法律書感想録スペシャル[T]
―九州大学大学院法学研究院教授・木佐茂男先生ご執筆文献―

 ここでは、私がこれまで拙HP「自治体政策法務研究室」の法律書感想録において執筆してきた書評の中から、木佐茂男先生がご執筆された文献だけを再度取り上げ、まとめてご紹介することとします。
 木佐先生は、私に「自治体法務合同研究会」に入会するよう誘ってくださるなど、私が政策法務に関心を持ち、そして政策法務の研究活動を行うに当たって、最も影響を受けた行政法研究者のお一人です。そこで、その感謝の意味も込めて、多数ある木佐先生のご著書・論文の中で、私が拝読させていただいた文献について、まとめてここで紹介させていただくことにしました。皆様の研究活動に何らかの参考になれば幸いです。
 なお、今さら言うまでもありませんが、書評で述べているのは全て私個人の(勝手気ままな)意見であり、私の理解不足などによって誤った内容を書いている可能性を否定しきれないことをあらかじめお断りしておきます。
 初期の頃に執筆した書評は、ボリュームも少なく、また、執筆日も記入していません。毎年改良を施しているために、こうした差異が生じることをご理解ください。また、随所で書き加えたりしているものもあり、その場合には増補と記載しています。なお、書評の順序は、新しいものから順次掲載しております。
(04.11.10記)

木佐茂男 著 「人間の尊厳と司法権 −西ドイツ司法改革に学ぶ−」(日本評論社・5,250円)
 本書は1985年7月から1987年6月末までの2年間、木佐先生が(旧)西ドイツ・フンボルト財団の奨学生としてミュンヘン大学で研究されていた時に、1986年9月から取組まれた司法問題についての論稿を単行本化されたものです。基礎となった論文は、判例時報1264号から1293号(1988年4月11日号〜1989年1月21日号)にかけて連載された「開かれた親切な裁判所と行動する裁判官―最近の西ドイツ司法事情」(1988年−89年)というもので、木佐先生ご本人によれば、連載期間中は、毎週、原稿用紙100枚ペースで執筆されたとのことで、肉体的あるいは精神的にもかなりの緊張状態の中での大がかりな仕事であったようです。特に、当時、西ドイツの司法制度改革の実情を日本で詳細に紹介されることは、司法当局関係者にとっては、ものすごく「迷惑」で「腹立たしい」ことだったでしょう。なぜなら、木佐先生の論文によって、いかに日本の司法が閉鎖的で、市民に不親切かを実証することになったからです。それゆえに、木佐先生の本書に対する思い入れは格別に強いのではと思います。研究者としての面目躍如といったところでしょうか。
 さて、日本の「三権」の中で、国民から最も縁遠く、近づきにくいものが司法であることは、ほぼ共通の認識であると思います。現在は司法制度改革が進められており、今後、かなり市民にとって分かりやすくて使いやすい、しかも実効的な救済制度に改善されることが期待され(?)ます。しかし、そもそも裁判所に一度も行かずに人生を終える人は非常に多いでしょう。市役所に一度も行かずに人生を終える人が極めて少数であることから考えても、その差は歴然です。特に、日本の司法制度が、国民から遠い存在であることの理由としては、形式主義と専門用語の壁があると思います。厳格な書式に準拠した書面の作成が要求されるとともに、法律家にしか理解できない専門用語(業界用語)の前に立ち往生する市民は多いことと思います。その中でも、行政庁を相手にした行政訴訟では、却下件数の多さ、勝訴率の低さ、という点から実行的な救済制度としてほとんど機能していないのではないかという見方も可能でしょう。行政法の体系書で「行政救済法」と名づけている文献は多いですが、本当に救済法の名に値しているのか、疑問視しています。この状況を劇的に改革しない以上、国民が司法に親しみを持つという現象は発生しないように思います。
 こうした日本の司法制度状況を踏まえて本書を読むと、西ドイツの訴訟制度は日本のそれと比べると、「エエッ!」と驚くくらい脱形式的であることを知ることができます。例えば、訴状は「手紙」のような非形式的なものでも受け付けられ、また、「口頭」による出訴でもよく、あるいは裁判所に常駐している司法補助官が訴状を作成してくれるというサービスもあります。これは日本では考えられないでしょう。できるだけ訴訟はさせないような仕組みになっている日本と、法的問題があれば裁判所で解決するのが当然だという法治主義国家としての考え方に根本的部分での差異があるように思えてきます。ドイツの訴訟制度がいかに市民に親切なものかは、この点だけでも十分に伝わるのではないでしょうか。
 皆さんは、裁判官や検察官で知人はいますか?仮にいるとして、気軽に会って話すことはできますか?あるいは、面識のない裁判官に申し出て、直接会い、裁判のことや世の中のことを話したことがありますか?あるわけないですよね。(ちなみに、私は、ある会合で裁判官の肉声を聴く機会に恵まれたことがあります)本書を読んでいて、ふと気付いたことに、木佐先生が裁判官にインタビューした資料をベースにして執筆されていることは、ドイツでは裁判官が日本の法律学者に気軽に会って、インタビューに応じてくれるということです。日本では、例えば、最高裁判所判事に直接インタビューするようなテレビ番組は、民放では皆無ではないでしょうか?こうしたことからも、裁判官が市民に身近な存在であることを感じさせてくれます。ドイツの裁判官たちに対する、こうしたことが実現可能なのは、「裁判官の独立」が形式的にも実質的にも実態的にも保障されているからだと思います。日本で裁判官が独立しているとまともに信じている人がどれだけいるのでしょうか?司法改革をするならば、裁判官の独立は第一の課題のはずですが、話題になりませんね。
 もちろん、ドイツの裁判官が初めからそうしたものであったわけではないようです。1960年代から70年にかけて、権威主義的な司法を、裁判官自身によって「内から」の司法改革を進められたということです。当時、社会裁判権での実務は「法律の素人に分かりやすい形式で法律と事実に関して包括的な対話をすることがいかに不可欠であるか」「裁判官は、裁判官が国民の真っ只中にいるとの認識を訴訟手続実務の中で実現しなければならない」と考えていたことなどが紹介されています。こうしたことは、自治体職員にも同様に受け入れられるべき考え方だと思います。日本では、そもそも裁判官たちによる改革など、ほとんど考えられないように思われるため、それだけで驚きです。もっとも、これは行政にも通じる問題でしょう。
 本書を読んでいて惹かれたのは、旧・西ドイツの行政訴訟に関しては、裁判官、ことに裁判長は口頭弁論の際に原告にその主張を全うさせるように援助をしなければならず、さもないと手続は違法となるとされ、この意識は現役裁判官を強く支配していると紹介されている点です。そして、行政訴訟の審理手続の諸原則の中で、「法的聴聞」の原則があり、これは基本法103条・ヨーロッパ人権規約で保障されているほか、訴訟法にも規定がおかれていることが紹介されています。基本法103条の法的聴聞規定は、法治国家原則と人間の尊厳を具体化した規定なのです。日本の行政訴訟法に人間の尊厳を具体化したような格調高い規定は見当たらないでしょう。人間の尊厳を具体化するとは、人間を裁判手続の客体におとしめないことを目的とするということです。木佐先生は、この「法的聴聞」であるドイツ語Rechtsgesprächを、むしろ「法的対話」として直訳するほうが適当であるとされたのです。ドイツにおける人間的な司法、そして法制度への関心を高めてくれます。法的対話の重要性は、自治体政策法務を論じる上でも欠かせない論点となっているわけです。
 本書は1990年4月に出版されており、既に15年近い歳月が経過しています。それでも旧西ドイツにおける司法改革、司法制度、その実務などは驚くほど市民に身近なものであることを感じさせてくれます。ドイツの法制度に馴染みの薄い私は、当初、本書を読み進めることに相当苦労しました。しかし、時間をかけて読むことで、外国法制を学ぶことの面白さを認識させていただいたように思います。
(04.11.20記) 

田中孝男・木佐茂男 著 「テキストブック自治体法務」(ぎょうせい・2,400円)
 本書は月刊誌「ガバナンス」の第1号から第20号(2001年5月号から2002年12月号)で連載された「政策法務論の新展開」を加筆補正して単行本化されたものです。私にすればクビを長くして待っていた文献で、「やっと出た」という気持ちです。
 自治体職員向けの入門的な法務テキストとしては「自治体法務入門」(ぎょうせい)が有名ですが、本書はそのステップ・アップ版と位置づけられています。しかしながら、自治体法務・政策法務に関心があるけれども、今までそれほど(あるいは全く)勉強していない方が、本書を読まれたとしても、少なくとも路頭に迷うような難解なものではないと思います。むしろ、現在の自治体が抱える法的諸問題について鳥瞰することができますし、読み進める過程で個別に発生したやや難しい法的論点については別途、参考文献などに当たって理解を深めるという方法が求められているとも言えるでしょう。
 本書の構成は全体で4部18章、269頁となっています。特定の法分野の判例や学説、あるいは解釈論を精密に論じたものではなく、自治体法務・政策法務を展開していく上での重要な論点、あるいは自治体職員が思考と実践を進めるに当たっての視点を設定しつつ、個々にはやや掘り下げながら議論を進めるという内容になっていると思います。雑誌に連載されていたものであるため、1章当たりの分量も15頁前後であり、少しずつしか読み進めることができないという方にも好都合だと思います。勿論、六法全書を手元に置いて、出てきた条文をその都度確認して読み進めるという作業が最も望ましいのですが、(少しサボって、)そういう作業を省いても、自治体と法の関係を自分の頭で論理的なイメージとして描きつつ読み進めることができれば、それも一つの学び方かとも思います。実は、私が法務関係の文献などを読むときは、条文の確認は当然ですが、この「論理的なイメージの描写」を重視しています。
 それでは本書の内容について、特に第一線現場の自治体職員にとって重要であると思う箇所の中から、いくつか絞りこんで紹介することにします。
 超基本的なこととして、第1章では、自治体法務と政策法務の関係について、「法的観点あるいは法治主義実現の観点から見た、自治体(職員)の活動・仕事およびそれを支える理論を形作る諸活動(理論構成行為、理論形成作業、理論構成活動)の一切」を自治体法務としており(5頁)、「自治体が、住民福祉の向上とその人権・権利の実現を図るため、すでにある法の体系をもとに、より地域の行政ニーズに即した自主的な法システムを、積極的に設計・運用すること」が政策法務であるとしています(7頁)。前者が法治主義との関係からの定義、後者は地方分権との関係からの定義となっています。そして、政策法務は、地方分権時代における新たな自治体法務そのものとされ、両者を画するならば、新たな法環境の創出と、日常の法務に対して、どちらに、どの程度の比重を置くのかということが、その基準になるであろうとされています(9頁)。
 次に、特に一線現場の職員にとっても重要であると思う問題として、「法務情報の住民との共有」というテーマがあると思います。本書では第3章で論じられており、総合的な法務情報の提供義務を法的なものと位置づけることが望まれるとされています。その具体的な取組みとして、例規類集のWeb化がありますが、そこで扱われているのは条例・規則、それにせいぜい訓令までであり、要綱まで搭載している自治体は少数だと思いますし、搭載していても一部だけだったりするわけです。自治体における要綱行政はいまも意気軒昂である以上、法務情報の共有という視点から例規類集への搭載又は単独の要綱集の作成が求められると思います。もっとも、いくら法務情報がオープンになり、共有化されても、主体的に使わなければ意味がありません。最近のことですが、「ギョウセイシドウって何か法律とかで決まっているのですか?」と平気な顔で私に尋ねてくる若手中間管理職がいましたが、そのような状況では、まだまだ道は険しく、遠いという意識も持ってしまいます。
 第7章では、自治体法の執行のための行政計画として、「法執行計画」というモデルを提唱され、法執行計画の適切妥当性を高めること、法執行計画の法的正当性を高めること・法執行計画を法的に統制することが重要であるとされています。今まで、自治体行政計画の策定、計画に基づく行政と政策法務との関係について、私は少し混乱していたと思います。政策構想としての計画を策定とその実施が自治体の政策法務とどう連結するのか、論理的に整理できなかったのですが、法執行計画という概念によって、頭の中がスッキリした気分です。
 第9章では、自治体法務における契約手法の重要性について論じられています。特に、介護保険や保育など福祉関係の仕事をしている職員(ここでは例えば保育士なども含める)にとっては、旧来の措置制度から契約制度へと転換されているため、契約手法の重要性を再度確認すべきだと思います。契約法の基本的な仕組みについて、民法とその他の関連法とのかかわり合いなどは常に確認しなければならないと思います。
 第10章では、法執行の適正・有効性を確保する方策について考えるというテーマのもと、「住民との法的対話」の重要性を強調されています。法的対話という概念は、ドイツ基本法103条1項に定める法的審問Rechtsgesprächに由来するもので、元々はドイツの訴訟制度から持ち込まれたものです。私が提唱している「交渉法務」との関係については、問題の根底には共通するものがあると思いますが、なにせ出生元が全く異なるものなので、お恥ずかしい限りです。しかし、私自身が、自分の職務上の経験からこうした問題意識を形成できたというのは、まんざらではないと密かに自画自賛しているわけでもあります。また、第10章では住民との法的対話との関係で、住民と向き合うことを仕事としている現場の重視をも強調されており、第一線職員の能力向上が不可欠であるとされています。ここでいう能力向上とは、接遇向上は勿論、専門的な法令を噛み砕いて巧みに相手に伝えることのできる能力ということができるでしょう。しかし、こうした能力は、日々住民と対話している私も非常に難しい仕事であると認識しています。執行法務の独自の難しさとも言えるでしょう。
 第12章から第14章では地方分権と司法・行政不服申立・国家賠償・行政訴訟、住民監査、住民訴訟、国地方係争処理などの諸論点について、その問題性が詳らかに論じられているのですが、自治体の訴訟対応一つ取っても、例えば証拠開示などに消極的で、訴訟における事案の解明という真実義務から遠ざかる態度ではないかという疑問は私も感じていたことです。日頃は「協働によるまちづくり」と声高に叫んでいる自治体が、訴訟になった途端に住民を敵として位置づける姿勢はどのようにして説明できるのでしょうか。争訟関係になった途端、協働関係を断絶するというのであれば、それは一体どういう論理なのか、説明すべきでしょう。
 第18章では、宝塚市パチンコ店規制条例最高裁判決との関係で、近隣地域にパチンコ店の出店攻勢が生じているとありますが、西宮市では建築中の(仮称)県立芸術文化センターの隣接地にパチンコ店が出店するとかで、大騒ぎになっています。宝塚市に関する最高裁判例を契機に、戦略法務の思考があれば、もっと早期の対応が出来たのではと残念に思います。
 本書を通読して思ったのは、いかに私の思考が知らず知らずの間に著者のお二人から少なからぬ影響を受けているかということです。自治体法務論の先駆者であるお二人の更なる活躍を期待するとともに、私も体系的で理論的な知見を提示できるように努めていきたいと思います。
 本書は、自治体現場の方々にも是非読んでいただきたいと同時に、企画や財政、あるいは局部長・課長などのマネジメント層の方にも是非とも読んでいただき、自治体法務・政策法務の重要性について、あらためて認識を共有化できれば自治体としてのレベル向上に役立つのではないかと思います。
(04.04.28記)

木佐茂男 著 「豊かさを生む地方自治  ドイツを歩いて考える」 (日本評論社・2,310円)
 本書は出版されて既に7年ほどになるのですが、かなりのロングセラーとのこと。読んでみれば、なるほどロングセラーになる理由が納得できました。既に読んだことのある方も多いことと思います。恥ずかしながら、私は本書の存在を最近まで知りませんでした。(註:この部分を読まれた木佐先生は、パソコンの前で大笑いされたとのことです)
 外国の地方自治に関しては、NPM理論の先進国としてイギリスの取組事例が紹介されることが多いのですが、本書は法治主義国家の先駆者であるドイツの地方自治に関する実態を知るための貴重な文献だと思います。木佐先生が85年からの2年間の留学時、その後92年まで毎年行った現地調査に基づくドイツ地方自治の現場報告で、文字どおりドイツを歩きまわって取材活動をされた内容を集約されたものとなっています。
 まず、本書の特徴は何と言っても現場で撮影された写真をふんだんに紹介されていることです。ドイツ語を全く読めず、ドイツの地理を全く知らず、その結果文章だけではおよそ理解困難な私のような者のために書かれたのではないかと勘違いするほど、現地での風景をこまめに写真で紹介されています。したがって、ドイツの法制度に関する知識を全く有しない私にとって、ドイツの地方自治について、勢い関心を高める結果になったわけです。(註:この後、私は今年1月からドイツ語を少しかじるようになり、単語くらいは何とか読めるようになりました)
 ドイツの地方自治、地方公務員の特徴について、私なりの感想は、「オープン」であるということです。情報公開法が存在しないにもかかわらず、支障がほとんど無いのは、そんな法制度が無くても情報にアクセスできるようになっているからです。
  ドイツで公務員になるためには、公務員養成学校などでかなり厳しいカリキュラムの専門教育を受け、修了しなければなりません。日本ではあり得ない公務員養成制度が存在します。一方で、公務員養成学校では厳しさとともに人間らしい扱いを行うことについても相当な配慮がなされています。その理由は、「市民サービスをする公務員が、公務員になる最初から市民らしい、人間らしい扱いを受けていないと、以後、市民に対しても同じ扱いをすることになる」という考え方が基盤となっているとのこと。厳しさと残酷さは異なるわけです。日本では、市役所の窓口職場の多くは左遷職場と同等扱いですが、そんな職場にいる職員に対して市民には丁寧に応対せよと幹部が言ったところで、誰も耳を貸そうとはしないわけです。
 本書ではドイツの自治体連合組織についても言及されています。日本では全国市長会など地方6団体が存在していますが、仕事の中心はバッジ作りだとか。ドイツは自治体そのものの連合組織があり、果たしている役割はモデル条例の策定など、日本のそれとは格段に違うということです。私も全国市長会というのは、地方自治法に根拠はあっても、単なる親睦団体くらいのものだと思っていましたが半分当たっていました。
 ともかく、本書は、法治主義国家を標榜するドイツの地方自治制度に関する基礎知識を得るためには最適です。まだ読んでいない人は是非一読をお勧めします。
(03.08.17記・04.11.10増補) 

木佐茂男・五十嵐敬喜・保母武彦 編著 「分権の光 集権の影 続・地方分権の本流へ」 (日本評論社・2,625円) 
 第1部集権の影、第2部分権の光として、それぞれ10ページ余りの比較的短い論文が22本、研究者や自治体首長へのインタビューが3本収録され、最後に第3部座談会 日本はどこへ向かうのかというテーマで編者である3名の先生方の座談会が掲載されています。
 分権開始4年目を迎えた現時点で、国政レベルでは有事法制が具体化されることになり、地方レベルでは住基ネットが大きな議論になっています。また、新地方自治法で導入された国地方係争処理委員会は事実上機能していないことは、横浜市の勝馬投票権発売税条例を巡る委員会の対応を見ても明白になりつつあります。本件条例に関する横浜市と総務省との協議は事実上、同委員会のおかげで棚上げ状態になったままと評価できるようです。私は同委員会の委員に国拠りの立場である某有名行政法学者のお名前を発見した時点で「これは公正中立な委員会ではない」と感じました。分権時代とは言いながら、国の集権化への取組みは一層強まるばかりのようです。そしてその究極が実質的な強制市町村合併でしょう。小さな自治体は税金の無駄遣いであるという発想だけで、自治を実践している小規模自治体を消滅させようとする国の姿勢に対しては、小規模自治体だけではなく、大規模自治体ももっと反論をするべきではないでしょうか。大規模自治体は税金の無駄遣いは無いということがフィクションであることは明白でしょう。
 一方、分権の光としては、自治基本条例の制定ブーム、住民投票条例の実践などに論及されています。その中で一般市民も関心がある問題として公共事業があります。国民からの批判が絶えない公共事業が、なお、継続される原因として「政官業学の癒着」を指摘されています。研究者ご自身が「学」を癒着の要素として指摘されたことは驚きです。霞ヶ関や自治体と結託した「御用学者」の存在は昔から指摘されていますが、公共事業に関する癒着構造の一因として指摘されたのを読んだのは初めてです。
 いずれの論文も比較的短いものであることや、テーマ別に構成されているので、必ずしも初めから読む必要はないかもしれません。まずは興味のあるテーマから読むのも良いでしょう。現在における分権と集権に関する諸論点が一望できると思います。
 また、第3部座談会 V財政において、五十嵐教授と保母教授が財政と公共事業に関してかなり厳しい議論をされているのがひしひしと伝わり、迫力のあるものだったのが印象的でした。国政に対する批判的態度については共通する研究者であっても、個々の問題に対する考え方の構成が必ずしも一致するわけではないことを知る良い機会になりました。
(03.05.25記)

木佐茂男・逢坂誠二 編 「わたしたちのまちの憲法  ニセコ町の挑戦」 (日本経済評論社・2,100円)
 1994年(平成6年)10月16日のニセコ町長選挙で、当時弱冠35歳の財政係長であった逢坂誠二さんが現職候補を126票差で破り、初当選されました。まだ、無党派首長が当選できるような政治的環境はほとんど整っていない時期であったため、全国から注目されました。関西においてもニュース番組で大々的に報道されていたことを覚えています。もっとも、当時は私も「小さな自治体だから住民が気まぐれで選んだのだろう」というくらいにしか考えていませんでした。(註:逢坂様、町民の皆様に対して、メチャクチャ失礼なことを書いてしまいました。申し訳ありません)
 さて、逢坂町長の取組みは、まさに協働、参画、情報共有などのキーワードに集約されると思います。人口4600人ほどの、北国の小さな町から新しい自治の仕組みを発信された先見性は素晴らしいの一言に尽きます。これが現在、全国の自治体における”協働・参画ブーム”の草分けであることは言うまでもないことでしょう。
 ニセコ町では、まちづくり基本条例の制定を検討するに先立ち、情報公開、情報共有の実現を図るため、情報公開条例、個人情報保護条例の制定の必要性が検討されていました。行政の透明化を図るための行政手続条例は1996年3月に制定されていましたが、情報共有を実現するための情報公開条例は未制定の時期でした。小さな町役場であるがゆえに、法制スタッフが充実しているわけではなかったため、札幌地方自治法研究会(自治体法務に造詣の深い北海道内の自治体職員で構成される団体)との連携、協力により、条例策定作業が進められたようです。一つの自治体の条例制定過程において、当該自治体以外の自治体職員が大きく関与するという手法は、普通は考えられないのではないでしょうか。情報公開条例の策定作業にあたって、特に札幌市職員の田中孝男氏の活躍ぶりが記されていますが、自治体法務に取り組んできた職員は、自分たちの専門知識を活用したいという思いで活動されたのでしょう。それにしても、これほどまでに熱心に取り組むことが出来たのは、まさに公務員としての全体の奉仕者精神そのものでしょう。そうした献身的なサポートの成果もあり、1998年9月に情報公開条例と個人情報保護条例が議会で可決され、成立しています。
 さて、「ニセコ町まちづくり基本条例」は、こうした情報共有と参加による協働のまちづくりを自治立法として規範化しようとするものです。しかし、当然ながら、当時は全国の自治体でこのような先行事例は存在しなかったことから、条例案の策定作業は文字どおり悪戦苦闘の連続だったことが分かります。そこで、ここでも札幌地方自治法研究会において、木佐茂男教授の発案で自治基本条例プロジェクト・チームとして15人の有志が結成され、立法作業に大きく関わっていくことになります。情報公開条例、個人情報保護条例の制定において、札幌地方自治法研究会のサポートがあり、その時からの深い関係もあり、プロジェクト・チームは特に違和感無く活動に入ったそうです。本書では、こうした支えを得つつ、艱難辛苦を乗り越えて、最終的に議会への提出までに至るプロセスが詳述されており、まさに「プロジェクトX」さながらの感動物語と言えるでしょう。
 国法レベルにおける立法過程論については、既にかなりの研究実績があると思います。しかし、自治体の条例制定過程、自治立法過程の研究業績の積み重ねはまだそれほど存在しないものと認識しています。本書は、日本で初めての「自治基本条例の立法過程論」と評することが出来ると思います。また、後半部分においては自治基本条例の意義と必要性、立案に当たっての法的諸論点などが論じられており、これから自治基本条例を制定することを検討しようとする場合のテキストとして重要な役割を果たしてくれるものと思います。
 ニセコ町条例を嚆矢として、現在、全国で自治基本条例の制定が進められていることはご存知のとおりです。しかし、木佐先生がおっしゃるように、未だニセコ町条例を質・量ともに上回るような自治基本条例は制定されていないのではないでしょうか。
(03.03.23記・04.11.10増補)

木佐 茂男 監修・今川 晃 編集 「自治体の創造と市町村合併」 (第一法規・2,730円)
 本書のサブタイトルとして「合併論議の流れを変える7つの提言」と付されています。これは全部で7章で構成されていることを意味するととともに、各章がそれぞれヒントを提供するようになされているわけです。
 合併論議の視点としては、まずは「住民の幸福」を中心に置き、実質的な合併論議をし、合併市町村の例規をきっちりとしたもの再編しつつ、同時に自治基本条例など新しい自治の仕組みを法的な面からも整備するべきだということが強調されています。さらに、合併協議は住民自治の充実につながる機会であり、住民が主役になるように進めるべきであること、都道府県の役割も今後は見直しされていくべきであるということなどが主張されています。正直言いまして、別に合併論議に加わっていなくても、地方分権時代に相応しい新たな自治を創るためにどうすれば良いか模索している自治体にもヒントになるような内容であると思いました。
 ところで、幸か不幸か、私が勤務する自治体は現在のところ、合併論議にはほとんど無縁の様子です。ある先輩職員によれば「ウチは、相手が嫌がって合併なんかできない」とのこと。それだけ魅力が無い自治体ってことでしょうか?逆説的になりますが、自治体の魅力をアップするための戦略として合併論議に参加することを考えるべきではと思うわけです。その場合、何が最重要と考えるべきかとなれば、やはり「住民が幸福になるかどうか」ということに尽きるわけです。合併のメリットとして財政上の優遇措置が挙げられていますが、所詮は「借金の出来る範囲が大きくなる」にしか過ぎません。後々、その返済が過重な負担になり、財政破綻を招く大きな要因になってしまうわけです。小規模自治体が合併論議をする場合、地方交付税の縮小廃止という問題があるため、財政問題優先の発想で合併論に加わることが多々あるとのことですが、それだけに呪縛されていると、後々禍根を残すことになると思います。一方、人口が数十万規模の市が合併し、政令市や中核市になることを目指すことも合併のパターンとして認められています。しかし、これも借金という意味では規模の違いだけだと思います。政令市イコール財政健全自治体というのはフィクションであることは周知のとおりです。 
(03.03.16記)

地方自治職員研修臨時増刊号 「自治基本条例・参加条例の考え方・作り方」(公職研・1,680円) 
 地方分権実施後、急速に制定の動きが活発になっている自治基本条例、市民参加条例に関する論文集です。自治基本条例については、現在のところ定まった定義は存在しないようですが、概ね、地方分権時代を迎えて、自治体の地域づくり、まちづくりを進める上での基本理念を明文化し、具体的な進め方もルール化しようとするものだと言えるのではないでしょうか。今までの常識的な理解であれば、基本条例という名称の場合、宣言的条例であって具体的な内容を持つものではないものでしたが、自治基本条例については、制定のあり方によればこうした常識は覆されることになると思います。
 
ところで、実際に制定されている条例を見ると、自治基本条例という名称を採用している自治体は無く、「まちづくり基本条例」という名称が目立ちます。自治基本条例について先駆的な取組みをしたのは、北海道のニセコ町です。ニセコ町は平成13年12月27日に「ニセコ町まちづくり基本条例」を制定し、平成14年4月1日から施行しています。また、兵庫県では宝塚市と生野町がまちづくり基本条例を制定し、それぞれ平成14年4月1日、同年6月1日から施行しています。
 
こうした自治基本条例について、松下圭一・法政大学名誉教授を筆頭に研究者、自治体職員によって様々な角度から論じられており、自治基本条例に対して全く無関心だった自治体職員も関心を喚起させられることになると思います。
 
多数の論文で、特に印象に残ったのは、やはり木佐茂男教授(九州大学)の「自治基本条例の論点と到達点」という論文です。自称・木佐説シンパの私としては、自治基本条例について、市町村合併や権利救済の構想、内部告発権、そして情報管理にまで及ぼして論じられていることに無関心ではいられませんでした。仮にこうした内容を自治基本条例に盛り込むことができれば、自治体の法化はさらに進化すると思います。
 また、横須賀市・出石稔氏の「横須賀市市民パブリック・コメント手続条例」という論文は、地方分権実施後、常に先進的な取組みをしている横須賀市におけるパブリック・コメント条例の制定過程や今後の課題などに論及されており、現在、パブリック・コメント条例制定が政策課題としてようやく俎上に上ってきたわが市にとって、有意義な論文だと思われます。
(02.12.01記)

松下圭一・西尾勝・新藤宗幸 編  「自治体の構想1 課題」 (岩波書店・2,700円) 
 岩波書店から地方自治に関する講座が刊行され、久しぶりに講座モノを購入しました。私はこういう講座書籍を買うことはしないのです。大抵は読まずに終わってしまうので・・・ですが、たまにはいいかと思い買いました。「自治体の構想」は全5巻で構成されており、これはその第1巻です。
 第1巻は日本の自治体が直面している戦略的な課題をテーマに、12本の論文が収録されています。いずれも地方自治に造詣の深い研究者が執筆しているため、テーマとしてイマイチ興味が持てないものでも、結構面白く、読みごたえがあったと思います。
 この中で特に印象深く残っているのが木佐茂男教授(九州大学)の「地方自治基本法」という論文です。その中で木佐教授は「自治体規模の大小は、職員の能力の違いや不祥事・汚職の発生頻度と相関関係をもっていない」と主張され、さらに「人口減少地域が、匿名性を許さぬ非民主的社会であり続ける限りにおいて、人は戻ってこない」とされています。
 木佐教授の指摘を人口が減少している都市自治体にあてはめることは十分可能であると思いました。自治体の体質として「非民主的社会」であることは致命的な欠陥でしょうね。ここで言う非民主的という意味は、プライバシーが守られない、表現の自由が抑圧されるという地域特性と解釈できるでしょう。こうした体質は、高齢者には受け入れられても若年者には拒否されてしまうということではないでしょうか。若い人を中心に人口減少が続いている自治体は、本当の原因をもっと真剣に考えなければならないと思います。
 
 
また、西尾勝教授(国際基督教大学・東京大学名誉教授)の「分権改革の到達点と課題」という論文も興味深く感じました。地方分権実施後は機関委任事務が廃止され、多くの事務が自治事務になったことにより、地方公共団体は国からの通達等に拘束されなくなりました。西尾教授は、その最大の効果は、「法令解釈権の拡大」にあると強調しています。地方分権実施後はやたらと条例制定権などの自治立法権を行使する余地の拡大が強調されていますが、西尾教授の指摘は正論だと思います。そして法令解釈権の拡大こそ自治体職員の実務にも大きく影響を及ぼしていると思います。
 西尾教授の論文は第一次地方分権改革のプロセスを簡潔に論じられていますが、地方分権推進委員会は憲法や行政法、地方自治に関する日本の代表的な学者が取り組んでいたことを思うと、いかに国の官僚の抵抗が凄まじかったかを窺知できるのではないでしょうか。
(04.11.10増補) 

 木佐茂男 編  「地方分権と司法分権」 (日本評論社・1,470円)
 本書が出版されたのが2001年7月で、多分、出版されてから間もなく、何気なく書店で購入したはずです。本書こそ、私が購入した政策法務に関する文献の実質的な第1号だと思います。自治体法務・政策法務という言葉が新鮮な響きを持っていると感じたことを思い出します。当時は教育委員会事務局に在籍していたため、地方分権と言われてもほとんどピンとこない自分がいたことに隔世の感を覚えます。
 本書は、地方分権と司法分権という、一見無関係な問題について、実は大いに関係するんだという発想で論じられているものです。司法制度改革が進められ、2004年度からは法科大学院開講、裁判員制度制定、行政事件訴訟法の大改正など、凄まじい勢いで改革が進められています。こうした時代の中で、自治体政策法務の重要性は益々高まることになると思います。本書は地方分権の問題点と司法の関係や、弁護士会が取り組んでいる公設事務所の問題と弁護士過疎の問題などについて論じられています。
 司法権は、一般市民は勿論のこと、ほとんどの自治体職員にとっても縁遠いものだとと考えられるでしょう。しかし、分権が進化するにつれて、自分は裁判とは無関係だと言い切れる時代がいつまで続くのかと疑問に思うとともに、少し不安やあせりも感じるようになっています。地方分権と司法問題に関するコンパクトな本ですから、まだ読まれていない方は是非とも一読をしてください。
 本書では、1995年7月に北海道ニセコ町で開催された第1回自治体法務合同研究会から2000年に熊本市で開催された第6回大会までの概要も掲載されています。また、木佐先生をはじめ、自治体法務合同研究会主要メンバーの顔写真も掲載されており、親しみを覚えます。もっとも、私が本書を初めて読んだときは、全く異なる世界にいる人たちの特別な活動という意識でいました。当然ながら、まさか自分が政策法務研究の当事者の1人になるとは想像もしていませんでした。嬉しい誤算とはこういうことでしょうね。
 本書の中で印象深い記述は、木佐教授が、地方分権一括法によって大改正された地方自治法について、全体をまともに理解できる自治体職員は1%もいないはずだと指摘され、木佐教授ご自身が諳んじては説明できないと言われています。自治体職員で「私は、その1%未満の職員のうちの一人です!」と堂々と豪語できる人がどれだけいるでしょうか?
余り期待できないでしょうかね・・・と言っている私も諳んじて説明せよと要求されるとシドロモドロ・・・
(04.11.10増補)