極めて適合的で、自治体に自主的な受託拒否権・返上権・逆事務処理特例権が認められていないことが、法定受託事務の根幹であると指摘されています。平成の大合併、三位一体改革などは、この「総合性」の確保に向けた「自立化」方策と理解することは容易だろうと思います。現行体制は、国の本省(=集中)レベルでの縦割・割拠化という分立性と、自治体(分散)レベルでの統合性とを、国・自治体間での融合性を組み合わせたものであり、それが「総合性」であるとされています。総合性概念についての定義は、あくまで国との関係を念頭に置いたものになり、今までの感覚的常識からかなり逸脱するもので、驚きを覚えました。
「未完の分権改革」という表現は、西尾勝教授によるものですが、分権改革そのものは戦後一貫して唱えられてきたものであり、必要とされ、挫折し、制度改革としては画期とされる2000年改革でさえ「未完」とされることから、本書では「永遠に未完の分権改革」と表現されています。それは制度改革過程においても制度改革に関する言説においても、改革が完結できないようになされており、「永遠に未完」になるようなメカニズムを支えているということです。自治制度官庁にすれば、制度改革の必要性がある限り、自分たちの存在意義も失われないという利点があるということのようです。改革は終わらないのは、むしろ、当たり前ということになるようです。
本書は、法律書ではありませんが、制度設計というものを学ぶ場合の、行政学からの独自の知見を提供するものであり、是非とも一読すべきだと思います。
(07.07.29記)
16. 朝日新聞特別報道チーム 『偽装請負 格差社会の労働現場』(朝日新聞社、735円)
仕事帰りに寄った駅前の本屋で偶然目にし、興味を持ったので購入し、一気に読了しました。朝日新書を購入したのは初めてだと思います。偽装請負とは、発注者側の正社員が請負労働者に直接指揮命令して働かせることが典型例ですが、正社員と請負労働者が同じ職場で混在していたり、別々の請負会社に所属する労働者が一緒に作業するのも該当するとされています。本書では、そうした偽装請負の実態が、キャノン、松下電器といった日本を代表する大企業の現場に蔓延していることをつぶさに紹介しています。
本書の中で紹介されている、偽装請負の例として、松下電器茨木工場の事例があります。同工場で松下社員が請負労働者を直接指揮命令していたため、2005年7月に大阪労働局から偽装請負であると行政指導を受けたそうです。その後、同工場では、すべての請負会社の従業員を派遣契約に切り替えたのですが、さらに、その1年後の対策として、奇抜なアイデアを採用したのです。それは、2006年5月に、派遣契約の労働者を全員再び請負契約に戻し、指揮命令する松下社員を1年の期限付きで請負会社に大量出向させたのです。これだと偽装請負ではなくなるという奇策で、本書では、こうしたやり方の合法性を疑問視し、他の企業がまねをすれば、偽装請負は全て合法になると批判しています。
偽装請負は、提供する請負会社の役割も見逃すことはできません。業界最大手であったクリスタル社は、全国の大手メーカーを得意先として業績を伸ばしていましたが、組織が巨大化したことで統制がとれなくなったことや、2006年10月、大阪労働局がグループの中核企業であるコラボレートに一部事業の停止と事業改善を命じる重い行政処分を課したため、取引が急速に縮小したとのことです。同年10月、クリスタルの創業者・オーナーは保有株を全て売却したのですが、それを買ったのが、あのコムスン不正事件で知られるグッドウィルグループだったのです。コンプライアンスのない企業が勢力を増しながら脈々と存続していることを感じます。
バブル崩壊後、企業がリストラを実施し、正社員の雇用が激減した時期に、雇用の調整弁として一挙に広まったのが偽装請負で、使い捨ての労働者、あるいは、現代版奴隷制度と言い換えることができるように思います。その諸問題について分かりやすく、具体的に書かれており、新自由主義の諸改革について考える際の参考文献にもなると思います。
(07.06.13記)
15. 自治体アウトソーシング研究会編 『Q&A自治体アウトソーシングの新段階』(自治体研究社、2,000円)
新自由主義改革によって推し進められている行政の民営化・外部委託について、批判的立場から論じられている文献です。新自由主義改革によって、自治体のスリム化・市場化のための手段として、市場化テスト、指定管理者制度、業務委託、PFI、地方独立行政法人、地方公営企業法の全部適用、構造改革特区、任期付フルタイム・パート公務員制度、労働者派遣、有償ボランティアを掲げ、これらについてその問題点などをQ&A方式で論じています。本書の問題意識は、自治体としての公的責任・公共性の縮小・解体、住民へのサービス低下、そして自治体で働く労働者に対するリストラが、いま大規模に進行しており、これらの業務は元々人件費の占める割合が高く、そこでコストダウンを図ろうとすれば人件費を削減せざるを得ず、必然的に雇用流動化と雇用の劣化を伴うことを意味するとしています。
指定管理者や業務委託、市場化テストでは、住民が負担する税金で建設された公共施設が、特定民間企業の営利追及の手段とされてしまい、そこに参入した民間企業が人件費を削減したとしても、それが住民に還元されるわけではなく、民間企業にとってはリスクを負わない参入分野でしかないとしています。確かに、新自由主義改革が進行し、小さな政府を実現しつつありますが、税負担や社会保障負担が将来に向けて軽減されることは全く示されておらず、単に民間企業の利潤追求の機会を拡大するだけの行政の民営化・外部委託だけのように映ります。この点について、憲法・行政法の立場から慎重な検証がなぜもっとなされないのか不思議に思っていましたが、近時、ようやくこうした研究業績を目にするようになってきました。大企業が景気回復の影響などで莫大な利潤を得ている一方で、勤労者が生活不安を募らせる中で、公務の縮小・市場化による不安定勤労者の増加は、やはり問題視せざるを得ないと思われます。安定した雇用機会、収入確保策が社会秩序の安寧に必要であることは、誰もが否定しないと思います。これ以上の不安定雇用の拡大は、勤労を拒否することを奨励し、他人のカネを横取りするといった思考に勢いを与える格好の口実にもなり、結局のところ社会保障の過剰な負担に結びつき、マイナスになると思われます。
本書は、自治労関係者が執筆者に加わっているため、労働問題の視点から批判的に論じているのは当然とは思うものの、論じられていることが全て関係者のエゴであるとは感じられない法的問題点を多数有していることが理解できます。
(07.06.05記)
14. 財団法人日本都市センター 『自治体訴訟法務の現状と課題』(同センター、2,100円)
自治体訴訟法務に関する多角的かつ詳細な研究報告書です。訴訟法務とは自治体が訴訟に当たって行う活動を意味するとされていますが、行政実務では訟務という言葉が用いられることが少なくないとされています。私は、単純に訴訟事務とか訴訟対応という言葉を使うことが多く、訴訟法務という言葉は使わないようにしています。訴訟法務というくらいなら、もう少し付加価値のある、あるいは、戦略的な要素を組み込むべきではないかと思っているところです。本書は全体で3部構成で、第1部は自治体訴訟法務に関する提言、第2部は自治体訴訟の諸問題として、8人の論者が寄稿されています。第3部は事例研究として、最近の自治体訴訟の事例について、訴訟に関する組織体制、訴訟対応などの報告です。
自治体は、訴訟の量的変化と質的変化に対応することが求められています。量的には全国755市区における訴訟件数が平成4年度の1504件から平成16年度の2508件に、12年間で約1.7倍も増加しています。また、質的変化とは90年代半ばから進展した地方分権改革、司法制度改革、情報公開の浸透と住民自治の争訟化という、自治体訴訟をめぐる法的・政治的環境の変化を指します。本書では、この2つの変化に自治体が適切に対応するためには、訴訟法務に関する自治体職員の意識改革が重要であるとし、訴訟法務の非日常から日常へ、事後対応から事前対応へ、説明責任の3つの視点から訴訟法務のあり方を再検討すべきだと主張しています。ほとんどの自治体職員にとって、訴訟法務は非日常的な業務であり、本来的な業務ではないという認識が強いため、職員の当事者意識が欠如していること、訴訟に対する現実感が乏しいため、危機管理意識の欠如を招いていること、自治体の管理監督者に争訟は煩わしいという意識があるため、自治体職員が行政不服申立や訴訟を忌避することにもつながっています。これらの諸点は、訴訟を多数抱えている自治体であっても、平均的な職員は同様ではないかと思われます。当事者意識の欠如や危機管理意識の欠如は、全国で類似の事故が発生していても、対岸の火事としか見なかったり、無関心であることから理解できます。
また、分権型社会では自治体政治と自治体訴訟が密接に関連する局面が増加すると予測され、首長は施策決定に当たって行政上の必要性や財源に加え、法的リスクを検討することが求められるとしています。そして、訴訟法務における政官関係では、一部の自治体に政策法務を誤解し、法務を軽視した政策とされることが懸念されるとしています。住民受けするための斬新さや目新しさを過剰に追いかけ、適法性や妥当性を職員が地道に考えなくなってしまう恐れがあるということです。自治体は質の高い政策法務を目指し、地道な努力を重ねることが求められるとしています。また、特に行政訴訟への対応に、行政法に詳しい弁護士に依頼したいとする自治体が多いようですが、弁護士の力量で訴訟の勝敗が決まる部分というのは、それほどないという意見の紹介は、説得力を感じました。これ以外にも、多くの貴重な見解や資料が多数盛り込まれています。
日本都市センターは、最近、自治体法務・政策法務に関連する研究報告を相次いで発刊されています。管見の限り、自治体訴訟法務に関するまとまった研究書は、他に見覚えがありません。貴重なものとなると思われます。
(07.05.06記)
13. 澤 俊晴 『都道府県条例と市町村条例−自治・分権時代の条例間関係の理論−』(慈学社、1,575円)
慈学社の政策法学ライブラリイ13として出版されました。著者は広島県職員であり、本書の内容は、派遣研修先である政策研究大学院大学での修士論文が元になっているようです。
第一次地方分権改革によって機関委任事務が廃止されましたが、それは都道府県知事による市町村長に対する機関委任事務も廃止されたことをも意味します。また、統制条例・統一事務規定が廃止され、さらには平成の大合併によって市町村が大規模化し、事務処理能力の向上や政策法務の強化によって、形式的だけでなく実質的にも都道府県と市町村が対等協力関係に近づくきっかけになるとされています。そして、都道府県条例と市町村条例の重複領域が拡大し、条例間関係で調整を要する場面は増えるだろうという問題提起にはうなずくことになります。その際、特に、条例間で矛盾・抵触が発生する場合、どのような解決策があるのかが、本書の主要なテーマとなっているわけです。
地方自治法には都道府県と市町村について、相互競合回避規定(2条6項)と都道府県条例遵守規定(2条16項)があり、条文だけを読むと、都道府県条例が市町村条例に優位するように錯覚を生じてしまいます。本書では、条例間関係の矛盾抵触の解決のためには、事務配分規定(2条3項〜5項)を踏まえて、問題となっている条例の事務が都道府県と市町村のどちらの事務であるのかを第一義に検討する必要があり、都道府県は広域性・連絡調整・補完性の証明をしない限り、その事務は市町村にあるという見解を示されています。
また、都道府県条例と市町村条例が矛盾・抵触する恐れがある場合の条例適用や条例制定の可否について、条例が有する目的達成手法、条例の由来、条例が対象とする事務の性質、事務の処理方法に着目して、検討することが重要だとしています。その上で、事務の性質と事務の処理方法の結合による、広域・補完/独立・融合を軸に4つの類型について立法論・解釈論・具体例などについて論じられています。さらに(自治)立法的解決策として都道府県条例適用除外規定や市町村条例との関係規定についても論じられていますが、その中で、市町村の自主条例で処理してもよいような事務までも、事務処理特例条例によって移譲されることについて、市町村の条例制定権及び自治権尊重の観点から再考が必要であるとされてます。また、都道府県自主条例に基づく事務が移譲されると、行政不服審査法の審査請求を認める規定があれば裁決は知事が行うことになり、それが取消裁決の場合には、市町村はその裁決を争うことができず、結果として県からの強力な関与を受ける可能性が高いと指摘されています。
本書は、都道府県の役割を限定的にし、市町村を基礎自治体としてできる限り自治立法の範囲を拡大すべきだという考えが映し出された理論書だと思います。政策法務の中心である条例論について、都道府県条例と市町村条例が矛盾・抵触する恐れがある場合の対処法を具体的に提示したことで、今後の実務にも大いに参照されるべきではないかと考えられます。
(07.04.29記)
12. 北村喜宣 『産業廃棄物法改革の到達点』(グリニッシュ・ビレッジ、2,100円)
北村喜宣先生の最新著作です。廃棄物処理法は環境法の中でも根幹的な法律の一つであり、市民生活にとっても影響の大きな法律であることは、環境法を専門に学んでいなくても理解できると思います。また、政策法務からのアプローチもなされる主要な法分野となっています。もっとも、これは北村先生が環境法を政策法務の重要な領域として、熱心に主張されてきていることが大きく影響しているものと理解しています。
廃棄物処理に関して、自治体は自然環境や生活環境を保全するため、条例・要綱・協定などによって独自の対応を行ってきています。北村説は、この点について、廃棄物処理法の法システムが、立地リスク、執行リスク、単体リスクの管理の観点から不完全であることを意味するとされています。また、2003年から2005年の間に、廃棄物処理法は毎年改正がなされました。一つの問題に対処するために改正し、一息ついたと思った途端、また新たな問題が発生し、立法的手当をしなければならないということが続いたということになりますが、逆に言えば解釈や運用でカバーし切れない、予測困難な問題が現場では生起しているということになります。行政法の中には生活保護法のように立法的対応を行おうとしない例もありますが、これだけ集中的に改正を行うものもあり、その差は一体何なのかと思ったりもするわけです。廃棄物処理行政は、排出事業者などとの関係で法的対応を行うことも多く、適正処理実現のためには、廃棄物処理業の優良性認定制度というハードルを設定し、許可業者を差別化し、健全な競争を創出することも重要な戦略のようです。
本書は全体で250頁ほどのボリュームであり、内容から見てこの価格はかなり抑えていると思います。北村先生は新司法試験考査委員もなされていますので、環境法を選択される方にとっても必読書になると思います。
(07.03.31記)
11. 日本地方自治学会編 『自治体二層制と地方自治』(敬文堂、2,940円)
地方自治叢書19となっており、8本の論稿と2本の書評から構成されています。特に強く印象に残った3本を紹介することにします。
加茂利男「地方自治制度改革のゆくえ−基礎自治体と広域自治体の規模と機能」では、自治体の区域改革の研究者である、フィンランドのタンペレ大学のアルト・ハヴェリが自治区域の統合・拡大と分割・縮小の並行的進展があり、政治・学問の分野で合併派と分裂容認派に分かれていると主張していることを紹介しています。そして、具体的に、基礎自治体数の変化を国際比較した場合、単一国家、連邦国家を問わず、大規模な合併・統合による基礎自治体数が減少している国と、ほとんど減少していないか増加している国の二つの対照的なパターンがあるとされています。さらに、ハヴェリが「合併か小規模自治体の維持か」ではなく、実質的な意見の違いは、「合併かネットワーク自治体(自治体間協力)か」であるとしていると紹介しています。基礎自治体合併の次は道州制ですが、地制調は道州が現行の地方公共団体と同じく、住民の公選による二元代表制をとることでよいのかは、検討の余地があるとしている点などを引用し、道州制は憲法論議とも関連してくると指摘されています。国の狙いは、都道府県を廃止して、道州制にし、それを国の出先機関のような位置づけにしようとするものなのかもしれません。それに敏感に反応している知事会が道州制に乗ってこないという構図が何となく透けて見えるように思われます。
金井利之「個別行政サービス改革としての三位一体改革−義務教育費国庫負担金改革の観察視点−」は、とても興味深い論文です。金井説は、三位一体改革について、財務省・総務省・個別省庁の「三すくみ」を「三方一両損」で打開しようという仕掛けであるとされています。三方一両損とは、財務省は税源移譲を呑む、総務省は地方交付税削減を呑む、個別省庁は補助負担金削減を呑むということです。しかし、金井説は、一見「公平な負担」であるが、利害バランスからは必ずしも公平ではないと指摘されています。それは、財務省が税源移譲で譲歩しても、補助負担金・地方交付税の圧縮を獲得できるので、二勝一敗の勝ち点一に対し、総務省は地方交付税圧縮を呑み、地方税の税源移譲を獲得、補助負担金削減はプラス・マイナス・ゼロで一勝一敗一分の勝ち点0になります。しかし、個別省庁は、補助負担金の充当先を国・地方を通じて指定するものであり、その削減は痛く、しかも、税源移譲や交付税圧縮は無関係のため、0勝一敗二分の勝ち点マイナス一となってしまうわけです。三位一体改革というプロジェクトは、地方交付税削減だけを単独でさせないための総務省からの仕掛けであったはずで、交付税だけを単独で残したら、次の財政構造改革の標的となりやすいと指摘されています。今後、新たな財政改革で、地方交付税が再度、ターゲットになることが予想できそうです。さらに面白い指摘は、国交省的三位一体改革と厚労省的三位一体改革の比較です。国交省は補助負担金を多少減らし、交付金にしてしまい、自治体の裁量を拡大させつつ、国交省の裁量はもっと大きく拡大させるようにしたということです。厚労省は、補助負担率引下げによる自治体への負担転嫁という伝統的手法であり、生活保護をおとりにして他の分野で負担転嫁を成就したと指摘されています。厚労省的三位一体改革は、まんまと成功したということは、現場にいても実感します。しかし、文科省的三位一体改革は、初等中等教育という個別行政サービス改革問題と国庫負担金制度改革という問題について、構造改革をするチャンスであったが、義務教育改革は提言するが、現行国庫負担金の堅持という結論しか導けず、包括的一体的な議論を提起することに失敗したと指摘されています。こうした国政レベルの動きを認識しつつ、自治体関係者は次の改革に備えていくことが求められているのだと思います。
垣見隆禎「地方分権改革の検証−国地方係争処理制度は機能するか−」は、第一次地方分権改革によって創設された国地方係争処理委員会が、横浜市勝馬投票券税条例新設にかかる総務大臣不同意をめぐる事件の一件だけになっているのをどう評価するかについて、論じています。自治事務について「是正の要求」をされた自治体は、国地方係争処理委員会に審査申出を行うことはできるが、「是正の要求」には、この内容を担保するサンクション(制裁という意味?)がない以上、自治体には審査申出を行う実益がないとされています。法定受託事務については代執行制度というサンクションは存在するが、国の側で出訴しなければならず、自治体はそれがない以上関与に従う必要もない。それゆえ、上下主従関係だから争訟化していないのではなく、関与法制と係争処理手続の間にみられる「齟齬」が、国地方係争処理委員会・自治紛争処理委員会の開店休業状態に陥っている主要な要因の一つだとされています。この点について、確かに代執行を国が行うとしても、事務の膨大さから考えて、机上の空論ではないかと思われるものもあります。また、特に法定受託事務については、財政的なコントロール(国庫補助負担金、会計検査院検査)によって国の意図する「合法事務」が担保されているため、財政自主権が制約されている自治体が是正要求を受けるような法行為をしないことも大きく影響していると思っています。
(07.03.17記)
10. 榊原秀訓・尾林芳匡 編著 『Q&A市場化テスト法−仕組みと論点』(自治体研究社、1,995円)
市場化テスト法を批判的に検証している文献です。イギリスで実施されたものを遅れて日本でも導入されたと理解されていますが、すでにイギリスでは市場化テストが財界からも問題視され、ブレア政権で廃止されていることを日本では重視していないようです。イギリスのCCTは効率性のみを追求したものであり、日本の市場化テストは効率性だけではなく、サービスの質も重視しているので、異なるものだという主張が根拠になっているようです。しかし、効率性と質の向上は、相反するものではないかという疑問を呈しています。効率性の向上とは、人件費の抑制になり、安い賃金の労働者によって行政サービスが提供されることになることは明白です。そして、公務の民間開放を行った場合に、低い賃金の労働者によって不安定な行政サービスが提供されるとなれば、質の向上を果たしていかに実現するのか問題提起しているわけです。また、具体的にどういう行政サービスのどの事務を民間が担うのか、その分担のあり方については、例えば、自治体における「特定公共サービス」(法2条4項2号、5項)である、地方税の納税証明書(地方税法20条の10、法34条1項2号)の「請求の受付」と「引渡し」を民間が担当し、その間の中核的部分の業務は行政が担当するとなれば、民間事業者の創意と工夫が反映される「一体の業務」と言えるのか、実際には全てが民間で担当するといった運用にならないのか注目する必要があるとされています。この点については、そもそも、請求の受付と引渡しの業務で、具体的にどのような創意と工夫ができるのか、疑問に感じます。
市場化テスト法では、官民競争入札等監理委員会等について規定し(法37条以下)、第三者機関によるモニタリングも制度化されてはいますが、国の場合には、内閣府におかれるだけであり、専門性に限界があり、しかも、民間人に専門性を期待されていることから、公共サービスに関する専門性ではなく、民間に委ねることについての専門性が期待されているのではないかと批判しています。自治体についても同様に、法47条で審議会など第三者機関を設置することが規定されていますが、国・自治体を問わず、わずかな人数の審議会でどれほどの公共サービスの事後評価が可能なのかは、容易に想像できるのではないかと思われます。
民間事業者によって効率性が向上した場合、具体的にどれだけ向上したのか、客観的で公正な指標があるのかという問題、自前の施設ではなく、行政庁舎などでの業務であれば、本来負担しなければならないコストを免除されることになり、それが何ゆえに肯定されるのかという問題、民間事業者に行政サービスを提供させた場合には、従来それを担当していた部署の職員たちは別の仕事に従事することになり、誰もその業務に従事しなくなるが、果たしてそれでいいのかという問題などなど、確かに多くの疑問が湧いてきます。
本書は、公務員労働者擁護の色彩が濃い文献であり、そういう点ではやや「割引」しながら読む必要はあるでしょうが、それでも市場化テスト法の問題点について、納得のできる指摘や批判がなされていると思います。
(07.03.17記)
9. デヴィッド・ハーヴェイ著・渡辺治監訳 『新自由主義−その歴史的展開と現在−』(作品社、2,730円)
著者はイギリス出身の経済地理学者であり、ニューヨーク市立大学教授です。監訳の渡辺治氏は一橋大学教授であり、本書は、世界の潮流である新自由主義について総括的に分析した「A
Brief History of Neoliberalism,Oxford University
Press,2005」の全訳です。新自由主義は世界的潮流となっていますが、その歴史的経緯について何か文献はないものかと思っていたところ、偶然にも書店で目についたたため、購入しました。この3月に出版されたばかりで、新自由主義に関する最新の文献となります。
本書では、新自由主義とは何よりも、強力な私的所有権、自由市場、自由貿易を特徴とする制度的枠組みの範囲内で個々人の企業活動の自由とその能力とが無制約に発揮されることによって人類の富と福利が最も増大する、と主張する政治経済的実践の理論であり、国家の役割は、こうした実践にふさわしい制度的枠組みを創出し維持することである、と定義されています。そして、1970年代以降、政治および経済の実践と思想の両方において新自由主義へのはっきりとした転換がいたるところで生じ、社会福祉の多くの領域からの国家の撤退、規制緩和、民営化といった現象があまりにも一般的なものになり、言説様式として支配的なものとなったとされています。それは、世界を解釈し生活し理解する常識(コモンセンス)に一体化してしまうほど、思考様式に深く浸透しているとも述べられています。本書は、新自由主義化がどこから生じたのか、それがどのようにしてかくも徹底的に世界中に広がり増殖したのか、このことに関する政治経済史であり、それに批判的に取組むことが、政治的・経済的なオルタナティブを明らかにしそれを構築する上での枠組みを提示することにもなると主張されています。
「訳者あとがき」を参考にまとめると、本書では、新自由主義の本質について、1950年代から70年代初頭にかけて侵食されてきた資本家階級と政治エリートの、とりわけ金融資本を中心とする権力回復にある、つまり、「階級権力の回復」だとみなしています。先進諸国の経済が全体として高度成長していたときは「埋め込まれた自由主義」とケインズ主義的妥協を通じて、双方が満足していたところ、1970年代初頭以降の低成長への移行によって根本的に変化し、両者を解体しなければならなくなり、その手段が市場化・自由化・民営化・金融化を進めることであり、大企業と金持ちへの税金を大胆にカットし、一般市民と貧困者向けの社会的支出を削減することだとしています。これを「略奪による蓄積」と呼んでいます。
ハーヴェイは、言論と表現の自由、教育と経済保障の権利、組合を組織する権利などの派生的権利を執行すれば、新自由主義に対する重大な挑戦を提起することになるとし、これらの派生的権利を根本的権利とし、基本的な私的所有権や利潤原理を派生的なものにすれば、革命を実現できるだろうとしています。そして、適切な権利概念をめぐる、さらには自由そのものの概念をめぐる政治闘争こそが、オルタナティブを探求する中で舞台の中心になると主張しています。国家機構に対する民衆のコントロールを再獲得し、それによって市場の権力という巨大なジャガーノートのもとにある民主主義的な実践と価値観をより深く推進するための同盟が、アメリカ内部で構築されなければならないとしています。
新自由主義に対して批判的な立場からの分析ですが、日本の新自由主義もこうした潮流に乗って、特に小泉政権から、それに加速がついていることは誰もが知っていることです。新自由主義化の進行に歯止めをかける新たな主体というものが、果たして日本で構築されるのかは、現状、とても覚束ないような気がします。新自由主義改革路線を進めるのか、見直すのかは、結局は民衆であるため、どういう普遍的な運動が実現できるかが一つの鍵ということになるとしか言いようがありません。なお、本書は、アメリカを中心に、イギリス、メキシコ、アルゼンチン、韓国、スウェーデン、そして中国について論じられていますが、なぜか日本のことにはほとんど触れられていません。その点は、渡辺教授による「付録 日本の新自由主義」が補完しています。
(07.03.06記)
8. 宇賀克也 『地方自治法概説(第2版)』(有斐閣、2,415円)
行政法学の第一人者である宇賀教授による地方自治法のテキストになります。2000年地方分権一括法による地方自治法大改正以後も、毎年のように地方自治法が改正されていますが、本書は平成18年改正や地方分権改革推進法の制定、三位一体改革などをフォローしている最新のものと言えると思います。私は初版を読んでいませんので、本書は初めて読むことになります。実のところ、最近は地方自治法の体系書・教科書をまったく読んでいなかったので、ちょうど良い機会だと思い、読了しました。
本論270頁弱のボリュームであり、概説書という正確から、法制度や関連する論点についての説明に重点が置かれていて、宇賀教授の見解が詳細に論じられている箇所は目立たないように思います。政策法務との関係で言えば、法律と条例の関係について、古典的法律先占論はほとんど支持を失っているとされ、徳島市公安条例最高裁判決について、道路交通法と同条例は規制目的が異なると解したわけでは必ずしもないとされ、同法が道路の特別使用行為等の要許可行為を都道府県公安委員会の裁量にゆだねて全国一律に規制するのを避けていること(77条1項4号)に照らして、同法は、道路交通秩序維持のための条例による規制を否定していないと判示していると、まとめられています。政策法務で自治立法を論じるときに、しばしば出てくる判例ですので、宇賀説がどう考えておられるのか確認しておきたいと思っていました。また、条例については、上乗せ条例、裾切り条例、横だし条例、上積み条例の4類型を提示されています。しかし、法律が全国一律に定めている事項を地方公共団体が条例で変更することは、それを許容する明文の規定がなければ許されないと一般に解されていると記述される一方で、地方自治法2条11項・13項で国と地方公共団体の役割分担原則が規定されたことから、地方自治の本旨、国と地方公共団体との適切な役割分担におよそ反する法律は、合憲性を問われることになるとされています。そして、今後は、国が立法を行うに際して、条例制定権の範囲をより広く認める傾向が徐々に現れてくるのではないかと思われるとされてます。ただ、条例制定権の範囲を広く認めるかどうかは、法律の内容次第であり、自治体の法令自主解釈権については言及されておらず、しかも、「およそ反する法律」という文言から、かなり限定的にとらえられているような印象も持ちます。また、自主立法権の中に自治基本条例も論点として説明がなされていますが、「注目に値する」と述べられるにとどめておられます。
本書は法科大学院で地方自治法を学ぶ際にも教科書として使われるものと思われます。読んだ印象としては、地方自治を拡充する姿勢を強く打ち出しているわけでもなく、地方自治を抑制・制御しようとしていることを強く打ち出しているわけでもない、概説書に徹しているということでしょうか。今後は宇賀説を色濃く出した地方自治法体系書を期待したいです。
(07.03.06記)
7. 吉田勇 編著 『法化社会と紛争解決』(成文堂、4,410円)
本書は熊本大学法学会叢書7として出版されたもので、吉田勇教授をはじめとする執筆者10人は全員、熊本大学法学部ないしは同大学大学院法曹養成研究科の教授となっています。全体で2部11章構成となっており、第1部「法化」と紛争解決は、本書の総論部分になり、第2部紛争解決システムの諸相では、9つの社会領域における具体的な紛争解決のあり方を取り上げています。また、本書全体の問題意識については、はしがきで記述されているように、日本が法化社会になりつつあるという認識のもと、できるだけ紛争当事者の視点に立って、多様な社会領域で、紛争に即してその解決システムの適切な選択を援助しうる理論の構築に向けて、その基礎固めの作業を行うこととし、「法化」と紛争解決に関する基礎的な検討とともに、それぞれの個別領域において、とくに裁判外の紛争解決システムがどのように整備されているか、どのように整備されるのが望ましいのかを明らかにすることに重きを置いている、ということです。昨年から機会あるごとに、研究会で行政不服審査法制についていろいろ議論しており、また、法化という概念に関心を持っていたため、手にしてみた文献です。
法化社会の定義については、社会秩序の維持や紛争解決のために、法を必要とするようになる傾向のこと、と理解すればよいと思われます。法化社会は「法の支配」が浸透した社会であり、個人の人権が尊重されるという積極的な側面と何でも訴訟で解決しようとすることになるという消極的評価の側面があることを確認しなければなりません。そして、法化の進展により紛争当事者は、紛争の「法的解決」を考えなければならなくなりますが、そもそも紛争当事者が求めるのは、法的解決だけでもなく、非法的解決だけでもないという複雑なものだとされています。そこで法的解決と非法的解決の「統合的解決」という考え方が生じるのです。訴訟上の和解は、統合的解決の可能性を持つため、しばしば活用されていますが、どこまで可能なのかは検討しなければなりません。紛争当事者は、「納得のいく解決」と「公正な解決」の両方を求めるため、統合的解決を求めるともされています。権利侵害を受けた者が紛争解決を望むのは、権利実現のための法的解決ですが、一方で、相手との関係や周囲の目を意識して何も要求せず、権利を放棄することも様々な理由が関係していると言われています。非法的解決としては、権利侵害をしてきた者と一切交際しないということなどが思い浮かびます。
個別領域として、自治体政策法務との関係が深い問題として、例えば、建築基準行政における行政指導多用の問題があります。全国の自治体の特定行政庁などは、建築基準法令違反に対して、もっぱら行政指導で対処し、建築基準法9条に規定する除却命令を発動し、行政強制を実施するという正規の法ルートを忌避していることは、多くの関係者が自覚されているところではないでしょうか。そして、その理由として、事前行政手続が煩瑣で、人手や時間のコストを要すること、そもそも行政担当者は一般に行政訴訟・不服審査・事前行政手続を忌避する傾向があり、紛争・対立を避けようとするから、行政指導に走る傾向が強いわけです。また、除却命令はともかく、行政罰については、あくまで間接強制であり、建築基準法違反がただちに解消されるわけではないことも響いているということです。今後の解決策として、100万円程度を上限とする執行罰制度を導入して、現場での解決を実現する方向性が示されています。この問題は、法と事実の乖離という問題とも関連しており、自治体政策法務を考える場合に落としてはならない視点を含んでいると思います。また、これ以外にも、税法における裁判外の紛争解決システムや福祉・介護サービスの苦情解決のシステムなども自治体政策法務、特に、紛争解決法務という点から興味深いところです。
(07.02.14記)
6. 落合博実 『徴税権力 −国税庁の研究−』(文藝春秋、1,500円)
著者は元・朝日新聞記者で、現在はフリーランスとして活動されています。純粋な学術書ではありませんが、市民にとって最も切実な問題である税について、その本丸である国税庁を舞台にした国税職員たちの諸活動を、極秘資料を紹介しながら生々しく描写しているものです。「火事はどこだ?」「税務署だ」「じゃぁ、ほっとけ」という小話があるほど、市民からは嫌われているのが国税局や税務署ですが、著者自身が「はじめに」で述べられているように、情報収集と資料分析にかけては、「最強の捜査機関」と喧伝される検察庁をもしのぐ実力を持つ徴税機関の内情はこれまでほとんど論じられることはなかったため、とても興味深く読むことができました。本書で国税庁の内情に相当程度に踏み込めたのは、長年の取材活動の過程で、当局の内部文書を目にする機会があり、その一部を入手していたことが大きいとされています。内部文書は、門外不出のマル秘資料であり、国家公務員法違反に問われかねない行為を、複数の国税庁や国税局の幹部・職員がしていたということです。逆に考えれば、それだけ著者は、国税職員から信頼されていたということなのでしょう。
国税庁・国税局の仕事として広く知られているものに、マルサ(査察部)の仕事があると思います。マルサには、情報収集を仕事とする情報班と家宅捜索をする実施班の2つのセクションがあり、情報班は事件を作るのが仕事と評されています。国税局には多くの情報が寄せられ、その膨大な情報から脱税として立件できそうな事件を探すわけです。内偵の仕事については、「靴の底から足の裏に水虫があるかどうかを見抜く」ようなものとベテラン査察官が話していることが紹介されていますが、イメージとして刑事に近いことが理解できます。一方、本書では資料調査課、通称リョウチョウの存在を強調しています。大口・悪質事案の調査を担当し、政治家、財界人、芸能人、スポーツ選手のデータを管理し、調査するのを任務とし、悪質脱税案件が見つかれば、すみやかに査察に連絡する仕組みになっています。マルサには強制調査権があり、刑事罰を科するのが役割となっていますが、リョウチョウはあくまで相手の協力のもと調査をし、課税することが仕事となっていて、一見、ひ弱そうに感じますが、そうではなさそうです。職員は、毎日、新聞(一般紙だけでなく、スポーツ紙、夕刊紙なども)、雑誌などあらゆる刊行物に目を通し、チェックし、調査対象になりそうな案件を探し、これはという記事があればコピーされ、ファイルされることになっています。あるいは、セレブともてはやされる成金社長や社長令嬢を紹介するテレビ番組をチエックし、調査すると申告していないことが判明したりするようです。
しかし、課税の公平性という点では、疑問すべき点もないわけではありません。特に大企業に対する税務調査の実績は非常に少なく、中小企業や個人事業主への苛烈な課税と比して手ぬるいという印象を受けました。また、やはり政治家の介入に対しては、必ずしも徹底抗戦できるわけでもなく、妥協する面も多いようです。ただし、政治家の介入については、全て記録化されている点は、税務行政に限らず、自治体も見習うべきではないかと思います。一般納税者からすれば、課税の公平性について必ずしも十分達成されていない点が不満なのではないでしょうか。それでも、全体を通じて、国税職員の士気の高さや、税務行政過程の実態を知るのに極めて貴重な文献であることを感じました。
(07.01.28記)
5. 出井信夫 編著 『新しい公共経営の実践』(公職研、1,680円)
地方自治職員研修臨時増刊No.83であり、公共経営に関する諸論点について、公民連携=PPPの視点から論じられているものです。指定管理者、民間委託、PFI、市場化テストなど、行政の民営化・外部委託に関する諸問題について、具体的事例を豊富に紹介されています。法的な検討を正面からなされているわけではありませんが、それでも、例えば、指定管理者については、公の施設の性格づけと受益者負担に関する問題、指定管理者選定に関する問題、指定管理者選定の見直し、指定の取消など、法的問題にもなることが具体例を交えて論じられています。民間企業が公募によって指定管理者になったとしても、必ずしも黒字経営を実現できるとは限らず、撤退する例も発生しているようです。自治体は指定管理者を選定すれば、丸投げ意識が強くなると思いますが、行政としての法的統制や事後チェック機能の向上に力を注ぐことが要請され、決して役割がなくなるとは思えません。
PFIについては、事前に実施方針、要求水準書などをもとに細部にわたって協議がなされ、双方の合意が契約書(協定書)に反映されますが、10年から20年程度の長期にわたるPFI事業契約は、自治体もSPCも担当者が変わってしまうため、リスク分担など、後々トラブルになる事項については、かなり慎重に検討することが要求されます。この点、行政職員の苦手なことの一つに、将来のリスクをどう精確に予測するかという問題があるのではないかと思います。目先のコスト削減ばかり意識して、将来のトラブルに無頓着な契約になってしまうことがないとは思えないのです。紛争予防法務の要素を持った契約がどれだけ実現できるのかが重要だろうと感じています。民間企業との契約プロセスにおいては、当然、交渉法務もクローズアップされるのではないでしょうか。
市場化テストについては、指定管理者やPFIよりも更に幅広い事業対象となり、民間からの提案があれば、法規制を緩和し、参入障壁を改善する姿勢が明らかです。また、自治体で実施する場合なら、競争入札が公正に実施されるのかという問題も検討対象になると思います。こうしたプロセスを第三者機関によって監視するシステムの整備が重要です。行政の民営化・外部委託の法的問題として総括的に言えば、これまで行政の最も苦手としていた事後監視をどう機能させるか、モニタリング機能の向上・充実と、民間事業者が引き起こしたトラブルに対して、市民への責任をどう負担するのかといったことが、法的に問題になると考えられます。
(07.01.28記)
4. 和田仁孝 編 『法社会学』(法律文化社、3,360円)
法社会学の最新の教科書で、編者の和田教授(早稲田大学)を含めて12名の研究者による共著であり、3部12章から構成されています。法社会学は、その理論的立場、方法論的アプローチ、研究対象のいずれの側面においてもかつてない分岐を示しているとされています。本書は、その分岐をまさに表すかのように、各章でそれぞれの執筆者が個別のテーマに基づいて論じられています。いくつか掻い摘んで感想を述べることにします。
現代の社会秩序と法との関わりについては、社会秩序の法化ないしは社会が法に依存を深めていることと同根の問題として、法が依存の深化とは反対向きの変容が生じるという、法のサブシステム化ないしは法の異形化(自律化、相対化、複雑化、疎外)という現象を指摘されています。法化という概念についても、アメリカでは裁判所ないしはそれと類似した対審型の紛争処理制度の利用頻度の高まりと、それに随伴する諸現象を指し示すものとして用いられていますが、ドイツでは、福祉国家化ないし行政国家化の進展に伴う法の質的な変化であると理解されているというふうに、全く意味が異なります。法の質的な変化とは、かつては普遍的に適用されることを予定された一般的なルールとしての法が、その規律領域を漸次的に縮小し、一方で具体的な政策目的を実現するために、特定の属性を備えた社会成員や社会関係のみに適用される、手段的な性格の強い方が増殖していくということを意味しているのです。この点、日本では、司法制度改革によってアメリカで言われている法化とともに、新自由主義路線や地方分権など一連の諸改革によってドイツで言われている法化が、並行的に進行していると理解できると考えています。
法社会学の中で最もメジャーな論点である、法意識については、法心理学の観点から操作的に「法に関するさまざまな問題について、人々が持つ知識や考え方、それに行動への方向づけを含む社会的態度」と定義され、法意識の核である法への態度は、法規範および法制度にかかわる、法感情、法の認知構造、法についての行動意図をその成分として統合したものとされています。法意識に関する、ある全国調査によると、日本の刑罰は緩いと考える人は1976年には4割弱であったのが2005年には7割近くになっていることなどが紹介されており、興味深いところです。もう一つのメジャー論点として、紛争があります。この点についても、従来の処理制度志向の紛争研究は紛争も制度も人も前もって定まった能力や性能をもったものとして取り扱おうとすることから限界が生じており、紛争の動態をみつめることが必要だとしています。そして、日常的実践の凝視と題して、エスノグラフィーや参与観察という、私が強い関心を持つ事項について、角度を変えて論じられています。
法社会学の知見は政策法務を学ぶ上で重要であるというのが、以前からの私のスタンスですが、本書は12名もの研究者による共同執筆であることから、中には難解な文章もあり、通読するのに手こずりました。それでも、刺激的な1冊であると思います。
(07.01.28記)
3. 橋場利勝・神原勝 『栗山町発・議会基本条例』(公人の友社、1,260円)
北海道の栗山町議会は、2006年5月18日、全国で初めての議会基本条例を全会一致で可決し、同日施行しています。正式名称は「栗山町議会基本条例」で、本書は、2006年7月22日・23日に栗山町で開催された、地方自治土曜講座サマーセミナーの講演(講義)録です。条例制定までに取り組まれた議会改革については、栗山町議会議長の橋場氏が中心に、条例の内容や理論的アプローチは神原教授がそれぞれ論じられています。
栗山町条例は、昨日今日急いで作文した理念条例ではなく、条例制定に先立って用意周到に4年半に渡って議会改革をされてきました。議員の方々が改革の必要をもっとも強く意識したのは、「選挙のとき以外に議員や議会の姿が見えない」という住民の痛烈な批判であったといわれています。栗山町議会はこの住民意見を真摯に受け止められたということです。議会改革は、議会と住民の関係の改革から始まりました。まず、情報公開条例が議会先導で実現したこと(栗山町では2002年(平成14年)3月に議会が先行して議会情報公開条例を提案したところ、行政側が慌て、同年9月に制定されています)、同年、町内34施設でインターネットによる議会の「ライヴ中継」の開始、2005年から議員が不特定多数の住民に議会活動を報告し、住民からも議会への意見などを聴く「議会報告会」を毎年実施することになりました。「議会報告会」は、議員が自分の支持基盤地区とは異なる場所に出向いてこれをしなければならないことも多く、当然、その準備のためかなり勉強をする必要があるようです。
栗山町条例は、前文と21か条からなる条例です。栗山町の条例で初めて前文がある条例を制定したそうです。前文では、議会を「討論の場」とすることを議会の第一の使命とし、そのための具体策として、先に紹介したようなもののほか、議会主催の一般会議の設置により、町民が議会の活動に参加できるような措置を講じる(4条2項)、本会議における議員と町長等の質疑応答は一問一答の方式で行い(5条1項)、町長等は議員の質問に対して反問でき(5条2項)、町長等に対する本会議等への出席要請を必要最小限にとどめ、議員相互間の討議を中心に運営しなければならない(9条1項)といったことが規定されています。町長との関係でも、6条では町長が議会に政策案・事業案を提案する際には、「政策の発生源」など7項目について、政策等の決定過程について説明を求めています。また、8条では地方自治法96条2項の議決事件として、総合計画など5つの計画を追加しています。
栗山町議会基本条例は、これまでの議会に対する常識を覆すような画期的なものだと思います。自治基本条例ブームが一時の勢いに翳りが見えてきた中、またしても北海道から先駆的な条例が制定されたことは、進取の気性が強いことを感じますし、自治体議会改革の進展に大きく貢献されるのではないかと思います。
(07.01.17記)
2. 竹下譲 『市場化テストをいかに導入するか』(公人の友社、1,050円)
市場化テストに関する入門的な文献と言っていいと思います。本書は2006年5月26日に開催された多治見市での講演記録に加筆したもので、著者は四日市大学教授です。同じ日、市場化テスト法、すなわち、「競争の導入による公共サービスの改革に関する法律」が参議院を通過し、同年7月7日に施行されました。竹下教授は、市場化テストを導入するために、参考にしたイギリスの市場化テストでは、コストが13%〜15%削減され、サービスの質についても競争導入で向上を実現できるとする内閣府の説明に異議を唱えています。何よりもイギリスの取組事例をかたちだけ真似したとしても、よい成果を得られないという強い疑問を呈しています。イギリスの80年代・90年代の事例と現在の状況の双方を日本は参考にしていますが、イギリスの公共サービスのやり方は時代の推移で大きく変化しているにもかかわらず、どうも都合のよいところだけを部分的に端折って採用しているようです。経費が安いからいい、イギリスのかたちを模倣しているから大丈夫というのは普通に考えても疑問に思われるところです。
イギリスではメージャー政権が行政改革を成功させた哲学は「シティズンズ・チャーター」であり、それは、住民には公共サービスを受ける権利があるということを、現実的な特権としてはっきり明示するものであるとされています。日本で市場化テスト法を成功させるには、このシティズンズ・チャーターの考えをいかに浸透させるかが重要と主張されています。行政サービスを広く、できるだけレベルを上げて「ここまでしかできない」と明確にし、その上でどうしようかと決めていく発想が必要であり、最小の経費で最大の効果を生んでいこうとする発想は誤りだとのことです。かなりの思考転換を要求されるように思います。
(07.01.15記)
1. 財団法人日本都市センター 『PPPによる自治体経営』(財団法人日本都市センター、525円)
今年の上半期は、再び、新公共管理論ないしは、より端的に「行政の民営化・外部委託化」に関する法的諸問題に重点を置くことにしました。さしあたって最初に読んだのが、本書です。平成17年8月5日に財団法人日本都市センターが「行政経営と指定管理者制度」をテーマに、全国の都市自治体関係者を対象にして実施した都市政策セミナーをとりまとめたものです。内容としては法務ではなく、あくまで行政経営論からのアプローチであり、正味90頁ほどの分量ですが、中身はかなり濃い文献だと思います。
第1部では、PPPと政策能力の維新と題して、北海道大学公共政策大学院院長の宮脇淳教授の基調講演が掲載されています。分権時代において、住民参加によるまちづくりや政策評価などを推進するためには、「INの知識」だけでは不十分で、具体的な政策をつくりだし、実行する「OFの知識」の重要性を強調されています。また、「行政と民間が共に考え、共に行動する」という新しいパートナーシップが、官民二元論から一元論への転換の重要性を説きつつ、民間化と民営化は違う、指定管理者制度は民間が公共サービスを担うことであり、民営化するならばその決断をすればいいと述べられています。NPM、行政の民営化、民間化、民による行政、私人による行政などなど、表現が様々であり、単なる言葉の違いだけだと思っていたらそれは誤りであるという主張が強くなっていると思います。
第2部では、北九州市及び上越市における指定管理者制度、横須賀市におけるFM(ファシリティ−マネジメント)について、それぞれ事例報告が掲載されています。北九州市では地元の老舗百貨店・井筒屋が指定管理者となり、2004年度から小倉城、小倉城庭園、水環境館の3施設の運営をされ、業績を向上させているようです。百貨店が指定管理者になるというのは意外な感覚ですが、お客さんを相手にすることや多くの取引先などの繋がりなどで、PRや集客、イベントなどで行政にはできない独自性を発揮されているようです。しかも、地元で長年経営されている百貨店であるため、知名度も高いと思われますので、指定管理者制度の本来の趣旨に即した事例だろうと思われます。
第3部では、財団法人地域総合整備財団の西浦浩一氏の寄稿論文「自治体PFIの現状と課題について」が掲載されています。PFIは長期に渡る詳細な契約を締結することを要するため、大規模自治体でなければなかなか進まないと思っていましたが、2005年8月末現在で158件の実績があるようです。都道府県別では、東京・千葉・埼玉・神奈川で49件、愛知・静岡で18件、京都・大阪・兵庫・滋賀で25件となっており、この3つのエリアで目立っています。鳴り物入りで導入されたPFIですが、事業の必要性やVFM概念、モニタリングなど、いくつもの課題があり、そう甘い話ではないことは的中しているように思っています。
(07.01.15記)
28.小宮信夫 『犯罪は「この場所」で起こる』(光文社、756円)、『犯罪に強いまちづくりの理論と実践』(イマジン出版、945円)
久しぶりに犯罪学関係の文献を読みました(と言ってもまたもや文庫本とブックレットです)。著者は、立正大学文学部社会学科助教授で、今、最も注目されている犯罪社会学者だと思います。著者の問題意識は、まず、失われた10年などと言われている1991年から2001年までの間、欧米では犯罪の増加に歯止めがかかった一方で、日本は60%も犯罪が増加していることにあります。治安悪化がデータからも明確に読み取れるとなると、これまで当たり前とされてきた「安全・安心」をどう回復させるのかは、重大な政策課題となります。欧米諸国で犯罪の増加に歯止めをかけることができた理由に、犯罪理論の転換を指摘されてます。すなわち、以前は犯罪者の異常な人格や劣悪な境遇(家庭・学校・社会など)に犯罪の原因を求め、それを除去することで犯罪防止を行おうと考えていたのです。つまり「犯罪原因論」を軸にした政策が実施されていたのですが、処遇プログラムは再犯率を低下させることができず、犯罪の増加に歯止めをかけることができませんでした。そこで、1980年代から犯罪の機会を与えないことで犯罪を未然に防止するという、「犯罪機会論」が台頭してきたのです。犯罪機会論は、物的環境の設計や人的環境の改善を通して、犯行に都合の悪い状況を作り出そうとする考え方です。その要素として、抵抗性・領域性・監視性の3つをキーワードにされ、これらが高まっていると犯罪機会が少なくなると論じられています。抵抗性とは、犯罪者が最終的なターゲットに近づいてきて実行行為に及ぶときに、その犯罪者の力を押し返すことです。例としてワンドア・ツーロックや自転車のかごに取り付けるひったくり防止用ネット、防犯ブザーなどがあります。このようなハード面での装備とともに、意識も重要とされています。いくらひったくり防止ネットを自転車のかごに付けていても、「その上に」ハンドバックを乗せていれば盗まれてしまいます。領域性とは犯罪者の力が及ばない範囲を明確にすることで、犯罪者にとって物理的・心理的に「入りにくい」ことです。監視性とは犯罪者の行動を把握できることであり、周囲から犯罪者が物理的・心理的に「見えやすい」ということになります。この3つの要素を巧みに向上させることで、犯罪の機会を減らし、いくら性格異常な者であっても犯罪に向かうことを防止することを実現できるのです。
このほか、ニューヨーク市で取り入れられた割れた窓理論に基づいたコミュニティづくり、被害防止教育の切り札としての地域安全マップ、犯罪の機会を減らした後に行う立ち直りの機会の創出・付与、非行防止教育に対面的コミュニケーションが想像力を増すことに寄与し、かつ、修復的司法の取組みなどが記述されています。2冊紹介していますが、前者の方が詳しく、後者はむしろ地域安全マップに重点を置いた記述になっています。
すでに多くの自治体で安全条例が制定・施行されています。この新しい犯罪理論は、自治体防犯政策法務ないしは安全政策法務を考える場合の理論的知見となっていくでしょう。個人的には、自治体危機管理法務を考える場合の理論的知見として活用したいとも思っています。また、犯罪機会論も割れた窓理論も、公務員の不祥事防止策を考える場合にも役立つのではないでしょうか。
(06.12.17記)
27. 五十嵐敬喜・小川明雄 『建築紛争 −行政・司法の崩壊現場』(岩波書店、819円)
2005年11月に明るみに出た耐震強度偽装問題では多くの方々が衝撃を受けたと思います。また、国立マンション事件など、多くの建築関係訴訟で、低層住宅地域に突如、超高層マンションが現れ、近隣住民の日照権や景観権、美しい街並みを破壊することを、司法が追認していることも広く知られているはずです。本書は、都市計画・建築法制・行政・司法について、具体的な事例を取り上げ、その法的な問題を指摘するとともに、改革を提言している啓蒙書です。
耐震強度偽装と同様の違法建築が横行していることも問題とされていますが、1998年の建築基準法改正によって建築確認制度が変質してしまったことは、それと同等に重大な問題であると主張されています。98年改正によって、それまで自治体の建築主事が一手に担っていた建築確認制度が、指定確認検査機関制度の導入によって民間開放されたことで、建築主事による建築確認であれば到底通らないような建築計画が、民間機関によって建築確認がなされるという事態を招いていることです。「官から民へ」のスローガンのもと、行政の民営化・外部委託化を推進するという、新自由主義路線が主流となっていますが、指定確認検査機関制度は、民による権力行政の最初であったことになります。民間機関が真に公正中立な確認検査業務を遂行しているならばともかく、民間機関最大手の株主構成は主要住宅メーカーで占められているとなれば、公正中立性を信用するほうが無理な話になります。違法建築に対して、司法に訴えても、都市計画法や建築基準法をほとんど理解していない裁判官は、ゼネコンOBの専門委員の意見を傾聴することで、市民の訴えを棄却してしまうという問題もあるようです。自治体によっては条例で高さ制限など規制を施す動きも出てはいますが、市民にとって最大の敵は国土交通省と国会であると、批判的に論じています。
行政の民営化・外部委託化、いわゆるNPMについて、法的な検証をしている文献はまだそれほど存在していないと思いますが、本書はその中の1冊になると思います。訴訟というものに直接従事する機会がほとんどないため、実際に裁判をするとどういうことになるのか、理解する上でも一読すべき文献だと思います。
(06.12.10記)
26. 吉川徹 『学歴と格差・不平等−成熟する日本型学歴社会−』(東京大学出版会、2,730円)
新聞の書評欄などで紹介されていたので、購入し、読んでみました。著者は大阪大学人間科学部助教授。法律書ではなく、階級・階層と学歴に関する計量社会学の研究書になります。 まず、格差、不平等という言葉はしばしば見たり、聞いたりしますが、その定義については曖昧な感覚を持ったままの人も多いと思います。本書では、格差を「いま現在、発生している差の状態を記述するときに用いられる」ものとし、「通常は、その差の状態は微小なものではなく、問題性をはらむほどの大きさであると想定される」としています。また、不平等を「理念としての平等の状態がうまく満たされていないという。社会の仕組みを意味する」とされ、不平等概念を「用いる場合は、原因と結果、前提条件とそのなりゆき、出発点、と中継か、到達点というような、因果関係が視野に入っている」と付け加えています。
現在、議論がおびただしい「新しい格差・不平等」論の得体の知れなさを氷解させるキー・ワードの一つに、本書は「学歴」があると主張されています。かつては熱を帯びすぎて触ることができなかった学歴社会という術語を冷静に理論化して示唆を導き出せるのではないかと考え、戦略的な用語としてあらためて研ぎ澄ますことを試みているのです。そして、その作業を経てできあがる社会認識が、「成熟学歴社会」という概念であるとされています。ただし、本書では、成熟学歴社会とは、著しい高学歴化の変動期の後に続く、現在および近未来の高水準での学歴の安定・膠着状態をさすもの、という最低限の概念規定を示すにとどめています。そして、教育水準の安定・膠着をもたらしている要因は、ひとえに大学進学率のあり方だということになり、かつ、世代を重ねても同型的に学歴比率が再現される恒常的なシステムへと変貌していくことをデータを用いて論証され、学歴経験の世代間同質化をもたらすことを提示されています。そして、成熟学歴社会の成立と表裏をなす人々の意思決定構造として、「学歴下降回避のメカニズム」があるとされているのです。親の学歴が大卒層であれば、子弟はそれと同等かそれ以上の学歴を求めて大学進学の意欲を高めるが、親の学歴が高卒層であれば、高校卒業によって相対的下降がすでに回避されているため、大学進学への差し迫った欲求は作動しないというメカニズムです。学歴の世代間関係が下降しないことを選好するなら、高卒層の子弟の大学進学率は低くなり、大卒層の子弟の大学進学率は高くなる傾向をもつことになるという考え方です。これにより、学歴の世代間関係の閉鎖化・固定化がもたらされるというプロセスが一つの説明論理として成り立ち、学歴と経済的・主観的豊かさの二元化が時代が新しくなるほど人々の階層帰属意識に影響を与えるため、成熟学歴社会こそが新しい格差・不平等の最も大きな要因であるとされているのです。問題なのは、大卒層・高卒層の閉鎖的再生産というメカニズムが生じていることであり、この問題に対処するための教育政策の重要性をあらためて強く認識できると思います。
(06.11.12記)
25. 北村 喜宣 『自治体環境行政法 第4版』 (第一法規、3,150円)
本書の第3版は、2003年に出版され、その時も拙HP法律書感想録で紹介させていただきました。そして、このたび、第4版が出版され、第3版同様、著者の北村先生から御恵与いただきました。そこで、あらためて拝読させていただき、第4版の感想録を執筆させていただくことにしました。
本書の構成は、第3版と同様、プロローグ、第1部自治体環境行政と条例、第2部要綱と協定、第3部環境基本法と環境基本条例、第4部環境行政過程と社会的意思決定、第5部自治体環境管理の最前線、エピローグとなっています。本論全体で290ページであり、第3版とボリュームは同じで、テキストとして適量だろうと思います。
しかし、第4版では、平成の大合併の影響を受けて、多くの条例が影響を受けたため、改訂作業にかなり時間を要したとのことです。市町村合併によって自治体環境行政や環境条例、環境政策法務にどのような変容がもたらされるのかは、大きな関心事となります。環境行政法は純粋な環境法令・条例のみならず、関連法令・条例が関わっており、行政法を立体的に考えるためにも面白い分野であると思います。こういう視点から本書を紹介することにします。
まず、条例論について、地方分権時代における自治体は、「条例制定の可能性が拡大した」ということです。法定受託事務についても国家的関心の高い「本来的」なものから、地域的関心の高い「非本来的」なものまであると指摘されています。条例論を考察する場合には、こうした分権改革後の条例が分権前とどう変化しているのか踏まえなければなりません。本書はこの問題について、第1部第2章で整理されています。
さて、第3版の感想録では、第2部・第1章要綱行政の箇所で、「条例制定ではなく要綱行政に走る真の理由の一つに、中央省庁のキャリア官僚は法律を作ることを勲章のように考えているのに対して、自治体職員はそうした意識が希薄であることを指摘されています。これは的を射たものだと思いました。実際、「条例では最低限のことを書いて、肝心なことは要綱で書こう」という意識が強いと思われますし、条例を作ることを勲章のように考えている職員を市役所で発見できればまさに勲章をもらえるでしょう。」と書きました。第4版を読みますと、私の感想に刺激を受けられたのか、「中央省庁のいわゆるキャリア公務員は、法律をつくることを自らの「勲章」のように考え、・・・(中略)・・・ところがこのようなマインドを持つ自治体職員を発見すれば、それこそ「勲章モノ」である」と記述されています(48頁)。このような状況は、徐々に改まっているとは思いますが、劇的に変化することは期待し難いでしょう
環境基本法と環境基本条例は、自治体環境行政法を考察する場合の、まさに基本法になります。環境基本法36条の「国の施策に準じた施策」の意味について、国が全国的観点から策定した施策、あるいは、とくに対応をしていない分野について、自治体が地域的・社会的必要性からさらに地域社会の公共の福祉にかなうような内容の施策を推進することを期待したものと、理解されるべきで、36条は確認規定であり、自治体は上乗せ・横だし条例を制定できるとしています。環境基本法・環境基本条例の双方で、「環境権」を明記するかどうかは重要な論点です。「内容が不明確だから法律に書けない」、「判例で認められていないから書けない」という論法には本書で指摘されているように奇異な印象を持ちます。法律・条例に新しい権利を書かないことには、裁判所も根拠がないので、認めたくても認められないと理解すべきではないでしょうか。改正行訴法の影響で、今後は、条例で環境権が明記されていれば、訴訟でも肯定される可能性は拡大するのではないかと期待できます。改正行訴法と分権改革による法令の自主解釈権に基づいて、自治体は環境権の意味を条例に書き込むのが好ましいと思います。本書においても、条例に環境権を明記することで、行政の施策整備や活動に対して明確な指針を示すことができ、市民の環境意識の覚醒、行政とのコミュニケーションが期待できるとされています。北村説も、分権時代の条例は、侵害留保説ではなく重要事項留保説を採用されており、主流になってくるのではと期待しています。
環境影響評価法・環境影響評価条例も、同様に環境行政法の基本法になると思います。1997年6月に環境影響評価法が成立したものの、閣議決定要綱まで9年を要し、環境基本計画を踏まえての法制化作業に3年を要したことから、同法の制定過程は「前九年の役、後三年の役」と呼ばれることもあるらしいです。また、自治体の環境アセスメント制度としては1973年制定の福岡県要綱が最初だろうと紹介され、条例第1号は1976年制定の川崎市条例であるとされています。川崎市は1999年に旧条例を廃止して新たに条例化を実現しています。川崎市条例は市が実施しようとする大規模な事業のうち環境に特に配慮する必要があるものについては、計画段階でのアセスメントを導入していますが、東京都条例は2002年改正でこれを一般化した計画段階環境影響評価を制度化しています。計画アセスメントは、広島市や京都市でも要綱で制度化されているようです。これも今後は、トレンドになるのでしょう。
環境行政法では、行政手続法・行政指導も重要です。行政手続法は、行政と相手方の二面性を前提にしているのに対して自治体現場では行政、事業者、住民の三面関係が問題になることを指摘されています。また、自治体における事前手続の問題として、産業廃棄物処分場に関する宮城県白石市と北海道釧路市の訴訟を紹介されたうえで、要綱に基づく手続は所詮は行政指導であり、いかに合理性があっても行政手続法との関係で言えば無力だと指摘されています。そして、事前手続について総合的対応条例のイメージ図を提示されています。
また、情報という行政手段を活用することや市民参画も重要です。今後は行政と事業者と市民の間で、相互に双方向的な情報の発信、受信などの情報交流が必要になると主張されています。対話型行政は環境行政においても重要性を増すことになるわけです。パブリックコメントの活用のほか、市民による条例案比較検討会を採用することで市民自身にも問題点を認識させるとともに、行政職員にも何故できないのかについて説明する能力が要求されることになり、市民のまちづくりへの理解とともに行政職員の政策法務能力の向上に寄与することが論じられています。
規制執行過程において、違反を発見しても措置命令を発動せず、行政指導に依存しがちであるのは、措置命令を発動すれば深刻な事態を招いていると受け止められることに対するためらいがあると指摘されています。また、罰金刑という刑罰自体の軽さも影響しているようで、立法的には刑罰を厳しくすることも検討されるべき問題なのかもしれません。
最後に、地方分権と環境政策法務についても論じられていることを紹介しておきます。地域の環境をどのように管理し、将来世代に継承するかは、自治体にとって地方分権改革の成果を試す絶好の課題であるとされています。地域環境管理に関係する法律には、国の直接執行事務、法定受託事務、法定自治事務など様々な規定があり、特に後2者について、工夫と法的コントロール、条例・要綱・協定などの組合せ、訴訟対応などへの自治体の力量が問われているとされています。そのための作業が環境政策法務であり、市民参画、議会も重要な担い手であり、環境自己決定をするのは、自治体であり、自治体行政ではないと強調されています。環境政策法務に対する北村先生の並々ならぬ気持ちが伝わってくるように思います。
本書は、文字どおり自治体環境行政法に関するテキストではありますが、行政法総論や行政救済法を勉強しながら、個々の具体的な行政法の立法・執行を考えるためのテキストとして活用することができると思います。そして、もとより、政策法務「各論」のテキストとして活用することも期待できます。環境問題はどの自治体も関心事ですし、専門知識のない人でも読み進めることで、自治体環境行政法の世界で、市民参画や情報公開など横断的な仕組みが活用されることの面白さなどを実感できると思います。
(06.10.31記)
24. 橘木俊詔・浦川邦夫 『日本の貧困研究』(東京大学出版会、3,360円)
橘木教授は日本において格差が拡大していると最初に問題提起をなされた研究者として広く知られています。浦川氏は京都大学大学院に在籍されており、橘木教授のお弟子さんになります。本書は経済学の研究書であり、法律書ではありませんが、私が関心を持っている領域であること、提案されている貧困政策については疑問を持つ点もありますが、全体としては真っ当な提言をされていると感銘したこともあり、ここで紹介することにします。もっとも、経済学の研究書であるため、難解な数式や数値データが頻繁に使用されており、こうした箇所についてはほとんど理解できなかったことを付け加えておきます。
日本では90年代以降、母子世帯、単身高齢者世帯に加えて、若年・壮年・中年を世帯主とする単身世帯の貧困が目立ってきたことにより、日本全体の貧困が上昇傾向にあるとされています。データとして、OECD諸国の貧困率を比べると、2000年時点では日本は15.3%にもなり、先進国ではアメリカの17.1%に次いで2位となっていることが示されています。ここで言う貧困とは、相対的貧困概念であり、等価所得概念で調整された国民の可処分所得の中位数の50%以下の所得しかない人という定義がなされています。こうした貧困を減らす解決策として、高齢者に関しては、最低限度の生活を保障する最低保障年金制度の導入を、勤労世代に対しては失業給付などのセイフティネットの充実、非正規社員・正規社員の賃金・労働条件の格差是正の導入を提案されています。また、生活保護制度については、捕捉率を推計したところ16%から20%程度であり、他の先進諸国と比べて相当に低いという問題があると指摘されています。そのため、資産保有制限をある程度緩和し、生活保護制度の機能性を高める制度改革が望まれるとしています。こうした見解は以前から存在すると理解していますが、そもそも生活保護制度が「絶対的貧困」を回避するためのものであり、多額の給付を行って大きな貧困改善機能を果たすことに対しては、国民合意が得られるのかという、根本的な疑問があります。そういう点で、むしろ、橘木説においても貧困防止効果が大きいと指摘されている、年金制度の充実に重点を置く方が理解を得られるのではないかと思います。また、地域によっては最低賃金の方が生活保護よりも低いという問題があると指摘されており、この点も、働いて得た収入よりも、働かずに貰える金員の方が多いという現象は、生活保護制度が勤労の拒否を奨励し、怠惰を助長・促進することで、勤労への意欲を一層削ぐ効果を生じさせていることを制度的に支えているという理解を裏付けてくれます。
改革の方向としては、橘木説のように、高齢者には最低生活保障年金を整備すること、そして、最低賃金制度の正常化、同一労働同一賃金への改善のほか、例えば、労働を条件に絶対的貧困を回避するために不足する金銭を期限付き(更新制)で支給するという仕組みはあってもいいのではないかと思います。労働できるのに労働をさせないまま給付だけを行う現行法の仕組みは、モラル・ハザードが蔓延するばかりで、国家的にもマイナスにしかならなず、また、そのような給付を受けていても道徳意識が涵養されるはずもなく、犯罪など違法行為に走る者はやはり存在することなどから、社会秩序の安寧に多大に貢献するとも考えられません。そうなると、国民全体の理解を得られる救済制度を再構築するべきということになり、当然ながら、現行生活保護法の単純な拡充には絶対に反対です。度重なるマスコミの偏向報道にもかかわらず、生活保護制度拡充論が世論として盛り上がらないことを、関係者はもっと真摯に受け止めるべきだと思います。社会的弱者が権利という拳をいくら振りかざしても、現場で実態を見てしまった者としては、どうしても賛意を示すことはできません。
本書は私が読了した社会保障関係文献の中では、思想的な偏りも目立たず、細かい調査データを丹念に積み上げて論証されており、非常にバランスの取れたものだと思います。現場出身と思われる偏向的な学者などが執筆した生活保護関係の書籍には、策を弄して貧困者たちの美談を演出しようとしているものが見受けられ、強い嫌悪感を覚えますが、この点、さすが東大出版会であり、橘木教授の見識の高さを実感します。その他にもいろいろな研究調査結果を提示されており、難解ではありますが、今の日本の最大の課題について誠実に論じられており、貴重な1冊になると思います。
(06.10.09記)
23. 上野治男 『現場で生かすリスクマネジメント』(ダイヤモンド社、2,100円)
紹介するのをやめようかと思ったのですが、折角読んだので、一応書くことにします。また危機管理・リスクマネジメントに関する文献です。著者は竹下総理秘書官の経験などを持つキャリア警察官僚OBで、松下電器顧問、小糸製作所社外取締役を兼務されています。本書によればこうした分野は学問ないし実務として、アメリカで70年、日本で50年の歴史を有しているようです。リスクマネジメントの定義については、「どちらかというと、事故や危機がなるべく起こらないように、事前に対処することに主眼を置いたものをリスクマネジメント、それに対して事故や危機的状況が発生した後の活動を危機管理と呼ぶことにします」としています。警察官僚OBであることから、企業不祥事には厳しい立場で論じられていると思って読み始めたのですが、期待はずれでした。例えば、第1章では、三菱自動車事件をはじめとする企業不祥事の実例6件をリスクマネジメントの立場から検証していますが、事実の経緯と問題点の指摘、分析に徹しています。第1章を読んだときに感じたのは、大企業への遠慮というものでした。自ら携わったリスクマネジメント実例には論及していないことも含め、民間企業の社外取締役という立場からも、記述内容はどうしても形式的論理性を重視するしかなかったのかなと思いました。情報公開や公益通報(内部告発)に消極的・否定的であり、その一方で、「あとがきに代えて」では、自分の経歴を紹介する中で特定の政治家や企業経営者を賞賛するなど、あくまで企業経営者の立場からのリスクマネジメント論で、消費者重視を強調してはいるものの、どこかよそよそしいような感覚を払拭しきれませんでした。やはり想定している読者は一流企業の経営者、幹部候補生の従業員ということでしょうか。いつもなら自然と生じる、良い文献を読了した後の感動のようなものがとても薄かったというのが率直な感想です。これ以上、詳しく紹介することは省略します。
(06.09.24記)
22. 出石 稔 編著 『条例によるまちづくり・土地利用政策−横須賀市が実現したまちづくり条例の体系化−』(第一法規、1,470円)
本書は、第一法規から出されている「自治体法務サポート ブックレット・シリーズ」の第5弾になり、分権時代における政策法務の最先端都市・横須賀市における、まちづくり条例の体系化について条例制定過程、立法の背景、各条例の概要などについて論じたものです。このたび、編著者であり、政策法務のトップランナーである出石稔氏から御恵与いただきました。この場をお借りして、あらためて厚く御礼申し上げます。
横須賀市は地方分権改革を契機に、自治体改革のインフラとして中心的存在となる条例の活用、「条例政策」の推進を図ってこられています。もちろん、どの自治体も条例制定には取組んでいますが、それはあくまで「非日常的なもの」にとどまっているのではないでしょうか。本書では、自治体は条例を活用してまちづくりを進めていくという方向性を明確に打ち出し、実践していくことが重要であると主張し、「日常的」な条例政策の確立が求められていると主張されています。横須賀市ではこうした視点に立脚し、分権改革が進行途上にあった段階から5年以上にわたり、計画的かつ総合的に条例整備を図ってこられています。1999年(平成11年)9月1日に策定された「地方分権に伴う条例等の整備方針」は全国から注目され、横須賀市が政策法務に熱心に取り組んでいくことを内外にアピールしたものと理解しています。恥ずかしながら、当時、私はまだ政策法務の勉強を開始していなかったため、後にこの方針を知ったときは、本当に驚いたものでした。職場で地方分権という言葉すらほとんど話題になったことがない時期でしたので、その先駆性には目を丸くした気分でした。
横須賀市のまちづくり条例整備を考えるに際して、地域の特性というものを踏まえたものであることに注意しなければなりません。簡潔に紹介しますと、人口約43万、面積約100ku、市域の中央部は山地・丘陵が占め、良好な緑が多く残存しているが斜面地が住宅に迫っている、経済は自動車産業など重厚長大産業に支えられてきたが大量の工場跡地が発生している、などといった点です。特に斜面地が多いというのは同じ都市部でも特徴的という印象です。例えば、尼崎市は平坦なまちで山地や丘陵はありませんから、斜面地が問題になることはないと思います。横須賀市では土地利用に関する課題が発生していたため、土地利用調整関連条例の体系的整備を推進されたのです。もっとも、当初から条例の体系的整備を想定していたわけではなく、検討に着手した段階では全体として一つの条例にする予定だったようです。しかし、市民・事業者に分かりやすい条例とするために、複数の条例を体型的に整備する方向に軌道修正がなされたわけです。そして、土地利用基本条例、都市計画決定等に係る手続に関する条例、開発許可等の基準及び手続に関する条例、斜面地建築物の構造の制限に関する条例、宅地造成に関する工事の許可の基準及び手続に関する条例、景観条例、適正な土地利用の調整に関する条例、特定建築等行為に係る手続及び紛争の調整に関する条例という8本のまちづくり条例を体系的に整備されたのです。
さて、自治体職員は条例制定を嫌う傾向にあります。その中でこうした体系的な条例整備が推進された原因の一つに、当時の市長の指導力が大きかったと述べられています。就任早々、職員政策提案制度を創設し、所属部内の検討では不採用になったものを提案したところ、それが最優秀賞を獲得したという事例もあったようです。これが幹部職員に衝撃を与え、職員の緊張が一気に高まったとのことです。
条例の体系的整備については、同じく神奈川県大和市でも取組まれていますし、まちづくり条例の整備に熱心なことでは金沢市が先駆的なようです。横須賀市の取組は金沢市の取組に刺激を受けたことも大きな原因の一つのようです。条例政策をいかに進めていくかは自治体によって地域特性に差異がありますが、横須賀市の事例は大いに参考になるのではないでしょうか。
(06.09.10記)
21. 八代京子監修・鈴木有香著 『交渉とミディエーション−協調的問題解決のためのコミュニケーション−』(三修社、2,993円)
コンフリクト・リゾリューション(CR)は、コミュニケーション上の問題、対立に関して、どのように関っていけるかという方法を具体的に提示したものであり、本書は、その中で対人コミュニケーションとしての交渉と第三者介入としてのミディエーションという問題解決方法について理論と実践を詳細に論じたものです。ではコンフリクトとは何か。紛争、葛藤などという言葉が訳語として思い浮かびますが、コンフリクト解決の分野としては「当事者同士の現在の願望が同時には達成されないと思いこむことや利害の相違を感じていること」という意味が広く取り入れられているようです。そして、本書では「コンフリクト」という言葉をそのまま用いているのです。こうしたコンフリクトへの対処方法としては、回避、交渉、調停、仲裁、訴訟、闘争・戦争の6つがあるとされています。その中で、交渉とは、「当事者の話合い」「対話」であり、「対話」とは自分の視点や利益よりも相手との関係を重視した話合いのことで、共通の理解を得るためになされる情報、意見、アイデアの交換であると定義されています。そして「交渉」とは「問題に直面した当事者が話し合うことによって、解決案を決めていくこと」という定義を示されているのです。また、調停というのは、日本の調停と異なり、ミディエーションとして理解しなければなりません。日本では調停官が問題の解決案を提示することがありますが、ミディエーションは、解決案はあくまで当事者で作ってもらうことになり、そのための話合いを進行するのがミディエーターの役割とされています。ミディエーターは人間心理の理解者であり、コミュニケーションのトレーナーであるわけです。
協調的問題解決のためのコミュニケーションを実践することで、対人折衝で悩むことも少なくなるのではないかと期待しています。交渉学の基本は相互満足、Win-Winですが、それを実現するためにいかなる態度、言葉使い、場の設定をすればよいかなどについては、なかなか理論的知見はなかったと思います。そして、交渉は対話であるという本書の主張は、私の考える交渉法務、そして木佐茂男先生が唱えられている「法的な対話」と密接に関連するものではないかと思えてなりません。
本書は理論面だけでなく、具体例を用いた実践例を多数取り入れており、対人コミュニケーションで問題が発生したときに、どのようにして解決していけばいいか指南書としての役割を果たしてくれると思います。ビジネスの世界だけでなく、自治体行政現場においても大いに役立つ考え方であると確信しています。私個人の感想として、交渉法務論ないし法的交渉論の文献としては、最も実践で役立ち、汎用性があるものだと思います。
(06.09.04記)
20. 白川一郎 『自治体破産』(日本放送出版協会、966円)
著者は旧経済企画庁審議官も務めた経歴のある立命館大学政策科学部教授です。北海道夕張市が財政再建団体に転落したニュース以後、またしても自治体財政再建問題に注目が集まっています。本書は2004年(平成16年)に出版されたものですが、地方交付税によって自治体の財政規律がなくなっていること、本来破綻しているべきはずが破綻していないことの不自然さなどを指摘されています。特に準用再建制度について、連結ベースでの赤字を判断しなくてよい仕組みになっているのは致命的欠陥である旨指摘されています。また、最近流行しているNPM改革についても、制度の壁によって阻まれており抜本的改革を達成することは困難であるとされています。
本書では、破産法の通説では否定されている、公法人である自治体に破産能力を肯定するとともに、現行の地方財政再建促進特別措置法を改め、全く新しい再建型法制の提案をされています。民事再生法をベースに、裁判所を関与させ、財政再建を図る法制度の実現を提唱されているのです。政府は再建型破綻法制の制定を検討していますが、それより先んじて本書では提案されていたのです。今後、どのような破綻法制が整備されるのか強い関心を持っている者としては、本書で示されている制度案との差異にも注意していこうと思っています。
自治体に破産を認めるべきだということ、新しい再建型法制の提案をされていることなどは、先見性を感じます。自治体にデフォルトがあり得るとなれば、金融機関も融資に慎重になり、地方債の発行にも制約が作用しますが、その結果、慎重な財政運営、規律ある財政運営に変容、進展することも期待できるはずです。
(06.08.12記)
19. 阿部泰隆 『やわらか頭の法戦略−続・政策法学講座』(第一法規、2,940円)
本書は2003年に刊行された『政策法学講座』(第一法規)の実例編=姉妹編で、自治実務セミナーに連載された20件から15件などを選ばれて、全体で16章構成として整理されたものです。少し以前になりますが、阿部先生から私信メールで、自治体が真剣に政策法学を実践すれば、行財政改革にも結びつくと教えていただきました。「はしがき」においても、「儲かる、無駄を省ける」ということを強調されています。内容として個人的に関心のある問題を3つだけ示すと、一つは法定外税を創設するよりも、現行の税を100%徴収することを考えるべきであること、二つ目は宝塚市パチンコ店規制条例に関する問題、そして三つ目はコンプライアンスの問題です。一つ目は法定外税を創設するためにマンパワーを投入するくらいならば、現行税制を最大限活用すべきではないかと思っていたこと(拙著『交渉する自治体職員』95頁でもその点を述べています)、また、今年5月開催された関西自治体法務研究会で「行政サービス制限条例」がテーマになったことなどからです。二つ目と三つ目については、以前からの関心事です。
税の徴収について、市税滞納者の氏名公表条例が取り上げられています(第3章)。阿部説は、結論として、悪質な大口滞納者の氏名は公表してもよいという立場のようです。小田原市が滞納者の公表制度を条例化し、福井県松岡町がこれに続いたのは勇断であると評価されています。守秘義務との関係があり、難しい論点ではありますが、阿部説では、弁明の機会を与え、差押の手続も踏み、現実に公表する前にこのままでは公売だと警告して、それでも誠実さのない人の氏名を公表するように限定して運用することを提案されています。確かに、例えば、1000人も氏名公表してしまえば、効果はなくなるでしょうし、運用において限定することは適切なように思います。
宝塚市パチンコ店条例門前払い最高裁判決を受けた条例の作り方(第6章)を読んで思ったことは、民間事業者はビジネスライクに徹しているため、儲かるとなれば素早く行動するということです。最高裁判決後、宝塚市は新たな条例制定を行い、また、それ以前に特別工業地区建築条例を改正して規制を実施したようですが、条例改正を見越した事業者2社が2箇所で駆け込み着工したと紹介されています。条例化にはいくら急いだとしても数ヶ月を要するでしょうから、表現は悪いですが、どこか割り切った考え方も必要なのかもしれません。宝塚市の新条例の今後の動向にも関心を持ち続けたいと思います。
自治体・官庁・企業版法令コンプライアンス制度(第13章)も興味深いです。今日では、違法行為をすれば、いずれは露見して社員(公務員)とその属する組織はかえって損すると考えるべきであるとされ、トップの責任も追及されるリスクが高いので、臭いものに蓋ではなく、膿を出すしくみを作る方がよいと主張されています。発想を切り替えることの重要性とともに、客観的に法的にどのようなリスクがあるのかきちんと分析し、その上で政治判断にゆだねるような法律家に依頼するべきだとされています。政治的判断が優先され、裁判所で違法とされて手痛い目に遭うことを防止するためにはこうしたアイデアをいかに活用するかが重要だと思います。
(06.08.07記)
18. 樋口晴彦 『組織行動の「まずい!!」学−どうして失敗が繰り返されるのか』(祥伝社、777円)
またしても危機管理に関する文献に手を出してしまいました。著者は警察大学校警察政策研究センター主任教授で、危機管理分野を担当されています。チェルノブイリ原発事故、JR西日本福知山線脱線事故、三菱重工客船火災事故、えひめ丸衝突事故など、誰もが記憶に残っている多くの事件・事故について危機管理の視点から論じられています。
本書では、ヒューマン・エラーという概念を最初に紹介し、人間というのは常にエラーと隣り合わせである以上、その背景要因を分析し、所要の事前対策を施すことでヒューマン・エラーが生じにくい職場環境を作り出すことができると述べられています。しかし、現実にはそのような職場環境はなかなか作られていないとのことです。例えば、チェルノブイリ原発事故は、もともと実験計画が安全規則に違反していた上に、危険な操作をするようにオペレーターを追い込んだ周囲の状況が背景要因となっており、職場環境によって引き起こされたヒューマン・エラーであると指摘されています。JR福知山線脱線事故については記憶に新しいところですが、この事故は設計や構造の問題ではなく、組織や制度、職場の人間関係に起因するエラーだったと指摘されており、ナルホドとうなずく人は多いでしょう。あの運転士は運転経験がわずか1年であり、技量が不足していたのに運行スケジュールの厳しい福知山線の勤務に就けたことも問題だったのですが、その背景には凄まじいまでの人員削減が影響していることはよく知られていると思います。マスコミも被害者・遺族も、そして私の個人的感情としても、あの運転士をそれほど厳しく責めようという気持ちが生じないのは、こうした背景があるからだと思っています。
しかしながら、ではベテランで占められているから安全管理は万全かと問われるとそうではないのです。危機意識の不在という問題は、どの組織にも言えることだと思います。特に、長年に渡って同じ仕事に従事している人たちは、経験と勘、あるいはそれらから生まれる知恵によって現場で発生する問題を乗り越えることはよくありますが、逆に「これくらいの手抜きは大丈夫だろう」と経験則で判断し、それが「日常化し」、第二の安全、第三の安全がおろそかにされるようになって、大事故へとつながることもあるわけです。平成11年9月発生のJCO臨界事故はその事例だと指摘されています。こうしたことを防止するには、常日頃の監督作業が重要ということでしょう。ベテランだから上司が部下に丸投げというのは、危険極まりないということです。ベテランがやっていた仕事を引き継いで書類をめくっていくと、信じられないようなミスを発見した、という経験を持たれている方は多いのではないでしょうか。
緊急時への備えとして、シミュレーションが重要であるものの、それがセレモニーになっていることが多いという指摘もされています。阪神淡路大震災で電話が不通になって不安を覚えた方は、私も含めて多いと思うのですが、災害訓練で早朝に職員に電話連絡するという愚行を震災後も実施していたはずです。セレモニーの一つの事例ではないでしょうか。また、初動措置こそ危機管理の要諦であると、その重要性を強調されています。危機の徴候を把握した時点で的確な初動措置を実施していれば、危機の発生を未然に防止し、あるいは危機が発生した場合の被害を劇的に軽減することが可能だとされています。しかし、人間というのは、「想定される重大な危険」よりも「現実のわずかなコスト」に気をとられてしまうとも述べられています。多くの経営者は、事故や不祥事を「組織を見つめなおす契機」とは意識せず、嵐が通り過ぎるのをただ待っているだけではないかという主張には、相次ぐ不祥事の発生後、組織の様子を見ている者として、うなずかざるを得ないように思います。
(06.07.16記)
17. ジュリストNo.1314(2006年6月15日号) 『特集 景観法とまちづくり』(有斐閣、1,450円)
拙HPでジュリスト特集を紹介するのは、たぶん、初めてだと思います。ジュリスト1314号で、上智大学の北村喜宣先生がコーディネイトのもと、景観法の特集が組まれ、計14本もの論考が収められています。2004年に制定され、2005年6月には全面施行された景観法は、行政法学・環境法学とともに政策法務各論としても注目される法律になっています。企画の意図として、北村先生は『景観法が拓く新たな法政策の地平』の中で、法学系以外の専門家や実務家も参加していただき、景観法に関する学際的かつ多角的な議論を読者に提供できる内容を提案したとされています。そして、この企画の意図に即して、望み得る最高の執筆陣をリクルートできたと述べられています。
北村先生は、『景観法と条例』という論稿を執筆されています。北村論文では、まず、景観法は従来の法律とは異なり、立法機能・行政機能における国と自治体の役割分担を踏まえ、自治体の自立性・自律性をかなり尊重するシステムを創設したと指摘されています。地方分権改革によって法律を制定する場合にはできる限り多く条例に授権すべきことは立法原則となったことから、景観法は分権時代の法律として先駆的な内容を持っているということです。そして、景観法107か条のうち、20か条、49箇所で条例という文言を使用していることを指し、それを法律による「委任条例」と理解するのではなく、法定自治事務であり、当該事務を地域特性適合的に実施するに当たって必要な範囲で条例制定は可能なのであり、確認的に規定されていると読み込むべきだと主張されています。国会が法律で事務を創出してそれを自治体の事務とした以上、憲法94条に根拠を持つ条例制定権はそれに付随しているのであって、法律によって個別に委任しているのではないことを強調されています。北村理論の根幹とも言えるものであり、景観法に限らず、分権時代の自治体政策法務において、これを深化させ、実践することが重要なわけです。今年になってから、「なぜ今頃になって条例を活用するべきだとか、法令を自主的に解釈すべきだとか言い出したのか理解できない」と言う自治体職員もいると聞きました。そうした人たちは考え方が根本的に以前のままなのだろうと推測してしまいます。古い考え方のまま条例化したり法解釈をしても、それは昔の枠組のままである以上、分権時代の政策法務とは言わないのです。北村論文では、景観法の規定に基づいた条例(法定条例)と景観法に収まりきれない問題についての条例(法定外条例)を統合する条例について論じられています。つまり、法定外条例としては景観法施行条例という機能をもつものとそれ以外の機能をもつものがあるとされ、前者については、景観計画策定関係手続、景観計画審査関係手続など、後者については、商業系中心市街地における店舗規制のガイドライン整備して誘導すること、景観計画の中で開発許可基準とならないものを条例に取り込むこと、市町村の場合には景観計画を策定せず、景観地区と自主条例による対応などについて述べられています。
私としては、景観法が分権時代の法律のモデルとして国も考え方を転換し、少なくとも自治事務については条例による自治体行政の原則を明確にするようにしてほしいと思っています。ジュリストという代表的な法律専門誌で取り上げられたことで、こうした考え方が進んでいくことを期待したいです。
(06.07.06記)
16. 高木新二郎 『事業再生−会社が破綻する前に−』(岩波書店、819円)
北海道夕張市が自主的な財政再建を断念し、再建団体に転落することが明らかとなり、自治体関係者に少なからぬ衝撃を与えています。折りしも、自治体破たん法制を今後3年を目途に策定する方針であること、税財源移譲による分権の進化を実現しなければならない時期であることなども考えると、やはり水を差された気分になります。そんなタイミングで、どういう訳かこの本を手にしたのです。著者は弁護士であり、産業再生機構で産業再生委員長を務められ、多数の民間企業に対して事業再生をされ、日本経済の建て直しに貢献された方のようです。自治体破たん法制を考える前に、民間企業における事業再生がどのような手法でなされたのか、その粗方だけでも知っておくのはムダではないと思い、読んでみたわけです。
しかし、本書は文庫本とはいうものの、EBITDA、DD、DIPファイナンス、デット・エクィティ・スワップ(DES)、デット・デット・スワップ(DDS)など、何となくイメージできるものの、具体的な理解には及ばない専門用語がしばしば出てくること、民事法、中でも金融関係法など門外漢である者としては難解な記述が多く、悪戦苦闘でした。
本書において、まず、事業を再生するには、早期に対策を立てて実行に移すことが必要で、不採算部門・不得意部門を切り出して売却するか、閉鎖することが基本になるとしています。そして、収益を改善できるコア部門に力を集中し、過剰債務を減らし、再投資を呼び込んで企業体力の強化を図ることになると主張しています。言われてみれば当たり前のことのようですが、実際には多くの経営者が希望的観測に基づいて最悪の事態に追い詰められるまで対策を先送りにしていると指摘されています。この点は、民間も役所も大差はないようです。企業経営者の心情としては理解できますが、やはり早期発見、早期治療ということが重要なのは言うまでもないようです。
破産法、会社更生法、民事再生法など、倒産法制が再整備されてきましたが、1978年に制定されたアメリカ新連邦倒産法第11章の影響が大きいようです。チャプターイレブンと言われているこの法律では、債務者企業自身の申立で倒産手続が開始され、経営者はそのまま地位に残り、業務執行や財産の管理処分を継続できるようになっています。従来の常識を破った先駆的な法制として注目され、日本においてもその影響を受けた法制が整備されたのです。自治体財政破綻法の検討が進められるようですが、おそらく、アメリカ新連邦倒産法は参考にされるでしょうし、日本の倒産法制の影響を受けるでしょう。本書では事業再生の早道はM&Aであると主張されています。しかし、自治体の財政再建法過程において吸収合併をどんどん進めるというのは、無理があるような気がします。また、民間の債務を株式にして買い取り、負債を減らして事業を活性化させ、業績回復による株価上昇で債務返済のような形にするという手法も、自治体について行うならば、今までにない全く新しいタイプの手法になるでしょう。しかし、やはり最も重要なことは、夕張市の事例からも、いかに早期に法的対策を講じるかということの基準ではないでしょうか。
(06.06.30記)
15. 郷原信郎 『コンプライアンス革命 コンプライアンス=法令遵守が招いた企業の危機』(文芸社、1,575円)
著者は桐蔭横浜大学法科大学院教授(派遣検事教官)で、同大学コンプライアンス研究センター長です。本書はコンプライアンスを単純に法令遵守と訳して理解していることの危険性を主張されているものです。法令遵守という意味でコンプライアンスを固定的に考えると、法令違反さえしなければいいという考え方になってしまいます。「法令遵守コンプライアンス」を徹底させると、企業の場合、事なかれ主義を蔓延させるマイナスをもたらすことになると主張されています。おそらく、自治体においても、同様に事なかれ主義に拍車がかかるでしょう。法令遵守が何のためのものなのか誤って理解されているがゆえに、そうなってしまうのです。本書では、コンプライアンスという語源に、「満たす」、「充足する」という意味があると指摘され、かつ、工学関係者は「柔軟性」「しなやかさ」が思い浮かぶことを紹介され、それを元にしてコンプライアンスを考え直すべきだとしています。コンプライアンスとは、「外部からの何らかの要求に対して、組織や個人がいかにして柔軟に対応して、自らの目的を実現していくか」というイメージでとらえることができると主張されています。そして、企業不祥事の再発防止のために不可欠なこととして、会社や業界の体質的問題、「法令と実態の乖離」という根本的な問題を解明することを挙げ、日本の違法行為はカビであり、カビの除去には汚れや湿気を取り除くことが不可欠であるように、背景事情や構造的問題を解明し、是正しなければ違法行為はなくならないと強調されています。
本書では、フルセット・コンプライアンスと命名した5つの要素で構成された新たなコンプライアンスを提案されています。組織は社会的要請に応えてその目的を実現していくべきものですが、大きな組織になるほど組織それ自体が公の存在であるという発想が生まれること、組織と構成員が継続的な関係になればなるほど、個人レベルでは突出や孤立を恐れる傾向にあること、合理化と効率化のために行われていたはずの機能・役割分担が固定化することで、組織内に業務の隙間が発生すること、という3つの弊害が生じるのを防ぎ、組織としてのメリットを活かすためのものとして構成されています。それは、方針の明確化、組織の構築、予防的コンプライアンス、治療的コンプライアンス、環境整備コンプライアンスの5つです。
本書では、著者の主張するフルセット・コンプライアンスを前提に、三菱自動車事件、雪印事件を詳細に論じられています。また、金融機関についてもコンプライアンスの重要性を強調されるとともに、JR宝塚線脱線事故発生時の対応について、コンプライアンスの観点から検証されています。
さらに、官公庁のコンプライアンスは社会的要請に鋭敏に反応していくことであり、公務員にとって特に重要な社会的使命は、「法令と実態の乖離」を是正していくことだと強調されてます。本書で主張されているコンプライアンスは、自治体政策法務にも通じるところがあると思います。自治体においても、このフルセット・コンプライアンスの導入・実践を早急にすべきではないかと思いました。もっとも、コンプライアンス条例や公益通報者条例を制定しさえすればよいと思われた方は誤りです。本書は、法令の「遵守」から社会的要請への「適応」に転換することであり、それがすべての組織に求められているコンプライアンス革命だと締めくくっています。
(06.06.18記)
14. 三橋良士明・榊原秀訓 編著 『行政民間化の公共性分析』(日本評論社、2,310円)
NPM理論をベースとした行政民間化について、行政法学の立場から批判的に検証している最新の文献です。編著者のほか8人によって12本の論考が収められています。主にイギリスで展開されてきたNPMについて、憲法・行政法から検証したメジャーな法学文献が少ないことに不満と疑問を強く持っていた私としては、それを改善してくれる1冊になります。
NPMについては、中央省庁だけではなく、おそらく全国の自治体が積極的に取り入れている行政改革の手法であることは今さら言うまでもありません。しかし、諸外国での取組について、メリットだけを見てデメリットについて全くと言っていいほど検証していないことについては、やはり疑問が生じるのは当然です。とりもなおさず、銭勘定だけの行革というのは、後々禍根を残すのではないかという問題意識が生じてしまうのです。
住民を顧客として捉えるNPMに基づいた行政の市場化・民間化は、国民・住民の現代的生存に必要不可欠な公共的サービスまでをも「顧客」の自己責任の支配する市場原理に委ねるものであり、政府・自治体の「市民的生存権的公共性」の形骸化を招くとする、三橋教授の主張には共感を覚えます。「民間にできることは民間に」は、確かに分かりやすいフレーズですが、「顧客」と位置づける住民にどれだけ利益を還元するのかについての具体的なコンセプトや仕組みが本当に存在するのか、誰にも分からないのではないかという疑問があります。また、そもそも民間企業が本当に顧客主義なのかということそのものについて検証するべきであるという、私個人の不信感もあるのです。手抜きのサービス、手抜きの書類、手抜きの対応で少なからぬ損害を受けた消費者・顧客としての経験があるためです。民間化すれば効率化が実現できるという考えには、確かに一定の論拠はあると思いますが、現実には労働条件の切り下げによるコスト削減によって企業が収益を得るだけの構図にしかならないのではないかという問題は、イギリスでは大企業でさえ否定しているようです。NPMの導入が、政府というより、特定の企業経営者主導でなされているため、イギリスでのこうした議論を踏まえた上でのものではないという疑問から、本当に公共性が高まるのか監視しなければならないでしょう。指定管理者制度の導入によって公の施設が効率的に運用されるにせよ、PFIによって民間主導で公共施設が整備されるにせよ、良いものが安く供給されるのは誰も否定されませんが、正規社員ではなく短期雇用のパート労働者だけで未熟なサービス提供したり、安普請であったり、最重要な安全対策に手を抜かれていたりすれば、結果的に安かろう悪かろうになるわけでです。そして、何より私が不満なのは、こうして導入された民間化において、万一、事故が発生し、住民に損害を与えた場合は、結局は税金で補填しなければならないのではないかという疑問です。民間化したうえで責任も民間が負うならともかく、その部分だけ官に丸投げされるのではないかという疑問もあるのです。
本書においては、私のこうしたごくシンプルな意識を法的なアプローチによって検証されており、この素人的な問題意識が必ずしも全てが的外れではないことを明確に記述してくれています。外国での実践内容をそのまま持ち込むどころか、歪めた外形を作り上げようとする動きには、常に疑問・検証の眼を持つべきだと思います。
(06.06.08記)
13. 稲継裕昭 『自治体の人事システム改革 −ひとは「自学」で育つー』(ぎょうせい、2,400円)
著者は大阪市立大学教授であり、大阪市職員OBです。人事行政研究の第一人者として注目されている方と言っていいでしょう。稲継教授のご著書を読むのは、平成8年に出版された『日本の官僚人事システム』(東洋経済新報社)を当時読んで以来、10年ぶりになります。厳密には法律書ではなく、読む予定はなかったのですが、田中孝男・九州大助教授から教えていただき、予定を変更して、読むことにしました。
本書の問題意識の根底は、自治体人事行政を変容させる3つの流れに集約されているようです。それは、@職員構成の変容(高齢化・高学歴化・男女共同参画)、A地方分権の進展、BNPMの進展の3つです。@については、自治体職員であれば、常識レベルとして誰でも理解されていることと思います。従来論じられていたのは、@ばかりだったところ、AとBが加わったというところでしょう。Aに関して簡潔に言えば、集権時代は前例踏襲能力さえあればよかったところ、分権の進展により課題発見能力、政策形成能力などが要求されるようになったということです。しかし、前例踏襲能力が相変わらず重宝されている実態が多いことや、せいぜい前例踏襲をやや変形させた程度で済む職場が多いことなどについては、一切触れられていません。NPMについては、クリストファー・ウッドの定義に依拠して、ビジネスメソッドに近い経営・報告・会計のアプローチをもたらす公共部門の再組織化の手法という定義を与えていますが、NPMの定義は論者の都合のいいようにされる傾向があるとも指摘されています。NPMについて、著者が好意的なのか批判的なのか必ずしもはっきりしないようにも思えますが、おそらくは、現状肯定なのでしょう。
本書の論旨は、サブタイトルにあるように、人材育成の基本は自学であるということです。ごく簡潔にまとめれば、自学を促す人事制度や研修制度を整備することで、新しい時代に適応した人材育成ができるようになるということです。自学とは、自己学習、自己啓発です。
人事制度については、岸和田市の人材育成型人事考課制度も詳細に、かつ、好意的に紹介されています。しかしながら、これは、あくまで制度を「作った側」にいる自治体関係者からの聞き取り調査をベースにしているだけではないかという疑問が出てきます。制度に基づいて「やらされる側」にいる関係者の声を全く論じていないのは、著者自身が大阪市人事委員会事務局OBという、「作る側」にいた方だったからでしょうか。単なる制度紹介のための書籍であればともかく、問題なのは、制度がいかに公正・公平に運用されているかどうかについて、探究するのが研究書の役割のはずではないでしょうか。人事考課の関係で言えば、組織内に隠然と存在する格付け・序列の問題や、違法なことを違法だと主張できるような組織風土が形成されていない古色蒼然とした組織体質の実態を無視していること、人事に政治的介入が今も蔓延している実態を外形だけの制度改正で改善できるのか論じられていないことなどを強く指摘しておきたいと思います。それは、著者が大阪市職員OBであれば、大阪市の現状から十二分に認識していたはずだからです。また、自学実践者であるにもかかわらず、好き嫌いの評価などが事実上優先することで、人材育成計画の対象外にされ、組織内部で排除されているような実態の存在をどう考えるのか踏み込んで欲しかったものです。岸和田市の事例についても、現実に人事考課される側の職員の声を知る者としては、どうしても説得力に物足りなさを感じざるを得ないのです。人事考課制度がいくら立派でも、非公式の人事考課(裏人事ファイル)の存在によって、それが優先されるような実態の究明こそ、本来、人事行政の研究者が行うべきことではないかと、大いに疑問を持ちました。
(06.05.28記)
12. 財団法人日本都市センター 『都市自治体におけるインフォーマルな苦情紛争処理手続』(同センター、1,050円)
またもや(財)日本都市センターから自治体政策法務に深く関係すると思われるテーマについて、調査研究報告書が出されました。全国的に、自治体に住民から寄せられる苦情や紛争の件数が増加傾向にあり、その理由として、苦情・紛争が地域社会において多発していること、その処理について住民にとって身近で中立的な機関として自治体が信頼されていることが指摘されるようです。私も、かつて、事業者と住民との間で発生した紛争について仲介のようなことをした経験があります。この調査研究報告書においても、法化社会が進むにつれて、自治体が苦情や紛争の処理にあたらなければならない事態は増加すると予測されており、私も同感です。
本調査研究では、苦情処理、紛争解決、あっせん、調停等などの用語を整理し、インフォーマルな苦情紛争処理手続を概観するとともに、7行政分野(建築物近隣関係、環境公害紛争、迷惑施設立地紛争、福祉介護苦情、消費者保護、男女共同参画、オンブズパーソン)において先進的取組をしている自治体を各3団体、計21団体選定し、アンケート調査を行うなどによって、まとめ上げたものです。ここでいう先進的とは、条例に根拠を定めて苦情紛争の処理を行っているという意味であると思われます。そして、インフォーマルな、ということの意味も、国法レベルでは根拠がないが独自に条例で定めているということのようです。
個別行政分野において定めている条例に、苦情紛争に関する規定を導入し、それに基づいて自治体が解決に導くという活動は、住民から信頼される自治体の役割として大きな比重を占めることになっているものと思います。一昔前なら、地域で発生した苦情や紛争は地域で解決することが多く、コミュニティが機能していたのですが、近年はコミュニティが崩壊している地域が多く、そうした役割を果たせなくなっているようです。コミュニティを再生し、地域の問題は地域で解決する機能を復活させることも重要であることは当然でしょう。
これまでも自治体は地域住民からの苦情紛争には積極的な対応をしてきたと理解していますが、自治体の経営主義化が進むにつれて、民間が担う公共サービスについて責任の所在を明確にすることは当然に要求されるべきでしょう。また、苦情紛争解決システムを整備することが重要であること、金銭支払による解決ではなく、話合いと歩み寄りによる解決が中心である以上、それを導くための専門的法知識も要求されることになります。自治体が条例によって地域社会における苦情紛争を解決できるようになれば、司法の分権化という論点が具体化したものとして理解できるようにも思われます。こうした問題点に気付かせてくれる本書は、紛争解決法務の考察にも大いに貢献できるのではないでしょうか。
(06.05.14記)
11. 河野正輝 著 『社会福祉法の新展開』(有斐閣、5,250円)
久しぶりに社会保障法関係の研究書に挑戦してみました。社会保障・社会福祉に関する専門書については、これまで「よい出会いがない」という認識であるため、今回も半信半疑でひもといたという感じです。著者は九州大学名誉教授・熊本学園大学教授で、社会保障法がご専門。書名の「社会福祉法」は、実定法の社会福祉法だけを指すのではなく、社会福祉に関する法全体を意味しています。著者の問題意識は、福祉サービスの利用方法・費用負担のあり方が大きく変化し、権利論の観点から新しく考察すべき課題が発生しているとして、次の3つの認識を提示されています。すなわち、@社会福祉の法が自立支援を目的とする法へと改革されてきたこと(介護保険法、社会福祉基礎構造改革、障害者自立支援法)、A自立支援の核心は、自己決定の支援であり、自立支援を法の目的に掲げて実現を目指すなら、権利擁護を福祉サービスとして法制上確立することが必要不可欠であること、Bしかし、権利擁護サービスに関する法は形成途上であり、その全体像は明らかではないこと。そこで、本書の主題として、「権利擁護サービスの法」を明らかにすることとしているわけです。
全体として感じることは、福祉サービス利用者の権利を重視し、特に施設サービス利用者(施設入所者)に対する権利擁護を強調していること、権利擁護の一環として、成年後見制度の活用を唱えていることです。福祉基礎構造改革によって措置制度から契約方式へと切り替わった福祉サービス利用については、当事者に契約締結能力がない場合には、成年後見制度を利用することが原則のはずですが、現実には、家族や親類による代行などが蔓延しています。本書では、こうしたことにも批判的であり、成年後見人が選任されるまでの間、市町村が措置によるサービスを提供すべきだとしています。しかし、これはちょっと現実離れしているような印象です。家族や親類による契約締結によって、適性に福祉サービスが提供されているならば、契約行為自体には問題があっても、結果として追認されていると解することもできるのではないでしょうか。成年後見制度を活用するとしても、現実には審判がなされるまで3ヶ月以上要することが多く、手続も簡便になっているとはいえ、一般人にすれば裁判所というのは一生に1回行くか行かないかくらい縁のない役所です。何よりも、肝心の裁判所に対応を改革してもらわないと、申立件数が激増した場合、迅速な審判ができないということになるでしょう。成年後見制度の活用には賛成ですが、このような現状の中で、実質的に成年後見制度を強制するような考えには、ちょっと賛成しかねます。
社会福祉法制について格別の知見がない私であっても、介護保険法が一つのモデルとなって、障害者自立支援法も出来上がったことくらいは、理解できます。そこから現在の社会保障法制の中心は、自立支援のための法政策の推進であることも理解できます。費用負担については、応能負担・応益負担が導入されていることは周知のとおりで、今までの常識なら福祉はタダということが転換されたわけです。そうなると、負担をする以上、権利主張も当然にするべきであり、権利主張ができない人は権利擁護サービスをすべきだという論理は共感を覚えるところです。
また、本書ではしばしば施設内での過剰な拘束・虐待など違法行為への言及が多いのは、著者の認識からなのでしょうか。施設処遇について、現在もなお大きく改善されていないということについては、関係者からの反論などがあってもよいと思います。
(06.05.05記)
10. 長谷部恭男 著 『憲法とは何か』(岩波書店、735円)
岩波文庫の新赤版が1000点突破したことに伴い、装丁がリニューアルされ、その中の1冊として出版されたものです。著者は東京大学教授で、憲法学者であることは、皆様ご存知のとおりです。長谷部先生のご著書を読むのは初めてです。190頁ほどの文庫本ですが、最近の論点について、切り込んでいて、読み応え満点でした。
本書のスタンスは、「はしがき」によれば、憲法というものは、非常に危険なものであるという認識に根ざしています。長期に渡る戦争が、実は憲法を巡る争いであったということを指摘されています。憲法改正論議が本格化し、国民意識の中にも憲法改正をすべきであるというのが多数を占めつつある中、憲法の有する原理的意味を解き明かして、現在論議されている憲法改正案なるものが、本当に必要なのかどうか、もう一度慎重に、しっかり吟味するべきであるというものだと思います。成熟した民主国家にとって憲法典の改正によってしか成し得ない事柄は、それほど多くはないということも述べられています。
憲法原理の一つである、権力分立について、イェール大学のブルース・アッカーマン教授の「新しい権力分立(The
New Separation of
Powers)」という論文の中で、アッカーマン教授が大統領制ではなく、日本の議院内閣制が優れたものであると主張していることを紹介しつつ、首相公選制に異論を唱えらていることについては、そうなると、地方自治体で首長制が採用されていることを、長谷部先生はどう評価されているのか、知りたくなります。特に国民が選挙で首相を選出し、その後、首相にとって野党になる政党が議会の多数派を占める場合の弊害については、自治体でしばしば見られる同様の現象といえるのではないでしょうか。すなわち、圧倒的に有利であるとされた候補が破れ、対立候補が当選したとしても、その首長の公約が野党が多数を占める議会によって阻止されるという現象は、首長選挙による民意と議会選挙による民意の差異という問題が生じているともいえます。
憲法改正手続が特別多数議決を要していることについては、長期に渡る国の基本原理を定めることについて、他の事柄以上に慎重に熟慮したうえで行うべきということを求めているという理解は、私も未熟ながら有していました。この特別多数議決要件がなくなれば、復古調の憲法が制定されやすくなるという罠に陥る可能性は否定しきれないという不安はあるでしょう。
憲法に関する論議が活発になる中、正確な知識と理解を多くの人たちが得た上で、改正の要否を投票しなければなりません。そのために出版されたと思いますが、かなりハイレベルではないかと思います。
(06.04.30記)
9. 北村喜宣 著 『自治力の逆襲』 (慈学社、1,575円)
政策法学ライブラリイ・シリーズは、信山社から出されていましたが、編集を担当されていた村岡侖衛氏が独立され、新たに、慈学社出版を設立され、出版活動を開始されました。そして、政策法学ライブラリイ・シリーズは、慈学社から出版されることになりました。その第1弾が、北村先生の「自治力シリーズ」の4冊目にあたる本書になります。様々な専門誌で執筆された環境法、政策法務のエッセー風の短文を再編集され、一冊にまとめるという手法は、前3作と同じです。それゆえ、政策法務、環境法に関する文献として、ともかく勉強を始めたい、頭の中を整理したいと思っている方にとって、読みやすさは随一でしょう。
本書は全体で4章、38本の短文で構成されています。
「第1章 政策法務と条例」は、本書の総論的位置づけであり、地方分権時代の条例論として、条例制定権の根拠が憲法94条にあり、個別法の根拠を要しないことを踏まえ、現行法に条例に関する規定を持つものと持たないものが混在しているのは、過渡期における現象と理解すべきであり、法律に条例制定に関する規定がないことが、条例の否定を意味するという反対解釈をなくすためには、将来的には法律の中の条例既定をなくすべきだと主張されています。
「第2章 環境法の法政策」では、行政手続法10条(公聴会開催)について、、処分の根拠法規に公聴会等の明文規定がない場合でも解釈によってそれが適法になしうることを明確にしたことを指摘され、10条を一種の標準的規定と解し、利害関係者参加的に運用するのも、情報収集参加的に運用することもできるとされています。また、改正行訴法9条2項にも言及され、環境影響評価と司法審査について論じられています。
「第3章 産業廃棄物処理の法政策」は、環境法各論とも言える、産業廃棄物処理法制について、特に罰則適用に関する法運用の実際について具体例を挙げながら展開されています。自治体職員が行政現場で「刑法」を意識することは少ないと思いますが、産廃法に関しては、しばしば罰則適用が論点になるようであり、現場で活動する職員には、刑法の基礎知識が要求されることになりそうです。
「第4章 景観法と景観条例の法政策」では、分権時代にふさわしい法律のモデルとして、景観法を取り上げられ、自治事務の中でも任意的自治事務であると指摘され、自治体の景観条例との関係を展開されています。景観法関係条例のモデルとして、委任条例型、手続具体化条例型、制度補完条例型、そして独自政策条例型の4つを提示されています。
政策法務の理論と実践を志す場合、その具体的領域の代表格に環境法があります。特に様々な規制行政を展開していく必要があり、単に理論を丸暗記するのではなく、現場の実情も踏まえた実践思考が重要視されます。本書においても、北村先生がその重要性、面白さを明確に提示してくださっています。
(06.04.11記)
8. 駒林良則 著 『地方議会の法構造』(成文堂、4,725円)
著者は名城大学教授で、本書は名城大学法学会選書6として出版されたものです。地方議会に関して、ドイツ議会法との対比をベースにしつつ、憲法・行政法から詳細にアプローチをされている研究書です。地方議会に関する単独執筆による体系的・理論的な法学文献はあまりないと思いますので、非常に貴重なものだと言えるでしょう。
「はしがき」によれば、著者の駒林教授は、以前から、地方議会は立法機関なのかそれとも行政機関なのかという法的性格がどうも判然としないという素朴な疑問を持っておられたようです。地方議会は「議会」である以上、立法機関であると位置づけて問題ないはずであるが、伝統的な行政法学は行政機関であるとしてきたことが疑問の原点のようです。憲法学と行政法学がこの問題について歩み寄りがなく、寸断されており、これを架橋することは自治体組織の法理論を深化するうえでも不可欠であると考え、地方議会の法構造を明らかにすることを通じて試みようとされたとのことです。
本書では、ドイツ地方議会(ゲマインデ議会)の議論が、わが国の理論動向に対していかなる意義を有するのかを検討されています。ドイツの学説・判例は、ゲマインデ議会は国民代表機関であり、パーラメントが持つ特性の一部である立法機能を有することは否定できないが、ただちに立法府に属することにもならないとしています。ゲマインデ議会の法的地位はパーラメントではなく、行政機関であるという理解なのです。だからといって議会法原理のゲマインデ議会への適用が全面的に排除されるものではなく、法領域毎にその適否を吟味していく傾向がみられているとされています。また、ゲマインデ議会における政党化、会派化という現象がゲマインデ執行部にも影響を及ぼし、地域政治に大きな影響を与えていることから、政治レベルとしては、連邦・州レベルのそれと質的な相違はないといえると論じられています。さらに、ゲマインデ議会議員に自由委任原理が妥当する根拠は、パーラメントを支える法原理である代表制原理と合議制原理にゲマインデ議会も支えられていることに求められているとされています。一方、わが国の地方議会法については、政党や会派という政治的存在に対しての対応が消極的すぎると評価されています。その原因は、地方自治法が地方議会を行政機関的に構成していることにあるからだとされています。さらに、地方自治に対する法律学のアプローチがいわば「政治的なる」部分を閑却視してきたことにも起因するとされています。そして、自治体を政治を含む統治団体と性格づけることを前提として、政治的意思決定機関として捉える立場から、ドイツ議会法に倣って、わが国の地方議会法も会派など政治的な部分への整備が急務であると提言されています。
本書において、ドイツ議会法の分析手法を参考に、わが国の地方議会法の法構造を分析・追究した結果、地方議会法は様々な法原理を基盤にすることが明らかとなったが、現行自治体組織における地方議会の法的性格を規定する中心的なものは憲法93条による首長制原理であるとされ、その下では地方議会は本来的に立法機関でなければならないと主張されています。そして、地方議会の立法機関性を強調する立場からは、自治体意思としての重要な事項は、原則的に議会の議決事項でなければならないはずであり、専決処分制度は見直すべきだとされています。とりわけ自治法96条と149条を対比し、96条1項の議決事件が限定列挙、149条が包括規定であることを批判し、96条2項は自治体議会が条例制定という議会の権能を用いることによって、最終意思を議決により決定する行政上の案件を96条1項で列挙されている事項以外にも拡大できるという趣旨であると解したいとされています。この場合の重要な事項とは、政治的重要性を有する事項、言い換えれば、議会という住民代表機関が審議及び議決するに値するような事項であるとされています。また、地方議会の法的地位はさらに、代表制原理からも規定されるとしています。議会は住民の政治的意思を選挙を通じて的確に反映する「場」としての意義があり、長の場合は直接に執行機関の頂点に立つ者を選定する意味を持つため、議会の代表制と首長のそれとは異質な部分があり、議会は本来的住民代表機関であり、意思決定機関であるとされています。
地方議会の存在意義については、特に政治的な側面から、かなり旗色が悪いのが現状ですが、本書は、地方議会の法的地位というものを改めて論じられ、その重要性を明確に論証されたものだと思います。こうした研究書を、肝心の地方議会議員、とりわけ市町村議会議員の方や議会事務局職員がどれだけ精読され、理解されるかが最も重要だと思います。分権時代の自治立法権拡大を考えれば、自治法96条に対する理解を転換させる大きな機会です。執行部にとっては厄介な提言だとは思いますが。
(06.03.30記)
7. 北村喜宣 著 『プレップ環境法』(弘文堂、1,260円)
上智大学教授の北村喜宣先生による環境法の入門テキストです。弘文堂の「プレップ・シリーズ」をご存知の方は多いでしょう。このシリーズ、かなりのロング・セラーであると思います。こうしたシリーズの一つに環境法が加わったということは、環境法学の重要性がますます高まっていることを意味していると理解することができると思います。環境法学は政策法務からのアプローチもできる魅力的な研究領域です。北村先生のお陰で、環境行政に従事したことのない私も、環境法学には少なからず関心を持つようになっています。
本書の趣旨は、「はしがき」に記されているように、環境法の全体像を体系的に示すのではなく、学習のポイント、講義のポイントをわかりやすく伝えることを意識しつつ執筆されたものです。全体で8章構成、150頁余りの分量ですので、環境法の専門知識が十分になくても、かなり短期間で読むことができますし、それによって北村先生の目的である「なるほど、環境法の議論とはこういうものか」と何となくわかるようになると思います。以下、各章についてごく簡潔に紹介しておきましょう。
「第T章 ようこそ、環境法の世界に!」
環境法とは、「環境の質を社会的に望ましい状態にするための法システムの総称」であり、この場合の法とは条約・法律・政省令に加えて、条例・規則も含まれています。環境法を研究対象とするのが環境法学になります。では環境とは何かと問われると法律で定義はなされておらず、環境基本法14条が環境保全の施策として確保すべき事項を規定しているのが参考になります。一般的な言い方をすれば、都市環境、生活環境、自然環境、地球環境といったことが対象になるのです。この点については、ほぼ常識的理解とマッチングすると思います。そして、環境法のエッセンスは、環境負荷を発生させる人間の意思決定にいかに影響を与えて環境負荷の少ない方へと行動を向けるかということだとされています。
「第U章 民事法的対応と行政法的対応」
私人間の紛争解決は、民事訴訟法に基づいて行われるのが基本です。しかし、同じ私人間の争いであっても、環境紛争については民事訴訟の個別性・事後性・水平性・個別具体的権利救済性といった限界によって、必ずしも有効な解決にならないことが多いのです。そこで、一般性・予防性・垂直性・公共政策性という特徴を持つ環境法の必要性に注目されるのです。特に環境紛争の場合は、個人の権利行使によって環境が影響を受け、それ以外の人ないし社会全体の利益が損なわれることが問題になります。それが行政の許可によって発生することもあり得るので、三面関係という、現代行政法の特徴が明確に表出するのです。
「第V章 環境法とのお付き合いの仕方」
環境法学習をおもしろくする視点の一つとして、「環境管理のために、環境負荷発生者の意思決定に対して、どのようにして合憲的・合法的に影響を与えることができるか」を考えることであると提示されています。環境負荷発生者がどのようにして行動を決定するかを知ることが重要であり、その上でいかなる法制度にすればいいか考察する。環境法が実践的な学問であることを紹介されています。それゆえ、現場の実態を知り、条文のウラを読む、関連法令を粘り強く読むことも重要です。環境法学習は、政策法務の学習とも言えるでしょう。
「第W章 良好な水環境を確保する」
1958年6月に発生した浦安事件をきっかけに、初の本格的な環境法として、水質二法(公共用水域の水質の保全に関する法律、工場排水等の規制に関する法律)が同年12月に制定されたことが紹介されていますが、経済成長優先の時代であり、環境問題に対する理解が今ほどではないこともあって、関係者の間で合意できる範囲での法制化であったようです。その後、1970年第64回臨時国会(いわゆる公害国会)で水質汚濁防止法へとバトンタッチされたのです。水環境については、多くの人が高い関心を持ち続けている環境法政策上の重要な論点であると思います。もっとも、環境基準が法律上「望ましいもの」と性格づけられていることは、基準違反が直ちに違法にはならないことを意味すると解されていることは、環境政策における法規制の難しさを推測できるでしょう。
「第X章 排出事業者責任を徹底するために」
廃棄物の不法投棄はしばしばマスコミで報道されています。数十万立法メートルといった大きなものばかりでなく、様々な地域で不法投棄が行政上の課題となっているようです。現状、ゴミ投棄にお金をかけるという発想があまりないため、排出事業者が許可を受けた産業廃棄物処理事業者に委託して処理をしてもらうにしても、ディスカウントの強要やダンピング的価格の提示がなされ、結果として事業者による不法投棄が増えることになっても、排出事業者は責任を負わないことになっていたのです。2000年の廃棄物処理法改正で、排出事業者の責任が強化され、最終処分までのプロセスをきちんと監視・管理する責任を明確にしたのは、1970年の同法制定以後最大の法政策の転換だったとされています。
「第Y章 合意形成と負担の分担」
日本では、国立公園内であっても開発や自然破壊が進んでいます。外国との大きな差に、国立公園の土地所有者が私人である点を指摘されています。この点については、私も全く理解していませんでした。憲法29条2項を根拠に、自然環境に関して「公共の福祉」の内容を法理論として説得的に展開することに成功していないことが、自然保護的な方向で法制度化が進まないひとつの理由であるとされています。自然環境保護に関する合意形成の難しさは土地所有者が誰にあるかで大きな影響を受けるのです。
「第Z章 環境法の担い手」
環境法の形成・実施における国と自治体の関係については、第1次地方分権改革の成果を踏まえた対応にするべきであることは言うまでもありません。つまり、法律で環境行政に関する事務を自治体にさせる場合には、条例で対応できる余地を広く認めるように規定されるべきだということです。一方で、環境法は市民参画に冷淡であることにも注意しておくべき論点でしょう。さらに、環境行政に関する予算・人員がきわめて少ないということも問題視しておくべきです。
「第[章 ステップ・アップのための学習戦略」
環境法を体系的に学ぶ場合には、特定の環境法についてフローチャートを作成することを勧められています。本書では土壌汚染対策法のフローチャートの例が掲載されていますが、多数ある環境法の中から、個別法の仕組みや構造を理解する場合の有力な方法だと思います。そして、自治体は環境法政策の最先端実験室だとされています。確かに、環境政策の現場では困難な事例も多いようですが、分権時代の政策法務を実践できる良い機会であるともいえるでしょう。
(06.03.27記)
6. 財団法人日本都市センター 『行政上の義務履行確保等に関する調査研究報告書』(同センター、2,100円)
平成17年度に日本都市センターが「行政上の義務履行確保等に関する研究会」(座長 宇賀克也・東京大学教授)を設置して行った調査研究の報告書です。行政上の義務履行確保に関しては、最近、新しい文献を目にする機会がなかったため、政策法務の立場からも貴重な研究資料になると思います。
このテーマを採り上げた理由には、現行の義務履行確保制度が機能不全に陥っていること、行政法学上の義務履行確保に関する論点が変化していること、民事法分野において実効性を高めるための法制度改革が進んできたこと、地方分権によって固有条例の実効性確保が重要になってきたこと、という4つの背景があるとされています。自治体政策法務の立場からは、やはり条例による実効性確保という論点に意識が向きがちになりますが、そうであっても他の制度との関連性・体系性に気をつけなければならないことは当然です。
行政上の義務履行確保が機能不全に陥っている、あるいは、機能不全に陥ることを強く意識付けられたのは、やはり、宝塚市パチンコ店規制条例最高裁判決(平成14年7月9日)の影響が大きいと思います。同判決で、行政上の義務履行を求める訴訟は、裁判所法3条1項にいう法律上の争訟に当たらず、不適法であるとして却下となったことは、自治体関係者のみならず、行政法研究者にも大きな衝撃を与えたのではないでしょうか。勿論、学説はこぞってこの判例に批判的なようです。そうなると、判例変更を期待するとともに、立法上の措置を行うのが、行政上の義務履行確保の実効性確保のために必要になり、本調査研究報告では、行政事件訴訟法の改正を提案しています。また、行政代執行法についても、国においても実績に乏しく、自治体においても法的要件の判断に悩み、実施に二の足を踏むことが多く、機能不全に陥っていると評価されています。個別法令で実体的要件を緩和し、コスト縮減のためにも行政代執行法に動産の除去・保管・換価・廃棄に関する規定を設けることなどを提言されています。行政刑罰については、特に自治体は違反者の刑事告発を行うことが極めて稀であり、抑止力を発揮しておらず、告発した場合でも司法当局が受理するとは限らず、実際に刑罰が科されたとしても数万円の罰金が関の山という状態であることから、義務履行確保という点から、十分に機能していないことが指摘されています。
他にも多くの指摘及び提案がなされているのですが、行政上の義務履行確保は、政策法務という立場からも重要な論点であり、自治体の自治立法である条例による行政の展開が拡大すればするほど、常に違反者の存在をどのようにして排除するかという問題が懸念されるのです。自治体現場の課題としては、行政代執行法にもとづく直接強制を敢行した場合の費用徴収制度が整備されていないことも、大きなネックであることは、直観的にも理解できるでしょう。また、第一号法定受託事務のように条例制定権の範囲が狭い場合であっても、違反者に対する制裁として、氏名公表制度などを別途条例で制定できないものかとも常々思っていたところです。
宝塚市パチンコ店条例の最高裁判決以後、義務履行確保法制の整備等について、大きな話題になったことは目にしたことがなかったのですが、この調査研究報告書が嚆矢となって、新たな法整備に結びついていくことを期待したいものです。
(06.03.15記)
5. 松下圭一 著 「転型期日本の政治と文化」(岩波書店、2,940円)
「政策法務」の生みの親である、松下先生の最新著作です。松下先生が2002年から2004年までの間に公表された諸論考7本を書き直しされて一冊にまとめられたものです。しかし、単に7本の論文を寄せ集めたのではなく、松下理論の本質部分とも言うべき諸論点が一冊に凝縮されたものだと思います。もっとも、松下理論を熟知されている方にとっては、当たり前のことが書いてあるだけになるかもしれません。松下理論を必ずしも十分理解していない私としては、貴重な一冊になると思いますし、今後の研究活動にとってバイブルとしての1冊になると思います。
松下説の土台は、日本において官治・集権型政治・文化の、自治・分権型への再構築が緊急の課題であると認識しつつ、国家観念を中軸としたこれまでの政治学・憲法学・行政学・行政法学、そして財政学が再編すべき事態になっているとしています。その上に、戦後に新編成された、政権交替なき政官業複合の崩壊・解体も、財政緊迫とともにはじまっているとされているのです。都市型社会が成立している2000年代の今日、かつての一元・統一型「国家」観念の構図にかわって、日本の社会・政治も多元・重層の構造に変わりつつあり、かつ、自治体・国・国際機構という政府の三分化が進展するとされています。「転型期」というのは、2000年前後からの、日本社会におけるこうしたマクロレベルの政治・文化が大きく変化する、うねりの時期であることを指しているものと理解できるでしょう。私たちはちょうどその時代の中にいるということになるのです。
松下説は、日本は農村型社会から60年代から80年代にかけて都市型社会へと変貌し、それによって公共・自治の二つの基本概念、法務・財務という社会の組織・制御技術の新開発、都市型社会における文化形態の新変容という緊急性の高い問題層をめぐる理論再構築について、市民をはじめ政治家・行政職員・法曹・ジャーナリスト・理論家などが取組めない限り、市民政治への飛躍ができないまま没落するとされています。
松下理論の本質を一言で表現するなら、やはり「市民自治」になると思います。都市型社会においては、分権改革が進み、国家の名による官治・集権政治は、市民による自治・分権政治に再編され、国家観念が崩壊していくとされています。そして、市民にとって公共とは、市民が社会の多元・重層構造をふまえて相互に、さし当り模索すべき<問題>であるとされています。多元・重層型に公共が成立するため、相互に検証しあえる仮説としてのみ、公共がたえず問われていくのであり、一元・等質構造ではなく、市民を超越する所与の実在ではないとされています。一般に、公共概念が変化しているとなどと言われますが、それを理論的にまとめ上げられていることが分かるでしょう。
また、松下理論は、市民概念についても明確な理論的定義を設定しています。すなわち、市民とは、個人自立を起点として、「自由・平等」という生活感覚、ついで「自治・共和」という政治文脈をふまえ、みずから政策・制度を模索・構想しうる政治熟度をもつ規範人間型を想定している、つまり、市民は期待される理想概念ではなく、つねに未完の<規範概念>であるとされています。さらに自治概念についても、今日では、都市型社会における個人自立・自己責任を起点として、市民個人が「予測・調整」「組織・制御」する社会の設計・管理をいうとされています。
政策法務と関係する論述も多いのですが、ここでは「自治体基本条例」の理論的含意だけ確認しておきましょう。松下説は2000年分権改革によって、明治以来の官治・集権トリックである機関委任事務方式が廃止され、ようやく市町村・県・国は、それぞれ課題は異なるが「政府」となった、自治体は国の「地方公共団体」ではなく、市民の自治体政府となるとされています。そのため、政府基本法としての基本条例の制定が、今日、自治体における当然の要請となる、とされているのです。この考え方の背景は、先に示した政府三分化論であり、それぞれの政治課題と政治枠組をかたちづくる≪基本構造≫、つまり、constitutionを市民合意で規範化するため、基本条例は当然の要請になるとされるのです。松下説は、≪自治体基本条例≫であって、自治基本条例とは必ずしも言っていません。松下説は市民自治を、自治体レベルだけでなく、政府の三分化を含めて考えていくため、「○○市基本条例」というかたちで、最初から自治体基本条例と唱えてきています。また、自治体基本条例は政治枠組を提示する役割もあり、その際、注意しなければならないのは、≪協働≫概念の理解になります。市民と政府の関係は、規範論理としては、市民による「信託」であって、基本の政治枠組は協働ではないということです。自治体職員に今日もつづくオカミ崇拝の文脈では、≪市民主権≫がいつのまにか市民と職員がナカヨクという「協働」にすりかわって、職員による「支援」に化け、明治国家とおなじく行政による「保護・育成」となってしまっては誤りだということです。
(06.03.10記)
4. 白波瀬佐和子 編 「変化する社会の不平等−少子高齢化にひそむ格差−」(東京大学出版会、2,625円)
昨年から私が強く関心を持つようになっている階層格差に関する最新の文献です。法律書ではありませんが、今後の社会保障・社会福祉・地域福祉などを考えていくためには、おそらく必読文献の一つになると思います。
本書の狙いは、「序 少子高齢化にひそむ格差」において白波瀬先生が論じられているように、人々は不平等の存在を確信するものの、その中身が曖昧で、複雑なメカニズムを見分けることが困難であるため、「二極化」「勝ち組、負け組」「上流、下流」といった過激な言葉に反応してしまうのだと指摘し、その複雑なメカニズムに真正面から取組もうとすることであるとされています。そして、少子高齢化の明らかな量的変化を、社会の配分原理に着目した不平等構造から捉え、量と質の変化の整合性について考察を試みるとされています。また、本書では、格差と不平等という二つの概念についても整理されています。すなわち、格差とはより経験的、実証的に測定しえることを強調した概念であり、不平等とは測定可能性のみならず格差の位置づけを社会正義の問題として取組む概念ともいえるため、本書では、不平等とはより強い規範概念を伴う格差と定義しています。不平等とは格付けされた差が社会正義と関係してどの程度受け入れられることができるかを指し、価値と結びついた配分概念とされるのです。
本書は階層問題に取組まれている7人の研究者が異なる角度から少子高齢化社会における格差問題にアプローチされています。「第1章爆発する不平等感(佐藤俊樹)」では、親と子の連続性の欠如とマクロ経済状況の悪化が個人の見通しを悪くしているとされ、機会の不平等・不公正という問題を原理上の議論にのみ終始することなく、具体的な政策へと橋渡しできるようその背後にあるメカニズムを明らかにするよう果敢に挑戦していくとされています。「第2章不平等化日本の中身(白波瀬佐和子)」では、人口の変動を世帯構造の変動からアプローチし、少子高齢化を経済的不平等から議論しています。特に、典型とされるライフコースから外れた人生を送る少数派のもつ社会的な不利をどう分散するかが、重要な課題であると指摘されています。「第3章中年齢無業者から見た格差問題(玄田有史)」は、私も同じ中年として関心を強く持ちました。求職の意思を明らかにせず、仕事を希望していない無業者(非希望型無業者)の存在が最も深刻なケースであるとされています。このケースは、学歴も低く、これまで一度も仕事についた経験を持たないものが多いことには驚きを禁じえませんでした。「第5章少子高齢化時代における教育格差の将来像(苅谷剛彦)」も同様に強い関心を持ちました。全国一律に標準化された義務教育の保障は、生まれ育つという社会空間の差異をできるだけ除去し、人生のスタートラインにおける機会の平等を確保することで、教育機会の平等をアピールしてきました。しかし、今後、国による財政調整が弱まり、地域格差が生じると、どの地域で義務教育を受けるかが個人の属性になり、その後の個人の業績に影響を及ぼしていくため、新しい不平等を生んでいくことになると指摘されています。このほか「第5章健康と格差(石田浩)」、「第6章遺産、年金、出産・子育てが生む格差(松浦克己)」、「第7章社会保障の個人勘定化がもたらすもの(宮里尚三)」のいずれも、データを丹念に分析し、推計を示しつつ、議論を進められていることが共通していると思います。
本書を読んで思ったことは、生活保護関係書に頻繁にありがちな、市民・納税者の意向を無視した無責任な左翼的福祉拡大論ではなく、信頼できる客観的なデータを丹念に分析し、今後の社会保障政策の論点を抽出しようとされる社会科学者の誠意ある態度がにじみ出ていることであり、格差や不平等の問題に正面からまじめに取組みたいという熱意をひしひしと感じます。問題そのものが極めて困難であるため、安易な政策提言を敢えて行っていないということも、逆に誠意を感じるところです。更なる研究の発展を期待したいです。
(06.02.26記)
3. 野中郁次郎ほか 著 「戦略の本質−戦史に学ぶ逆転のリーダーシップ−」(日本経済新聞社、2,310円)
本書は1984年に刊行された「失敗の本質−日本軍の組織論的研究」の姉妹編として出版されたものです。恥ずかしながら前著は読んではいませんし、存在すら知りませんでした。本書も、たまたま書店で偶然見つけ、6人の共同執筆者の筆頭に野中郁次郎氏の名前を見つけたため衝動買いをし、読了しました。経営と大いに関連する概念として戦略を取り上げているものだと理解しています。
最近、自治体でマネジメント(経営)に直接関わっている部署の職員は、最近、しばしば「戦略」という言葉を使う傾向にあると聞かされました。新しい政策立案などをする場合に、「戦略を描く必要がある」などと言われるそうです。このように戦略という言葉は誰でも知っていますが、しかし、その本質的意味を正確に理解しているかとなれば、話は別になるといわざるを得ないでしょう。とは言っても、政策法務論においても、「戦略法務」という概念があるくらいですし、私も拙著で「戦略的法使用」という概念を提示しています。だからと言って「戦略」という概念を突き詰めて考えたことは恥ずかしながらほとんどありませんでした。私にとって戦略という言葉のイメージとしては、「先を読む」あるいは「あらゆることを予測して対策を立てる」というくらいのものでしかなかったのです。誤りではないかもしれませんが、十分ではないと痛感しています。
本書では、「戦略の本質」が最も顕在化するのは「逆転現象」ではないかという仮説に立脚し、戦史における逆転事例を取り上げています。第2次世界大戦で日本が敗北を喫したのは、戦略不在であったと指摘しています。戦争は敵対する意志の不断の相互作用であるとされています。この戦争の本質を当時の日本軍が正確に理解していなかったことが敗戦の要因だということです。戦略とは元々は戦争を勝ち抜くための概念ですから、戦略の本質を考察するには、戦史から学ぶことは王道とも言えるでしょう。それを現代の経営にどう応用するかが今後は問われてくるのだと思います。というのも、著者たちが戦略の本質を洞察することになった動機が、バブル崩壊以後の日本において余りにも戦略が欠如していたからです。そして、戦略とは、何かを分析することではなく、本質を洞察し、それを実践すること、認識と実践を組織的に綜合することであるという確信を持ったとされています。
本書の構成は、序章、「第1章戦略論の系譜」の後、第2章からは、逆転事例である戦史の記述であり、戦略の本質は逆転事例に見出せるという考えから6つの戦史事例を抽出しています。具体的には、第2章毛沢東の反「包囲討伐」戦、第3章バトル・オブ・ブリテン、第4章スターリングラードの闘い、第5章朝鮮戦争、第6章第4次中東戦争、第7章ベトナム戦争です。いずれの記述も、歴史や地理の知識が小学生以下である私にとっては、なかなか理解し難く、困難でしたが、第8章逆転を可能にした戦略、終章戦略の本質とは何かと読み進めるうちに、ある程度理解が深まったように思われます。
戦略とは技術・戦術・作戦戦略・軍事戦略・大戦略の5つのレベルがあり、戦略のメカニズムとしては戦略の各レベルではそれぞれが独自の課題を持っているとはいえ、他のレベルからも絶えず影響を受け、また他のレベルにも影響を及ぼすという意味で重層的であること、主体間の相互作用の逆説的因果連鎖は、各レベルで水平的に展開するだけでなく、各レベルで垂直的にも展開するとされています。そして戦略の本質について10の命題を提示しています。こうした戦略のメカニズムや戦略の本質について学ぶことによって、政策法務を考察する場合にも応用が可能ではないかと思うのです。
(06.02.20記)
2.自由人権協会 編 「憲法の現在(いま)」(信山社、3,360円)
本書は、自由人権協会の主催により、2004年9月から2005年7月まで12回に渡って行われた連続講演「憲法の現在」の講演録をまとめたものです。12名の憲法研究者によって、様々な憲法上のテーマについて講演がなされており、まさに憲法の現在が詳細に論じられています。本当なら全章について感想を述べたいのですが、2点に絞ることにします。
「第1章 最近の憲法をめぐる諸問題」は、奥平康弘・東京大学名誉教授による講演録で、本書の総論を成すものです。奥平先生は憲法と50年付き合ってきたことを紹介しつつ、現在関心を持たれているテーマとして天皇制、表現の自由、行政訴訟の原告適格性の3つを掲げられています。天皇制については、今国会での皇室典範改正は見送られるようになりましたが、講演当時、すでに世継ぎ問題が論点となっていたため、講演においても言及されています。天皇制については、制度の存続そのものに異論を有される方も少なくないと思います。私はそこまで天皇制について深く考察していませんが、皇室典範の拙速な改正には疑問を感じていました。また、表現の自由については、自衛隊のイラク派兵反対の人たちによる自衛隊員やその家族が居住する宿舎へのビラ投函が問題になった、立川反戦ビラ入れ裁判において、この講演前日2004年9月9日に奥平先生は東京地裁八王子支部で被告人側証人として証言されたようです。ビラ入れ行為が刑法130条の住居侵入罪として起訴されたのですが、一審では無罪となっています。他人の住居に無断で侵入して、自己の思想や主張を書いたビラを投函する行為については、少なくともそのビラに書かれている内容が、受け取った者にとって嫌悪感を抱くような内容であるとすれば、住居侵入罪の違法性はあるのではないかと思っています。「そんなものは捨てればいい」と反論されるでしょうが、一度読んだ後にわざわざ捨てるような行為をさせることを勝手に他人の家に入り込んでゴミを増やした者が言うべきではない、というのが、私の考えです。駅前で政党や政治家がビラを配っていたとして、それが私が毛嫌いしている某政党であると分かればビラの受け取りを拒否するだけでいいのですから、その差異は法的に意味がないとは思えないのです。そうなると奥平説とは反対の立場になるでしょう。私のブログでは匿名投稿を原則拒否しています。どこの誰かわからない人と通信手段を用いて意見交換をする意思は持っていないということの表明でもあります。嫌なら私のブログやホームページにアクセスしなければ済む話です。もっとも、それでも平日で150件から250件程度のアクセスがあるのは、不思議です。
「第3章 今、憲法裁判所が熱い!?−欧流と韓流と「日流」と?−」は、山元一・東北大学教授による憲法裁判所論についての講演録です。私が以前から興味を持っている論点の一つです。日本の憲法裁判は司法裁判所による付随的違憲審査制ですが、ドイツでは憲法裁判所が存在することは知られています。また、フランスには憲法院があります。フランス議会は憲法34条で法律を制定できる事項が限定されているため、この規定に抵触する立法がなされたことについて違憲審査をするための機構が憲法院になります。そしてお隣の韓国にも憲法裁判所があります。韓国の憲法裁判所は非常に発展しており、日本で言ういわゆる統治行為論に該当する問題であっても審判対象となると判断しているようです。こうした外国の憲法裁判制度と比べて、日本の場合、違憲立法審査権を行使した事例が、現行憲法下ではわずか6種7件しかないのは、やはり少なすぎるように思ってしまいます。では日本の学会は憲法裁判所設置に積極的かと問われると、懐疑論が支配的であると紹介されています。奥平康弘、樋口陽一、佐藤幸治、渡辺治など、代表的憲法学者がこぞって憲法裁判所創設反対論に立脚されているのです。私見としては、政治的な色合いが濃い憲法改正過程において、憲法裁判所が設置され、違憲の疑いのある法令が持ち込まれたとしても、結局は合憲の祝福の嵐が吹き荒れるだけではないかという心配もしています。そういう意味で、憲法裁判所創設に慎重な学説が多いことを知り、私の意識が必ずしも誤っているものではないと確認できました。
本書で論じられている多くの論点は、憲法の最新問題ばかりであり、政策法務を考える上でも大いに参考になると思っています。最近、政策法務とは果たして何なのか、少し迷いが生じてきたため、敢えて憲法からの考察をすべきだと思ったため、こうした文献に当たってみたのです。
(06.02.12記)
1.小林武・三並敏克 編 「いま 日本国憲法は 原点からの検証」 (法律文化社、3,045円)
本書は92年5月に初版、95年5月に第2版、00年5月に第3版と改訂を続け、05年12月に第4版として出版されています。私はこの第4版になって初めて読みました。執筆者は、編者である小林武教授、三並敏克教授のほか、50年代生まれから70年代生まれの研究者6名による共同執筆となっています。「はしがき」から、執筆者はいずれも故・山下健次教授の薫陶を受けた研究者の方々のようです。
本書は全体で2部構成となっており、「第1部日本国憲法をデッサンする」は、憲法の体系に即して、簡潔な解説を加えつつ、現代の憲法問題に関する論点に言及するような構成となっています。そして、第1部を踏まえて、「第2部日本国憲法の眼で政治を検証する」では、現在の憲法政治の諸現象を網羅し、かなり深く論及されています。内容としては第2部を読むことで、日々マスコミなどで報道されている憲法問題が体系的に、かつ、強い危機感をもって論じられており、憲法問題に対する関心を高めるとともに、自分なりに批判的に読むことで、理解を深めることもできると思います。
本書の立場は、(私なりの理解としては、)共著でありながらも一貫しており、平和主義、基本的人権、統治機構とも、憲法原理に基づいて、本来の姿にするべきだというものです。論点が多岐にわたっていますので、ここでは私が特に関心のあるテーマの中から、いくつか感想を述べておくことにします。一つは、少年法改正について、本書も批判的だということです。少年法の本来の趣旨を重視し、厳罰化に慎重ないし反対の立場を採用しています。しかし、そこにおいても、残虐な犯罪によって被害を受けた被害者や遺族・家族への配慮がないのです。数値的データを取り出して少年犯罪は凶悪化しているわけではないと主張されるのですが、傾向として凶悪化しているかどうかではなく、凶悪犯罪によって被害を受けた人への法的配慮をどうするのかについて憲法の立場から法的構成を示すべきではないでしょうか。日本の刑事法制は、被害者に冷酷であるという主張を、憲法の立場からどう評価されるでしょうか。
次に労働基本権について、憲法27条2項に関する憲法学説が、ほとんど関心を持っていないと本書で指摘されています。そして、昨今の労働基準法の変容は、労働者の権利を事実上空洞化することになっているわけであり、特にいまだに過労死が絶えず、8時間労働制が有名無実化している実態は、本書が指摘するとおり、深刻な問題だと思います。労働法学者は日本の企業や官公庁が労働基準法をほとんど無視している実態をどう評価されているのでしょうか。そして自分たちの研究領域である労働法が、基本的人権の侵害という点でもっとも被害が広範で深刻であることを、どう考えておられるのでしょうか。こうした私の疑問に対する回答のように、本書では、27条2項のもつ意義は、労働者保護立法は労働関係当事者の契約の自由への侵害にはならない、さらに、立法者に働く人の人間らしい労働基準を設定する法律を国に義務づけているという、積極的な規範的意義をもつという学説を紹介されています。
統治については、やはり司法問題に関心が向きます。司法改革によって弁護士人口が2018年には5万人程度になり、現在の2倍以上になるとされています。ロースクールが始まったのはいいのですが、一流大学のロースクールが司法試験受験の予備校化している現象が全国各地で生じていると聞きます。あるいは、有名大学ロースクール入学生に対して、大規模なローファームから内定通知が出されているという話も聞きます。法律家が増えることは良いことですが、それが今の新自由主義路線と相俟って、大企業の権利擁護のためだけの法律家ばかりが増加するのではないかという危惧は、あながち的外れとも思いません。本書においては、弁護士会自治という点を中心に論じられていますが、弁護士会自治が機能しなくなれば、ある種の暴走が生じるのではないでしょうか。
本書を読むと、随所に憲法政治に対する危機意識が見られます。ちょっと怖い感じもしますが、憲法に関心を高めるには、ちょうどよい文献だと思います。
(06.01.22記)